14/11/14 00:15:09.25 4qfUMiu50
>>9-10
友脳はしつこく3回も不敬をやらかしたのだから自業自得
①週刊文春2013年7月11日号 ザ・プリンセス雅子妃物語 第45回 涙が止まらない
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ところがそんな時、雅子妃のご病気の一因とも言えるある出来事が起こったのだ。
十月十五日、国賓として来日したメキシコのフォックス大統領夫妻を迎えての宮中晩餐会でのことだった。
メキシコ大統領夫妻は皇居・宮殿に到着した。正殿「松の間」で主催の両陛下から皇族方を順番に紹介されるのが儀礼となっていた。
「フォックス大統領は、まず燕尾服姿の皇太子を紹介されて、次はイブニングドレス姿の雅子妃の番でした。
フォックス大統領が雅子妃に向かって手を差し出したのですが、隣の秋篠宮殿下が紹介されたため、一瞬大統領の手が宙で迷われ、おかしな雰囲気でした。
雅子妃は明らかに引きつった様なご表情でした。その後に運ばれてきたジュースにも口をつけておられませんでした」(元東宮職)
この事実は、一部の外務省職員と宮内庁職員も知っていたが、公になることはなかった。
②週刊文春2013年8月1日号 ザ・プリンセス雅子妃物語 第48回 雅子さまの「人格を否定」したのは誰か?
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公務と育児の両立でお疲れが蓄積して、まさに八方塞がりの状態だった。夜に寝付けないことや心臓が高鳴るようになっていたという。
そして、〇三年のメキシコ大統領夫妻を招いての宮中晩餐会で、妃殿下としてご紹介を受けなかったことが自己の存在を見失う大きなきっかけになったと言われた。
母親としてのみならず、皇太子妃としても自信を喪失し、絶望的な気持ちになっていったのだった。
同年十二月にはストレスによる帯状疱疹でご入院。完治しないままご退院された三日後には、湯浅長官による「第三子発言」があった。
③週刊文春2014年11月13日号 雅子さま“復活の笑顔”-「晩餐会」直前に掛けた一本の電話
「十一年前の「衝撃的な出来事」」との小見出しの下に,2003年10月,メキシコ大統領を迎えた宮中晩餐の前席で,
大統領に対する天皇陛下の皇族御紹介が,「雅子妃を飛ばして,秋篠宮殿下に移ってしまった」ことから,
「雅子妃が妃殿下としての自己の存在について,決定的に自信を喪失した」