09/02/09 00:02:51 0
キン肉マン
どういう風にして、人間を作られていたのかは、問いではあるわけで、
監獄とか小説とかが名指し(?)されてた。近代以前は、どうなのかというのは、
時間の比較社会学で、共同性、自然性の双方から疎外された(共同性から個人性へ、
というのが、ヘレニズム、自然性から超越性へ、というのが、ヘブライ。この二つが
合流して近代になるということらしい。恐ろしくシンプルですが、当たってるのかな)
のが近代だといわれていた。フーコー(*)も、ギリシャに戻っていくわけですが、
見田の本は、たしかに壮大なプランで(といってもどうしょもない壮大さではない。)
自我の起原では、動物にまで視野を広げてゆくわけです。少なくとも、フーコーとか
ドゥルーズの復習にはなるでしょう(やや、シンプルすぎる気もしますし、交響という
のを核心としているものの、その内実は語り得ないものとしてる(?)みたいですし、
ドゥルーズなら、潜在性を思う存分(!)語っていたと思いますが)。
(*)主体化というのが、ヘブライと合流するはず(?)の肉の告白が未完なので、
これを合わせれば、人間の誕生が語られたのかもしれない。