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財団作るとこも同じ↓
この件についてのマスコミの対応は早く、『週刊文春』が1983年12月22日・29日合併号で既に記事にしていて、
「当時の安岡氏は、同じ内容の電話を10分間に二度かけるなど、痴呆の兆候があったという。
住友病院で行われた検査でも、全部で7つ見つかった症状のうちの1つに老人性痴呆症が挙げられていた」とある。
ちなみにその記事の中で安岡家側は「同先生に確認を求めたところ、先生は婚姻届が提出された当時も現在も、
旧姓細木数子様と婚姻する意思は全くないとの御返事でした。なお、同時に同無効確認の法的手段を準備中です。
したがって(中略)安岡正篤先生の妻として認めるわけには参りません」と主張している。
後に細木は『週刊文春』1999年9月16日号に於いて、
「先生はボケてなんかいません。わざとボケたフリをして隠遁生活をしていただけです。お年を召されて、
自分の話を本当にわかってもらえる同年代の人をいなくなったし、若い弟子たちを相手に話すのも煩わしかっただけのこと。
弟子は先生に相手にされなかったものだから、私に嫉妬して色々いうのよ。先生がボケていなかったことは、近未来に必ず証明してみせます」
と当時の安岡が「痴呆が疑われる状態であった」事を認めている。
ちなみに細木は神楽坂の5丁目にある事務所に「財団法人 安岡正篤顕彰記念 細木数子事務所」と掲げているが、「安岡正篤顕彰記念」なる財団法人は存在しない。