【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ6 【壬辰倭乱】at SENGOKU
【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ6 【壬辰倭乱】 - 暇つぶし2ch300:人間七七四年
13/08/16 NY:AN:NY.AN XDnpPr6Z
おっと。 ×古田センセも雑文を ○古田センセの雑文を

301:人間七七四年
13/08/16 NY:AN:NY.AN XDnpPr6Z
ちなみに、手持ちのタマに朝鮮土民宣撫に関係したちょっと面白いものがあるので、
この際だからスレ住人諸氏の参考に紹介。たぶん、ネット上ではあまり知られてない
一文だと思うので機会が有れば対韓戦闘の実弾にして下さいな。

なお、ガキンチョやフンは三跪九叩頭してから使うようにw

「城中糧粟不多、旦近郷之商人民黎驚明兵之大至、攜其妻子皆入城中、故穀粟尤乏」

         『 鹿児島県史料旧記雑録 後篇三、三四〇「義弘公御譜中」』

蔚山籠城戦の際に、明軍の到来に驚いた近在の朝鮮商人が妻子を伴って入城したため、
元々多くなかった糧食がますます欠乏した、というもの。
慶長の役においても、日本軍と商いをして利潤を得ていた商人は既に日本側を庇護者と
見なしていたという史料なんだけど、逆の見方をすれば農民はそこまでにはいたって
いなかったとも解釈できるので、まぁ、適切に利用して下さいな。
 
個人的には、当時の釜山周辺はベトナム戦争のサイゴンみたいなものだろうな、と
思っていたり。米軍撤退とともに多くの南ベトナム人が渡米したのと同じ事が
朝鮮役でもあったんでないかね。

302:人間七七四年
13/08/19 NY:AN:NY.AN uj2CHDOb
【書籍】 壬辰倭乱から朝鮮戦争まで、外部勢力はなぜ韓半島を分割しようとするのか~「韓半島分割の歴史」[08/18]
スレリンク(news4plus板)l50

303:人間七七四年
13/08/20 NY:AN:NY.AN efy995sp
【中央日報】「万無近隣」…安倍内閣に尋ねたいこと=秀吉を始め朝鮮を900回侵略した日本、韓国と親しくするのはそんなに難しいのか[08/20]
スレリンク(news4plus板)l50

304:人間七七四年
13/08/21 NY:AN:NY.AN OkN/0LiO
【中央日報】「万無近隣」…安倍内閣に尋ねたい事=秀吉を始め朝鮮を900回侵略した日本、韓国と親しくするのはそんなに難しいのか★2[08/20]
スレリンク(news4plus板)l50

305:人間七七四年
13/08/21 NY:AN:NY.AN wGgvhu0n
>>299
冬季が迫っていたのですぐに南部に移動した咸鏡道と
慶尚道を比べても意味が無い。

そもそも秀吉軍地域に逃げていったという事実に過剰に
反応してるのは、君だけだしw
別に飢餓だろうがなんだろうかいいじゃん。
なにが困るのか知らんけど。

それにもともと古田博司は親韓派だぞ。
そういった味方とも言えた人物に駄目だしされてることに危機感を覚えろよ。

306:人間七七四年
13/08/25 NY:AN:NY.AN cA3uWn5r
文禄・慶長の役で日本に連れられた7万名のうち
帰国者はたった4000人という時点でお察し。
94%近く朝鮮人が日本に永住を望んだ。

辛基秀・朝鮮通信使往来から。

307:人間七七四年
13/08/26 NY:AN:NY.AN 8+nTdiqQ
国外に大勢売り飛ばされたんじゃなかったっけ?

308:人間七七四年
13/08/26 NY:AN:NY.AN p8VaIkWh
日本軍地域では飯が食える。

倭軍の被虜となった身で釈放された朝鮮土民中には、
再び倭軍の許に立ち帰って「慶州駐屯の朝鮮軍将兵は、兵力も少なく軍糧も乏しい」との
漏らしている者があると、慶尚左兵使高彦伯が一月二十四日上啓した。
当時、朝鮮軍では釈放されて帰ってきた被虜たちを陣中に留め置いていたが、
給食にもこと欠いたので、ひもじさに堪えかねた者らは、再び倭陣営に立ち帰るため
脱走する者も少なくなかった。
朝廷では聞き捨てならず、巡撫御史徐ショウを叱責し、十分な食料補給処置を取らせる一方、
都元帥と兵使以下諸将にも密命を下して、軍紀を厳しく取り締まらせると同時に軍の機密漏洩に
対する軍律を定めて処罰するようにした。

宣祖実録巻五十九 正月丁酉


西生浦付近の百姓らは、悉く日本の占領地に立ち返って農耕に従事し、
租税を清正に収めているばかりではなく、日本の風俗に従って起居し、
遠近の商人らが互いに往来して市が賑わっていることが、
清正の副将美濃部金太夫と要時羅の書面に依って明らかになった。
朝廷では敵の交通路を断ち、より活発に敵中の百姓らを招慰する方針を
都元帥以下諸官に密命した。

宣祖実録巻六十一 三月甲戌 懲毖録巻四

309:299
13/08/26 NY:AN:NY.AN IZA2wn5A
マジで夏休みのガキンチョが大暴れしてるのか、あけたかと思えばまた規制で
8月はほとんど規制かかったまんまだったよ。ヤレヤレ


>>305
それにしてもダメ押しで無知自慢することもなかろうにw

>冬季が迫っていたのですぐに南部に移動した咸鏡道

加藤清正が陣所のあった咸鏡道・安辺を立ったのが文禄2年(1593)2月21日で
漢城到着が29日な。新暦で言えば3月末。
要は加藤・鍋島勢とも文禄の役では咸鏡道で越冬してる訳よ。

ま、ここまで自爆っぷりは、もう懐かしのエンコリ青組レベル以下だな。

310:人間七七四年
13/08/26 NY:AN:NY.AN p8VaIkWh
>>309
まぁ、誰にでも間違いはあるからいいんじゃねーの?
貴方だって、朝鮮人が日本軍地域に逃げている
ことを必死に否定しまくってるわけだし。

俺だって、過去にぜってー間違いコメントやらかしてるだろうしなw

俺としては>301とか俺がコピペした>308とか、
今まで一般の本とか学校とかじゃ教えられない内容が次々にでてきて、
左翼とチョンの嘘がバンバン剥がれていく、この状況が嬉しくてたまらないんだがwww

今までとは違う朝鮮出兵観が作られると想うと胸熱。

311:310
13/08/26 NY:AN:NY.AN p8VaIkWh
>>309
ああ、ゴメン、
3行目の書き方が失礼だったと思うわ、すまん。

312:人間七七四年
13/08/26 NY:AN:NY.AN IZA2wn5A
>>298
誰からも回答がなかったようなので少し。

似たような話が以前軍板の関連スレで上がってたのでその引用。
裏は取ってないけど、まぁこんなとこだろうと思う。

----
55 :名無し三等兵:2007/06/11(月) 11:21:18 ID:???
山本権兵衛大将の肝入りでマハンかぶれの佐藤鉄太郎中将が数度に渡って啓蒙書を発表し、その中で李舜臣による制海権の喪失を戦役敗因とする朝鮮史観丸写しで海軍の重要性を強調したのは事実。
東郷の太鼓持ちと言われた小笠原長生中将も朝鮮史観の丸写しだった江戸講談から李舜臣による敗退説を佐藤に先じて流布した。

どっちも海軍権益拡大の理解を国民に啓蒙したもので、結果ありき。
これらの俗説をさらに不研究に再利用しているのが韓国民族史家や北島万次などの自虐推進学者。
----

で、この明治海軍の見解の流れを受けて、戦後のサヨ学者以前に、徳富蘇峰が大著
『近世日本国民史』で、李舜臣を賛美すると共に日本軍制海権失墜とか書いちゃったのが
まずかった罠。

ちなみに、昭和海軍では有馬生甫大佐が著書の『朝鮮役水軍史』で
文禄・慶長の役におけるマハン的な制海権の概念はきっぱり否定しているし、
朝鮮人のよく引くところの、閑山島海戦をサラミス海戦に匹敵するとする
ムルドック日本史もきっぱり否定してるしで、朝鮮役の海戦分析としては、
現在に至るまでこれを超えるものがない良著なんだけど、いまや
稀覯書なんで影響力がどうにも乏しいのが残念なところ。

313:人間七七四年
13/08/26 NY:AN:NY.AN IZA2wn5A
>>309
別に否定してるわけじゃないよ。文禄の役では当然あっただろうし、
休戦期でも場合によってはあっただろうとも思う。
しかし慶長の役では、終始支配下にあって宣撫が進んだ釜山近辺と
土民なで切りの空地策を当初採った全羅道とは全く別物だろうし、
いずれも史料に基づいてケースバイケースで考えるのが必須だと
思う訳よ。

要は、時期も地域も裏付け史料も不明なのに、”日本軍は強いから
どんどん城を建てて朝鮮民衆も日本軍がよくしてくれんるんでどんどん
集まってきました”、とかしれっと書いてるような雑文を鵜呑みにするなんてのは
恥ずかしいぞ、と言ってるだけなんだがな。

314:人間七七四年
13/08/26 NY:AN:NY.AN IZA2wn5A
おと、アンカー間違えた。>313は>310宛。

315:人間七七四年
13/08/26 NY:AN:NY.AN p8VaIkWh
>>313
返信ありがとう。
たしかに、この分野の研究って後れてるよな。

半島の人たちは、考えが違うのだろうけど、
こっちとして400年前の歴史だから、
現在と絡めないで純粋に学びたい。

学者の人たちが、いちいち相手の顔色を伺っているせいか、
向こうの主張と、あんまり変わらないのが多いのが残念だ。

語弊はあるけど、この戦いはもっと面白くて重層的な歴史の
出来事だと思うんだよね。

316:人間七七四年
13/08/26 NY:AN:NY.AN SMZgmyJ/
このところの流れは重層的な物に薄っぺらいコピペ持ってきたバカが発端だしな

317:人間七七四年
13/08/27 NY:AN:NY.AN dk6LmgD9
>>312
明治海軍が権益拡大するために流布した説を、北島らがさらに広めてるのかw
なるほど、ありがとうございます。

318:人間七七四年
13/08/27 NY:AN:NY.AN W05LKc07
食料・物資が基本的に現地調達で、しかもほぼ沿岸伝いにしか航海できない時代に
「制海権」とかおかしな話だもんな

319:人間七七四年
13/08/28 NY:AN:NY.AN EczeSNww
実際に文録の役の勲一等は李如松なんだよな
奴がいなければ普通に文禄で朝鮮を制圧してて
慶長には山海関か北京でドンパチやってる。

320:人間七七四年
13/08/28 NY:AN:NY.AN grOY2zt8
ID:XDnpPr6Z
こいつjpn1_rok0みたいに性格が悪いな

321:人間七七四年
13/08/28 NY:AN:NY.AN aN1ntloh
朝鮮ってのは南部三道を除けば、毎年どこかで飢饉が起きてるような所だったからそこで現地調達なんてのは無理

322:XDnpPr6Z
13/08/29 NY:AN:NY.AN GCYqfxwo
>>320
脊髄反射で他人様を朝鮮人呼ばわりする輩は、倍返しされても
当然だと思う訳なんだが。
 
それにしても今となっては判る方が少ないような懐かしいコテを
あげてきたねw

323:人間七七四年
13/08/29 NY:AN:NY.AN GCYqfxwo
>>317-318
当時の日本側が、対馬-釜山の補給線を厄する相手として認識していたのは
慶長の役緒戦での元均であったようだね。なにせ巨済島に水営を構えて
いたので。

まぁ、元均が有能かと言えば疑問はあるのだけれど、それでも李舜臣を聖将として
祀り上げるために不当に貶められている様には思うね。

324:人間七七四年
13/08/29 NY:AN:NY.AN 1qBQk/1D
>>323
李舜臣過大評価、元均過小評価は分かるけどさ。

まだゲリラ戦に徹した李舜臣の方が相当優れてると思うけどな
上官に強制されたからと言え、弱っちい朝鮮海軍で日本海軍相手に正面から戦いを挑むなんて無謀過ぎる。

325:人間七七四年
13/08/29 NY:AN:NY.AN q3ODUd4I
>>324
その上官にかなり体罰くらってるし、へたに逆らうと、
李舜臣みたいに死刑宣告されかねないのが当時の軍規
だからしょうがないんじゃない?

326:人間七七四年
13/08/29 NY:AN:NY.AN keI4UoGj
ゲリラ戦も効果が無くなった後だからな。

327:人間七七四年
13/08/29 NY:AN:NY.AN GCYqfxwo
>>324
元均もその辺は重々承知の上で、水軍単独での侵攻は不可と
上申して、>325氏の言うように杖打ちの刑罰喰らってるので、
それ以上の抗命は少なくとも罷免は間違いなしだったからね。

あと、何故か李舜臣がゲリラ戦とかいう勘違いがネット上では
広まっているようだけど、実際は全羅両水営、慶尚右水営の
三水営の戦力を集中して、常に日本側の数倍の兵力で
日本の小部隊を叩いて回るという非常に正攻法の戦法を
とってる訳で。

328:人間七七四年
13/08/29 NY:AN:NY.AN blA4e40x
どっちか言うと郭再裕のほうが

329:人間七七四年
13/08/31 NY:AN:NY.AN WIYSEBN7
ちょっと考えたら分かるけど
装備も貧弱で実戦経験に乏しい朝鮮軍は日本軍にろくに勝てないのは常識なんだよな

満蒙を武力で支配し実践経験豊富な明の重装部隊と
100年の乱世を生き抜いた、日本刀と重火器で武装したサムライとの戦争って言う、夢のタイトルマッチであって
朝鮮はあくまにオマケなのにね。今や捏造に捏造を重ねて主格扱いなんだよな。

>>325
そうなると権慄がいよいよ無能の極みだな

330:人間七七四年
13/08/31 NY:AN:NY.AN ARLh4UJ1
主格扱いになったことないだろ。韓国国内の話か?

331:人間七七四年
13/09/01 00:19:02.67 0z3IldKj
>>330
まぁ、南朝鮮と違って実際に大学等の禄をはむ身で露骨にそれを言っちゃーお仕舞いなんだが、
差し障りがない範囲で何かにつけ義兵ガー、李舜臣ガーってのは南朝鮮御用学者中心に本邦でも
普通にあるよな。
 
その辺り、朝鮮役の収支を考える際には、当の李氏朝鮮の総括である“再造之恩”というのを
よくよく噛みしめるべきだとは思うんだが、日本の朝鮮史学者はマネートラップ(南鮮政府経費
持ち研究・調査)にはまってるのが多いみたいだし。

332:人間七七四年
13/09/01 00:20:54.25 0z3IldKj
おっと。

×朝鮮役の収支 ○朝鮮役の終始

333:人間七七四年
13/09/01 06:56:48.21 OmBu6fmW
>>330
最近は知らんが俺がガキの頃は李舜臣って普通に学校で習う
東郷平八郎は習わなくても李舜臣と安重根は教科書に載ってる
勿論伊藤博文は明治建国の英雄としてではなく悪人として載ってる
福澤諭吉はアジア蔑視の悪人思想家として載ってる

結局教科書程度の浅さで歴史を学ぶと
神将李舜臣、英雄的朝鮮人民が野卑な日本人と戦って退けたってことになってる。
そもそも李舜臣より遥かに格と功績のあった李如松も
明国のエースの麻貴や劉テイも全く知られてないだろ。

334:人間七七四年
13/09/01 07:05:16.73 OmBu6fmW
実際に武装や兵、指揮官の能力を考えると
朝鮮軍=平均的な実業団チームレベル
秀吉軍=プロ野球優勝争いレベル
明国=プロ野球下位チームレベル
ってぐらいレベルの差は有って、その通りの展開になるんだけど

後世の史学者の自慰によって朝鮮軍が神格化されてる。
結局撤退した日本側はともかく、あれだけ活躍して、それを全く考慮されてない明軍は可哀想
考慮されてないばかりか、弱い朝鮮軍を取り繕うために汚名を着せられてるケースもある

335:人間七七四年
13/09/01 11:47:55.39 xjlYxtR/
明・朝鮮軍って本当に日本軍の相手にならないほど弱かったのですか?
じゃあどうして日本は負けたのですか?

336:人間七七四年
13/09/01 11:53:59.01 47HZoKdF
勝っても収入以上の出費になることが分かってるので帰りました
意地になってた前オーナーは死にましたから

337:人間七七四年
13/09/03 10:46:36.27 kDnCG43b
>>335
明軍は強い、平壌で小西軍を破る。碧蹄館で負けるも、その後日本軍の食料庫を叩く
お互い膠着状態から講和に持ち込み朝鮮南岸まで日本兵を引かせる。
(戦闘で日本側に勝てない明軍にも、食糧不足の日本側にもメリットがあった)
文録の役で強い日本軍が朝鮮を攻めきれなかったのはこの戦術、戦略上手の李如松の功績が大きい。
あと、朝鮮の土地の貧しさ荒廃ぶりを甘く見積もって、大軍で来てしまった日本軍の自滅
勿論、その反省を生かした慶長の役じゃ終始勝ちっぱなしに近い状態だったけど。

朝鮮は外敵よりも内乱を恐れて強力な軍隊を持ってなかった。
常に弱い軍隊を保有し内乱or外敵が侵入したら国王は逃げ出し明に助けてもらう
この情けない方法で何だかんだで李氏朝鮮は停滞しつつも500年続いたからね。
国、民族としてのプライドと国民の命を無視出来るのなら、これはこれで有りな考え方だと思う。

338:人間七七四年
13/09/03 13:00:54.61 0941RKAl
亀甲船って本当にそんなに強かったのですか?

339:人間七七四年
13/09/03 15:55:08.12 m7H/G+fp
李如松の功績とか本気で言ってんのか

340:人間七七四年
13/09/03 18:33:05.01 EBYDSYOc
龍山倉焼き討ちは李如松ではなく宋応昌の策略では?
もっともこの焼き討ち、例え行われなくとも日本軍の慢性的な兵糧不足に変わりは無く、同じ結果になっていただろうと言われてる
というか、そもそもこの出来事が事実化どうか疑問視する意見さえある(徳富蘇峰、木村紀八郎など)。

341:人間七七四年
13/09/08 10:42:05.53 H3nlW6sq
柳成竜『懲毖録』
「明国軍が碧蹄で敗れ、李如松が臆病風に吹かれる」
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。

・(李如松)提督が、自分が〔本国に送る〕奏達文の草稿をとり出して示したが、その中に、
「賊兵、都城に在る者二十余万。衆寡敵せず」とあり、また文末に、
「臣、病甚だし。他の人をもってその任に代えんことを請う」ともあった。私は驚いて、
手でその部分を指して言った。「賊兵は甚だ少ない。どうして二十万にもなりましょうか」と。
提督は、「私がどうしてそれを知り得よう。おまえの国のものが言ったのだ」と言ったが、
どうも口実のようであった。



この大敗して仮病を使うほどチキン化してしまった提督にそんなすごい功績があったなんて

342:人間七七四年
13/09/08 15:10:19.89 z+V+pVuY
確かにボハイの乱のときと違って南方の兵が減ってるんだよな

343:人間七七四年
13/09/09 00:42:43.23 boWjPp87
世界史版や日本版ではとっくに全滅したサムライ幻想を抱いている馬鹿
がいまだに戦国版にはいるんだね(笑)
遅れてらー(笑)

344:人間七七四年
13/09/09 00:51:19.89 4V1AKtKY
はいはい、東京オリンピック開催阻止できなくてカンシャクおこるよね。(・∀・)

345:人間七七四年
13/09/09 01:20:06.65 boWjPp87
日本は1592年4月以来20万の軍勢を投入しても朝鮮を征服
できず、ついには秀吉自身が家康、利家を率いて10万の軍勢で
直接朝鮮を征服しようと1593年3月に渡海する予定だった。
それが明軍4万3千人の到来と朝鮮義兵の活躍により、朝鮮全土に
展開していた軍勢を半島南岸まで撤退し、ついには秀吉の渡海も中止され、
当初の戦略目標を放棄して明軍と和平交渉をするまでに追い詰められたのに(笑)

346:人間七七四年
13/09/09 14:36:56.70 /dHgCxGw
サムライ幻想なんか抱いた事無いけど、教科書でおなじみの李何とかっていうオッサンは凄いと思ってた
そしたら活躍そのものは戦争にたいした奇与をしてなくて驚いた

347:人間七七四年
13/09/10 06:50:50.73 dHtZEJRU
>>343
お前つい最近も世界史板で大恥かいたのに、もう忘れたのかよ(笑)
日本軍の9割は武装した百姓だ!(爆笑)なんて無知を晒した上にせこい手使って話を摩り替えようとするも大失敗、
挙句には俺に何の反論もできずに逃げ出したじゃねえか(爆笑)
おい、悔しかったら恥ずかしい「主張お主眼」について何か言い訳してみろ!!(爆笑)

348:人間七七四年
13/09/10 13:18:29.52 /dJnq2H0
はいはい、史書ではこうなってますよね

自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息。『明史・朝鮮伝』
(7年間の戦争で多大な犠牲を出し、明と属国の朝鮮に勝算は無くなっていたが、秀吉が死んで戦争は終わった。)

>>346
そもそも江戸中期に『懲毖録』が日本で出版されるまで日本側には名前が知られてなかったレベルの人なんだよね

349:人間七七四年
13/09/10 13:19:07.36 /dJnq2H0
>>347
彼が大恥かいたスレってどこですかね?

350:人間七七四年
13/09/10 17:42:36.40 dHtZEJRU
>>349
世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その2

の>>965以降

351:人間七七四年
13/09/10 18:39:05.02 /dJnq2H0
>>350
サンクス!
的外れなコピペを貼った挙句その借り物の根拠のせいで主張がブレまくりなのを
バカにされるとか本気で恥ずかしいヤツだわwww

URLリンク(www.logsoku.com)

352:人間七七四年
13/09/10 22:30:21.63 //1i0T8J
>>348
それってしってる(笑)
わざわざ朝鮮半島まで攻め込んでおきながら
倭城に立て籠もって明軍を撃退した臆病な侍の
話だろ(笑)
そりゃ、城に立て籠もっていれば有利だもんな。
幸州山城の戦いなどは朝鮮義兵2千人ほどのところに
3万で攻めときながら軍監の石田三成が負傷させられるなか
撤退している。

353:人間七七四年
13/09/11 08:21:44.79 eP0907oI
騙し討ちして調子乗ってたら、流れ弾に当たって死んだアホがどうしたって?

354:人間七七四年
13/09/11 18:16:39.79 Wz79sa5m
>>352
>わざわざ朝鮮半島まで攻め込んでおきながら
>倭城に立て籠もって明軍を撃退した臆病な侍の
>話だろ(笑)
>そりゃ、城に立て籠もっていれば有利だもんな。

逆に慶長の役で明・朝鮮軍が立て篭もった南原城や黄石山城はたちどころに陥落、
全州城に至っては城方が逃げ出して無血開城しているんだが(笑)
日本軍が全羅・忠清・慶尚の三道をほしいままに蹂躙している間、明・朝鮮軍は手も足も出せずグヌヌ状態だったのに(笑)
それを無視して、明・朝鮮軍が総力を挙げて大攻勢を仕掛けた期間だけを取り上げて何が言いたいんだ(笑)

その乾坤一擲の大攻勢にしたって、
帰朝衆が帰国して総兵力の半分以下になっていた日本軍守備隊にことごとく撃退されて一城も落とせず、
しかも将軍の李寧、廬徳功をはじめ万単位を討ち取られる大惨敗に終わっちゃうんだからざまあねえな(爆笑)

355:人間七七四年
13/09/11 18:17:55.81 Wz79sa5m
>幸州山城の戦いなどは朝鮮義兵2千人ほどのところに
>3万で攻めときながら軍監の石田三成が負傷させられるなか
>撤退している。

で、その戦いの結果権慄はビビって幸州山城を放棄しているんだが(笑)

356:人間七七四年
13/09/11 18:59:37.34 wwwRefgP
攻城兵器が充実してるはずの大陸の城がもろくて
大砲も少なく大型攻城兵器もほとんどない日本式の城が堅牢だというのは面白いな
もちろん双方の軍の単純な戦闘能力の違いというのも大きいだろうが

357:人間七七四年
13/09/11 23:33:52.91 fcuBQWbh
>逆に慶長の役で明・朝鮮軍が立て篭もった南原城や黄石山城はたちどころに
>陥落全州城に至っては城方が逃げ出して無血開城しているんだが(笑)
南原城は明軍3,000人と朝鮮軍1,000人の合計4,000人で守備する城を、左軍と
水軍合計56,800人と14.2倍で攻めてるし(笑)、黄石山城にいたっては、
朝鮮軍350人の守る城を日本の右軍64300人と187.3倍で攻めてるんだけど(笑)
>全州城に至っては城方が逃げ出して無血開城しているんだが(笑)
しかたないよ、全州城を守る明軍ってたったの3,000人だもん日本軍との兵数差は
40倍じゃあね(笑)

358:人間七七四年
13/09/12 00:36:53.58 cBtAsaml
>>357
なんでそれだけ兵数に差が開いたかと言えば、要は日本勢が迫ると
明軍も朝鮮軍も大半が戦わずに逃げ散ってしまったからなんだけどなw

359:人間七七四年
13/09/12 13:47:14.00 UcZ+0miF
フロイス『日本史』
・これら武装した異様な集団の中にありながら、(朝鮮の)老幼婦女子たちに対する
(日本側の)安全保障(態勢)には見るべきものがあったと言われる。(朝鮮人)は
なんの恐怖も感じずに、自ら進んで親切に誠意をもって兵士らに食物を配布し、手真似で
何か必要なものはないかと訊ねる有様で、日本人の方が面喰っていた。

・一部の朝鮮人は、生計に窮して、日本人のように月代を剃り、頭髪を結んで日本人を
装い、掠奪を目的として手真似や恐喝でもって同胞を襲った。


これらの民衆が突然ゲリラに化けたりするんだからそりゃあタチは悪いよね

360:人間七七四年
13/09/12 13:49:09.45 UcZ+0miF
>朝鮮軍350人の守る城

日本側があげたという首の数より少ないようですが…

361:人間七七四年
13/09/12 18:21:41.91 e1JezEAk
>>357
>南原城は明軍3,000人と朝鮮軍1,000人の合計4,000人で守備する城を、左軍と
>水軍合計56,800人と14.2倍で攻めてるし(笑)

兵力差を言うなら、例えば朝鮮軍は龍仁の戦いでたった1500人の脇坂勢が守る砦を
5万という33.3倍の圧倒的大軍で攻めときながら逆襲を受けて全軍総崩れとなり敗走しているんだが(笑)
そればかりか33分の1の脇坂勢に散々に追撃されて1千人が戦死し、
将軍の白光彦、利之誌まで討ち取られているんだが(爆笑)
だいたい、>>358も言っているように慶長の役緒戦では明・朝鮮軍がビビって敵前逃亡を繰り返したから
あそこまで兵力差が開いたんだろうが(笑)南原城を救援するはずだった全州城の陳愚衷も逃げ出したし、
権慄や李元翼といった最強朝鮮軍の主力軍(笑)は一戦も交えずに遁走しているんだが(爆笑)

362:人間七七四年
13/09/12 18:22:44.95 e1JezEAk
>黄石山城にいたっては、 朝鮮軍350人の守る城を日本の右軍64300人と187.3倍で攻めてるんだけど(笑)

黄石山城の朝鮮軍が350人というのは一体何を根拠にしているんだ(笑)
「日本戦史・朝鮮役」によれば黄石山城に篭った朝鮮軍は「数千」なんだが(笑)
おおかたウィキに書いてある「350以上戦死」を見て早合点してるんだろ、遅れてらー(爆笑)
言っとくがこの350という数字は秀吉朱印状に書いてある「城内で討ち取った」首の数なんだ(笑)
朱印状ではその続きで「城外の谷まで追撃して数千人を斬り捨てた」戦果を賞賛しているから、
黄石山城を守っていた数千人の朝鮮軍はほぼ殲滅されたということだ(爆笑)

363:人間七七四年
13/09/12 19:46:45.32 AC+oW9Dc
>>357
すごい知識量ですね
それらの人数が何に準拠したものなのかよかったら教えていただけますか?

364:人間七七四年
13/09/12 23:01:52.45 oTJoZUzw
>>362
サムライ幻想について反論できないからって揚げ足取りかい(笑)
黄石山城の兵数がお前の言うように350人以上だとしてなんだって
いうんだよ。
たとえば3500人いたとしても日本軍とは18.7倍もの兵数差なんだが。
その上、その兵数も城将の郭争が数合わせのために周辺の農民を徴収し
たものなんだけどな(笑)

365:人間七七四年
13/09/12 23:23:46.30 C20vlyAb
だがみじめ

366:人間七七四年
13/09/13 00:08:52.84 PYKtpuwK
あまりにみじめすぎるよ
サムライ幻想がーとか騒いでるヤツはwikipediaの数字すら読み間違えるくらいのアホなんだぜって
満天下に示しちゃったもんなあ

367:人間七七四年
13/09/13 00:24:21.90 C0par4bH
>>358
>なんでそれだけ兵数に差が開いたかと言えば、要は日本勢が迫ると
>明軍も朝鮮軍も大半が戦わずに逃げ散ってしまったからなんだけどなw
朝鮮王朝も明も日本が再侵攻してこないと思って油断してただけだろ(笑)
たとえば南原城の城将明軍総兵・楊元は、城の防備強化に取り組み、城壁を
一丈ばかり増築し、城外の羊馬墻に数多くの銃眼を穿ち、城門に大砲三門ほど
を据付け、濠を一・二丈掘って深くしたけど、これなんか文禄の役が終了した
1593年8月から慶長の役が始まる1597年6月までの間にやっておくことジャン。

368:358
13/09/13 00:59:34.07 4g2Jd54H
>朝鮮王朝も明も日本が再侵攻してこないと思って油断してただけだろ(笑)
 
それってただの馬鹿だろw まぁ、朝鮮人はいまだに己が心地よい願望だけが正しい歴史、
あるべき歴史だと思ってるようだが。

369:人間七七四年
13/09/13 13:33:30.89 PYKtpuwK
朝鮮軍350人さんの理屈は相変わらず難解だな

370:人間七七四年
13/09/13 19:57:10.41 srqDTew7
>>364
>サムライ幻想について反論できないからって揚げ足取りかい(笑)

お前の言うサムライ幻想って一体何のことなんだ(笑)
俺がサムライに対していつ、どんな幻想を抱いたというんだ(笑)
具体的に言ってみろよ(笑)
またもや無知を晒され、大恥をかかされたからって苦し紛れの話題逸らしかい(爆笑)

>黄石山城の兵数がお前の言うように350人以上だとしてなんだって
>いうんだよ。

で、でたーw間違いを指摘されたら開き直る奴~(笑)

371:人間七七四年
13/09/13 19:58:30.12 srqDTew7
>朝鮮王朝も明も日本が再侵攻してこないと思って油断してただけだろ(笑)

ふーん、油断してたから仕方ないんだ(笑)
でも、朝鮮は漆川梁海戦から9ヶ月も前の1596年11月の時点で日本軍襲来を確実視し、明に援兵を要請しているんだけど(笑)
そればかりか公山城や金烏城など慶尚道各地の城を修築したり、97年2月には大邱に各道から兵を結集させて
慶尚道・全羅道の各方面に配置するなどの防備策をとっているんだが(笑)
お前はこれを朝鮮王朝も明も日本が再侵攻してこないと思って油断してたと言うんだ(笑)

372:人間七七四年
13/09/13 23:38:03.69 C0par4bH
>>371
ふーん、じゃあお前的には朝鮮も明も日本の再侵攻に備えて準備を整えてた
っていうの?
それなのに日本が再侵攻を始めたら改修した城に立て籠って戦わずに逃げ散ってしまったんだ?
そのくせ南岸に撤退して倭城に立て籠もったらわざわざ犠牲も恐れずに攻め込むんだ(笑)
お前の歴史解釈っておもしれえな(笑)

373:人間七七四年
13/09/14 01:05:58.03 SnTN0RlY
ま、こうじゃね?


<`∀´ ,,>  天兵サマ、チョッパリどもは半分以上引き上げたニダ 今がチャンスニダ!
(  `ハ´) そうアルか、では攻めるアル


     ・
     ・
     ・

  三路の戦い

     ・
     ・


 アウッ アウッ ニダアア・ 
    ∧,_∧_,∧ ピシッ 彡 
    <Д´≡`Д´>Σヽ_/⌒ヽ_
 ピシッΣ((=====))      ∧∧ .\       
     (( ⌒)⌒))__    /中 \ /) アイヤー! 
/ ̄ ̄ ̄'し ̄ ̄/\  (`ハ´ #) >  オマエのせいで大惨敗アル!
  ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄  ( ⊃   /    お仕置きアル!         
       | |       /    \          
       / \     (/ ̄ ̄ ̄し  

374:人間七七四年
13/09/14 01:49:11.83 3UpN7H/j
>>372
ふーん、城攻めって守るより攻める方がはるかにリスクが多いんだけどね。
>でも、朝鮮は漆川梁海戦から9ヶ月も前の1596年11月の時点で日本軍襲来を確実視し、明に援兵を要請しているんだけど(笑)
>そればかりか公山城や金烏城など慶尚道各地の城を修築したり、97年2月には大邱に各道から兵を結集させて
>慶尚道・全羅道の各方面に配置するなどの防備策をとっているんだが(笑)
これだけの準備を整えていながら、
>大半が戦わずに逃げ散ってしまったからなんだけどなw
そんな腰抜けな明・朝鮮軍が日本軍の立て籠もる倭城攻めを行うんだ。
相変わらずおもしれえ歴史解釈だな(笑)

375:人間七七四年
13/09/14 08:55:54.91 ZVak7lct
350人さんまるで間違いをごまかすかのようにがんばってますねwwww

376:人間七七四年
13/09/14 10:27:32.52 fp4egNmk
>>374
>そんな腰抜けな明・朝鮮軍が日本軍の立て籠もる倭城攻めを行うんだ。

そんな腰抜けな明・朝鮮軍でも、明から新たに数万の増援を受けて文禄の役のときを上回る
大軍に膨れ上がったから、図に乗っっちゃったんじゃねえの?(笑)
まあその結果、蔚山城に攻めかかって惨敗しちゃったけどな(笑)
で、その後明からさらなる増援を受けて11万というかつてない大軍になったから
またもや気が大きくなって攻めたけど、やっぱり惨敗しちゃったと(爆笑)

377:人間七七四年
13/09/14 10:28:34.71 fp4egNmk
>相変わらずおもしれえ歴史解釈だな(笑)

>>371のような歴史的事実を突きつけられながら、
なおも「朝鮮王朝も明も日本が再侵攻してこないと思って油断してた」と思い込もうとする
お前の歴史解釈は一体何なんだ(笑)
狂信者意外のなにものでもないじゃねえか(爆笑)
てめえの願望どおりじゃねえと、やれサムライ幻想とか、やれ油断してたとか
碌な根拠もなく主張しているけど、お前って幾つなんだ(怒)
みたところ中二病みたいだけど実際はいい年こいたおっさんなんだろう。
あんまりガキみたいなこと言ってんな!!(怒)

378:人間七七四年
13/09/14 11:33:21.53 3UpN7H/j
>>377
>>371のような歴史的事実を突きつけられながら、
はー、歴史的事実?!
南原城の城将明軍総兵・楊元は、1597年6月18日から全羅道南原城に赴任し、
城の防備強化に努めたんだがこれなんかも日本軍の再侵攻直後のことじゃねえか
だいたい、日本の再侵攻を予想してしっかり準備するなら、白村江の戦いの敗戦後の
大和朝廷のように水城を建設したり、文永の役後の鎌倉幕府のように元寇防塁を建設
して防備を固めてないとね。
元寇の例を引くまでもなく海から侵入する敵には水際で撃退するのが最善の手なんだから。
明も朝鮮も和平交渉中は油断して準備を怠っていたため、和平決裂後に急いで準備を進めた
んで日本軍の再侵攻に間に合わなかったことが
>なんでそれだけ兵数に差が開いたかと言えば、要は日本勢が迫ると
>明軍も朝鮮軍も大半が戦わずに逃げ散ってしまったからなんだけどなw
の理由なんだな(笑)

379:人間七七四年
13/09/14 12:33:46.03 ZVak7lct
350人さん>>362に指摘されてあんな大恥かいたのにがんばるよなあ
日本人的な価値観では考えにくいわ

380:人間七七四年
13/09/14 12:37:49.13 3UpN7H/j
>>380
>日本人的な価値観では考えにくいわ
それって俺が朝鮮人(または中国人)だって言いたいのかな(笑)

381:人間七七四年
13/09/14 12:40:20.72 ZVak7lct
>>380
あ、wikipediaの数字すらまともに読めなかった350人さんじゃないですか!

382:人間七七四年
13/09/14 12:41:36.32 fp4egNmk
>>378
へえ~、当時の朝鮮を白村江の戦いや元寇のときの日本と一緒にするんだ(笑)
本土にほとんど被害がなかった日本と違って、朝鮮は全土を蹂躙されて人口も耕作地も激減し
著しく疲弊した状態なんだが、その中でどうやって水城や元寇防塁のような大規模な防備強化を行うんだ(笑)
だいたい、朝鮮は事前に全土の兵力をかき集めて慶尚道・全羅道の防備を固めたり、各地の城を修築したりしたと言ってるジャン(笑)
さらに朝鮮は事前に日本軍の進撃路になると予想される地域の民衆を、
家財食糧とともに山城に避難させる清野策まで行っているんだ(笑)
そもそも、漆川梁海戦から9ヶ月も前の1596年11月の時点で朝鮮は明に救援を要請しているんだが(笑)
9ヶ月かかっても満足な準備を整えられないのかよ(笑)
だとしたら油断がどうのとか言う以前の問題だな(爆笑)

383:人間七七四年
13/09/14 14:21:41.48 3UpN7H/j
>>382
>本土にほとんど被害がなかった日本と違って、朝鮮は全土を蹂躙されて人口も耕作地も激減し
>著しく疲弊した状態なんだが、その中でどうやって水城や元寇防塁のような大規模な防備強化を行うんだ(笑)
文禄の役で全土を蹂躙されたからこそ、日本軍の再侵攻に備えて水際で撃退する準備を整えておくべきだろ。
当時の李朝は人口700万もいたんだし、また宗主国の明国にいたっては国土を蹂躙されてないたんだから。
>1596年11月の時点で朝鮮は明に救援を要請しているんだが(笑)
結局テメエだって、和平交渉決裂後に再侵攻への準備を整えはじめたってみとめてるじゃん(笑)
>明から新たに数万の増援を受けて文禄の役のときを上回る大軍に膨れ上がったから、図に乗っっ
>ちゃったんじゃねえの?(笑)
本来ならその大軍が南部四道各地に配備されるはずが結局日本軍の再侵攻にまにあわなかったんだろ。
やっぱり明も朝鮮も文禄の役の後、日本軍の再侵攻に対する準備をおこたっていたんだろう(笑)

384:人間七七四年
13/09/14 15:43:23.52 fp4egNmk
>>383
>文禄の役で全土を蹂躙されたからこそ、日本軍の再侵攻に備えて水際で撃退する準備を整えておくべきだろ。

そもそもお前の言っていることは根本的におかしいんだよ(笑)
慶尚道南岸一帯に倭城群が構築され日本軍が駐屯している状態で、一体どこに水城や元寇防塁のような防塁を築くというんだ(笑)
築いたとして、その防塁に一体何の意味があるんだ(笑)
築いたところで慶尚道南岸の倭城群から出撃した日本軍に後方を衝かれて全滅だろうが(爆笑)
当時の朝鮮政府は少なくともお前よりはおつむが足りていたから、海岸線の防塁みたいな無意味なものは作らずに
水際阻止を元均、李億祺らの水軍にやらせようとしてるんだよ(爆笑)

>また宗主国の明国にいたっては国土を蹂躙されてないたんだから。

明がわざわざ朝鮮にまでやってきて城を築いてくれるわけないじゃん(笑)
ただでさえ明は朝鮮援兵に加えて韃靼の侵攻対策で財政が逼迫しているんだから(笑)
明軍は兵士の兵糧まで朝鮮に負担させているんだぞ(笑)

>結局テメエだって、和平交渉決裂後に再侵攻への準備を整えはじめたってみとめてるじゃん(笑)

俺がいつそれを否定したんだ(笑)
また話の摩り替えかよ、情けねえなー(笑)
いいか、朝鮮は1596年11月の時点で日本軍襲来を確実視し、明に援兵を要請しているんだ(笑)
さらには全土からの徴兵、各地の城の強化、日本軍侵攻路の清野策などの防備を整えていたんだ(笑)
明の方も上記のように何ヶ月も前から情報を得て邢玠、麻貴らを司令官とする東征軍の編成を進めていたんだ(笑)
つまり朝鮮や明が日本の再侵攻を予測できず油断していたなどという言い訳は通用しないということだ(笑)
これが俺の「主張お主眼」なんだが(爆笑)

385:人間七七四年
13/09/14 16:09:36.59 ZVak7lct
>>383
wikipediaの数字すらまともに読めなかった350人さんちーすwwww

386:人間七七四年
13/09/14 16:45:11.58 SgKuMlED
馬鹿っぽい2人の馬鹿っぽい口喧嘩

387:人間七七四年
13/09/14 17:36:50.31 3UpN7H/j
>>384
じゃあお前的には慶長の役で日本軍が再上陸を果たした際、南部4道では
明・朝鮮軍による迎撃態勢が整っていたっていうのか(笑)
その状況で日本軍が来襲すると防備を固めた城に籠城した兵の
>大半が戦わずに逃げ散ってしまったからなんだけどなw
て言いたいのか。
でもそうすると同年10月以降に明軍の援軍が到着したことの説明がつかないんだが。
>1596年11月の時点で朝鮮は明に救援を要請しているんだが(笑)
明軍の本体が到着したのが10月ごろだったてことだろ。

388:人間七七四年
13/09/14 19:19:29.51 w+j4FQ1f
バカテスの木下秀吉について語りましょう。

389:人間七七四年
13/09/14 20:32:31.41 fp4egNmk
>>387
>明・朝鮮軍による迎撃態勢が整っていたっていうのか(笑)
>その状況で日本軍が来襲すると防備を固めた城に籠城した兵の
>>大半が戦わずに逃げ散ってしまったからなんだけどなw
>て言いたいのか。

だからいちいち話を摩り替えてんじゃねえよ、お前マジで頭大丈夫か(笑)
朝鮮は1596年11月の時点で日本軍襲来を確実視し、明に援兵を要請している、
朝鮮も明も事前に日本軍の侵攻に備えて防備策を行う時間は十分にあったし実際行った、
だから朝鮮や明が日本の再侵攻を予測できず油断していたなどというお前の言い訳は通用しない、
と俺は言ってるんだよ(笑)
準備が始まったのが和平交渉の決裂前だろうが決裂後だろうが、
明・朝鮮軍による迎撃態勢が完全であろうが不完全であろうが、
そんなものは関係ねえんだよ(怒)

>でもそうすると同年10月以降に明軍の援軍が到着したことの説明がつかないんだが。
>明軍の本体が到着したのが10月ごろだったてことだろ。

その理屈なら三路の戦い前に増援された最大規模の軍勢こそが「本隊」になるんじゃないのか(笑)
文禄のときだって祖承訓の軍勢に対して李如松の軍勢が「本隊」だったわけじゃないぞ(笑)

390:人間七七四年
13/09/14 23:34:14.97 3UpN7H/j
>>389
お前馬鹿すぎて相手するのも疲れるよ(笑)
>朝鮮は1596年11月の時点で日本軍襲来を確実視し、明に援兵を要請している、
>朝鮮も明も事前に日本軍の侵攻に備えて防備策を行う時間は十分にあったし
南原城の城将明軍総兵・楊元は、1597年6月18日から全羅道南原城に赴任し、城の防備強化
に努めたり、黄石山城も城将の郭争が足らない城兵の穴埋めのために周辺の農民を徴収し
てるのに迎撃態勢が完全だったって(笑)
>文禄のときだって祖承訓の軍勢に対して李如松の軍勢が「本隊」だったわけじゃないぞ(笑)
経略朝鮮軍務の楊鎬や麻貴が軍勢を率いて来朝したのも同じ6月ころだし南部4道の迎撃態勢が
完了してるわきゃねえ。

391:人間七七四年
13/09/14 23:55:21.06 fp4egNmk
>>390
俺がいつ迎撃態勢は完全だった、もしくは完了していたなんて言ったんだ(笑)
お前こそ馬鹿すぎて話にならんわ(笑)

朝鮮は1596年11月の時点で日本軍襲来を確実視し、明に援兵を要請している、
朝鮮も明も事前に日本軍の侵攻に備えて防備策を行う時間は十分にあったし実際行った
だから朝鮮や明が日本の再侵攻を予測できず油断していたなどというお前の言い訳は通用しない

↑はい、俺の主張お主眼を声に出して3回読め(笑)

392:人間七七四年
13/09/15 00:21:08.75 8OjQhqbR
>>388
ここはバカが2人で煽り合いスレです

393:人間七七四年
13/09/15 00:40:54.10 AyUY/vMg
だがさんよかったじゃん仲間ができて

394:人間七七四年
13/09/15 00:56:36.18 CrNIOfC5
なんかおれが武士に厳しい視点をむけるとサムライ厨どもが俺のことを朝鮮人
認定してくるけど残念ながら俺は正真正銘の日本じんなんだよね(笑)
ただ、日本の歴史をたいして知りもしないアメリカ人ならいざしらず、歴史版
にくる日本人ならサムライについても客観的な視点を向けてほしいと思うから
厳しい視点を向けてるだけだ。
たとえばテレビ朝日系列で毎週日曜日に放送されているサンデースクランブルに
黒鉄ヒロシの千思万考のコーナーをもっている漫画家の黒鉄ヒロシは武士(道)
信仰がひどくて、先週などは東京オリンピックが決まったのは武士道のおかげと
主張していた(笑)

395:人間七七四年
13/09/15 01:01:24.50 f0VX8f8k
>>394
大して知りもしないってのはwikipediaですら数字を読み間違えちゃう
350人野郎のこと言ってんだよな?

396:人間七七四年
13/09/15 01:45:27.53 CrNIOfC5
>>395
ははーん、さてはお前も東京五輪が誘致できたのは武士道のおかげって
妄想抱いているくちか(笑)

397:人間七七四年
13/09/15 09:51:51.19 VpThqsmV
アホすぎて話にならん

398:人間七七四年
13/09/15 09:59:29.72 TtvynXSF
いよいよおかしくなったwww
wikipediaの数字すらまともに読めなかった事実に触れられると
ますます狂っちゃうみたいだなww

399:人間七七四年
13/09/15 14:15:08.22 IRunW4hT
昨夜、BS3のラスト・サムライでも見て、発狂具合に
拍車がかかったのでは無かろうかw

400:人間七七四年
13/09/16 14:28:11.28 KCy8uzes
あれ始めて見たけど外国の人は史実だと思うよな

401:人間七七四年
13/09/17 12:17:41.66 GVQEmgyq
まずサムライが鉄砲を撃ってることから広めないとな

402:人間七七四年
13/09/17 17:39:11.52 tL9a4VRx
李如梅が日本兵と女真兵を評して
「倭兵は体躯倭少なれども、敏捷にして、鳥銃をよくす。ただし一人同志の戦いとなれば、
倭兵三十人をもってしても、満兵一人に敵せざるなり」
と言ったそうだけど、実は実際に日本兵と女真兵が「一人同志の戦い」をした記録があるんだよね
「清正高麗陣覚書」によると、加藤清正がオランカイ遠征の際に「川上の方の名城」を攻めたとき、
木田孫兵衛という武士が女真兵と組討になり、負傷しながらもこれを討ち取ったとか

清正はこの孫兵衛を自ら膝枕して介抱してやったそうな。
まあ、清正みたいなムサい大男に膝枕されると考えたらちょっとアレだけどな

403:人間七七四年
13/09/18 09:27:13.15 GIfQTOBL
多分、足軽と比較していると思う
そうなると日本は足軽すら密集陣を組んでいなかったことになる

404:人間七七四年
13/09/18 10:11:14.19 y8pKBcvV
日本は横隊やし

405:人間七七四年
13/09/18 11:08:35.34 GIfQTOBL
横隊でも間隔は隙いていて、其の上基本は各個射撃
欧州の横隊銃兵とはまた異なる存在ですな

406:人間七七四年
13/09/19 00:48:30.78 5g9+K0Jd
>>慶長の役で日本軍が戦った明軍は強かったのでしょうか?

当時の日本人側の資料で「馬の大きさが日本の馬の3倍」
「兵装が整い刀が通じない」などの記述があるそうです。

『兵士たちは身に適当な厚さの鋼鉄の鎧をまとい、
同じく鋼鉄製の膝当てをつけていた。
それらは馬上にあっても、足のあたりまで垂れ下がり』
『従来発見されたものの中では最優秀を誇っていた
日本軍の刀や槍をもってしても、なんら損傷を加え得なかった』
『刀や槍はたび重なる戦闘によって威力が鈍っており、
他方シナ軍の武装はいとも堅固で、
日本軍の刀を寄せ付けぬほどであった』


このような状況下で
日本軍は主に「火縄銃(鉄砲)」を用い
「鉄砲戦術」などで優位だったようですが、
それも物量と補給線を絶たれる敵の
「戦略」を前に日本軍は敗れました。

質、量、戦術、戦略など明軍が上であったようです。
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)

407:www
13/09/19 03:15:35.28 evJDiW/n
連続強盗容疑で21歳男逮捕 大阪 - MSN産経ニュース
2012.12.5 14:07 [強盗]

 大阪府警捜査1課は5日までに、強盗などの疑いで、大阪市生野区巽中、
青果店店員、姜竜明容疑者(21)を逮捕した。未遂も含め計10件、
約106万円の被害を確認した。 www
捜査1課によると、昨年1月からことし5月までの間、大阪市や同府守口市、
同府河内長野市のコンビニや書店、弁当屋、カラオケ店で、刃物で店員を脅し現金を
奪ったなどとして逮捕、追送検された。
URLリンク(sankei.jp.msn.com)

あいつ逮捕されたのか・・・
よーく覚えてるわ。維新政党新風の弁士が胸倉掴まれて倒された事件。
あのキチガイみたいな顔からして在日の中でも余程の底辺な部類と確信してたが・・・
あの時から、何かこいつやらかすだろうなとは思ってたが。
強盗をやらかすとは、捕まらなきゃ殺しもやってたかもしれん。
 会長も身の身辺を余程警護しなきゃ殺やれるかもしれん。
この通り在日は、頭のおかしいのしかいないのだから。www

その襲撃動画はこちらwwww

日本人弁士を襲う韓国人 ! (踊れコリア)
URLリンク(www.youtube.com)
在日はこういうイカれたキチガイだらけです。。
異常民族を日本から叩き出しましょう!!!
火病発症で警官にパクられるwww…

408:www
13/09/19 03:16:56.03 evJDiW/n
慶応大学体育会男子ラクロス部の日記リレー 2008年08月21日(木)
でキムチ野郎のくせして下記のような日記を残し

ジャップ「こんにちは。日本からきたジャップです。みんな仲良くしてね!!」
ジャップの心のポエム(お前だってとんかつみたいな体しやがってちきしょう!!!!)
しかし心のやさしいジャップは何も言えず、それ以来体を大きくしようと、

JAP18  8/21と日本人蔑視の演出をしたフジTVの朴悠貴(木下悠貴)は
こいつでヨロシイか???日本語話す顔面工事の韓国人
URLリンク(tonchamon.cocolog-nifty.com)

これは、フジテレビが2011年12月18日に放送した「Mr.サンデー」の特集
「韓国“女子会"旅行が急増イケメン探し&ウォン安女子」の1シーンだ。↓
URLリンク(blog-imgs-44.fc2.com)
「カッコよくて背が高くてガタイが大きい人が多いので」
URLリンク(blog-imgs-44.fc2.com)
「イケメンって言うとバレちゃうので(暗号で)『キムチ』って
言うようにしています」wwww

実は、この女(2人?)は、外国人参政権を求める反日デモにも参加する
ような在日韓国人(朝鮮人)だった!wwwwwww ↓
URLリンク(blog-imgs-44.fc2.com)
URLリンク(blog-imgs-44.fc2.com)
【日本に住むのは日本人だけじゃない!!!】 【Fuck!! 愛国心】
(反日デモで日本を罵る在日韓国人の女ども)

409:www
13/09/19 03:18:14.79 evJDiW/n
「KARAマネージャーは朝鮮総連」「警視庁の捜査に猛抗議した男性」
URLリンク(blog-imgs-44.fc2.com)
この人を見るとダウン症みたいな顔してて、奇形児みたいだけどwww
これが原因かな??  ↓

米人類学者Cavalii-Sforzaの遺伝子勾配データによれば、
朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主であり、
これは過去において大きな Genetic Drift
(少数の人間が近親相姦を重ねて今の人口動態を形成)か、
あるいは近親相姦を日常的に繰り返す文化の持ち主だった事を表します。
韓国では、昔から若くて綺麗な娘達は中国に献上されていたので、
女性が足りず近親相姦が繰り返されてきた。
遺伝子レベルで見ても「父と娘」「母と息子」が結ばれないと出来ない遺伝子が
大多数見つかっている。


WBC【台湾vs韓国】戦で目に付いたのは、スタンドで応援する台湾人たちの韓国に
対する敵意むき出しのプラカードの数々だった。www嫌韓は世界の常識

URLリンク(blog-imgs-44.fc2.com)
URLリンク(blog-imgs-44.fc2.com)
URLリンク(blog-imgs-44.fc2.com)
URLリンク(blog-imgs-44.fc2.com)
URLリンク(blog-imgs-44.fc2.com)
URLリンク(blog-imgs-44.fc2.com)
URLリンク(blog-imgs-44.fc2.com)
國仇家恨=国家を侵略され家庭を壊された恨み
殺韓仔=韓国の犬畜生を殺せ

410:人間七七四年
13/09/19 09:48:17.47 nfhpLT6h
>>406
よりによってヤフー知恵遅れの珍回答コピペして何が言いたいんかね
「馬の大きさが日本の馬の3倍」なんて書いてある文献見たことねえよ。明軍の馬は恐竜かw
つか、その「兵装が整い刀が通じない」などの記述があるフロイス日本史では

「ところでシナ人たちは、日本人らが用いる武具は、自分達の武具ほど役に立たないと思い込んでいたので、
日本の武具の優秀さを知る者がどんなに説明しても、人々は信じることができなかった。
したがって真実を知る一部の者が、例えシナ軍は数の上で勝っていても、
日本軍と戦うことは不可能であると言っても、これを聞こうとする者はいなかった」

「日本人はシナ人よりも勇敢で、武器ならびに戦術の点で優れており、数々の面でシナ軍の劣勢は疑えない」

として戦闘力では圧倒的に日本>明であると結論付けているんだがね。
その回答者は本当に「日本史」読んでるのか?

411:人間七七四年
13/09/19 11:11:49.22 qSXgRbjJ
>>410
ソースは天野源右衛門覚書ですかね。3倍とかは書いてないけど

412:人間七七四年
13/09/19 12:15:09.32 nfhpLT6h
確かに天野源右衛門覚書は何かと明兵の精強さを称えているが、
その明兵を二千騎討ち取ったとか六度にわたって切り崩したとか、
結局は「そんな連中を打ち破った俺らTUEEEEEEE」ていうスタンスなんだよねw
たぶん米兵が太平洋戦争時の日本兵を称えるのと同じ感じじゃないかね
「ヤツらは手強かった・・・だが勝ったのはオレたちだ!USA!USA!USA!」てな風にw

413:人間七七四年
13/09/19 12:25:00.44 e6SuVqRG
Yahoo知恵遅れは、明軍は榴弾を使っていた!なんて書いてたアホいたから
信じるべきじゃないなww
あんなの、頭に詰め込んだウンチクや雑学の類を教養と勘違いして、ひけらかしたいバカの集うところだからなw

414:人間七七四年
13/09/19 17:24:05.28 hzdrl/0k
天野源右衛門覚書は李如松軍を五十万とか書いてるし数の誇張はすごいけど
馬の巨大さってのはちょっとわからないな

415:人間七七四年
13/09/19 17:27:39.46 hzdrl/0k
敵は敵で負け戦の原因を日本側の数の多さ、ということにしようとしていて面白い
柳成竜がたしなめたところによると「賊兵は甚だ少ない」とのことだがねw


柳成竜『懲毖録』
「明国軍が碧蹄で敗れ、李如松が臆病風に吹かれる」
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。

・(李如松)提督が、自分が〔本国に送る〕奏達文の草稿をとり出して示したが、その中に、
「賊兵、都城に在る者二十余万。衆寡敵せず」とあり、また文末に、
「臣、病甚だし。他の人をもってその任に代えんことを請う」ともあった。私は驚いて、
手でその部分を指して言った。「賊兵は甚だ少ない。どうして二十万にもなりましょうか」と。
提督は、「私がどうしてそれを知り得よう。おまえの国のものが言ったのだ」と言ったが、
どうも口実のようであった。

416:人間七七四年
13/09/19 17:48:39.47 Y8eV0bVn
>>406
yaikomaeさんキタ━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━!!!!!!

417:人間七七四年
13/09/19 17:55:00.23 HEjJB/pi
たしかに他の回答見たらただのアレな人だったわ

418:人間七七四年
13/09/19 17:55:27.27 hzdrl/0k
『懲毖録』にはこういうのもあるね
まったく通じないはずの武器に随分やられたもんだわ

・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。"

419:人間七七四年
13/09/19 17:58:35.80 HEjJB/pi
懲毖録はその性質上明朝鮮に厳し目だからな

420:人間七七四年
13/09/19 18:15:40.14 hzdrl/0k
明国の話だぞw
それに厳しめといったところで不甲斐ない戦いぶりをした連中に対して
舌鋒鋭く批判してるだけで

421:人間七七四年
13/09/19 19:14:13.98 e6SuVqRG
明軍って火薬はモリモリあったけど、食糧やばかったんでしょ?

422:人間七七四年
13/09/19 19:52:04.68 6hIjCRhR
水野勝成を総大将にしなかったから失敗した

423:人間七七四年
13/09/19 20:03:13.75 Y8eV0bVn
>>421
たしか朝鮮に供出させるっていう約束だったはず
ちょっと上の方で懲毖録の碧蹄館の戦いの記述が出てるが、そのすぐ後で「明軍の兵糧が切れて朝鮮の担当者が杖で叩かれた」
っていう話が書いてあったはず
そこの部分の著者の悔しそうな記述は読んでいて同情したほど

424:人間七七四年
13/09/19 23:34:53.65 5g9+K0Jd
さて、秀吉は戦局の推移を受けて文禄2年3月に朝鮮へ渡ることを計画する。
これに合わせて、前田利家も朝鮮に従軍することになった。利家は1月3日付
けの書状で能登の三輪吉宗に対し、綱・碇・水夫を船5艘分用意するため、
家臣二人が早々に金沢に行き、安勝(利家の兄)と相談のうえ、必ず2月末
には名護屋へ届けるよう命じている。また、利長は1月29日付けで
秀吉の乗艦用に銅と金箔の調達を国許に命じている。
 3月14日付けの伊達政宗書状によると、前田勢は20日頃に乗船予定
が組まれていたようである。乗船順の一番は浅野幸長でそれに伊達政宗が
同行し、二番が前田利家と蒲生氏郷、三番が徳川家康で、関東をはじめ
越後の上杉景勝も残らず渡海することになったとある(『仙台市史』)。
前田勢らの渡海は朝鮮半島南部、慶尚道の要衝・晋州(日本側では「もくそ」
と表記)城攻略のための一大攻勢計画に基づくものであった。
3月10日付けで秀吉が定めた攻撃計画書には「もくそ城とりまき候衆」として
「一、七千人 羽柴加賀宰相(前田利家)」と記され、利家が七千人を率いて
晋州城攻撃の一翼を担うことになっていた。
しかし、その後の戦況の変化により、実際に派遣される軍勢の規模は
大幅に縮小され、晋州城の攻撃軍は朝鮮に在陣中の大名を中心に編成された。
これに伴い、利家や秀吉の渡海も取りやめになり、結果的に前田勢が
朝鮮へ渡ることはなくなった。とはいえ、伊達政宗や上杉景勝は渡海しており、
一部の大名は予定どおりに派遣されている。
URLリンク(www.nihonkaigaku.org)

425:人間七七四年
13/09/19 23:38:56.17 HpMWKXGj
>>414
陰徳記とかだと100万以上だし、結構控えめな方だよ
史記とかの影響か、中国の軍勢は数十万以上が基本と思ってる
武将が多かったぽい

426:人間七七四年
13/09/19 23:51:02.54 HEjJB/pi
編纂物は編纂者それぞれの立場に寄った観点や主張の上に成り立ってるから
性質を見極めてから使うもんだからな

427:人間七七四年
13/09/20 09:11:15.82 gGpytADV
>>426
それはそうなんだけど明国軍って書いてあるところを
朝鮮のことだと思っちゃうような人が何言ってもちょっと説得力ないよね

428:人間七七四年
13/09/20 16:23:49.05 sakwLiPn
ちょっと意味が分からない。具体的におね

429:人間七七四年
13/09/20 17:35:11.77 VU5Vg0WW
 そんな中、戦局の打開を図るために、利家にも渡海の命が下った。7,000人
の兵を率い、城の包囲を命じられた(岩沢愿彦「前田利家」)という。57歳に
なった利家には、つらい出陣であったろうが、船や乗員の調達を指示する文書
に心境をつづる文言は見当たらない。
 しかし、渡海は直前でとりやめになった。明から講和の使者が名護屋に到着
し、利家は家康とともに応接に当たることになった。
 この折、先に懐旧の手紙を書いた最上義光が家康のもとに出向いたときのこと
を記している。家康は「不思議に出羽(義光)もわれらも、このたび命を見つ
けた。やがて国へくだり鷹狩ができることはまことに喜ばしい」と述べたという。
家康にして、講和使の到来を「夢かうつつかとよろこび候」としている。
利家の心境も同様であったろうが、家康のようにあけすけな感想を残してはいない。
URLリンク(www.hokkoku.co.jp)
後に徳川三百年の天下を築きあげた家康が泣き言を言うくらい、文禄の役末期の
朝鮮戦線は日本にとって絶望的だったんだろう。

430:人間七七四年
13/09/20 18:39:59.49 gGpytADV
>>428
あんたがとぼけても>>426のID見るとわかっちゃうけどねw

>>429
そうだね
後の天下取りのために少しでも自分直属の兵力を温存したいというもくろみが
保たれたら大喜びだよね

431:人間七七四年
13/09/20 18:44:17.29 sakwLiPn
>>430
いやいやほんとに意味が分からないんだ
419に対して>明国の話だぞwとレスされてるところから分からない

432:人間七七四年
13/09/20 18:49:33.37 gGpytADV
>>419以前の『懲毖録』の話なんてしばらく明国に関することしか出てなかったのに
いきなり出てきて「懲毖録はその性質上明朝鮮に厳し目だからな(キリッ」
とかかっこつけちゃってる人ががんばるなあ

433:人間七七四年
13/09/20 18:59:00.70 sakwLiPn
>>432
余計分からん
そのレスが>>420>>427にどうつながるんだ?

434:人間七七四年
13/09/20 19:22:34.26 VU5Vg0WW
>>430
>そうだね
>後の天下取りのために少しでも自分直属の兵力を温存したいというもくろみが
>保たれたら大喜びだよね
家康自身が最上義光に対して「不思議に出羽(義光)もわれらも、このたび命を
見つけた。」て言ってるのに、お前なに寝ぼけてるんだ。

435:人間七七四年
13/09/20 23:45:04.16 NGHqZnda
碧蹄館で大敗した後宋応昌や李如松などの明軍首脳は揃って講和派に鞍替え、
如松にいたっては倭軍は多勢でとても勝てないと報告した上に
仮病使って帰りたいと泣き言を言うくらいだから、
明にとっても文禄の役末期の朝鮮戦線は絶望的だったんだろう。

436:人間七七四年
13/09/20 23:56:39.08 EdoCFOre
そりゃまぁ、女真との実戦経験積んで我が馬軍こそ明軍最強とも
思っていただろうに、戦列もまともに組めないような蛮族の
歩兵に危うく首取られそうになって、這々の体で逃げ帰った
訳だし。

437:人間七七四年
13/09/21 00:04:43.37 UiqRQvWV
明の場合は、常備兵数が1569年の時点で定員3,138,300人、実数845,000人、
北辺で勤務する兵数推定50万人、朝鮮救援に動員された兵数は約5万人だから、
これは北辺勤務の兵力の1割が投入されただけだから、征明のために準備した
兵力の内、10万の軍勢を投入し、残りの10万をまさに投入しようとしている状況
での家康の弱音の意味は大きいね(笑)
朝鮮半島における戦線の絶望的な状況がひしひしと伝わってくるね。

438:人間七七四年
13/09/21 01:15:54.25 JFYMTRxl
めんどくさいから釣られません

439:人間七七四年
13/09/21 01:21:35.54 7ft0P18I
落馬して殺されそうになったくらいで帰ろうとするなってのw

440:人間七七四年
13/09/21 09:54:15.58 yPAmeCe+
金甲倭(立花軍)に殺されかけたのがトラウマになったんだろうな
李如松

441:人間七七四年
13/09/21 11:54:20.67 UiqRQvWV
戦国時代の戦乱を生き残った安土桃山期の武士って
千年におよぶサムライの歴史上「最強の世代」だろう。
その「最強の世代」のサムライにとっても朝鮮半島を征服
するには荷が重かったと思うと・・・
日本人としては何となく悲しいな(笑)

442:人間七七四年
13/09/21 16:21:49.23 udAXqqDk
>>441
サムライの歴史は1000年もないです。
「不滅の李舜臣」という韓国のTVドラマでは、なぜか秀吉がそんな事を言ってましたがねw

443:人間七七四年
13/09/21 17:01:38.36 JFYMTRxl
それより質問に答えてほしいなぁ

444:人間七七四年
13/09/21 17:49:51.39 vMtxWxAQ
>>433
逆に>>419をどういう意図で書いたのよ?

445:人間七七四年
13/09/21 18:09:00.66 JFYMTRxl
>>444
>>426

446:人間七七四年
13/09/21 18:17:43.46 43e6Q16t
>>445
横レス悪いけどさすがに苦しいわそれ
ものすごい後付っぽいです

447:人間七七四年
13/09/21 18:22:30.72 JFYMTRxl
さよですか。では446さんごきげんよう
442さんお願いしますわ

448:人間七七四年
13/09/22 12:35:06.53 z9NRDfqp
なんかおれが武士に厳しい視点をむけるとサムライ厨どもが俺のことを朝鮮人
認定してくるけど残念ながら俺は正真正銘の日本人なんだよね(笑)
ただ、日本の歴史をたいして知りもしないアメリカ人ならいざしらず、歴史版
にくる日本人ならサムライについても客観的な視点を向けてほしいと思うから
厳しい視点を向けてるだけだよね。
たとえば漫画家の黒鉄ヒロシは武士(道)信仰がひどくて、新聞への寄稿で武士道を
世界遺産級の価値があるなんてほざいているけど、武士道って武士の千年の歴史上
時代に合わせて変化しているのに(笑)
われわれが武士道と考えているのは新渡戸稲造が、すでに武士身分が消滅した後で
作り上げた空想的武士道だ。
まさしく武士(道)幻想そのものだ(笑)

449:人間七七四年
13/09/22 12:55:54.16 wY6oZwM4
べつに聞いて無いし

450:人間七七四年
13/09/22 13:06:52.67 BHjDgTS+
>>448
>われわれが武士道と考えているのは

お前と一緒にしないでくれる?w
少なくともこの板の住人は一般人と比べて戦国時代の武士のことについてそれなりに知ってる人間ばかりだからさぁ

451:人間七七四年
13/09/22 13:29:35.43 z9NRDfqp
>>450
>少なくともこの板の住人は一般人と比べて戦国時代の武士のことについてそれなりに知ってる人間ばかりだからさぁ
大きく出るじゃないか(笑)
だったらお前も
>戦国時代の戦乱を生き残った安土桃山期の武士って
>千年におよぶサムライの歴史上「最強の世代」だろう。
>その「最強の世代」のサムライにとっても朝鮮半島を征服
>するには荷が重かったと思うと・・・
ってことを認めるんだろうな(笑)

452:人間七七四年
13/09/22 13:31:04.92 e+SjtfGn
>>410
現在の木曽馬とサラブレッドって5倍くらい差がある様に見えるから
珍回答とまでは言えないような

453:人間七七四年
13/09/22 15:49:22.01 BHjDgTS+
>>451
>>442

454:人間七七四年
13/09/23 11:43:42.32 J3h0CB8z
>>452
それはお前の目がおかしいとしか

455:人間七七四年
13/09/23 13:11:31.13 o4r4sSU7
ま、明軍の馬がサラブレッドだったわけでもないしな。

体高が2~3割り増しになれば、量的には2倍近くになるので
そのへんの強調表現が3倍ってのなら判らなくもないが、
それでも蒙古馬は日本馬と変わらず小型だし、朝鮮馬はさらに小さいしで、
西域の血統を引いた一部の馬に当てはまる程度じゃないのかね。

456:人間七七四年
13/09/23 14:42:43.23 rgt2zQSU
中央アジアの馬でもサラブレッドほどは大きくないしなぁ。
シナイ、トルコ、イベリアあたりの地域まできたまぁサイズ的にはサラブレッドに近づくくらいか。

史料の捏造とか平気でやる回答者で有名だから信用はならんね。

457:人間七七四年
13/09/23 15:40:44.55 2Eu7OyB/
URLリンク(zhubenwako.doorblog.jp)

中国の名馬と呼ばれる種類って外の血が入ってないのは
基本的にポニーの範囲におさまるようだね
南部馬クラスのを日本の馬の五倍くらいの差って…

458:人間七七四年
13/09/27 18:13:36.21 Hb+hQVRC
西日本の馬はわりあい小型だから
それと比べてデカいってことでそ

459:人間七七四年
13/09/28 13:29:37.95 l78Oy8Pd
>>458
同じポニーでも五倍くらい違うんですね

460:人間七七四年
13/09/28 14:11:56.25 QPOSC1YJ
短距離を早く走る
スタミナがあり長距離を走る
傾斜の落差ある山川渓谷を重量に耐えながら移動する

馬の用途により馬の大きさは変化するだろ。

461:人間七七四年
13/09/28 15:21:49.68 kxfFFFes
五倍w

462:人間七七四年
13/09/29 08:17:59.95 BEFIsqj9
日本の野間馬が体高約110㎝で蒙古馬が体高約140㎝だから
体感的に2、3倍に見えてもおかしくはない

463:人間七七四年
13/09/29 12:30:30.29 cPT25PT1
なでわざわざ、乗馬不適とされた小さい馬同士の交配で江戸時代に生まれた日本最小馬と、
蒙古馬でも大柄の部類とを比べるかねw

464:人間七七四年
13/09/29 12:58:38.70 dAO5GwXk
2,3倍に減ったぞw

465:人間七七四年
13/09/29 15:03:42.89 6KKECcUz
むしろ蒙古馬と日本在来馬って同じサイズじゃねーかw

466:人間七七四年
13/09/29 15:44:45.15 5B9IABRe
いい加減どうでもいい

467:燃料投下
13/09/30 05:21:05.33 McCFjt3N
【戦国厨】は駄目じゃないですか???yaikomaeさん
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)

>そうそう「世界各国の鉄砲数」も「日本の鉄砲数」も解らないけど
>とにかく世界一でね、
>で秀吉が「朝鮮侵攻」したから世界も取れたよね!!・・・あれ??
>格下の「朝鮮」にも負けてる・・・。
>スッゲー!!戦国厨wwwどこまで盲目www

468:人間七七四年
13/09/30 05:51:35.55 ZrSDJB8t
yaikomaeってどう見ても朝鮮人だよなwww
明に負けたというならまだしも朝鮮に負けwwww腹いてぇwwww

おや・・・このyaikomaeって言う奴と似たような主張、戦国板で見たことあるぞ・・・?
誰だっけかなーwwwwあ、だがって言う奴だwwww

469:人間七七四年
13/09/30 09:54:08.73 vkGFTWAn
そういや最近見ないけどアク禁にでもなったの?
元寇スレのパフォコンも同時期に見なくなったな
キャラは全然違うけど日本側を貶めようとするスタンスでは共通なんだよな

470:人間七七四年
13/09/30 18:41:02.55 pqlFinkv
朝鮮出兵は日本と明・朝鮮の連合軍が数十万の将兵を動員して7年に渡って戦い続けた、16世紀の世界でも最大規模の戦乱なわけで
>>467みたいなのはあの戦争のスケールのデカさを理解できてないんだよね

471:人間七七四年
13/09/30 21:11:18.40 /OVXS1x4
同じ人物が書いている>>406も再注目ですなw

472:人間七七四年
13/10/01 18:17:18.98 5fG6Xj84
ソースが皆無なのはつりなのかねぇ・・・

473:人間七七四年
13/10/01 20:31:43.99 lpkgRh/y
都合の悪いところははぶくのは卍も抜き逝もやってる!

474:人間七七四年
13/10/01 23:22:02.23 8hKmPOQO
抜き逝って何?

475:人間七七四年
13/10/02 17:43:37.97 ObpdJDNS
「秀吉と戦った朝鮮武将」などの著作で知られる貫井正之のことかと

476:人間七七四年
13/10/02 22:30:16.31 B7IyosgS
しかしま、卍はそれなりに通じるけど、さすがに頭悪そーな表現だし
止めた方がいいんじゃね。

477:人間七七四年
13/10/03 12:00:42.20 cdYRwoa2
北島は日韓併合と朝鮮出兵を同一視してるよね

478:人間七七四年
13/10/03 14:32:58.90 p4Oa78z/
秀吉って天正20年後半くらいだと思うが、
名護屋城で明の使者相手に要求した内容に
朝鮮国の半分をよこせってフロイスの日本史に書いてあんだよね。
だから秀吉が明征服とか言ってるのは、
そもそもかなりフカして言ってるジョークで、
実際は朝鮮南部の領国化が目的だったとしか思えないんだよね。

479:人間七七四年
13/10/03 14:53:17.93 cdYRwoa2
一、赤国不残悉一篇ニ成敗申付、青国其外之儀者、可成程可相動事。
・・・全羅道を残さず悉く成敗し、忠清道や京畿道もなるべく攻略せよ。

一、右動相済上を以、仕置之城々、所柄之儀各見及、多分ニ付て、城主を定、則普請等之儀、爲帰朝之衆、令割
符、丈夫ニ可申付事。
・・・それが済んだら仕置きの城の守りを固め、在番の城主を決めてそれ以外は帰国せよ。

一、自然大明国者共、朝鮮都より、五日路も六日路も大軍ニて罷出、於陣取者、各談合無用捨可令註進、
御馬廻迄にて、一騎かけニ被成御渡海、即時被討果、大明国迄可被仰付事、案之内候之條、於由断者可爲越度事。
・・・大明の大軍が襲来したら余自ら馬廻衆を引き連れて渡海し打ち破り、大明まで進撃しよう。

480:人間七七四年
13/10/03 15:44:22.63 rP77rVis
秀吉のフカシはうまく行かなかった時のいい訳じゃね

481:人間七七四年
13/10/03 16:52:24.65 HVllhXym
>>477
まぁ、どちらも“朝鮮侵略”というくくりだわな。

頭のおかしな歴史学者というのは、客観視というのができなくて
現在の価値基準や善悪の判断で歴史を断罪しようとするw

482:人間七七四年
13/10/03 18:40:38.05 rP77rVis
いいじゃん、侵略で
イカ娘だって侵略だし

483:人間七七四年
13/10/03 20:55:07.84 ibwbMBmy
>>467
こいつ朝鮮贔屓のくせに、秀吉騙してまで和平工作した行長や三成の事は親の仇みたいに叩いて
逆に朝鮮人相手に無双しまくってた清正のことはマンセーしてんのな。
何が目的なんかさっぱりわからん。

484:人間七七四年
13/10/03 22:30:27.55 K3kocz4O
yaikomae師範は基本ウヨ厨だよ。
昔チョンがどうなのとか差別的な回答してたよ。
でもたぶん深く考えてないよ。デタラメ回答してたときソース?って
突っ込まれたら図書館に置いてある本って回答してたのにはワラタよ。
書いてありましたっていう素晴らしい回答をしてたよ。
サブアカ沢山持ってて一応まもとなキャラを演じてるアカウントもあるけど
そっちでも史料の捏造してるし主張が同じなのでバレバレだよ。

485:人間七七四年
13/10/05 20:30:27.74 rdAfMRtl
3倍蒙古馬ニキ爆誕

486:人間七七四年
13/10/06 17:24:51.16 XnlhUZtj
貧弱で有名な大型馬の代表サラブレットでも1.2倍程度の大きさなのに
3倍とか象兵かよ!ってレベルだよなぁ・・・
話半分にしても、大型種を使った騎兵とか朝鮮半島で使い物にならんだろ。

487:人間七七四年
13/10/08 13:24:42.55 d4c9gQKO
あの時代に重種なんて東アジアにいたんかの?

488:人間七七四年
13/10/10 12:17:23.59 Z1Ug+wFm
>>483
熊本城の石垣を朝鮮人が作ったもんだと本気で信じてるアホがいるからね。
ぼした祭りも廃止に追込んだりと熊本は汚染されとる。

489:人間七七四年
13/10/12 08:40:20.56 ISiJ+YuE
朝鮮人が作ったっていうのは知らないけど。
加藤清正が朝鮮から持ち帰った工法で、熊本城の石垣を築いたとか聞いた。
その出典のソースが海音寺潮五郎の小説ww
朝鮮から持ち帰った工法で作ったんなら、朝鮮の城の石垣にも武者返しがあるはずw

490:人間七七四年
13/10/14 18:34:22.82 EmAINhy2
>>489
秀吉が全部壊したんだよ(冷笑

491:人間七七四年
13/12/17 19:18:26.19 7AERnJVK
>>352
君が固執する幸州山に関してだが、朝鮮の大勝とは程遠く、
日本の再攻撃準備中に逃げたのが真相が大だな。
こんなのがあったので参考に↓

俗に言う朝鮮出兵の戦いで、朝鮮側の三大大捷
と呼称されている勝利のひとつに、幸州山の戦いがあります。

幸州戦の記録で、当時に書かれたという意味で、一番信頼できる朝鮮の乱中雑録1にはこうあります
(後代になるほど朝鮮側は潤色され派手になります)

矢や石を浴びせ、日本軍も三度進み三度引いたが、火が回り城の柵も燃え落ち、
矢も尽き、日本軍に切り込まれて落城寸前だったとあり、白兵戦の最中に
朝鮮の丁傑の救援の2艘が現れたので、日本軍は引いたとあります。
小西、大谷、黒田ら8将が 秀吉に宛てた文禄2年2月18日発の書状でも、

この丸に攻入り数百人を切り捨て、本城の付近で相戦い、少々の手負が発生したとあり、
乱中雑録でも朝鮮側の戦果が130頸とあり、
現在言われているような派手な勝利?ではなく少なめであり、
そして日本側の数百人切捨と、乱中雑録1のあわや落城かという
双方の記録が一致しています。

乱中雑録では、日本軍が引いたところで 記録が終わっていますが、
同書状では、 諸将が城に対して夜責めでもしようと協議している間に
17日に朝鮮軍が城を焼いて逃げたとあります。

この書状は、権慄が城を焼いて放棄した翌日の18日に発せられているので、
日本軍は城の近くにいたことがわかります。

同時期の懲毖録も、この戦いについては簡潔にしているだけであり、
特筆するとすれば、幸山城の指揮官であった権慄が命令を出して、
日本兵の死体をズタズタにして、木に掛けたという箇所ですか。
URLリンク(town.zaq.ne.jp)

492:人間七七四年
13/12/29 23:20:37.82 c1AjIWrn
李如松と日本が鉄杭を山に打ちつけた話に書かれている内容なんだが、これマジなん?

まず、李如松とは何者なのか。朝鮮の末裔(まつえい)で、明国の名門一族出身の武将だ。
父親の李成梁は明国を守る中国東北・遼東地方で最高の武将だった。
息子の李如松が壬辰倭乱(文禄の役)で朝鮮に出兵すると、「先祖の故郷だから救援に努めよ」と言ったという。

493:人間七七四年
13/12/30 11:26:42.01 7QT8hoIG
オレもあの記事を読んでエッ?、と思ったけど、
ソースが“不滅の李舜臣”あたりだったとしても
驚かんなw

494:人間七七四年
13/12/30 16:12:53.17 A+iCgwnJ
その割には李如松が補給の問題が起きたときに
朝鮮人を屈辱的に虐待したりしてるがw

しかも大敗した後も朝鮮人のせいにして日本側が多数だったとか
報告しようとしてるし

495:人間七七四年
14/01/02 21:38:41.01 FMgCbs4g
>>491
>君が固執する幸州山に関してだが、朝鮮の大勝とは程遠く、
>本の再攻撃準備中に逃げたのが真相が大だな。
あくまで城攻めにおいては籠城側のほうが遥かに有利ってことを言うための
たとえ話にずいぶんこだわるねー(笑)

496:人間七七四年
14/02/13 01:49:00.01 LAQlyc3N
朝鮮の冬は恐ろしく寒く、
また食料の生産高が低過ぎた。
たしかに朝鮮人口が日本人口の半分とも言われているので、
食料生産力が人口差を生んでいると思われることからも現地調達が難しいことはわかる。

太田一吉の医僧は慶長役に従ったが、12月の蔚山城攻防戦に参加していて、
極度の餓え、水源を絶たれた喉の渇き、あまりの寒さの3つを挙げて死を覚悟した。
この僧は高齢でもあったためか、
早く日本に帰りたがり、帰朝の御許しが出たなどと風聞を信じて船の来訪を心待ちにしたり落胆してる。
結局、従軍半年で帰ったわけだが、
朝鮮が想像以上に不毛の大地だったのがわかる。
中国の帝国が朝鮮の直接支配に乗り出さなかった理由がよくわかる。
占領する価値が全くないだけでなく、
軍事力維持に本国からの大幅持ち出しになるのを知っていたのだろう。

497:人間七七四年
14/02/13 08:26:32.73 uMt1LNfG
朝鮮が中国侵略の兵站基地になるだけの生産力がある土地ではなく、
しかも半年南部ですら激寒であることを知ってから、
半島北部領有を日本は完全に放棄したからね。
ちなみに秀吉は教如に朝鮮での布教を許していて、
本願寺教団は儒教国家朝鮮で布教拠点を作っている。
宗教と武力の両輪での支配を目指していたと言えるだろう。
しかし宣教師のように信仰ノウハウが無いのであまり成功しなかったようだ。
いっそのこと宣教師を活用してれば面白かったかも知れない。

498:人間七七四年
14/02/16 17:17:47.74 zNqdGUyr
短期的にはともかく長期的には欧州のアジア侵略に協力するようなもんだろそれ。
いや・・・・ロシアに征服させて皆殺しにすれば少しは後の時代が楽になるな

499:人間七七四年
14/02/17 20:27:11.34 sfBLOspd
半島には治水灌漑技術が無かったからね。
当時の日本は石高向上に向けた大開発時代だから差が開く一方。
日本は寺領などでの森林所有権も安堵や保護対象になっていたから、
森林の保水力があり、朝鮮のような禿山が原因の氾濫もなく、
山に手をいれた豊かな里山生態系が生まれていた。

500:人間七七四年
14/03/03 12:31:14.67 cYc7VDGF
>>495
幸州の大法螺と実相は違うのだから、
352が書いてることは事実誤認か嘘を承知で書いてる
ことになるわけで。
その顛末が>>491になる。

501:人間七七四年
14/03/12 00:46:05.43 Grcmlr79
>491
>そして日本側の数百人切捨と、乱中雑録1のあわや落城かという
>双方の記録が一致しています。
あわや落城かの状態なのに
>乱中雑録では、日本軍が引いたところで 記録が終わっていますが、
日本軍は撤退したんだ(笑)

502:人間七七四年
14/03/12 18:14:13.92 Vxl1vk5m
あわや落城かの状態だったから朝鮮軍は城を放棄して逃亡したんだろw

503:人間七七四年
14/03/12 23:59:33.14 Grcmlr79
>502
>そして日本側の数百人切捨と、乱中雑録1のあわや落城かという
>双方の記録が一致しています。
>あわや落城かの状態だったから朝鮮軍は城を放棄して逃亡したんだろw
圧倒的な兵力で城内に突入して数百人も切り捨てていながら、城を落とせず撤退したんだろ(笑)
情けないサムライどもだ(笑)

504:人間七七四年
14/03/13 17:18:21.50 yslmzA4e
とりあえず、途方も無い数の城を攻め落とされた上
自分たちはひとっつも倭城を攻略できなかった雑魚朝鮮人に
情けないとか言われる筋合いはないわなw

505:人間七七四年
14/03/13 23:19:30.98 7Fp0ENi2
>自分たちはひとっつも倭城を攻略できなかった雑魚朝鮮人に
>情けないとか言われる筋合いはないわなw
反論できないと朝鮮人認定か(笑)
でもそれって朝鮮人のほうが日本人より優秀ってことにならないか(笑)

506:人間七七四年
14/03/14 17:52:22.75 a7TQX2id
>>505
だって、反論もクソも無いジャン(笑)
お前はどこのスレでも狂ったように晋州城と幸州山城の事例を持ち出すけど(笑)
一体その何倍の城が日本軍に攻め落されたと思ってるんだ(笑)

★日本軍に攻め落された城★
釜山鎮、多大鎮、東莱城、金海城、昌原城、慶州城、泗川旧城、昆陽城、河東城、鴒原山城、平壌城、於郎山城、漣川城、知礼城、胡寧城、晋州城、南原城、黄石山城

★朝鮮軍が防衛に成功した城★
延安城、晋州城、幸州山城 ←こんだけ(笑)

そりゃこれだけ城に引き篭もってばかりいれば、何回かは防衛に成功するだろうよ(爆笑)
しかもその防衛に成功した数少ない事例にしても、晋州城は二度目で殲滅され、
幸州山城は日本軍の再挙を怖れて放棄というオチだ(笑)
これでサムライどもが情けないなら、朝鮮人はどうなるんだ(笑)
ゴキブリ以下じゃねえか(爆笑)


>>反論できないと朝鮮人認定か(笑)

550:日本@名無史さん [sage] 2010/12/15(水) 04:01:30 妄言おつかれです
お前ら日本猿は頭も悪くて、体も惰弱のクズしかいねえんだから。こんな無謀な戦争負けて当然
次はお前らの鼻と耳が無くなるから覚悟しておけ

↑お前はこんなこと言っちゃってる時点で、朝鮮人であることは100%確定じゃねえか(爆笑)

507:人間七七四年
14/03/14 18:56:48.80 yIVUB4/P
>>506
結局、反論出来ないから
攻め落とされた城の数を出してごまかすんだな。
戦争はスポーツじゃねえんだから・・・
勝率を誇っても意味ないのにな(笑)
実戦経験も豊富で、やる気満々に侵略してきた日本軍と
実験経験も乏しく、やる気のないまま侵略されている朝鮮軍と
で勝率を誇って何になるんだ(笑)
幸州山城は主将の宇喜多秀家を初め軍監の石田三成、小早川隆景など
当時の在朝鮮軍の主力で望んだ城攻めぞ!
勝敗の意味も自ずと違ってくる。

508:人間七七四年
14/03/14 19:42:52.25 a7TQX2id
>>507
>>結局、反論出来ないから
>>攻め落とされた城の数を出してごまかすんだな。

だから反論もクソもないって言ってるジャン(笑)
いくら戦力差があってもあれだけ城攻めを繰り返せば、そりゃ一回や二回は失敗するだろ(爆笑)

>>実戦経験も豊富で、やる気満々に侵略してきた日本軍と
>>実験経験も乏しく、やる気のないまま侵略されている朝鮮軍と
>>で勝率を誇って何になるんだ(笑)

ふーん、お前の認識だと日本軍はやる気満々で、朝鮮軍はやる気なかったんだ(笑)
でも、唐入りに意欲的だった大名は秀吉忠臣の加藤清正などごく一部じゃなかったっけ(笑)
それに一般論で言えば、無理矢理外征に駆り出された日本兵に比べりゃ、
故郷を侵略された朝鮮軍の方が士気が高まるもんじゃないのか(笑)
士気旺盛な民衆の抵抗運動である義兵活動を賛美し過大評価していたのは一体どこのどいつなんだ(爆笑)

>>幸州山城は主将の宇喜多秀家を初め軍監の石田三成、小早川隆景など
>>当時の在朝鮮軍の主力で望んだ城攻めぞ!

加藤、鍋島、大友、福島、蜂須賀、島津らが未参戦で実数せいぜい一万程度の軍勢のどこが在朝鮮軍主力なんだ(爆笑)
「当時の在朝鮮軍の主力で望んだ城攻め」というのは第二次晋州城攻めみたいなのを言うんじゃないのか(笑)

>>勝敗の意味も自ずと違ってくる。

うんうん、で、その結果が諸大名の連署状にある「彼城自焼ヲ仕候而、逃退申候事」なんだが(爆笑)
朝鮮軍は一旦日本軍を退けはしたものの、その再挙を怖れて城を放棄し北方の坡州まで逃亡したため、
結果的に日本軍は幸州山城の脅威を排除できたわけだ(笑)
ま、お前ら朝鮮人が「壬辰倭乱の三大捷」(笑)とか呼んで誇る戦いですら、実態はこんなモンだ(爆笑)

509:人間七七四年
14/03/15 00:17:09.30 1lqU993V
>>508
>だから反論もクソもないって言ってるジャン(笑)
反論できないくせに話をすり替えるな、この馬鹿が(笑)
>いくら戦力差があってもあれだけ城攻めを繰り返せば、そりゃ一回や二回は失敗するだろ(爆笑)
戦争を野球なんかと一緒にするな!!
>それに一般論で言えば、無理矢理外征に駆り出された日本兵に比べりゃ、
>故郷を侵略された朝鮮軍の方が士気が高まるもんじゃないのか(笑)
>士気旺盛な民衆の抵抗運動である義兵活動を賛美し過大評価していたのは一体どこのどいつなんだ(爆笑)
お前は馬鹿だから時系列ってわからないんだろうけど、開戦当初の朝鮮に
勝手に攻めてきた日本に対し、郷土を守ろうなんて気概があるわけないじゃん。
日本軍の横暴に対して抵抗する中で次第に培ってきたもんなんだから。
その甲斐あって義兵闘争は拡大して各地で日本軍を苦しめだ、ついてには、
文禄元年11月10日の小早川隆景宛て朱印状において「明年(文禄2年)春の
(秀吉自身) ご渡海後に義兵との決着をつけるんでそれまでは城を固めておけ」
と命令するまでの勢力に成長している。

510:人間七七四年
14/03/15 00:48:02.86 eCcmjpQY
食い詰めの山賊が義兵とはいいようだな

511:人間七七四年
14/03/15 09:56:21.17 OEAFVQyI
>>509
>>反論できないくせに話をすり替えるな、この馬鹿が(笑)
>>戦争を野球なんかと一緒にするな!!

反論というなら>>506の時点でとっくに終わってるジャン(笑)いつ俺が話をすり替えたんだ(笑)
武田信玄や上杉謙信ですら城攻めには何度か失敗してるんだ、日本軍はあれだけ城攻めを繰り返してるんだから、
一度や二度失敗したところで何の不思議もねえし、ましてや情けないなんて批評は的外れだと言ってるんだよ(笑)
だいたい、お前は唐突にスポーツの話を持ち出してきたけど、俺がいつ戦争とスポーツを同一視したんだ(笑)
城攻めの全体的な様相の話をしたら、どうしてスポーツと一緒にしたことになるんだ(笑)
やっぱりお前の頭はぶっとんでるわ、常人には理解できねえ(爆笑)

あとお前は何か勘違いしてるようだが、>>506で挙げた城は皆朝鮮軍が立て篭もって組織的抵抗を示した事例なんだ(笑)
城兵が逃げ出して日本軍が無血入城した城の数は、さらにその数倍にのぼる(爆笑)

512:人間七七四年
14/03/15 10:16:38.94 OEAFVQyI
>>お前は馬鹿だから時系列ってわからないんだろうけど、開戦当初の朝鮮に
>>勝手に攻めてきた日本に対し、郷土を守ろうなんて気概があるわけないじゃん。
>>日本軍の横暴に対して抵抗する中で次第に培ってきたもんなんだから。

あと、俺がいつ開戦当初に話を限定したんだ(笑)
お前が日本軍は常にやる気満々で、朝鮮軍は常に士気が低かったみたいな言い方をするから
その偏った考えを指摘してやったまでだろうが(笑)

513:人間七七四年
14/03/15 10:52:39.00 1lqU993V
>>512
反論できないくせに話をすり替えるな、この馬鹿が(笑)
>日本軍はあれだけ城攻めを繰り返してるんだから、
> 一度や二度失敗したところで何の不思議もねえし、ましてや情けないなんて批評は的外れだと言ってるんだよ(笑)
野球監督の野村克也もいってるが、
「勝ちに不思議な勝ちあり、負けにふしぎな負けなし」
なんだよ。
それをバカなお前が勝率でごまかそうとするな(笑)

514:人間七七四年
14/03/15 12:56:44.58 1lqU993V
>>512
>あと、俺がいつ開戦当初に話を限定したんだ(笑)
問題、以下の城がいつ落城してか年月日をいれよ!
★日本軍に攻め落された城★
釜山鎮、多大鎮、東莱城、金海城、昌原城、慶州城、泗川旧城、昆陽城、河東城、鴒原山城、平壌城、於郎山城、漣川城、知礼城、胡寧城、晋州城、南原城、黄石山城

515:人間七七四年
14/03/17 19:13:41.61 CKZ/RrlP
>>513
>>野球監督の野村克也もいってるが、
>>「勝ちに不思議な勝ちあり、負けにふしぎな負けなし」
>>なんだよ。

なあんだ、人には戦争はスポーツじゃないとか戦争を野球なんかと一緒にするな!!とか言っときながら、
自分では戦争とスポーツと同一視してるジャン!(爆笑)

>>514
>>問題、以下の城がいつ落城してか年月日をいれよ!

はぁー!?
てめえで調べろや、この低脳!(笑)

ま、晋州城、南原城、黄石山城が落ちたのはどんなに贔屓目に見ても「開戦当初」ではないから、
この時点で俺が話を「開戦当初に限定」しているというお前の主張は成り立たないんだけどな(笑)

さらにいうと、お前は開戦当初は勝手に攻めてきた日本に対し郷土を守る気概がなかったとか言い訳してるけど(笑)
開戦当初どころか慶長の役では、朝鮮軍は南原城と黄石山城をのぞいてほとんど組織的抵抗もできずに
三道をなすすべも無く蹂躙されるという文禄の役以上の弱体ぶりを晒しちゃってるんだよねー(笑)
三道全域で城兵がことごとく逃亡したので、そもそも城攻め自体がほとんど起こらず、大半の城が日本軍の手に落ちたわけだ(爆笑)
こんなんじゃ勝率がどうこう言う以前の問題だわー(爆笑)

516:人間七七四年
14/03/18 10:44:26.92 Iy3gciRH
>>515
>開戦当初どころか慶長の役では、朝鮮軍は南原城と黄石山城をのぞいてほとんど
>組織的抵抗もできずに三道をなすすべも無く蹂躙されるという文禄の役以上の弱
>体ぶりを晒しちゃってるんだよねー(笑)
これなんかまさしく「勝ちに不思議な勝ちあり」そのものじゃん!
結局、おまえ自身も反論出来ないから攻め落とされた城の数を出してごまかしてる
っていうことを認めてるじゃん(笑)
開戦からしばらくたつと故郷を侵略された朝鮮軍の方の士気も高まり、ついには
秀吉から小早川隆景宛ての文禄元年11月10日付け(開戦から7ヶ月程)朱印状に
おいて「明年(文禄2年)春の(秀吉自身の) ご渡海後に義兵との決着をつけるんで
それまでは城を固めておけ」と命令するまでの抵抗勢力に成長している。
すなわち秀吉の上記朱印状後に行われた幸州山城での日本勢の撤退は、
「負けにふしぎな負けなし」 といえるよね(笑)

517:人間七七四年
14/03/18 18:15:49.23 hXPYQ1Ux
>>516
>>これなんかまさしく「勝ちに不思議な勝ちあり」そのものじゃん!

野村克也なんか死んじまえ!
野球監督の戯言なんかクソ食らえ!
俺はやきうなんぞじゃなく戦争の話をしてるんだよ(爆笑)

>>結局、おまえ自身も反論出来ないから攻め落とされた城の数を出してごまかしてる
>>っていうことを認めてるじゃん(笑)

俺が何に対して反論できなかったというんだ(笑)
俺が何をごまかしてるというんだ(笑)
くわしく(笑)具体的に(笑)

>>すなわち秀吉の上記朱印状後に行われた幸州山城での日本勢の撤退は、
>>「負けにふしぎな負けなし」 といえるよね(笑)

ま、結局は朝鮮軍にとって戦術的な辛勝というだけで、しかも戦後せっかく守った城を放棄して逃亡し、
日本側は幸州山城の脅威を排除するという戦略目標を達成してるんだけどな(笑)
まったく、幸州山城に限らず鳴梁海戦といい露梁海戦といい(笑)
戦略的な結果に目を背けて勝った勝ったと騒ぐお前ら朝鮮人はバカ丸出しだな(笑)
戦闘なんて敵兵を何人殺そうが、戦略目標を達成できなけりゃほとんど意味が無いのに(爆笑)

518:人間七七四年
14/03/22 22:10:12.88 dV5+Q3P2
ゴンリツが幸州山城を放棄しなければ良かったのにな
戦争に寄与しない勝利で有頂天になる事多いよな
閑山島の海戦だって、脇坂一隊を叩いただけでなーんも影響無く
単に海岸の防衛強化されてしもうたわけで

519:人間七七四年
14/04/01 06:57:28.04 qtGYqFNt
>>501 >>503
残念だがその記事は後日に追加されている。
少し前の記事のせいか、主が忘れているのかわからないが
朝鮮関係のまとめに入っていないよう模様。

それによると漕船40隻が現れて声援を
送ったので秀吉軍は引いたとある。

文禄の幸州山の戦いについて の補足
URLリンク(town.zaq.ne.jp)

その漕船の人員は不明だが、漕船と称していることから、
それなりの収容数が推測が可能。
板屋船より少なめに見積もって、
戦闘員30名と計算しても1200名ほどになる。

乱戦さなかで敵情も不明の中で、一旦、
引かせた日本将の判断はきわめて妥当。

まとめとして攻城軍が息切れしたとか、ましてや城の朝鮮軍が日本軍を
追い返したということはありえないというのが真相。

520:人間七七四年
14/04/02 00:22:02.07 7agU0NPb
日本軍が漢城を撤退したのは幸州山城で勝利を得たからだ!とか本気で言う奴がいるんだよなw

521:人間七七四年
14/06/20 22:10:10.34 TyZf1M+H
>>516
>これなんかまさしく「勝ちに不思議な勝ちあり」そのものじゃん!
どこがだよw
10万を超える超精鋭部隊に農民や倭寇より遥かに弱い、朝鮮の弱卒が何をどうやっても勝てる訳ないだろ
特に慶長の役は、電撃戦の文禄の役(朝鮮軍が異常に弱すぎて想定外の進軍をしてしまった)の頃と違って
虱潰しのローラー作戦だから余計に負けない。

522:人間七七四年
14/06/20 22:49:13.28 ZgYHdYB7
中国人「朝鮮人が弱過ぎる・・・こいつら倭人と裏で手を組んでて、我々を消耗させる気なんじゃ・・・・」
とか記録に残されちゃう弱兵ぶりは異常だよな・・・・

523:人間七七四年
14/06/21 18:55:18.68 RwHS8mPu
三ヶ月前の基地外に触るなよw

524:人間七七四年
14/07/09 20:12:55.72 TFYPvvoQ
>>283
そうじゃないかと内心危ぶんでいたんだが、やはりネタは個人のブログかw 

日本の海上補給が完全に遮断された訳でない(半島の南東海岸に限定された)ことぐらいは一般常識で、
朝鮮役を総覧した徳富蘇峰や参謀本部による李舜臣への高評価は、その点を包括している。
そんな常識をいくら補強しても、戦略レベルで李舜臣が果たした役割には関係がないw
朝鮮半島の日本軍が補給に苦しんだのは李舜臣の活動によるところが大だが(半島を西側に回り込
めないので、ゲリラ攻撃に晒される陸路で輸送せざるを得なかった)、無知な君はまずそこのところ
から勉強し直す必要がある。

まずはブログ記事をつまみ読みするレベルから脱却する必要があるが、その程度のレベルの君に
「近世日本国民史」などを薦めるのは、1桁の足し算が出来ない子供に連立方程式を解けと言うようなもの。
もっと薄い本から始めた方がいいな。

525:人間七七四年
14/07/10 00:00:56.23 hkX7FGQ9
どれだけ前のレスに反論してるんだお前は
しかも中身ないし

526:人間七七四年
14/07/10 04:08:36.24 qgDcPila
だな。しかも徳富蘇峰翁はかなり李舜臣マンセーだし。
ホントに近世日本国民史読んでるのかと思うぞw

ちなみに、個人的には徳富翁の博識と識見、超人的な
執筆活動には全く以て敬服してるけどね。

527:人間七七四年
14/07/10 19:21:40.68 KZhpP9G5
ブログソースってだけで馬鹿にしてる&資料を読んだってだけでドヤ顔してる時点で524の程度が知れるなw
資料をしっかり読んで正しく分析・判断して正しい回答を導き出したブログ主と、
ただ資料を読んだだけで分析も判断も全然出来ずに誤った回答を言いふらす524とでは、
ブログ主の方が断然上なのは当然として、そのまともなブログを探し出した283の方も524よりずっと上

>>526
ただ、徳富蘇峰が軍事オンチなのは>>312を読めばわかる
司馬遼太郎も戦車隊に配属されてるクセに結構な機械オンチだし、
凄い人でも意外な所で抜けてたり足りないってのは珍しくない

528:人間七七四年
14/07/10 21:17:36.33 hkX7FGQ9
鑢で削れたから粗悪な装甲(キリな人だからなぁ・・・・
元兵士は実経験を神聖化しちゃうんだろうが

529:526
14/07/11 12:31:21.13 2/TshIbP
>>527
>>312はオレ(・∀・)

530:人間七七四年
14/07/11 23:59:07.59 G7usIINx
でも、釜山と漢城ルートの海上補給を遮断しただろうがよ。
アホ

531:人間七七四年
14/07/12 00:49:51.73 D+u1u7UP
ただでさえ中身が無いレスなんだから最低限安価ぐらい付けろよ・・・・


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