14/08/31 17:29:15.88 +dHRO66Q0
>>709
そう言う説がある=通説ならもうそれでいいです
一騎打ちすることと、手柄をあげて名乗りを上げるのはまた別だと私は思います
分かりやすい例でいえば、桶狭間の合戦で服部小平太や毛利新介は集団でかかり
最終的に敵味方に誰が討ち取ったか名乗りを上げた
一騎打ちが珍しいものだからこそ、軍記物や芝居で名乗りを上げるメインのシーンになっているかと。
>元側の不自然さ
「凶徒は麁原に陣を取りて、色々の旗を立て並べて、乱鉦暇無くして犇めき合ふ」
と蒙古襲来絵詞にあるように万全の体勢だったにもかかわらず
何故かいちいち船に帰る。昼間優勢であったなら上陸地点の橋頭保で野営するのが自然であるし
当時の太宰府方面へ進撃しなかったのはなぜか?
ちなみに元側の資料である元史には「軍の編成乱れ矢が尽きた」とあります
高麗史だと十月、金方慶、元の元帥の忽敦・洪茶丘等と与に、日本を征す。
壱岐に至りて戦い敗れ、軍の還らざる者万三千五百余人