14/12/16 15:50:52.71 FIqN7+Sh0
たかじんは娘も、小丸氏も信用していた
http://殉愛.com/?p=92
(↑たかじんが亡くなる半年前のPISの法人登記簿が紹介されています。一見の価値ありです。)
上記サイトより
松本哲朗氏は平成25年6月25日退任(自主的に辞めた)
小丸豊氏は平成25年6月25日重任(信任を受け続けた)
※娘さんも現在まで取締役を続けています。
つまり闘病中、たかじんの考えは
松本はやめてもいいけど、小丸はいてくれ。
だったのです。
この後悪化して、麻薬を常用する前までは。
URLリンク(i.imgur.com)
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300 :可愛い奥様@転載は禁止:2014/12/15(月) 13:31:25.95 ID:zxoPRDHy0
「連絡が取れなくなっていたので、父がどこに入院しているのかも、がんの進行の程度もわからなかった
。ずっと大阪の病院だと思っていて、最期が東京の聖路加国際病院だったのも知りませんでした。
おじたちがマネジャーさんに聞いても、『今は誰とも会いたがりません』と、見舞いは断られた。
無理に会いに行くよりは、落ち着いたら連絡をもらえるんじゃないか、ということになっていたんです」
週刊朝日)長女Hさんインタビューから