13/09/19 00:48:30.78 5g9+K0Jd
>>慶長の役で日本軍が戦った明軍は強かったのでしょうか?
当時の日本人側の資料で「馬の大きさが日本の馬の3倍」
「兵装が整い刀が通じない」などの記述があるそうです。
『兵士たちは身に適当な厚さの鋼鉄の鎧をまとい、
同じく鋼鉄製の膝当てをつけていた。
それらは馬上にあっても、足のあたりまで垂れ下がり』
『従来発見されたものの中では最優秀を誇っていた
日本軍の刀や槍をもってしても、なんら損傷を加え得なかった』
『刀や槍はたび重なる戦闘によって威力が鈍っており、
他方シナ軍の武装はいとも堅固で、
日本軍の刀を寄せ付けぬほどであった』
このような状況下で
日本軍は主に「火縄銃(鉄砲)」を用い
「鉄砲戦術」などで優位だったようですが、
それも物量と補給線を絶たれる敵の
「戦略」を前に日本軍は敗れました。
質、量、戦術、戦略など明軍が上であったようです。
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