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■[日本で見る日本]東郷平八郎と東海(トンヘ)海戦
▽ソース:慶南新聞(韓国語)URLリンク(www.knnews.co.kr)
東郷平八郎。日本の資料によると、彼は明治時代の海軍司令官で、清日戦争と露日戦争を勝利に
導いた牽引車の役割を果たした人物としてよく知られている。露日戦争中、かの有名な東海
(訳注:日本海のこと)海戦でロシア艦隊を圧倒し、「有色人種が初めて白色人種に勝利した」と
いう評価で世界の注目を集め、「東洋のネルソン」という称賛も受けた。東海海戦で敵前回頭戦法
(李舜臣の鶴翼陣戦法の模倣)で日本に勝利をもたらし、李舜臣、ネルソンなどとともに世界的明提督と
評価されていて、日本では軍神として崇められている。
この有名な日本の英雄である東郷は、東海海戦でT字戦法を導入し、多くの時間をかけて李舜臣将軍が
残した水軍陣法の研究に熱中したという。特に東郷は鶴翼陣に関心が高く、普段から常に自分の尊敬する
人物は朝鮮の名将李舜臣だと堂々と明らかにしたというが、正確な根拠は捜すことができない。
日本の資料は一様に、東郷のT字戦法が日本水軍の元祖である村上水軍の戦法を取り入れたと記録している。
ただ東海海戦が終わった後にイギリスと日本の記者たちの前で、李舜臣と自分を比べるのは過分なことだ
という表現をしたというエピソードが伝わって来るだけだ。
1905年5月27日。韓国の鎮海湾に停泊していた日本艦隊は、大韓海峡に入って来るバルチック艦隊の姿を
哨戒中だった船舶から無線で通報を受けた。無線を実戦に使用した初めての事例が、この東海海戦だった。
日本艦隊はロシア艦隊に比べて、その規模や火力の面で相当劣っていた。しかし日本は、西洋から取り入れた
大砲を開発して百発百中の艦砲射撃を誇り、訓練された兵士らの一糸乱れぬ行動は命中率を一層高めていた。
海戦では、どちらが先に敵艦隊を見つけるかに勝敗の半分がかかり、敵艦隊に砲撃を加えてどちらが先に
命中させるかに勝敗の全部がかかっていると言っても過言ではなかろう。したがって日本は、万全の準備と
熟練した兵士、百発百中の大砲を持っていた以上、もう戦争に臨む前に勝利したも同然だった。
つづく