08/01/24 21:26:29 ofd9OqDM0
>>459
ともかくも、資金を得た重光は東京・大森に工場をつくり、旋盤用の油の生産に乗り出した。
だが、まもなく空襲を受け、工場は全焼。次に東京・八王子の民家を手に入れたが、工場が
順調に稼動し始めた矢先に、やはり空襲で全焼してしまった。終戦の数日前のことだった。
(中略)
戦争が終るとすぐに、重光は油脂を大鍋で煮て、石鹸やポマードをつくり始めた。粗悪な製品
だったが、つくった側からすぐに売れていった。
それから半年後の46年2月、東京・荻窪に「ひかり特殊化学研究所」という会社を設立した。
石鹸やポマード以外の化粧品も手がけた。商標名は「ロッテ」とした。(中略)最初の頃は飛ぶ
ように売れたが、しばらくすると、大手化粧品メーカーが生産を再開し、次第に売れ行きは落ち
ていった。
「そんなとき、辛氏にチューインガムをつくらないかと持ちかけてきた友人たちがいた。化粧品で
儲けた辛氏の金をアテにした話だったが、やってみると、これがまた、当たりに当たった。ところ
が、しばらくすると、友人たちは辛氏をのけ者にしてガムをつくり始めた。怒った辛氏は、彼らを
見返すために、自らガムの製造販売に乗り出すことに決めた」(韓国紙記者)
こうして48年6月、ひかり特殊化学研究所を改組し、ロッテが誕生した。
(中略)
重光はまずハリスを目標にした。1950年3月には、その2年前に購入してあった東京・新宿区
の土地に、工場と本店を移転し、ガムの生産を本格的に開始。
(中略)