11/01/31 15:16:32 T/emHn6a
元々、音楽自体に経済的価値があって、その価値に人々が対価を払ってくれるというのが幻想なんだよ
(あくまでも経済的価値。文化的価値は別の話)
たとえばレコードの時代には、大金払って楽団呼んで演奏してもらわなくても
手軽に音楽が楽しめるという「価値」があったから売れた
CDの時代は、テレビやラジオといった無料で音楽が聞ける媒体はあったけど
好きな時に好きな曲が聞けるという「価値」があったから売れた
カラオケにしても、飲み屋のヤツは歌いたい時にカラオケを提供するという、機会的「価値」に対してだし、
カラオケボックスは、自宅では大声で歌えないという、住環境に欠けた部分を補う「価値」に対して
対価が支払われていた。
どれも、音楽自体の価値に対してではなく、音楽にアクセスする手段、音楽を提供する機会の「価値」
に対して対価が支払われてる訳
で、どの場合も「理想」と「現実」の間にギャップがあるから、対価を得る事ができる訳なんだけど、
ある意味理想的媒体であるポータブルプレイヤーやデジタルデータが一般化して、そのギャップが
無くなってしまった。
高低差が無ければ水力発電ができないのと一緒で、理想と現実にギャップが無ければ対価も発生しない。
どこにギャップが残されているのか、それを探すのが鍵だと思う