11/10/01 15:04:16.60 v895Iyan0
まず、一民間人である私が、かかる書式に則って始末書を提出することに対しては、重大な疑問点があることを主張します。
たとえ民間人であっても、物を壊したら謝罪するのは道理ですが、
悪気があってやったこと、謝罪するにしても形式ばった軍の書式で始末書を提出することにどれほどの意味があるかは疑問です。
謝罪するなら、軍に対してではなく、機材を購入するための費用を供出した納税者に対してするべきでしょう。
そしてそれは事故に関連した関係者全員の謝罪であるべきです。
なぜならば事故は一個人の過失によって引き起こされたものではなく、関係者全員の作為、無作為の総和であるからです。
換言すれば、単なる一市民に過ぎないカミーユ・ビダン一人が頭を下げただけですべてがすんでしまうというのなら、
その程度の「軍隊」という組織の誤謬と欺瞞性が明らかになったというべきなのであって、
それでもかまわないというのなら、それはそれで結構なことですが。本当にいいんですかね、それで?
加えて、敢えて指摘すれば、かかる状況を現出せしめた主因に、クワトロ・バジーナ大尉の危険な挑発行動があったことは明白であります。
クワトロ大尉の操縦する機体のマヌーバ記録(ファイルFGH2120-R646-F/08)を参照すれば、
該当マヌーバが本訓練ミッションの想定範囲を大きく逸脱した危険行動であることは明らかであり、
これはクワトロ大尉の私に対する個人的攻撃感情の発露としての挑発行為であることが推理されます。
(ファイルFGH2120-R646-F/08:ファイル・クラスタM:インデックス・タグ#12989~#20533参照のこと)
この点において、クワトロ大尉のパイロット適性に対する重大な疑義を提示することは衆目の一致するところであると信じます。
クワトロ大尉と私との確執は、大尉の一方的な思い込みによるものといえ、その偏執狂的執着が、今回の事態を招いたことは明らかです。
このような人物がモビルスーツを操縦し、あまつさえ作戦行動に従事し、
のみならず部隊を指揮するということはもはや常軌を逸らした行動であるといわなければなりません。
クワトロ大尉のような人物に作戦をまかせることは、猿に爆弾を持たせるのも同然であり、しかもそれは猿に対する侮辱ですらあります。
なんであのような奴が偉そうな顔をして、みんな平気でいられるのか、ぼくにはまったく理解できません。みんなおかしいと思わないのか?
さらに状況を敷衍すれば、かかる問題人物をパイロットとして採用し、作戦に従事せしめた指揮官の人選および判断にも瑕疵があったことは明らかであります。
ヘンケン中佐の作戦指揮には、集団行動を円滑に推進するための配慮が著しく欠落しております。人を見る眼がない、と換言することもできましょう。
だいたい、ふだんから色眼鏡で表情を隠しているような人物を信用するなど、
指揮官としてのヘンケン中佐の適性には強く疑念を感じざるを得ません。人の上に立つ器なのか?
クワトロ大尉も、人に話をするのなら、まず眼を見せるべきでしょう。ひょっとしたら顔隠さなければならないほどブ男なのか?笑うぞ。
したがって、かかる状況における私の責任はその範囲において軽滅され、
クワトロ大尉ならびに大尉の行動を容認したヘンケン中佐にも相応の責が課されるのが正当であると敢えて主張するものであります。
なんだよいったい始末書って。
こっちは頼まれたから戦ってやってるんだということをみんな一度、よく考えてみるべきでしょう。軍隊には、礼儀というものはないのですか?