14/06/02 21:51:22.08 X7Zw82IA0
ノゾキアナ未読者にはネタバレを含むのでご注意ください
>>24
ノゾミとキミオがしているのは「自分見せ合いっこ」。
キミオは一方的にノゾミを見れるのではありません。
「見る」と「見せる」はバーター。
「自分見せ合いっこ」を受け入れるなら、キミオはノゾミに
自分を見せなくてはいけないのです。
それもただ服を脱いで体を見せればいいのではなく、
心の中も含めて「ありのままの自分を見せ合う」のです。
しかしキミオにはまだそんな覚悟はなく、たとえば
単行本2巻に収録されている13話のモノローグでは、
『…言えるわけねーよ、おまえを…
「キレイだ」…なんて思ってたなんて…』
というように自分の気持ちを隠しています。
このように「ありのままの自分を見せる」ことに抵抗が
あることが、「自分見せ合いっこ」を強要されつつも
受け入れてはいない理由の一つでしょう。
また、キミオはまだ (おそらく) 気づいていませんが、
ありのままの自分を見せるには、ありのままの自分を
見なくてはなりません。
スピンオフ元のノゾキアナでは、主人公のタツヒコは
ようやく11巻でそのことに気づきます。
『あの穴はね…
本当に不思議な穴なんだ。
みたくないモノから… 見なきゃいけないモノまで-
たくさんのモノが覗けてしまう…
オレがあの穴を通して覗いたのは、
壁越しに誘惑するアイツの姿なんかじゃない。
オレが本当に覗いたモノは-
凄く臆病で…
ワケもなくただ逃げ続けて…
ズルくて卑怯で… 情けなくて…
どうしようもなくバカな…
このオレ自身だ……っ!』
これがノゾキアナとノゾキミを貫く共通の主題でしょう。
キミオは3巻に収録される17話などで、「自分見せ合いっこ」を
通して自分が変わってきていることを自覚し始めていますが、
自分と向き合うことで「自分見せ合いっこ」を肯定的に
受け入れるのはもっと先のことになると思われます。
それまで「自分見せ合いっこ」は、キミオにとって
ノゾミに強要される意味不明で迷惑な行為として、
また単なる読者サービスとして描かれることでしょう。