15/08/29 20:26:45.08 /YkaYgzupNIKU.net
元久二年正月二十一日世間並の尼女房達が沢山上人の処へ集って来て戒を受け、教えを聴こうとした。
法然はその願い通りに聖道の難行なること、浄土の修し易きことを語り聴かせて彼等を随喜させて帰した。
法性寺左京大夫信実朝臣の伯母であった女房が、道を尋ねて来たので、法然はそれに返事を書いている。その中に、
「三心と申し候も。ふさねて申す時は。ただ一の願心にて候なり。そのねがう心の。いつわらず。かざらぬ方をば。
至誠心と申候。この心の実にて。念仏すれば臨終に来迎すという事を。
一心もうたがわぬ方を。深心とは申し候。このうえわが身もかの土へむまれんとおもい。
行業をも往生のためとむくるを。廻向心とは申し候なり。この故にねがう心いつわらずして。
げに往生せんと思い候えば。おのずから。三心は具足する事にて候なり」
伊豆国走湯山に、妙真という尼があった。
法華の持者真言の行人であったが、事のたよりに上洛の時法然の教えを受けてそれから専修念仏に転じたが誰れにも語らず、
同行の尼一人に示していた。或時明日の申の刻に往生するからといっていたが、間違いなくその時刻に端座合掌し高声念仏して往生をとげた。
様々の奇瑞があって人の耳目を驚かしたそうである。