劉備が天下統一できなかった最大の原因at CHINAHERO
劉備が天下統一できなかった最大の原因 - 暇つぶし2ch500:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 02:28:42.18 ZfPgaaPX0
>>498
董卓軍の元から献帝が逃げ出していなければ、
闘争中の献帝を曹操が救出して奉じていなければ、そうだったかもな

>>497
朝廷から戴いた官位を送り返して、無断で漢中王を僭称できるくらい正義の人

501:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 07:25:49.43 V8F2GbAr0
ただの結果論じゃないか。
反董卓連合軍時点の曹操が朝敵だったことに変わりないし、
劉備は魏を正統とする史観からみた場合の朝敵ということでしかない。
現実の魏晋以降の史家が持ってきた史観はそこまで単純でも一方的でもないけど。
だから「三国」志が正史の一つに数えられる。

502:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 08:06:26.97 a8xSiKuuO
そもそも正義なんて自分の主張を個人的に正当化したものであって絶対的なものじゃない。
朝敵という見方でさえ放伐や君側のカン(漢字出ねー)という正義が主張出来るんだから。
後はその主張にどれだけの賛同者がいてくれるかだ。そういう意味では後年劉備は正義として多くの人に認められているな。

503:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 13:11:06.55 JrIYVd9D0
劉備末期の呉侵攻に反対した武将や文官は少なくとも劉備の大義名分をよく理解していた
劉備をそそのかしたり積極的に付き従った武将や文官は利を求めて劉備についただけの奸臣

ここまで言うと言い過ぎかもしれないが概ねの色分けはできそう

504:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 22:09:00.53 V8F2GbAr0
劉備の大義名分=漢による天下奪回 のためには荊州奪還こそが必須だったという方が、よく言われる話だけど。

505:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 01:23:07.40 CQ4Z8QxA0
>>504
劉備の大義名分=漢朝の再興、かもしれないが
劉備≠漢、だ
献帝健在の内に漢から独立しておいて、漢を名乗るはおこがましい

506:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 01:40:17.75 DhhfwUHl0
>>505
残念ながらそれは当たらんな。
後漢は成立の過程の問題から、有力な皇族が独立して漢を名乗ることを正統性論争だけでは抑止できない。
実力と前漢皇族であること以外に前漢を継いだことの正統性がない系統だから。

507:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 09:41:59.95 9QE+VPtPO
>>506
あー成る程、劉備は(自称?)劉勝の子孫なんだもんな。引き継ぐなら当然前漢か。


508:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 10:27:19.78 DhhfwUHl0
>>507
違う違う。
後漢が前漢を継いだ論理と、蜀が前漢を継いだ論理は全く同じだから、
後漢は蜀を責めることは出来ないし、後漢を継いだ魏も蜀を越える正統性がある訳ではない。

何しろ光武帝は前漢最後の皇帝である孺子嬰も、旧主である更始帝も健在のうちに即位し、
王族クラスで自分より遥かに大きな勢力を持つ劉永も敗死させて、自勢力のパトロンの劉楊を暗殺している。

後漢や後漢を継いだ魏は、血統の正統性によって劉備を責めることは出来ないし、
勢力の趨勢によっても劉備の不当を訴える事は出来ない(劉永の件が即位後なので抵触する)。
訴えたら後漢やそれを継いだ魏の正統性が揺らいでしまう。
光武帝がやったように、実力で敵をねじ伏せる以外にない。
もちろん逆に、蜀も「簒奪」疑惑以外で魏を責めることは出来ない。

むしろこういった理由で、三国が正統性論争から自由だからこそ、三国で文通が行われたりしたんだろう。
正統性論争があれば、名士や人材評論の盛んだった後漢末の空気を知ってる各国知識人は、
交流を絶たざるを得なかっただろうね。

509:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 10:33:04.00 DhhfwUHl0
肝腎な所を誤記してしまった。
× 蜀が前漢を継いだ論理
○ 蜀が後漢を継いだ論理

後漢の正統性がごらんの通り皇族内での血統の皇帝への近さによるものではない為、
劉備は大手を振って後漢を継ぐと主張出来る訳よ。

510:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 15:12:15.70 EZZXr9lQO
皇帝位云々はおいといて劉一族として見ればいい

本流の家が力を失ったから力を持ってる庶流の家が
本流に変わって劉氏の棟梁となっただけ

袁昭は嫡出ではないが袁家の棟梁となり
陸遜も庶流だが陸氏の棟梁となった
当時は一族の誰かが栄達すれば一門皆栄える時代だから
優れていれば血縁の近さなんてのはあまり関係ない
劉備がむしろ織りするほど貧しいのに学問することが出来たのは
本家の棟梁が目を掛けて学費を出したからだしね


話がずれたけど、そういう事は当時は普通に行われていることで
劉氏に限っては400年も皇帝として君臨していたので庶流の数が馬鹿みたいに多いだけ

511:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 19:37:09.98 ud33TKn20
一般の豪族に、一族全体の棟梁だの宗家だのを世襲する概念は無いよ。
せいぜい、ある家が持つ爵位や大きな土地を嫡子が継ぐかどうかってだけだが、
それとは本質的には関わり無く、その時々の高官や名望家が一族全体の有力者として振舞うだけ。

前漢-後漢-蜀漢の「王朝交替」はこれとは違い、乱世でなければ名分が立たないもの。

512:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 20:17:32.21 DhhfwUHl0
>>510
悪いけど皇帝位についてはそんな宗族内の出来事と同列視できない事情がある。
秦漢の皇帝位の扱いの違いとして、秦では皇帝を「天そのもの」としていたものを
前漢では「天から与えられた爵位の一つ」として祭祀上取り扱っている。
皇帝位の継承は当然爵位継承の手順に準ずることになり、本来であれば嫡男など
正統性の順番で継承され、自分より正統な後継者が全て死没している場合のみ継承が許される。
皇帝や皇后の意見が「太子」選定に影響することはあり得るが、臣下たる皇族が自発でそれを正すのは無理。
子がなければ本来は断絶することになる。
もちろんそうなると臣下が宙ぶらりんになるので、皇后など内朝の意見を参考に継承者を捜すことになるが。

あとあなたが挙げている例も誤謬が多い。
陸遜が陸氏の宗族を率いたのは本筋の陸績があまりにも年少だったため。
若年時は陸績の方が名声を博している。
袁昭が袁紹の事なら、一族の根拠地で割拠した袁術の方を宗族の長と見る場合が多い。
劉備の例はそもそも宗族の長の「就任の」話とは全く関係がない。
タク郡劉氏は魏内で劉備とは別個に存続している。

513:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 20:49:05.00 ud33TKn20
皇帝が崩御した時に嫡子がなく、遠縁から招く場合は、養子の体裁となるね。
だから新帝は血筋上はゆかりも無い皇太后
(つまり先帝の正妻。本来の嫡子を産んだかどうかも問題ではない)を
母として仰ぐ。

514:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 15:51:08.55 hnKsDKYW0
age

515:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/23 00:25:13.56 4jvl4GcHO
曹操、孫権、劉璋に囲まれてる荊州じゃ最初から詰みだろ

516:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/23 23:56:55.47 6wbMS0PmO
ゲームだと兵站の概念がほぼないから厳しいけど
歴史上だと旧劉表の幕僚や兵卒物資を半分でも組み込めたら
南下してきた曹操と充分対抗出来たはずなんだよ
持久戦に持ち込めば守る側が有利だし魏は結構小中規模の反乱が曹操の代は起きてるから

517:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/24 17:29:34.92 1c88QpGg0
>>516
ゲームじゃないと言うのなら,当事者の意識も考慮しないといけないのでは。

劉表の死後,政権幹部は一致して劉琮を擁立し,即座に降伏を決定させた。
そして劉備は,この流れに全く関与させてもらえなかった。
少なくとも彼等に,劉備に荊州を譲ってまで曹操と戦う気があったとは思えない。
しかも曹操が来る最中なのに,どうやって劉備が半分も取り込めるの?

518:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/25 05:22:21.73 uZG5bCsR0
>>515
曹操が南下する以前に劉表を謀殺して荊州を上手いこと奪い取れたのならやりようはあるさ
荊州を奪えず仕舞いでも何とかなったのだから

519:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/27 06:48:52.50 bxPi1s9X0
>>518
まあ荊州を奪うことだけ考えればそれでもいいけど,
本当に乗っ取ってしまったら,その後劉璋には警戒されるから,
益州奪取は逆に難しくなるのでは。

それに,乗っ取りの最中に孫権に攻め込まれそうな気がするけど。

520:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/28 11:50:33.89 tWHUx4xE0
>>30
劉璋を病死に見える毒物で毒殺すればよかったね。
出迎えたときに食事会があったのかは分からないが。
まあ、そんなこといったら歴史上のこういう場面はみんな毒殺で片付くことになるけどw

521:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/28 15:01:08.40 xjcLqGwCO
うまく毒殺しても劉ジュンが後を継ぐだけ
陶謙の徐州とは違って益州は完全に王国化していて、「はい劉備様どうぞ」とはならない

うまく譲ってもらった徐州ですら曹豹のような輩がいるのだから、
やはり戦って完全に屈服させない事には戦後の安定した統治は無理だろ

522:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/29 01:14:56.79 Fas3Oh0M0
「劉備が天下統一できなかった最大の原因」は同時代に曹操がいたことだな。

523:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/29 18:19:11.62 r7ZC7K/JO
曹操いなかったら袁紹で決まりじゃないか

524:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/29 23:44:33.98 Fas3Oh0M0
まあそうか。
じゃ、張飛がいなくて義弟は関羽だけだった場合、色々と有利だったかも。
いや、そんな事言ったら呂布さえいなければって話にもなるし。

まあ真面目に考えると、学問が嫌いだからあまり故事とか兵法とかを知っていなかったのが原因とも言えるかな。
まあ劉邦も似たようなもんだけど。

525:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 02:28:09.26 pEq/x7jD0
劉邦と劉備の違う点
劉邦は自分の考えずに配下の進言を受け入れる
劉備は自分の考えと配下の進言が食い違うと自分の考えを押し通す
この点の違いが結果を変えた

526:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 08:25:04.34 6denScdH0
>>524,>>525
そこは本当に無学なためにちゃんと自覚していた劉邦と,
一応は学問を修めたために中途半端に自信があった劉備の違いではないか。

527:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 08:39:35.52 JfHJVzM80
劉備が流転した原因は劉備の能力不足としか
馬良とか法政とか得てからは一気に駆け上ったわけで

528:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 11:18:28.52 sDdqiEJCO
重臣でもない単なる一食客に過ぎない劉備が
劉表が死んだ直後に荊州乗っ取りなんて話にならんだろう。

529:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 11:39:33.84 aV52mhI90
>>522-524
袁紹は、あの病死が普通に寿命なら死後に息子が争うから十分勝ち目があるだろう
袁紹が生きていたとしても、派閥争いがひどく、足の引っ張り合いで隙はかなり多そう

曹操に対する漢中での勝利、荊州での関羽侵攻で首都移転を考えていたことを思うと、
当時は、国力は大きなファクターになりえないだろう

530:漢室宗親
11/12/30 22:43:01.49 LAIQJpqv0
天哉!漢室豈運數已盡乎?
昭烈帝早崩,諸葛武侯早薨,否則勝負亦未可知也!

531:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/31 17:11:30.63 cKWwet+v0
竹中半兵衛
スレリンク(sengoku板)


532:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/31 20:56:20.73 5Hhs8ToeO
耳がデカすぎたからだな

533:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/01 21:48:00.81 Lp3PpytE0
>>522
曹操が天下統一できなかった最大の原因もまた、同時代に劉備がいたためなんだよな。

534:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/01 21:52:18.67 Lp3PpytE0
>>529
袁紹が202年ごろに死んで跡目争いで分裂するなら袁氏は無理だが、
そうでないならほぼ決まりだろう。

200年代前半に大軍で南下されたら、劉表も孫権も勝ち目はない。
特に孫権は、赤壁時代に輪を掛けて求心力が足りない。
揚州を纏めて大戦をするのは無理。

535:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/02 02:29:37.14 qOeR3QUl0
>>533
劉備は遠因であって、本命は孫呉が降伏勧告に応じなかったから
孫呉が降伏勧告に応じないなら、劉備がいてもいなくても天下統一は厳しい
劉備がいなけりゃ100年早く南北朝時代に突入してただけじゃね?

536:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/02 07:41:35.35 cix86F630
劉備がいなければ孫権は荊州勢力と繋がることができないから、
赤壁まで到達すらできない。揚州に封じ込められて手詰まり。

益州を曹操から防いだのも劉備。

537:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/02 15:05:07.84 ljAvDW8o0
>>536
魯粛が劉琦を取り込めば江夏郡を抑えられるから,迎撃することはできる。
劉琦を利用すれば,劉備と同様に荊州中南部を得ることも不可能じゃない。
ただ劉璋側が迎えに来てくれないから,そこから益州を奪うのは困難だろうけど。

538:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/02 17:02:08.04 fwwqvbIQ0
たられば、なんてするものじゃないよなーとか思いながら保守

539:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/02 21:50:13.48 cix86F630
>>537
取り込めれば、ね。
劉表と孫権は長年の仇敵同士。
だから魯粛は因縁の薄い客将の劉備と交渉した。

なにより劉琦に劉備と同等の武勇と信望は無い。
史実で荊州人士を取り込みながら並行して行われた
一年以上の荊州・汝南戦役を、劉琦をパートナーとして完遂できるか?
という課題はまずクリアできない。

勿論、荊州人が曹操の下から南へ逃れてきた現象には、
劉琦の存在は大きな影響があっただろうが、
あくまで副であって主にはなれない。

540:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 02:12:10.58 rNVSFYqT0
今更間違いに気づいたw

×荊州・汝南戦役
○荊州・淮南戦役

541:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 09:11:45.81 7eyMbqh00
>>539
劉表側にとっての孫権は東方の敵勢力であって仇ではないから,
孫権側から劉琦、劉琮と連絡を取ることに支障はない。
実際に魯粛は劉表の弔問目的で荊州に向かっている。

劉備がいないとして,劉琮が降伏して劉琦が浮いた状態なら,
魯粛は劉琦と交渉するだろうし,劉琦にも他に頼る相手はいない。

もちろん,劉備抜きではその後が厳しいのは貴説のとおりだけど。

542:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 14:50:30.99 rNVSFYqT0
劉琦にとっては降伏するのが最有力選択肢。
劉備無し、江夏戦力のみでは、孫権支配下に完全に組み込まれることになる。
戦歴や野心の有無、孫堅の死の事情から見て、
屈従の危険を踏んでまで曹操に抵抗する理由は無い。

543:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 18:47:48.89 D1trlroY0
>>542
当時の劉琦にとって最大の敵は劉琮とその一派であって,孫権ではない。
事実上劉備の傀儡に甘んじた劉琦が,孫権には従えないとも考えにくい。
(年長の劉備はともかく若造の孫権には…という可能性はあるけど。)
孫権側だって,黄祖ならともかく劉琦を仇扱いすることはないだろう。

というより,劉琦が貴説のとおりに判断するのなら,
劉備が長坂で蹴散らされた時点で曹操に降伏するのではないか。
揚州6郡を支配していた孫権側でさえ降伏論が主流だったのだから。

544:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 21:17:37.76 rNVSFYqT0
地盤の無い劉備は劉琦を必要とする。彼と組めば、荊州での一定の権力・権威の分与が期待できる。
地盤と人材のある孫権が劉琦を必要とするのは江夏の通過時だけ。あとは邪魔な存在でしかない。
将としての価値も無い劉琦は、荊州での地位を貰えず、揚州に引っ込まされる可能性が高い。
しかも、曹操と対立する孫権政権が長続きする保証は無い。

劉琮一派が曹操陣営で大きな地位を占めるなら、そちらへの降伏は劉琦にとって危険だが、
現実にはそうではない。
劉琮に及ばないにしてもそれなりに厚遇されて、離れたところで後漢の臣として安楽な人生を送れる。
仮になんらかの事故で曹操が滅んでも、権力争いに首を突っ込まなければ安定度は高い。

>劉備が長坂で蹴散らされた時点で
しかし、その時には関羽が夏口に到着しており、劉備もすぐに続いて到着したわけだ。
孫権との同盟の見込み大という土産を持って。
降伏に傾く時間は無かった。

545:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/04 00:14:43.85 zXErRuVm0
荊州支配に荊州勢とのつながりが必ず必要なモノか?
孫呉は、赤壁の戦いのあと、荊州の東部を支配下に治めているぞ?
赤壁で曹魏軍を追い返せば、反抗するだけの勢力を持たない荊州なんて
支配できないわけがないと思うが?

546:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/04 03:31:21.16 AtsXxmoT0
曹操の脅威が無ければ、必要というほどではないね。
しかし、荊州が北と東の両面から圧迫を受ける状況では、
荊州の人心をいかに速やかに掴むかが重要な鍵になる。
でないと曹操がまた侵攻して来たときに総崩れになりかねない。
当時の荊州には、揚州の盾となって強大な敵と戦う理由が無いから。

孫呉は209年、215年、219年と段階的に支配を広げ、222-223年の危機を
武力で排除することでようやく荊州支配を定着させた。

547:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/04 07:28:27.73 WsLTZFVn0
>>544
孫堅が元長沙太守だったとはいえ,ずっと劉表と争っていた孫権側にとって,
劉琦は荊州の人心を集めるための神輿として必要だろう。
その意味では,劉備と孫権にとっての劉琦の価値に違いはない。

劉琮一派は曹操から刺史、九卿以下の大官を与えられている。
丞相府の官属でないから実権はなかったとしても,扱いは決して悪くない。


548:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/04 21:06:25.68 AtsXxmoT0
「悪くない」地位を捨てる危険を冒してまで、劉琦に害を及ぼす意味があるのかという話。
劉表の嗣子という地位は曹操に降伏した時点で消滅しているのに。
遺臣達はなおさら、劉兄弟と離れたところで独立して自分の安楽なり出世のために行動していく。

>人心を集めるための神輿として必要だろう。
自分の旧臣と新たな蜀閥で体制を固めた劉備蜀漢政権下で、
劉璋・劉循親子はどうなったか。御輿といってもよくて飼い殺しでしかない。
蜀を取った劉備にも、揚州の孫権にも、自前の権威と兵力と人材が十分にあるからね。
戦力として役に立たないのに「御輿」に担がれて独立されかねない若者に対し、
孫権は、たとえば荊州刺史のような権威を与えるだろうか。否だろう。

貧弱な地盤で孫権と曹操に抗して荊州を維持しなければならない劉備にとって、
劉琦の価値はずっと大きい。だから当初の政軍分割統治的なものが成立する。

549:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/04 23:40:47.32 zXErRuVm0
>>547
>劉琦は荊州の人心を集めるための神輿として必要だろう。
この前提がおかしいって
そんなものなくても孫呉は赤壁直後に荊州東部を支配下に置いている
劉備がいなければ、南部も支配下に治めていただろう事は疑う余地もない
なにしろ荊州に孫呉の侵攻を食い止めるだけのまとまった勢力がないのだから

また、関羽を討ち取った後も、特に荊州の大物と連携した様子もなく荊州をキッチリ支配している

550:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/05 19:42:21.07 nrNdDnNL0
>>548
荊州支配者としての劉琮の降伏を受け入れた曹操にとって,劉琮と敵対する劉琦は敵になる。
それで曹操側も劉琦を攻めたから,曹操側が江夏郡北部を支配した結果があるのだろう。
史書には奪った記録が見当たらないから,赤壁で敗れる前だった可能性が高い。

あと,神輿なんだから担がれるだけなのは当たり前。劉琦に文句を言う力なんてない。
あなたが何を根拠に「政軍分割統治的なもの」を想定するのかは分からないけど,
劉備だって劉琦には何もさせていない。というより,夏口から動かした形跡すらない。
劉琦の墓は夏口近辺にあったとされるのだから。

孫権だって長年荊州と戦ってきたのだから,荊州人には敵視されている。
人心掌握のために劉表の遺児を利用したいのは劉備と同じだろう。
なぜ必要以上に区別する必要があるのだろうか。

551:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/05 20:00:37.44 nrNdDnNL0
>>549
孫権側が劉備側に全く頼らずに奪ったのは長沙郡北部だけ。
これは長沙にいた黄忠が劉備に従った以上動かしようがない。
長沙郡南部、桂陽郡、零陵郡、武陵郡は劉備側が独自に奪って,
江夏郡南部、南郡、臨江(宜都)郡は劉備側と協力して奪ったということだろう。

劉備側抜きでは赤壁はともかく,江陵まで奪えるとは限らない。
江陵を抑えないと荊州南部は孤立しないから,奪うのにも苦労することになる。

>>550でも触れたとおり,孫権側は荊州人にとって久しく敵対勢力だった。
いないのならともかく,担げる神輿があるのに使わない手はない。
劉備ですら利用した孫権側が,劉琦を利用しないとは考えにくい。

552:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/05 21:53:36.35 7aMDHfr40
>劉琮と敵対する劉琦は敵になる。

そりゃ有り得ないわ。ナンセンスの極み

荊州が「劉表の後継者が受け継ぐべき土地」では有り得なくなった時点で、
劉兄弟の政治的利害は消滅している。
個人的な怨恨は残った可能性はあるが、
よりにもよって荊州の地図を塗り替え、
さらに劉氏の影響力を完全否定したい側の曹操が、
劉琮の立場と利害を慮って劉琦を攻撃してやる価値はゼロ。害しかない。

曹操が江夏を攻撃したのは、江夏が降伏していなかったからに過ぎない。

553:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/05 22:01:36.34 7aMDHfr40
>劉備ですら利用した孫権側が,劉琦を利用しないとは考えにくい。
利用はするかもね。本当に利用するだけ。劉循が奉車中郎将になった立場以下。

劉琦には劉備のような兵力も実績もないから。本当に、孫権の実力の上に載せられる御輿にしかならない。
荊州に留まったら曹操との争奪戦の最前線。揚州に引っ込まされれば因縁から窮屈な思いをする。
しかも、劉琦自身も孫権陣営も、どう考えても不利な側。
負ければ命も危ないうえに、自由も権限もないから自分で立場を切り開くこともままならない。

それなら、曹操に下った方がはるかにまし。
羅憲が呉に啖呵を切ったのと同じ理屈。

554:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/06 21:00:13.40 xLPaLUPu0
>>552
旧支配者の影響力を完全に排除するなんて,できるわけないだろう。
そんなの江東での孫策、孫権や益州での劉備を見るだけでも明白なのに,
更に強大な袁氏を相手にしていた曹操が分からないはずがない。
(統一に成功した西晋ですら,蜀漢や孫呉の旧支配地に配慮したのに。)

というより,劉琮は荊州を代表(する立場を称)して降伏した。
降伏した者の立場はある程度認められるものだから,
曹操が劉琮の降伏を認めたことは,降伏までの劉琮の荊州支配を認めたということだ。
だから,最初から曹操の味方でもない限り,劉琮の敵は曹操の敵になる。
ナンセンスでも何でもなく,それが降伏を受け入れた側の責務だ。
あなたの言う羅憲だって,そのおかげで曹魏に助けられたのではないか。

>>553
孫権側が劉琦を利用するだけだろうということはそのとおりなのだけど,
なぜ「劉備も劉琦を利用しただけ」という事実に目を背けるのか。

555:554
12/01/06 21:12:42.76 xLPaLUPu0
念のため補足。

>降伏した者の立場はある程度認められるものだから,
これはあくまでも後漢王朝を前提とした各群雄同士での話であって,
別王朝を称していた三国時代の話ではないから。
別王朝だと劉禅や孫皓がやった(やらされた)ように,
「勝手に皇帝を名乗っていた賊が身の程を弁えて降伏した」になる。

556:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/06 21:57:21.36 aMuNx3qY0
劉琮は青州刺史として飛ばされている。
荊州において、曹操は劉琮個人の影響力を必要としなかった。
劉琦など何をいわんや。
曹操陣営にとってはそれが単純な事実。

557:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 18:40:39.54 iwuRCDut0
>>556
そりゃあ降伏者を旧支配地には置かないだろう。劉備という先例もあるのだから。
それに,劉備や孫権が劉琦を利用する云々は荊州を得るために必要なことであって,
現に降伏して州を差し出した劉琮(や益州での劉璋)とは一緒にできない。

劉琮の影響力は荊州を挙げて降伏したことでそれなりに発揮されている。
そして,曹操も名目とはいえ州刺史を与えることでそれを認めている。
全く認めていなかったのなら,劉琮に官位を与える必要はないのだから。

558:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 19:09:18.70 mjvwrGNW0
で、その劉琮の「荊州での役割」は、降伏で終わった。
だから
>劉琮と敵対する劉琦は敵になる。
>それで曹操側も劉琦を攻めたから,
は有り得ない。
曹操の荊州支配は劉琮の個人的影響力などとは関係なく進展する。

降伏者を厚遇するというのは、拡大勢力の有効な常套手段であって、
勿論、帰趨に迷う人間を決断させる効果があっただろうが、
「御輿」の類とは関係ない。


559:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 19:10:55.75 mjvwrGNW0
>それに,劉備や孫権が劉琦を利用する云々は荊州を得るために必要なことであって,
>人心を集めるための神輿として必要だろう。

矛盾を整合してくれ

560:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/08 16:41:36.42 e41oavoM0
>>558
劉琮が荊州を支配していたことは,「州を挙げた降伏」を受け入れた曹操によって認められた。
(それが事実か否かはともかく,彼等はそう見なした。)
江夏に拠る劉琦は,劉琮と対立してその降伏に加わらなかった。
この時点での劉琦は,曹操から見れば降伏したはずの荊州内で勝手な行動をとる輩。
個別に降伏してくれば別だが,そうでなければ曹操にとっての敵だろう。
その後の荊州支配はまた別の話。

>>559
滞在していたとはいえ客将に過ぎない劉備や州外勢力の孫権にとって,
荊州で人心を得るためには劉琦を神輿として利用する必要があるということ。
書き方が悪かったかもしれないけど,少なくとも矛盾はしていないと思うが。

561:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/08 18:13:34.42 En3kvEYi0
>>560
つまり曹操は自分の荊州支配の権威と利害に基づいて、降伏しない劉琦を攻めた
(>曹操が江夏を攻撃したのは、江夏が降伏していなかったからに過ぎない)
だけで、
>劉琮と敵対する劉琦は敵になる。
>それで曹操側も劉琦を攻めたから,
は撤回するわけだね。

>荊州で人心を得るためには劉琦を神輿として利用する必要があるということ。
ならいいや。人心を得るための御輿説を放棄したのかと思ったもんだから。

少し前に戻って、
>あなたが何を根拠に「政軍分割統治的なもの」を想定するのかは分からないけど,
この時代、刺史/牧の職は重いよ。少なくとも劉備や孫権の規模の群雄にとっては。
軍閥の頭目自身がなるか、遠方に派遣した者に任じて半独立的な権限を与えるかだ。
でなければ、孫権や揚州刺史を長らく置かなかったりする。
地方軍閥に刺史に任じられて権限が無かった例は無い。
劉備は荊州刺史を劉琦に任せて、南方討伐に自ら出陣している。
これが「政軍分割統治的なもの」の根拠。
刺史たる者が劉備の傀儡御輿だったのなら、むしろそちらの方に根拠が必要だと思うな。

562:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 15:49:29.84 aAEqa9pa0
>>561
劉琮が降伏した時に劉琦が敵対していたということが,
降伏によって曹操に引き継がれたと言っているのだけど。
もとより仮説だから正しいとは限らないけど,撤回するつもりはない。

劉備が荊州刺史を劉琦に任せた?正気か?
どう見たって人心掌握のための傀儡として担いだ以外の何物でもないだろう。
>>550で書いたとおりだ。

私みたいな素人の主張は聞けないというのなら,
「彼は戦後ただちに名義上劉琦を荊州の刺史として奉じ」(植村清二『諸葛孔明』)
「名目的には劉琦を荊州の支配者に擁立することができました。」(渡邉義浩『諸葛亮孔明』)
少なくとも私は寡聞にして,劉琦が実権を有していたなんていう話を聞いたことがない。
あるのならぜひ御教授願いたい。

563:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 16:03:04.84 MSJnDBGP0
だから、この時代の刺史が名目だけのものだった例がないと言ってるんだが。
専門家の言葉って、後漢刺史の専論でもない部分の言葉尻を奉ってどうすんのよ。

>劉琮が降伏した時に劉琦が敵対していたということが,
>降伏によって曹操に引き継がれたと言っているのだけど。
これ、仮説云々の前に、どういう政治状況だか想像できないんだよね。

劉琦が曹操に降伏しなかったのは、かつて劉琮と敵対していたからか? 否。
曹操が夏口を攻めたのは、劉琦がかつて劉琮と敵対していたからか? 否。

曹操と劉琦は何を引き継いだわけ?

564:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/10 20:47:51.06 zSbc3XLl0
>>563
え?劉琮の青州刺史が名目だけじゃなかったとでも?
青州って徐州と同様,臧霸や孫観に委ねなければ統治すらできなかったのに。

>曹操と劉琦は何を引き継いだわけ?
そりゃあ散々言っているように,劉琮と劉琦の敵対関係だ。
劉琮が曹操に受け入れられた直後に,劉琦が顔を出せるはずがないだろう。
劉琮等が荊州を去ることが劉琦に伝わる頃には,孫劉連合は成立している。
(まあこれはループし続けるんだろうな。)

で,一番の問題なのだが,
>専門家の言葉って、後漢刺史の専論でもない部分の言葉尻を奉ってどうすんのよ。
ここまで言えるのだったら,普通はその専論なり自論なりを示すものなのだが,
まさか何も言えないのか?正直恥ずかしくないのか?

565:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/10 21:50:29.89 wSnjjt+s0
州規模以内の群雄にとっての州刺史の価値をしたはずなんだけどね。
青州統治に臧覇の力が必要だったから刺史がお飾りだったという理屈もないけど。

>孫劉連合は成立している。
ループだねえ。
劉琦に積極的意思があったかはしらないが、
劉琦が降伏しなかったのは連合が成立したためであり、曹操が夏口に攻め込んだのは劉琦が降伏しなかったためだから。
曹操・劉琦、どちらの動機にも劉琮の存在は二番以下に落ち込んでいる。

刺史についての論は多数出ているけど、特に後漢魏刺史の地方権力について知りたいなら、
「後漢時代における刺史の行政官化再考」「後漢・魏における地方鎮撫に関する一考察」などお勧め。
後漢の刺史が皇帝の使者としての性格をもって権威を強め、政治のみならず、緊急時には
反乱鎮圧権限を得て郡兵を統率した過程が
そこでは刺史は、謁者・御史中丞・中郎将と言った皇帝側近に類する者と看做されていることわかる。

州規模に勢力を広げた後漢末の群雄たちがこぞって刺史・牧を名乗り、勢力圏外に有力者を送る際に
刺史を名乗らせた理由はこれらを読むとよく判る。
一州未満の勢力にとって、刺史の地位がどれだけ重大で、貴重で、ゆるがせに出来ないものだったか。
傀儡なんぞに放り投げて済むものだったか。

566:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 21:32:54.59 66PtGFKI0
>>565
やればできるじゃないか。とは言え,せめて>>563で出していればよかったのにね。

何で著者名を伏せて論文名だけ書くなんてバカな真似ができるのだろうか。
引用の仕方すら知らないのか?とりあえず植松氏と竹園氏に謝れ。

植松氏については正直存じ上げなかったから,御教示いただき感謝する。
しかし,竹園氏のその論考はあなたの主張には何の役にも立たない。
だって竹園氏は劉琮や劉琦には全く触れていないから,
後漢後期、末期の一般論がどうであろうと,群雄割拠期の劉琮や劉琦個人にそのまま適用できるわけないだろう。

そもそも,曹操が劉琮を青州刺史にした理由なんて簡単に想像できる。
一州を挙げて降伏した者に対して地位的にそれなりの配慮はするけど,実権は与えないということだ。
劉備が劉琦を荊州刺史に「表」した理由なんてそれこそ露骨だ。
劉表の遺児が健在なのに,客将風情が前面に出て嫌悪されるのを防ぐためだ。

で,そろそろ,
>少なくとも私は寡聞にして,劉琦が実権を有していたなんていう話を聞いたことがない。
に対する具体的な反論をいただきたいのだが。

567:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 22:56:52.65 zOhDUnzD0
アホくさ。
こんな辺鄙な場所で、なんでそんな無礼な上から目線で引用の仕方をご教授いただかなきゃならんのか。

568:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 23:06:30.99 zOhDUnzD0
最後に言い捨てる。
無論、劉琦個人の権限を究明した「専論」など無いだろうね。

>理由なんて簡単に想像できる。

その豊かな想像力を駆使すればいいだけだよ。
劉備が江南を平定し終えるまで生きていたかどうかも不明で、
のちの蜀に影響力を残せなかった劉琦の荊州刺史としての実権の有無が記録されていないのは仕方の無いこと。
ならば刺史と群雄の一般傾向から演繹し推定するしかない。

夏口と兵一万を領有していた劉琦が、群雄にとって貴重な州刺史職に就いて、実権が無いという状態が自然かどうか。

俺は寡聞にして、劉琦が実権を有さない傀儡御輿だったという記述を見たことがない。
まず劉琦が無力柔弱な青年だったという先入観からはいるのを辞めるだけでいいと思うがね。

じゃあ、バイバイ。

569:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 23:10:02.25 zOhDUnzD0
あっと、劉琦の兵は劉備に奪われたに決まってるだろとか言うのは辞めてくれよと念のため。

じゃあ、劉備が江南平定し、周瑜が曹仁を攻める間、
荊揚の連絡点である夏口は誰がどんな兵力で守っていたのか。

570:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/12 00:35:19.47 QZrtZNEJ0
スレタイと関係のないたらればをウダウダと語ってる時点でアホくさいだろw

571:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/12 20:00:22.39 SSJt1JlD0
>>568
「専論」?私はあなた自身の主張の根拠を聞いているのですが。
答えられないのはともかく,自分で涙目逃走を暴露しちゃだめだろ。

>>570
劉琦の実力評価は,劉備が孫権抜きで荊州から飛躍できるかの鍵だとは思うけどね。
いや私がスレから逸れた話題を続けたのは確かだからお詫びする。

572:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/12 20:12:06.08 SSJt1JlD0
ではスレタイに戻って。

曹操や孫権が勝手にコケてくれるのを期待するわけにはいかないから,
劉備としては徐州を何とか維持していくしかないのだろうか。

573:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 23:36:55.13 GClLGaVG0
鳳統を田舎の県令かなんかにしたときはほんとバカなんだなとか思ったw

574:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/19 08:17:57.42 dh0H0LHw0
結構地方~中央を渡り歩き、各有力者の幕下に入ってるから在野人士との接し方や見る目は養われてたと思うんだが
諸葛亮あたりを除くと能力如何より地元の有力人士を重く用いがちなのが劉備。
言うまでもなく、地力がない根無し草の勢力しかなかったから
地元無視だとやっていけなかったからだろうが。

575:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/19 11:18:48.63 UKGZq2Lf0
劉備は徐州時代にも部下の扱いで失敗してるし言われてるほど人望あるとも思えんな
あくまで曹操から追い立てられてる奴らの駆け込み部屋でしかないんじゃないの?

576:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/19 19:41:33.42 rrDvrlmW0
>>573
周瑜の死後にようやく帰属したような奴の処遇としては変ではないと思う。

577:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/19 22:41:54.64 UKGZq2Lf0
諸葛亮の同門っていうのは演技だけ?

578:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/19 23:32:34.52 s9TS7jxR0
>>576
鳳統の顔見て判断してなかったw?

579:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 11:36:36.34 1bhu9XSp0
曹操 ?統の進言を素直に受け入れる
劉備 地方役人扱い

曹操の人材マニアっぷりw

580:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 23:32:45.75 51zbaDr70
孫権も顔でダメ出ししたよねw

581:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 15:21:07.41 k3g5I0N+0
>>580
顔よりも、周瑜と比べてどうだ?って問いに対する答えが
気に入らなかった方が強かったんじゃね?

582:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 22:03:26.72 SGJd7GYxO
それは演義なのか史実なのか

583:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 23:04:16.17 zP2kNG1m0
劉禅って劉備に似ちゃったの?

584:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 01:19:38.12 xouU0eBH0
劉備に似たらかなりの曲者になるから母親似なんじゃね?

585:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 08:56:39.59 0vK6vk7b0
原因は人材的に既得権にうるさい一群のさらに一部しか獲得できなかったことです。
曹操さんのやり方にはついて行けんわーという曹操基準で求められる成績よりやや下の人たち、
曹操さんに既得権を保証してもらえない人たちが中心なのです。曹操さんがあってはじめて劉備さんの勢力があるのです。

586:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/11 10:05:35.33 UNK8qIBPP
地方の役人wwとか言う奴多いが
彼が就いた職はイメージほど軽い職では無いよ

587:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/11 11:53:49.74 rlqewmXN0
>>586
能力に対して相対的に低いって意味じゃないの?
伏龍鳳雛と言われた一方を県令なんだし
首相レベルの能力があるのに鳥取県知事みたいな
鳥取県知事が軽い職ではないけど能力に見合ってないでしょ

588:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/13 12:27:14.38 CNK2utJi0 BE:1289456036-2BP(11)
首相よりは首長の方が権限の及ぶ範囲は大きかったりw

589:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/13 14:17:49.32 S2quYfXjO
結局、孫権とちゃんと共同しなかったからだろ、リュウビと孫権がたばになってようやくソウソウの
半分の国力だというだろ、結局どっちかが倒れれば終わりだろ

590:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/13 17:53:28.74 kz2a7YVSO
北伐に呉を無理矢理巻き込むってやり方は大雑把過ぎたな

591:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/13 21:19:24.27 n5WmamSYO
まぁねぇ、基本自分の領域確保出来たらそれでおkの呉からしたら
特に北伐にメリットは全く無いではないが、そもそも呉の実態の江南豪族集合体の目的は自らの保全だから、積極的になる謂れなんか無くてあわよくば領土が殖えたら嬉しいな程度。
北伐出来たらメリットだらけの蜀ばかり都合良く旨いシナリオに乗らなくてはならない理由が無い。
北からの圧力さえ無ければどうだっていいんだから。

592:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/14 00:44:27.43 oIkdV2vZ0
関羽の暴走が痛かったね
荊州さえ持ち続けてれば北伐で魏を荊州方面から牽制することが独力で可能だったのに

593:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/14 09:37:40.69 4aE0D6r/O
どうせなら関羽と劉備が同時に軍事行動起こせてたら、多少マシか?な所だがね。
でも例え史実通り関羽の最初だけ快進撃があっても、劉備の魏進攻の方が遅れ気味になったら余り同時軍事行動をしてたとしても史実での結末と大差無かったかもしれない。
無論劉備関羽が同時に北伐をしても、呉が同調したかは怪しい。
大体呉は北より荊州の方が欲しいんだしな。

関羽は軍事行動の事前に劉備に連絡や許可をそもそもしたり貰ったりしてた上だっけか?
許可得た上での突出なら、結果的ながら荊州失陥の責の一端は劉備にもあるといえるが。

やはり関羽自重(対魏呉)があの時点での最善策だろうねえ。

594:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/15 05:58:29.14 8uY6TUxe0
>>551
>孫権側が劉備側に全く頼らずに奪ったのは長沙郡北部だけ。
>これは長沙にいた黄忠が劉備に従った以上動かしようがない。
>長沙郡南部、桂陽郡、零陵郡、武陵郡は劉備側が独自に奪って,
>江夏郡南部、南郡、臨江(宜都)郡は劉備側と協力して奪ったということだろう。

これは違うな。長沙郡南部、桂陽郡、零陵郡、武陵郡は劉備側が呉に兵を借りて奪った。
呉も南郡方面は劉備から関羽張飛を借りたからお互い様だが。

しかし荊南があっさり落とせたのは周瑜が南郡で曹仁相手にがっぷり四つで戦ってた為
荊南の親魏派の太守達にとっては後詰めが全く期待できなかったから。
その点含めて赤壁の頃から劉備は呉に大きな借りを作っているから
劉備が完全に荊州を呉に返さない限りは、蜀は常に呉に負い目がある立場。

595:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/15 09:57:36.94 9lqPrRoWO
>>585
言いたいことはわかるがしかし個人的にこういう考え方はあまり好きじゃない

596:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/15 10:45:57.10 b2hjk1kl0
袁紹が負けた時点でもう曹操の勝利は目に見えてたのに
わざわざ呉を炊きつけて中国の争乱を長引かせた結果、周辺異民族の流入を招き
以後の五胡十六国時代を招いたという意味で劉備は国賊

597:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/15 20:53:06.68 3AtTL4Uk0
敵対勢力を実力で全て叩き潰してこそ真の覇者。
惰弱な言い訳など見苦しいだけだな。
劉備にも孫権にも敗北している曹操の勝利なんて見えてなかったよ。

598:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/15 22:08:32.02 WgoBh+3pO
既に異民族は十分に流入してただろ
晋の扱い方が純粋に無能なだけ
それまでの中国史上も異民族の流入と傭兵としての利用は珍しくない

599:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/22 18:24:24.27 1NqNY2hq0
蜀如きに?統を失うから

600:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/22 18:51:00.50 BnjmYBR00
荊州も?統か孔明か法正を関羽のお目付け役にしてれば失陥してなかっただろうね

601:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/23 02:36:39.41 qhnShYfD0
>>596
そんな紆余曲折な難癖をつけなくても
漢から賜った左将軍の印を送り返して漢中王を僭称
独立している時点で逆賊なのは間違いない

602:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/25 11:48:06.36 LHM3U4+30
結局、曹操に正統たる実力が足らなかったから
劉氏というだけの劉備にも正統権を許しちゃったんだよな。
三国時代って色々と完璧なものが欠けてる時代。

603:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/01 07:05:25.17 5uYrFbuG0
あげ

604:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/01 18:31:29.00 mFH2LxB60
人事の問題だろうな
織田信長ほどの実力登用制度を採用していたら
あらゆる人材が曹操陣営に集まったんだろうが
曹操も結局は身内ひいきで有能な人材を抱えきれなかった
彼らが他の陣営にうつる事によって三国県立が成り立ってたんだよ

605:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/01 21:11:51.83 /3uImeem0
三国時代は豪族時代でもあるから、やはり純粋な能力主義は厳しかったのかね
ただ、曹操側から流出した人材もあるが、その逆も少なくないはず

長江が無ければ・・・・・・

606:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/02 01:17:15.71 OFwKlMMQ0
ドコモ アウー 祖父版 まさに世は三国時代よ

607:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/02 04:41:43.66 gnwV7kLt0
初期のメンツと後から来た連中、さらに学者のコネでやってきた連中が
お互いに蹴落としあいを始めるからな
人間の間に優劣と上下関係があるってのは儒教の国家の欠点なんだよな
アメリカなんかだと神の下に人類平等ってルールだから
新人と古株が平等に競争するから

608:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/02 10:07:27.00 +ot1qoOcP
中華の範囲が曖昧だから

609:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/11 20:17:39.93 BC564y/z0
劉備はあらゆる面で曹操に劣っていたから


610:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/11 13:21:25.66 QueDUwpa0
死神が天下取ったらそっちのほうがおかしい罠

611:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/11 21:33:26.16 MijET9Hs0
劉備は孫権にも負けている

612:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/12 03:15:33.41 39UrhzpD0
恩人の呂布を殺したからだろう

613:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/14 17:18:58.14 h18DX17nO
長い間本拠地を持たずに遊牧民族さながらに転戦しすぎたからだろ

614:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/14 22:39:11.40 wUErlykX0
結局劉備が一番輝かしかった時って曹操と組んで徐州治めてた時だよね?

615:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/15 12:32:23.22 bjsRMvqm0
益州と荊州の一部を保持して漢中王を名乗った頃じゃね

616:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/15 21:35:06.99 eeS3nOb80
そもそも劉備に天下取りの野心なんてあったんかな。

617:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/16 03:09:51.69 iAxJ6W20i
劉備が天下をとりたいというよりは
劉備配下が劉備を掲げて天下を望む事で団結していたんじゃないかと感じる
劉備自身は漢への思いはあったとしてもそこに執着していたようにはあまり思えない

618:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/16 03:31:23.22 zShDKXR2O
一生義勇軍で居たいとも思ってないだろ
というか劉備は何がしたかったんだ?

619:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/16 12:03:33.17 dDxxAzhDO
安喜県尉を与えられるまでは多分純粋にいっちょ一旗揚げたい位なもんだったろう。
以後はあちらこちらと群雄の客分兼傭兵隊長な生活をする内にスレて、とにかく生き残ったもん勝ちな生き方に。よくいえばしぶとく悪くいえば義理は掻き捨て。
でもそうしていても生き残ってきたのは、決して劉備が無能な所か相当な力量を持っていたからこそ。また毎度嫌われず群雄に拾って貰ってるのもその証左でもあり魅力もあったと言える。
天下への志は荊州時代から漢中王を称した間位じゃないかなあ。

620:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/16 13:43:31.72 943fLiEl0
なんか加藤の乱みたいなもんだな・・・
持ち上げられて浮かれて決起したものの足元すくわれて失脚

621:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/17 21:27:06.35 9OC0LVjX0
>>618
乱世を思うがままに生き抜いたが、後世の史書家が無理矢理
天下への野心を持つ君主に押し上げた、とかじゃね。
英雄の名を弄ぶのは結局インテリ達だし。

622:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/17 22:27:45.90 5B3CvVok0
押し上げて君主になれるもんなの?

623:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/17 22:59:13.16 PNRqCSOv0
赤壁以降の急激な膨張がバブル期に多角経営してその後倒産していった会社にだぶるね
関羽が暴走して死んだのも古参、荊州閥、蜀閥の争いの結果に見えるし

624:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/17 23:45:23.17 D5TkcASc0
曹操暗殺計画だろうな
アレで曹操に狙われる立場になったし

625:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/18 19:04:12.08 f6GqTlQW0
>>623
(株)関帝 は年を増すごとに会社が巨大化していく中国屈指の化け物会社になったけどなw
(株)三国演義 も安定の売り上げで毎年の黒字更新。
(有)三国志は今厳しい経営状況になっている…。

626:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/19 11:56:16.29 APtCrplo0
陳羣のいうことを聞いとかなかったから。そのせいで名士たちは劉備を見限った

627:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/20 01:41:12.30 qXTxPiBb0
劉備に賭けた奴ってコンプガチャにはまって騙された奴ら的な・・・

628:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/21 21:38:36.16 5yv7pBgu0
晩年では劉備は凶悪だからね~

629:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/21 21:55:33.25 mxQAvNSx0
なんか晩年の劉備って尊大になってるよね
呉攻撃に孔明も趙雲も参加してないってのはそういう事なんでしょ?

630:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/21 22:11:21.19 hJQrZUbb0
曹操が刈り取った後の落穂ひろいって感じじゃないかな

631:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/21 22:12:01.10 rp2d/mit0
>>629
もう張飛もいないんだから丞相領司隷校尉の諸葛亮を蜀に置いて内乱や魏の攻撃に備えないといけないってことじゃないですかね

632:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/22 13:41:14.53 Hl1gUOSB0
荊州失った時点でもう蜀が中国統一の可能性はなくなったんだよな
あえて北伐する意味があったのかね?

633:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/22 18:43:48.84 aXLtV+5y0
>>632
しないと年月がたてば必ずやられると言ってただろうが

634:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/22 22:32:28.84 bRQQt6tN0
逆に引きこんで叩く方法もあったと思うけどね

635:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/23 00:23:05.38 Ys+v8iU70
逆に友好関係築いていたら
やられなかったと思うんだけど?

636:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/24 08:48:04.48 5t0eDychO
仲良くは無理。言うまでもなく魏は漢の禅譲を受けて皇位の正当性を得ていて
蜀は前漢の皇族の血を引く血統と劉備が即位時に献帝が死んだから皇位に即く
(生きてるのに諡号まで贈って、生存が知れても撤回した形跡も無い)
という全く対立する根拠で国を成立させているので、国家の名分が両立出来ない。
だから蜀と魏に関しては仲良くは元より不可能。
但し大義名分も何も無いのに皇帝を称した呉はむしろ「漢の宝祚を承けて皇位に即く」という前提が無いので
どちらとも両立出来る。いってみれば半ば外国みたいな立ち位置だから。


蜀領内に魏を引き込んで叩くのは一回は出来るし成功するかも知れないが、一度叩かれたら最後次回はかなり先でしかも蜀が潰せる目算が立った時が来るまで魏は来寇しない。
勿論全軍上げて攻めて来る訳が無いから、蜀領内に入った兵力と武将によってその魏が敗戦した場合の影響度も異なる。
また蜀領内は魏来寇によりかなりの高確率で大きく荒廃するので(中国の戦争は他国領内では徹底的に掠奪しまくりがデフォ)
引き込み作戦後の蜀の復興は相当大変な事になる。
北伐と引き込み作戦のそれぞれのメリット・デメリットの度合いの問題だね。

637:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/27 16:35:33.89 LC9Pn8Xj0
諸葛亮じゃなくて司馬懿を登用してれば・・・

638:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/27 22:29:14.06 KZggwK6VO
そのためには荀イクを登用して、穎州閥を味方にしないと…
そもそも劉備にそんなチャンスあったんだろか。

639:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/28 06:21:51.11 MJQ5Rg3+0
>>632
仮にも豫州刺史だったのだから穎川に縁はあるし,実際に陳群を登用している。
荀彧本人は無理でも穎川出身者経由で河内司馬氏との伝手は得られたのではないか。

640:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/28 07:55:07.82 66PAoK4oO
曹操に対してですら出仕を嫌がったのに劉備如きに使えるだろうか?

641:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/28 21:14:47.58 ZO79gqIQ0
蜀は半年内に司馬懿に乗っ取られる

642:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/28 23:22:23.17 Qyty45Xj0
やっぱ無理っす

643:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/31 21:05:36.93 LLTO0Zds0
魏の領土の侵略は容易、呉の大都市は容易に陥落
蜀の巴郡(重慶)は攻略が困難
by大日本帝国陸軍

644:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/01 03:44:37.56 j2v/SbE/O
重慶は補給も充実してたしな

645:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/04 21:03:42.71 LIoTOpx/0
人口80万だし

646:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/06 10:49:10.85 GINAHLpS0
関羽が孫権と姻戚になってれば歴史は変わったかもしれない

647:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/06 23:53:05.30 DDolf+As0
湖賊の氏素性も分からない奴と婚籍になったら
呂蒙みたいに血を全身から吐くか
陸遜みたいに憤死するわ

648:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/07 02:17:48.87 vfcEuA4A0
>>633
潘濬か陸凱の伝だと守りを固めていれば容易に維持出来たみたいな記述があったような。

649:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/07 22:41:08.74 N0Ge+fMJ0
>>647
氏素性が分からないヤツと婚姻関係になった程度で
そんな様とは。随分な御坊ちゃまだのうw

650:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/09 19:51:11.32 VJ+EWsPI0
関羽じゃなく馬超に北伐やらしゃよかったかもな

651:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/09 23:10:17.44 qgJXIYFh0
諸葛亮じゃなく司馬懿を配下に
カクと荀イクも配下に

652:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/10 07:17:17.02 fbb+C8ft0
豫州で召し抱えた陳グンや袁カンあたりもそのまま連れて行ければ。

653:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/16 12:49:51.38 CHu++7op0

曹操と一大決戦をしなかったこと。
蜀に入っても、所詮じり貧なんだから、漢中戦後一気に関羽と共に、乾坤一擲の大決戦を挑むべきだだった。


654:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/16 19:51:48.41 KKYhVdb00
劉備が曹操と孫権に勝てる要素がないからな

655:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/26 01:08:40.44 pu5Cnhr2P
そもそも劉備が天下統一するチャンスなんてあったか?
小勢で曹操に逆らい続けてたってただけで
そこそこの力持った時には結構歳だし曹操の勢力も肥大化してて逆転なんて無理じゃね
あったとすれば漢中落としたあと関羽とが北上した時に
呉が本気で協力して魏に攻撃かけて
劉備もさらに攻め入って・・ってくらいじゃないか
それでも勝てたかどうかと言えば怪しい

656:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/29 13:56:52.72 rDcCeW9P0
漢中落としても防衛線の長安にも達してないし
ファビョって呉に戦争仕掛けるし
無理ゲー

657:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/29 14:57:58.50 d/t45muR0
関羽が全て悪いな

658:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/03 23:59:37.20 AMqcvxm40
劉備は徐州時代に呂布を相手にしたのが間違い
徐州は戦国時代の魯国相当なので袁術と孔融を攻略できれば
天下統一の可能性があっただろう。

659:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/04 08:09:22.97 lq4+SndyO
ゲーム脳w

660:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/04 22:46:37.56 7n5EeRFC0
三都賦なんてもんがあったあたり三者とも「もうこれでいいや。」
だったじゃねーの?
曹操、劉備、孫権。誰が上であり下であった時代でもないだろ。
三国オタの中では違うのかもしれないが。

661:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/05 08:22:47.13 RUASr+Q30
>>655
漢中戦後から関羽の敗北まではあった
呉の攻撃すらあと数ヶ月あれば防げてた可能性すらある

その一瞬を見切ったあの時が間違いなく孫権の全盛期

662:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/05 19:22:03.95 hOjF3NLj0
孫某は所詮瓜売りのガキの子だからなあ
日銭稼ぎの目暗だったのが最大の誤算
しかも呂蒙は空巣以外は負け運子持ち
張遼に指先一つで木端微塵
そのまま押し上げてりゃ曹操ももうちょい早くおっ死んでたかもしれん
チャンスは逃がすわ60年間の暴政するわでこれなら赤壁前に降伏してりゃよかったのにね
孫某にゃ肥溜掬いがお似合いだm9(^Д^)

663:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/06 01:29:42.84 gSLCTRyt0
呂布の配下って何気に有能なの揃ってるんだよなぁ
徐州時代の劉備がもし呂布を心服させて使いこなしてればあるいは・・・

664:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/07 23:08:25.90 jlRWnH7wO
結果論から言うと呉に荊州を奪わせる隙を与えたのがまずかった
もう少し荊州を固めれば呉は北伐に参加せざるを得ない状況になっただろう

665:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/08 20:32:35.26 /g5ps1JG0
呉を怒らした関羽が悪い

666:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/08 21:14:40.40 QxPJ6wYf0
劉備はインドの方を攻めればよかったんだよ

667:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/08 22:05:56.81 T6YxbG+j0
慧眼や戦術能力に関しては劉邦より上だったと思うけど、
劉邦より運がない、劉邦より自我が強すぎ、劉邦より聞く耳がなかった

668:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/08 22:10:46.91 b4OvPQmA0
天子奉戴できてない時点で矛盾的存在

669:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/08 22:42:22.54 PFvy1E8P0
秦サクッと落としてる劉邦の方が軍事能力も上だよ

670:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/09 17:31:00.22 TOJLiHNn0
劉邦の軍事的能力って過小評価されてるよね
秦を攻略したのも、叛乱を鎮圧したのも劉邦自身なのに

671:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/09 21:09:52.80 g9opybzw0
やはり冒頓単于にフルボッコにされたからじゃね
劉邦の能力というより取り巻きが優秀だったと

672:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/09 23:16:24.62 dfAn6gO90
>>671
だとしたらなんで陸遜にフルボッコにされた劉備より下に見られるんだろう

673:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/09 23:29:45.01 /D6B7m3R0
劉邦なら陸遜と戦わないだろうな

674:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/09 23:53:09.37 PjHRujtR0
陸遜ってハッキリ言って曹操司馬懿と同ランクの超人だろあれ

675:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/10 01:10:03.70 cKY0v6iP0
何気に呉って人材が厚いよな

676:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/10 10:43:20.87 4ZpQcaG00
呉は軍制が私兵ありきじゃなければもうちょっと上手く立ち回れただろうにな

677:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/10 14:09:15.07 j6yLZiO60
俺も劉邦>劉備だと思うわ
まがりなりにもあの項羽と持久戦に持ち込めたってだけで凄い

678:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/10 19:45:33.63 xnXX70Eh0
劉邦は気前がいい以外取り柄のないアホとか史書に散々ボロクソに書かれてる
ちょっと過小評価されすぎ

679:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/10 20:14:27.97 rGtH9AQ40
劉備は曹操・孫策~孫権に比べると一歩遅れてるんだよな

680:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/10 20:14:56.67 iSR4+Xt+0
劉邦も劉備も劉秀と比べるとなぁ。

681:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/10 20:40:29.98 5opXsyX10
>>680
大義名分に乏しい即位を実力で正当化するくらい戦に強かったからな

682:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/10 23:23:35.89 WxHqFJou0
劉備に呂后みたいな強い女がいなかったな
孫権は大奥して女の戦いしてるし、曹操は卞氏という良妻賢母がいるし

683:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/11 01:02:01.15 fz29ZHd50
劉秀は功臣粛清とかと無縁だからなぁ
どこまで人間ができてるんだという
「俺は民の役に立つようなことは何もしていない」とか
謙遜にしても劉秀だと嫌味に聞こえない
今時の「私は子ども手当やりました」、「これは私が作った市民会館です」
みたいなカス政治家ばっかり見てると劉秀ってもはや神にしか見えない

684:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/12 18:03:43.56 G77SWTYM0
>>678
士大夫にとっての理想像に歪められてるんだよな、劉邦
仕事では自分たちのやることに口出ししなくて
自分たちに気前よく褒美は沢山だしてくれて
オツムは自分たちより馬鹿っていう

685:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/12 19:51:37.48 Yk5/RASv0
>>684
むしろ、
皇帝という最高権力者に対する批判の目が原点だと思うんだが。
美談や英雄譚として採用できたはずなのに、そうはしなかった司馬遷の姿勢の辺りがそう感じる

まあ、士大夫の理想像によってゆがめられているという論述があるんなら
俺がバカなので教えてほしいけど

686:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/15 14:22:35.18 5KLwNwfx0
これは本当なの?
本当なら恥ずかしい事だね。

スレリンク(joke板:101-200番)

687:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/16 06:29:10.11 a2wLsXd90
>>683
なんて言うか部下が謀反起こしても指先一つで討伐とか自信に満ちてそうだよな>劉秀

688:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/16 11:13:36.13 54XgV9NA0
劉秀は完璧すぎてドラマにならないのは皮肉だな

689:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/16 12:55:24.39 6YXRHcPG0
いつの間に劉秀と比べられちゃってる~~~

690:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/17 02:52:24.33 h5OontMvO
そういえば演義で高祖の故事は所々に出て来るが
光武帝に関する記述は殆どないな。
明代では不人気だったのかな?

691:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/17 07:10:23.59 mCD8//Y00
後漢の創業者は劉秀なのになぁ

692:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/17 07:34:49.03 2f0OUIbG0
>>691
中興はしたけど創業は高祖だからね

693:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/17 17:55:53.48 eLHCLnOP0
創業者ってまるで松下幸之助みたいに思ってしまったじゃないか

694:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/17 18:45:25.38 jTN2ggxT0
劉備って結局自分の判断で戦って勝ったことあるのか?

695:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/17 19:47:00.99 2f0OUIbG0
>>694
夏侯惇たちに勝ってるよね

696:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/17 23:08:18.98 jU5f+hnc0
荊州の失いは早晩のことだ……街亭の失いによって亮の進軍路線が制限されたことも原因のひとつ、実は姜の方が原因もある、彼は国の経済と政治全く分からん、戦ばかりしてた……

697:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/18 19:14:22.22 p6AuC41j0
>>696
街亭になってる時点で「劉備が天下統一」はどう転んでも不可能

698:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/18 20:46:57.54 RpbN0nKh0
まず劉備軍が天下を統一するには
司馬を味方にするべきだった

699:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/18 20:58:38.61 SFrUUjO/0
司馬懿?
対呉戦に打って付けかも

700:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/18 21:43:22.65 qnua3vgf0
そう言う星の元に生まれてない人間に対して天下を取れなかった原因を探すのも
滑稽ではあるけどいまさらでもあるか
もし天下が取れる人間なら陳登や陳羣それに田豫を失ったりしないしな

701:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/19 04:48:48.58 CSySmtPF0
劉備たまらん曹操にさっさとケツの穴を献上してたら天下統一できた

702:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/19 07:43:52.15 M+qf4ndlI

人材
ここぞという時に非情になりきれないところ


703:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/21 08:09:57.53 SRZe1BAQO
非情になれなかったせいで大局を逃したような事なんてあった?

704:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/21 13:46:53.37 V+dQ9elD0
陳登を部下として扱う器量はなかったようだな
英雄として認めちゃってるくらいだから
演義などの影響でイマイチ光当たってないけど、凄い奴だもんな

705:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/24 20:33:54.95 6yJ0fORy0
女どもが弱いから旦那も弱い
劉備にあげまん妻がいればよかった

706:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/24 21:06:36.01 Z6414OJz0
おい、後漢・三国時代の人間より非合理的思考の奴が来たぞ

707:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/24 21:46:07.28 EaBHVMtZi
劉備が後漢再興を真剣に考えていれば、私情に駆られて呉に攻めこむ事はなかった。
結局は、迫る寿命と私憤により、戦略を棄てたんだから、仕方がない。

708:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/25 01:58:00.38 Yj9ceb1V0
蜀って結局劉邦以外中央統一したこと無いよな?
劉邦の時は項羽が勝手に彭城に帰ったから軍事的空白が生まれてただけだし
やはり蜀から北伐するなら長安の攻略がネックだよな

709:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/27 20:35:13.45 6nqMmNY90
ば関羽に荊州任せたのが失敗

710:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/27 20:46:59.98 SwuMF4lU0
だから最初は孔明つけてたじゃんか
そこまで人材不足(士大夫のね)だったのが原因
髀肉之嘆とか遅すぎだからw
何歳まで爪牙(傭兵)気分なんだよ

711:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/27 21:05:29.95 SwuMF4lU0
結局劉備は、俺様一番で関羽二番、からなかなか脱却できなかった二流
対呉戦が復讐だけじゃないのは勿論だけど、基本的に武人気質というか脳筋だわ

712:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/27 22:45:48.49 hdYa3eeC0
はげど

713:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/28 13:37:10.36 saRpTyq30
答えは単純明快
早く死んだから

714:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/28 18:52:56.77 78oDtx/C0
充分長生きだろ

715:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/28 20:18:31.49 OM9GN37k0
孫権よりは早死だな

716:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/29 20:45:15.83 O9rTStwPO
仮に白帝城で死ななかったとしたらどうなの?
諸葛亮を粛清?

717:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/02 23:24:56.22 Jtq9BBBY0
>>716
なんで諸葛亮を粛清?
孔明は呉との和睦を望んでたよ

718:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/03 00:30:57.17 BM2DhHFI0
劉備は諸葛亮を牽制してた説の人は結構いるよ

719:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/06 13:06:28.78 zN5beitH0
厖統と法政が早死にしなければ面白くなりそうだったのにね。

720:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/11 21:54:04.30 vjqoRWeW0
なら、郭嘉や周瑜もな

721:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/31 12:50:13.79 b5flxynS0
曹操が呂布と、袁紹が公孫サンと、それぞれ戦いの中で流れ矢とかで戦死していたら

722:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/31 18:02:35.24 s+bX85Hv0
劉備はただの武将で終わってた
彼らがかかわらないと劉備は成り立たない

723:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/31 18:37:08.11 sVHs3wfr0
曹操も袁紹も最前線で自ら戦うようなキャラじゃないと思うんだが

724:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/31 20:07:36.08 IQ49miaD0
劉備があれだけの求心力を獲得できたのは強大な曹操と対立してこそ

725:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/31 22:24:39.80 iCQdFSRj0
只でさえ、孫呉に及ばない劉備が曹操いなかったら
そこらのチンピラ

726:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/31 22:32:20.97 PU5z63Tw0
まぁ当時は侠客というチンピラ美化思想もあったようで、
だからこそ劉備(そして関羽張飛)みたいなのは全国に知れ渡る
といっても、貴族制確立(九品官人法)の前夜でもあったので、文>武の差はある
曹操あっての劉備って考えられてるけど、
劉備あっての曹操とはさすがに考えにくい、ということに尽きるかな、大枠では

727:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/01 11:01:31.39 yZ41KD4QO
曹操の天下統一を阻止したとは言えるかな?

728:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/01 13:23:38.39 7K7tq7Dw0
それは周瑜の功績だな

729:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/01 22:12:51.84 ar32Ubfe0
周瑜がやったのは阻止というより一時的に遅らせただけだろ
そのあと劉備が蜀に入って漢中とってはじめて阻止成立じゃね

730:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/01 23:18:40.36 mTjtZ8TY0
いんやぁ
そりゃ赤壁の戦いを過小評価しすぎだな
あれは曹操の野心を打ち砕いた戦争だし

731:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/03 16:57:28.14 +EQs7LnO0
野心というより
疫病が出たため曹操軍は撤退したんだけど

732:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/03 17:09:07.20 pSxrMkOt0
というには、その後汚名晴らそうと頑張ってるけどな

733:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/03 21:17:24.11 o18lZPXR0
疫病で撤退ってだけのわりにはその後もちょっと放置し過ぎ

734:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/04 00:28:35.59 kRdT7kbV0
曹操はとりあえず帰順した軍閥を諸侯にしていたら、劉備が北伐したときに味方する諸侯もいるかもしれない。
曹操なんて軒並み戦って潰しているし。


735:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/04 01:09:47.98 frGDtnyg0
曹操は、あの時代に政教分離を目指したのが、唯一の功績。

736:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/04 16:52:23.66 2bbBmtYD0
うむ
中国って近代化進んでないって言われるけど、
むしろ大昔から近代なんだと思うな
諸子百家や竹林の七賢、儒教からの美の開放なんかルネッサンスじゃん

737:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/04 23:54:50.94 l0YP8+i/0
微妙に脱線してるな

738:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/05 10:01:40.33 jIbq4Tku0
楚王 呂布
燕王 袁紹
淮南王 袁術
関中王 韓遂

・・・・・・

739:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/06 18:22:39.18 7P9i86ho0
袁紹の支配地は大部分が趙でしょ
燕は強いて言うなら公孫サン
張繍を韓王に比するのは無理かw
孔融は青州刺史だったから斉王でもいいけど

740:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/08 20:09:43.97 Unv1RSFC0
藤林丈司

741:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/17 12:27:28.97 8121fpdV0
>>737
曹操を善玉にしたいがために儒教を悪者にするのは
蒼天なんたらの悪影響に過ぎないからな

742:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/17 18:13:52.02 OnyaMG/y0
現実論者と思えば曹操は善玉

743:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/17 21:01:24.11 KOqFlOZh0
信長人気をみても、日本人には曹操を好意的に受け入れる素地はあるけどね。

744:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/19 05:11:26.27 N5w3qShFO
徐州の虐殺魔

745:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/20 01:40:26.88 xJrWyflO0
信長人気なんて無いと思うけどなぁ
あんな奴が会社の上司とかなったら最悪でしょw

746:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/21 23:16:39.19 jOZZvH5F0
卞氏や甄氏のような立派な女をめとれなかった

747:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/22 01:06:50.80 AKXomDBTO
ベンキ

748:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/22 11:56:40.95 5bz2lnuy0
>>746
エロアピールがハンパない肉便器娶れば天下取れる。
これなら苦労はないなあ。


749:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/22 22:45:47.07 fEoEKR3T0
劉備の妻が雑魚だからな

750:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/23 12:14:06.76 asAPeSBs0
妻が良いか悪いかなんて関係ないだろ。

751:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/23 12:23:14.53 6D0gKsDv0
アゲマンがいないより、いたことにこしたことないだろ

752:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/23 12:48:06.55 asAPeSBs0
曹沖を幼くしてなくした曹操。
自分がアゲマンに恵まれてるなんて思ったこともなかったろうな。

753:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/23 21:03:47.50 3InEl2Qr0
なになに女たちの三国志フラグ?

754:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/26 10:04:39.08 v1Eew8xW0
>>1

大義と人情を混同し過ぎて、覚悟が出来ていなかったから。

755:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/27 01:21:20.52 Gi1yziVvO
関羽と張飛に国を任せたこと。

756:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/27 16:13:31.41 8wx+Knz60
人の話しを聞かなかったこと

757:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/28 21:22:15.75 dgTCRC+h0
チンピラはチンピラらしく、さっさと荊州と蜀を乗っ取ればいいものを、
かっこつけてグダグタしたから。

758:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/29 16:59:20.77 QeY5KJbB0
曹操「この時代の英雄は余と君だけだ」

嘘っぱちか?

759:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/30 00:28:50.05 o0kNDQJL0
それは
「俺がこの時代の主役で、お前はアンチ俺としてしか機能しないがその代表格だ」
という意味の牽制の詩的表現

760:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/30 12:48:37.89 t5eQ1qer0
それはそれで随分なビッグマウスこいたもんだな。曹操も。
所詮は北中国を制圧しただけに過ぎないのに。
曹操、劉備、孫権の誰もが横並びだっただけに。

761:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/30 13:58:59.04 o0kNDQJL0
当時は実質的に、北中国≒中原とその周囲獲ったら全土統一に近かったけどな
蜀~漢中は左遷の地、呉は開拓途上の蛮族の地
ただ、タイミング的にビッグマウスであることは明白(そもそもがそういう意味もこもったエピだが)

762:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/30 14:17:03.07 BNV0oGkS0
>>750
春秋戦国時代の諸侯見てみろ
女に足を引っ張られたりする連中の意外と多いこと多いこと
アゲマン探しは大事だ

763:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/30 14:35:41.23 n7S8CwUC0
華北制圧しただけとか現代の基準で考えるなよ。
今は華南が発展して人口も分散してるから
領土の広さだけで呉蜀も十分すげーじゃんってなりがちだが、
当時の呉蜀は人が住んでなくて役に立たない未開拓地が大部分。
それらを差し引いて考えると華北を制圧して統一気取りになるのもわかる。

764:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/30 15:06:21.87 o0kNDQJL0
三者横並びと言っちゃうのは、ゲームとか漫画とかしか知らないんじゃないだろうか
あれでは未開拓とか人口についてのイメージがわかないよ、人物の魅力にフィーチャーしすぎ
ついでに、曹操~魏領土内や境界線でも蛮族反乱など多くて手を焼き続けていた
書籍でもキチンと突っ込んでないのあるし…三国志コンテンツの粗製濫造は問題だわ
「もう1つの三国志」って本が読みやすくまとまってるからオススメ

765:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/30 21:02:00.33 t5eQ1qer0
あの時代を三国時代と呼ぶのが一般的なので三者横並び、かと。
三国志人気が上がりすぎたため曹操に対しても評価の甘い本が多い。

766:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/30 21:18:18.28 o0kNDQJL0
>あの時代を三国時代と呼ぶのが一般的なので
から
>三者横並び
の部分、論理になってない
というか、順序としてもなってない

>三国志人気が上がりすぎたため曹操に対しても評価の甘い本が多い
ここもどこからどうツッコんだら…

三人皇帝が並立していたから三国志
物語や歴史として地続きだし、人物もおおよそ共通だから、後漢後期も含めて(広義・一般的な意味での)三国志
もうレスしない方が良いよ?恥の上塗り

767:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/30 21:24:47.10 n7S8CwUC0
三国志という名前だけみれば横並びな呼称が定着したのは
漢族が東晋や南朝みたいな華南の一部しか保持できなかった
王朝の正当性を仮託したためで国力の均衡を意味してるわけではない

768:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/30 21:45:41.38 w9d/yj0E0
>>762
アゲマンがいたら劉備を多少コントロール出来たでしょう
でも劉備は女に恵まれなさすぎだからね

いかにワンマン社長的な王朝だったか

769:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/30 21:53:03.62 t5eQ1qer0
>>766
その手の個人論も見飽きたな。
三国オタはお前さんのように自分の世界感を押し付ける自己陶酔型な人間が多い。

770:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/30 21:59:37.89 o0kNDQJL0
>>769
ほんと引っ込んでた方が良い
何が個人論だ
>>765みたいなことは書く必然性がまるで無いよ

771:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/30 22:02:11.70 t5eQ1qer0
めんどくさ
まあ、確かに引っ込んだほうが良さそうだな
個人論応酬のドツボに嵌るのもみっともない

772:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/01 12:12:23.40 kC3SGjUV0
そもそも、曹操・劉備・孫権が三者横並びなんて馬鹿げてるし
孫堅・孫策無視ですか?
馬鹿馬鹿しい

773:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/01 15:23:09.11 9nHLWRcm0
馬鹿には触らんで良いよ

774:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/01 18:34:18.09 I6RbOluJ0
こんな過疎板で何やってるんだこいつらはw

バカ丸出し

775:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/01 19:29:05.46 9nHLWRcm0
じゃあ何でお前はここに来たんだ?

776:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/01 21:17:32.24 igjWdCKT0
馬鹿の戦い(223~227)

777:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/01 23:13:40.60 LEckxyJs0
777でも劉備の統一は無理ゲー

778:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/04 21:57:51.83 w52czqNi0
まーそもそも
三国になったのは曹操が死んだ後なので

779:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/04 22:08:15.96 Yjfvij5p0
所詮は北中国を制圧しただけに過ぎないのに
曹操、劉備、孫権の誰もが横並びだっただけに
あの時代を三国時代と呼ぶのが一般的なので三者横並び


( ゚д゚)ポカーン

780:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/05 18:06:05.63 ulddTwtM0
>>779
スルーしとけよ
蒸し返すつもりか?

781:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/05 20:59:44.86 HluwhFV70
じゃあ、公孫氏を入れて四国志にしよう

782:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/05 21:00:55.92 HluwhFV70
あ、士氏も入れて五国志にしようか

783:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/05 21:52:32.31 KGYXhXTc0
劉備は孫権の妹と末永くやってればよかったのに

784:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/05 23:08:58.55 BZGi/2rk0
袁氏・・・

785:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/06 00:00:16.76 pFogO8rb0
>>780
別にいいんじゃない?
燃料不足なこの板なら蒸し返されるのも一ヵ月後くらいだろw

786:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/06 00:03:16.17 yE3onozQ0
横並びじゃないから蒸し返しても続かないな・・・

787:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/06 00:29:28.16 g3HGuvUh0
>>781
燕はもうちょっと話題になってもいいと思うけど
荊州争奪戦に参加できなくて地味すぎるのが難点

あと士氏って帝or王になっていたっけ?

788:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/10 17:19:37.26 D3NmdzYc0
曹操に比べると人材の層が薄いのでは
とくに軍師、いい行政官がいなかった。

789:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/10 23:42:18.24 VfdQcecr0
それ定番過ぎておもんない

790:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/11 01:56:39.03 Bj5AdVEaP
劉邦「負け続けて穴に逃げ込んだ奴が統一なんて出来る訳ねーだろwww」

791:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/11 13:34:43.39 cwK3NfF50
人口の多い地域を確保出来なかった時点で劉備・孫氏にチャンスはほぼ無くなるわな

792:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/11 23:20:13.49 9kPjByNJ0
それより前の時点でのチャンスについて考えたいな

793:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/11 23:55:04.42 XhlhVs5h0
領主にへこへこ頭下げてる時点でダメぽ

794:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/13 04:10:59.31 63LiWRXu0
長坂の戦いで劉備についてきたという十数万人の民って、結局どうなったの?

795:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/13 14:27:00.38 ZTHBLPXAP
美味しく頂きました。

796:わふー ◆wahuu.c6Z.
12/10/13 20:54:40.01 03MyL/mR0
      †  †
     (_O|・|O)
     /ィ从从', }
     | |(|゚ ヮ゚ノ,''
     | ノ  † ヽ、    韓国人を利用しなかったから
    ヽ/    ゚ 3゚)~
   ~(  ゚ 3゚)__ノヽ
    ノヽ、_,ノ ヽヽ

797:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/14 10:25:53.14 FVvBSeBHO
あんなヒトモドキ使ったら、法則発動して史書に名前すら載らない運命を辿っちまうわ。

798:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/15 19:28:49.87 twKyoOk6O
劉備は諸葛亮がやったみたいに北の騎馬民族との結びつきを強めるべきだった

799:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/15 19:33:01.05 Dxd7MGLa0
一応馬超引き入れ&優遇はやった
上奏文での席次トップだぞ

800:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/17 15:15:26.49 GeV+IK5z0
タッチで蘇る水墨画風の三国志の世界へ

URLリンク(www.4gamer.net)

801:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/20 05:46:03.25 1QS80jp00
劉備は親父の馬騰の頃から浅からぬ仲だったしな
五虎大将の中では格が違うよね
関羽のアホは理解できてなかったみたいだけど

802:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/20 12:12:23.11 xF2NBXaX0
相手の家柄に額づくとかカッコ悪いね。

803:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/20 14:33:34.04 OCt5jT0D0
呂蒙「だよね」

804:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/24 00:39:04.31 kMXeEpuVO
呂蒙さん、七穴噴血しながら「だよね」なんて言ってる場合じゃ無いっス。

805:名無しさん@お腹いっぱい。
12/11/01 21:08:32.11 nfQ63MC40
器量不足

806:名無しさん@お腹いっぱい。
12/11/02 19:27:30.86 tfVsN9YeO
器量がよくなかったから?
じゃあ顔良なら余裕だなw

807:名無しさん@お腹いっぱい。
12/11/29 22:12:17.60 u7l/gH0o0
三国君主の中で曹操が一番器量無しじゃん

808:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/01 18:23:39.12 sR8q9C4b0
天下統一できるような要因が無かったことじゃね
何かしら奇跡でも起きなきゃ「自分の力」での天下統一の目なんて最初から最後までどこにも無かったろ

809:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/01 23:02:36.64 gHnK4L/U0
機会主義者だよな
小沢一郎と同じ

810:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/31 14:35:09.26 vrgATcysO
蜀を盗れただけでも充分奇跡だよ。

811:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/02 09:54:14.99 eVFVfEMC0
荊州を関羽が奪われた
夷陵の戦いで失地回復程度で終わらすべきだった
諸葛亮死後の文官、劉禅による散財政治

812:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/03 09:16:59.02 0J0DMv640
>>811
東征は失地回復どころか,峡谷から出たところで止められたのだけど。

813:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/04 14:46:19.84 PlUf+6V/0
人材力がない

814:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/12 07:34:43.94 kAvguUM60
王累が自殺したから
彼がいたら天下どころか遥か天竺まで征服したであろう

815:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/12 23:15:43.29 HoyiAJ+l0
マジかよ

816:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/27 23:37:50.49 9+8yb3QU0
なーんてね

817:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/28 02:33:38.94 3iAk1yJa0
気に入らねーからフルボッコにした
みたいな実像の劉備には演技のような魅力は感じないな
曹操は人の心を掴むのが巧みだよ

818:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/28 18:05:13.19 i7wzm/1/0
そこから益州一州+荊州半分の支配者に上り詰めさせた諸葛孔明さん、マジパネェと言うべきか……
荊州は結局劉備が暴走して失っちゃうけど
しかし実際問題、赤壁直前って劉備完璧に詰んでたよなあ

819:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/29 20:28:53.91 K6buy0fw0
>>818
そこを救ったのは魯粛だけどね。

820:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/29 20:32:22.38 u84oCqQY0
魯粛って言えば、蒼天の魯粛がすきだなぁ。

821:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/30 18:53:37.77 9n2JzaG+0
早いうちに地盤を築けなかったのが最大の要因だと思う。
出世が遅かったとか、実家が力を持ってなかったとか、仕方ない部分が大きいけどさ。

>>817
この辺は人それぞれだとは思うけど、自分の場合はむしろ逆だな。
演義の劉備は聖人君子すぎて魅力を感じられなかった。
理想の君主像すぎてむしろ胡散臭ささえ感じた。
正史を読んで人間味のある劉備を知って、逆に劉備が好きになったよ。

822:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/30 19:32:46.58 2zYzic+v0
>>819
魯粛がいないと劉備は何もできなかった
周瑜がいなければ赤壁すら起こらなかった
しかし、赤壁後、荊州四郡かすめとったのは諸葛亮の功績

劉備像といえば、宮城谷三国志の劉備像も結構面白い
多少苦しいとは思うけど、老荘的で拘りが無い劉備というのは非常に魅力的

823:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/31 02:45:14.94 ElmyH5mb0
劉備って貧乏暮らしって設定が何処まで事実かは知らないけど
曹操に比べて教養がないというか

824:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/31 08:31:18.04 x5SyXodn0
でも遊学してたんでしょ?
貧しいというほどでもないだろ

825:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/01 22:42:51.02 Osuj3iji0
だけど劉備は金持ちのボンクラってイメージだな

最近のドラマの劉備は劉禅ぶん投げひでぇ父親だった

826:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/02 09:14:59.23 8EHJ8Lnw0
地盤がないから傭兵気分で徐州にもいってしまう
無欲なとこをトウケンに気に入られて後を継いだ時が絶頂だな
劉表には気に入られなかったのか劉備を息子の後見人にすら指定しなかったが

827:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/02 12:50:22.46 PCvWvGov0
むしろ劉備が無駄な抵抗しなければ
呉が降伏
漢中や蜀も早期に平定または降伏で無駄な血も流れずに済んだ
魏の人材の厚さなら普通に国を運営できただろう
もっと大きいのは周辺民族の流入が限定されて五胡十六国時代を回避できたかもしれない

828:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/02 14:41:33.71 noej/vPl0
結局、無理ゲー

829:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/02 15:18:40.54 Sz3XjzrK0
>>827
それは曹操が袁紹に抵抗しなければry
袁紹が董卓に抵抗しなければry
董卓が皇帝をry
となる話だろ

830:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/03 23:14:26.95 QIylgJwC0
秭帰県まで侵略してたって荊州を夷陵の戦いでやはり取り戻してたってわけじゃん
そこでやめておけばよかったのにな

831:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/04 17:53:06.70 Ua/e30lxO
それが人間の欲というもの
勢いづいてれば突っ込んじゃうだろ
例えばパチとかな

832:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/04 21:56:30.23 i9jbDldV0
>>830
峡谷の中だけ奪回しても仕方ないだろう。

833:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/09 16:58:13.84 0LWHo+uJ0
>>825
そのドラマは知らないけど、
他の本とかでもたまに劉備がそういうことやってたりするな。
劉邦になぞらえてるんだろうけどさ。

834:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/15 20:08:56.23 isFC/wcN0
>>1
劉備がカスだから

835:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/18 06:38:09.67 ZSCJzIq9O
>>825,>>833
史書はもとより演義にも描かれてるよ。

836:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/18 07:12:18.17 XoH70HX7P
劉邦 … 自分が逃げるために馬車から子供を投げ捨てる
劉備 … 趙雲の忠誠に報いるために劉禅を放り投げる

まぁだいぶ違う気がする

837:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/18 19:41:29.47 QA19bJVZ0
どっちにしても、糞儒教的にはOK

838:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/19 20:11:58.48 YLLGe2kQ0
投げ捨てとけばよかったな

839:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/19 20:25:02.98 kGW8Mbuo0
それでなんで人気が出るのかわからん

840:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/19 23:08:11.27 P9F0iw170
自分の子供よりも忠臣を大事にしているっていう、理想の上司アピールでしょ。
無私って姿勢が儒教的には大事だから、後世の小説では特に美談のように書かれてるわけだし。
妻子は枝葉、またいくらでも作ることが出来る。股肱の臣は得難いものってね。

でもあそこで劉禅が死んでたら、案外逆に蜀の寿命は短くなったかもよ。
劉禅だから諸葛亮以下の臣下にすべてを任すことができた、だからあそこまで生き長らえたって可能性もある。
自分の考えで何かをしようと思う人間が舵を取ったら、果たして上手く行ったかどうか。

841:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/20 02:04:16.64 2v6hh7hCP
劉禅がいなければ劉封が死んでないと仮定して継ぐのか?

842:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/20 08:00:43.21 fwagmB3hO
劉封を養子にした時は既に劉禅が嗣子と決まっていたけど
劉禅がいないとなれば養子にしなかったかもね。

843:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/20 23:22:19.50 v6cskekC0
>>837
マジレスすると子供投げ捨ては儒教的にはアウト
子供は祖先の祭祀を守るために大切なものだから、子供を作ること自体が孝行
逆に言えば子供を粗略に扱いすぎるのもアウト

というか、煮殺されそうになった親も見捨てるわ、
儒者の冠にションベンかけるわといった行動をしている劉邦の行動原理解説に
何故儒教が出てくるのかがさっぱりわからん
一部概説書とかは適当なこと抜かしてるなと思うわ

844:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/20 23:59:26.44 iOvYNb4t0
なんだかんだで劉邦が漢王朝400年の始祖になったことが
劉邦像やら理想の皇帝(群雄)像をいろいろ捻じ曲げている気がする

しかし、子ども投げ捨てを肯定する思想なんて、儒教以外にあるように思えない
ま、儒教が言い訳のような解説しているのは、
歴代の漢の皇帝たちが儒教を使って自身の帝位継承の正当性を主張した結果なんで、
儒教単体を叩くと本質を見失うような気がするけど

845:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/21 01:53:42.53 s2gJA/JcP
儒教も宗教の一部と仮定すると時の政権と宗教が結託するのはよくある話だし
儒者が自分たちの利権のために正論を捻じ曲げるのは当然とも言える
儒教といっても一枚岩でもないんだし

846:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/21 02:12:22.03 99FCm3eU0
>>844
>しかし、子ども投げ捨てを肯定する思想なんて、儒教以外にあるように思えない
儒教に対する先入観をまず捨てたほうがいいと言っても捨てない人が多いな。
循環論法なんだが言ってて気付いてるんだろうか。
現代日本人の儒教に対する国際関係学の用語で言うところのオリエンタリズムについては本題から逸れるからまぁ、あまり言わんが。

根本的なことを言うなら、そもそも上記の逸話が載っている『史記』は政権の正当性主張のために使われた書物じゃない。
むしろ後漢の明帝は「史記は祖先に対し侮辱的なことが書かれている」と発言している。
勿論、残存情報の取捨選択などの面で前漢代の政情の影響を受けているのは事実だけれども、肯定的に書いたというのは偏見。

というか、日本の多くの概説書でもそんな書き方はしていない。
儒教では問題ないから劉邦はそういう行動をしたんだろうという書き方になってる。
そしてそもそもあの出来事を儒教で説明しようとしてるのは日本ぐらいかと。

847:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/21 02:18:55.38 s2gJA/JcP
>>846
そりゃ同僚庇っただけで武帝に腐刑にかけられた司馬遷が怒りを込めて描き上げたものだからなぁ
でもわざわざ創作してるとも思えないがね
捏造したら結果として自分の成果にケチつけることになるし
当時の時点で伝承が曖昧な部分とかその後の発掘とかで矛盾が出てるのは確かだけど

劉邦が子供捨てたのは自分が助かるため
劉備が子供投げたのは趙雲の忠誠心に報いるため

後者はわかりづらい愛情表現だとは思うけど儒教云々ははっきり言ってどうでもいい話だと思う
そもそもそんなアプローチするような問題でもあるまいて

848:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/24 08:53:07.86 HJ0rfNwH0
ゴミカス劉備じゃ無理

849:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/25 03:20:47.43 EhedWWpQ0
劉備が劉禅を投げ捨てる話は演義だけで史実では無いだろ

850:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/25 16:08:10.11 1tgaiOSM0
!?

851:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/20 NY:AN:NY.AN FQ+Xdtmf0
韓信、張良、陳平がいたら行けた
特に関羽がゴミ過ぎた、なんであんな無能が名将扱いされるのか

852:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/20 NY:AN:NY.AN 8dV11Ty50
関張の武名は天下に鳴り響いてたというから、
基盤確保以前の劉備の凄さはかなり2人による物なんだろ
書かれてない事も読まなければいけないのが中国歴史書の筆法

853:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/20 NY:AN:NY.AN FQ+Xdtmf0
基盤確保以前の劉備の功績とかただのヤクザが土地貰っては逃げのびてきたってだけだし語るだけの凄さなんてあるのか?

854:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/20 NY:AN:NY.AN 9x5hPunj0
>>853
ただのやくざがなんで逃げ延びては土地もらったりできたんだ?

855:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/20 NY:AN:NY.AN FQ+Xdtmf0
そこは劉備の処世術でしょ
豪族に取り繕ってもらって王室の子孫だーとか龍の子だーとか騒いでもらえばマンセーしてくれる時代

856:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/20 NY:AN:NY.AN 8dV11Ty50
もちろん口先も上手いが、その根拠は戦闘力があったからだよ
今も相変わらずそうだが、全ての処世・交渉術の根拠には暴力がある
あの時代最強の爪牙は劉備と呂布とされていて、圧倒的に最後まで残ったのが劉備
(爪牙という言葉を覚えておいてね)

857:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/20 NY:AN:NY.AN FQ+Xdtmf0
>全ての処世・交渉術の根拠には暴力がある
これはない、てか劉備に当てはまるかは知らんけど
処世、交渉の根拠なんてのは基本は暴力だけじゃなく金、口先、利害の一致などいろんな要素があるし
全ての処世、交渉術の根拠に暴力があると考えるのは視野が狭すぎる

858:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/20 NY:AN:NY.AN 8dV11Ty50
金・口先・利害の一致も暴力の派生物なんだよ
身長と収入が連動してるのは常識、内容より声のデカさで出世や交渉成立する
腕っ節強そうだと思われると上に上がれるケモノの世界にまだまだいるわけだ
外資系とかガッチリしたの多いよ

で、テーマ外れそうだけど、劉備はなんだかんだで凄い
まぁ、その爪牙体質のせいで大敗して死ぬわけだが

859:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/20 NY:AN:NY.AN 9x5hPunj0
>>855
王室の子孫だとか竜の子だとかそんな口先だけで地位や兵や領地与えてくれる人間なんていませんよ
ファンタジーやメルヘンじゃないんですから

860:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/21 NY:AN:NY.AN EEOVveXc0
>>858
身長と収入が連動?w内容よりも声のデカさ?そんなのケースバイケースじゃないですか
流石に金や口先は暴力とは違うよw以下に相手に利があると思い込ませるのも交渉なんだから
まあそりゃ劉備は凄いと思うが劉備のどの辺が爪牙なんだい?

>>859
自身に評判や伝説を作るんだよ、そうすると豪族に一目置かれ、そのあとは本人の処世術ですよ
昔は伝説とかそういうのが信じられてきたしある意味ファンタジーだよ、ショウカはそうやってヤクザな劉邦をあそこまでにした

861:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/21 NY:AN:NY.AN R1iILGh80
それ、逃げとしてしかケースバイケースやファンタジーって言葉使えてないじゃん
要するに、評判伝説の元になるのが「ワイ、強いで。前戦でつこうた方がお互いの為にええで」、
これでキミが突っかかってる人間の話全てが話繋がる
あと、高身長ほど高収入って統計はホントの話で、調べればすぐわかる
銀行支店長や輸入車ディーラーの所長なんかもやたら恰幅が良いし、腹から声出してドスが効いてる
古代中国は容貌魁偉や長身、特異体質が凄いカリスマに繋がるって価値観だよ

862:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/21 NY:AN:NY.AN SIc+RG660
「処世術」とか「評判」とか言ってるけど、じゃあ何を言って信用させたりしてたのかみたいな部分を考えてないことがよくわかる

863:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/22 NY:AN:NY.AN +jfC2SBA0
劉備が戦乱の世の小豪族だって厳然たる事実が>>860にはすっぽり抜けている
一定以上の名士でも無ければ、いや、袁紹クラスなんかでもまず腕っ節と義兄弟意識(幇の原則)が頼みの綱
多くの群雄は、侠客ネットワークにあらかじめアクセスしている
その上で、ハクとして劉姓であること、そして反曹操~漢王朝復興の大義名分を存分に使った
何でもかんでもファンタジーファンタジーって、それ、多くの人物を馬鹿にしすぎ

初心者への説明だなこれw

864:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/22 NY:AN:NY.AN XI6IYug7P
関羽ってなんであんなに最後増長しちゃったんだろうな
はっきり言って劉備が天下取れなかった最大の原因は関羽による荊州失陥だと思うんだが

865:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/23 NY:AN:NY.AN hxONxBXy0
潘濬がキーだった

866:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/27 NY:AN:NY.AN jYuLGIa20
関羽のアレで0,5%の可能性が0%になったのは確かだな
「最大の原因」云々するには元々の可能性があまりに低い気がするけど

867:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/27 NY:AN:NY.AN FF/frHKL0
田豫・陳羣・陳登なんかを上手く使わなかった時点で、
あんまり天下統一する気は無かったように見える

868:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/27 NY:AN:NY.AN FF/frHKL0
と書いたら、太史慈を加えてまさかのニコニコ大百科にあるw
まぁそう思う人は多いよね

869:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/28 NY:AN:NY.AN 2NriGGSe0
小学生か何か?

870:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/28 NY:AN:NY.AN FucbU7FpP
劉備って三顧の礼とかあるから礼儀正しい紳士みたいなイメージあるが
徐州とか居たときはただの暴君だからな

871:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/28 NY:AN:NY.AN iuTJL9CU0
暴君の側をかぶったケモノで最初から最後まで通してると思うが
>>869
どうしたの?

872:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/28 NY:AN:NY.AN iuTJL9CU0
○紳士の皮をかぶった

873:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/31 NY:AN:NY.AN TlPK3Lte0
>>867
土地の名士が劉備みたいな根無し草に積極的に使われようとする訳ないだろ

874:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/31 NY:AN:NY.AN 1DExje3i0
麋竺麋芳は大したもんだね

875:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/31 NY:AN:NY.AN njckwckpO
田豫はしゃーないだろ
劉備は田豫を高く評価してて使う気満々だったけどあの時代親の看病に帰るって人間を引き止めることなんて余程の蛮人にしかできんわ

876:名無しさん@お腹いっぱい。
13/08/01 NY:AN:NY.AN YBgveSycO
親の服喪、親の看病、親の面倒見るは出仕断り・退職の三大理由だもの。
まあ後世になると奪情の慣例で通用しなくなるけど。

877:名無しさん@お腹いっぱい。
13/08/01 NY:AN:NY.AN dKev3JjCP
+病気だな

今でも大して変わらんというかw
「嫌だから辞めます」じゃ角が立つから適当に理由でっち上げるんだけどさ

878:名無しさん@お腹いっぱい。
13/08/01 NY:AN:NY.AN BOb30W5s0
三国志って本当に応用が利くよなぁ
現代でも適用できたり当て嵌まる要素が多すぎる
その通りに行動しちゃったら痛いにもほどがあるけどw
でもちょっと前まで電車の釣り広告とかにホントによく有ったね、
成功した企業家の爺さんが戦国武将の格好してるビジネス系の雑誌
本人も読む方もそんなつもりで社会に臨んで、一部実際に成功してしまう社会なんだw

879:名無しさん@お腹いっぱい。
13/08/02 NY:AN:NY.AN XVI6WTGpO
まぁ三国時代も所詮「人間の世界の事」だから、人間自体の中身が大きく変容しない限り三国志の内容が現代に応用が利く場合もあるだろう。
ただ三国時代と現代では余りに離れ過ぎなんで、人間の気質や社会のモラルの点は現代にまるで通用しない時があるのは当たり前。

880:名無しさん@お腹いっぱい。
13/08/02 NY:AN:NY.AN 51HvqqL30
史記の時代からしてかなり近代なんだけど、以降ほとんど動かないって感じ
欧米系の学問から見ると(で、学者はほとんどが欧米系)、中国をどう捉えたら良いか頭を抱えるようだ
ヨーロッパの中世こそ何考えてるかわからない

881:名無しさん@お腹いっぱい。
13/08/03 NY:AN:NY.AN QCJmqmgZO
ギリシャ・ローマとそれなりに文化・技術レベルが確実に進んでるのに
それが一気に大後退だからな。思考も何も頑迷な教会御都合主義な世界観に加え、支配層もローマ市民からみても蛮族レベルの倫理観。
それが十字軍でのイスラム文化の接触と、ギリシャ文化の温故知新によるルネサンスで再び文化の振興が促されて現代に至るだから
ヨーロッパ史学や思想研究者からしたら何故そうなった、なもんだよな。

882:名無しさん@お腹いっぱい。
13/08/10 NY:AN:NY.AN MDznAWojO
>>874
財産も嫁さんも提供したんだからな
重用されるのも当然だし
なおさら麋芳の裏切りは

883:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/04 05:43:32.87 LPMr2reB0
蜀獲った時点で糜竺は諸葛亮より上の文官トップだからな
それに引き換え糜芳は…
どうして差がついたのか…慢心、環境の違い

884:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/04 06:52:34.28 y8mhxSmEP
荊州以降劉備陣営に合流した武将や文官と以前からの宿将とは確執あったんだろうね
急速に膨張したから蜀を作るという意味では荊州以前も以降も功は大して変わらないのに
その辺りも劉備と劉邦の器の違いかな

885:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/11 22:51:20.37 6vKhtMNn0
関羽を過大評価しすぎた

886:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/12 09:34:42.48 kJl6APOf0
そもそも諸葛亮と出会う前にそれほどの野心があったか疑問。漢王朝の中での出世は考えていただろうが、その先まで見据えていたとは思えない。

887:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/12 13:10:18.55 +N4V8nw00
劉備は威張り散らしたいだけの鬼畜とみるのが一番しっくり来る

888:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/28 08:42:51.99 n/DP34Hq0
この本に詳しく書いてあるよ

URLリンク(www.amazon.co.jp)

889:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/29 21:56:04.92 LF04AnX/0
>>888
全く読む気がしないが、どういう事が書いてあるのか劉備の部分だけでも抜粋してくれ。
チンケな謎本レベルでないことを祈る。

890:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/29 22:00:44.50 kYenhyN80
これは蒼天航路のネタ元のひとつだな
幸い積読にあるので読んでみよう

891:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/29 22:14:59.33 WjNwFInk0
蒼天航路のネタ元ってマジ?
本当なら買ってみるけど

892:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/29 22:27:27.94 kYenhyN80
画伝だったかクロニクルだったか、もしくは両方で言ってたと思う
ちょっと今確認する

893:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/29 22:43:16.84 kYenhyN80
画伝には無かったけど、
クロニクルに『三国志人物縦横談』がオススメの本として出てる
これを改題した文庫版が、上の『きらめく』

894:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/29 23:40:20.24 WjNwFInk0
>>893
ありがとう!

895:名無しさん@お腹いっぱい。
13/10/02 07:05:07.13 6L609Vmi0
蒼天の元ネタか。読む価値なしだな。

896:名無しさん@お腹いっぱい。
13/10/02 07:40:36.12 ArODpFWN0
>>889 >>895
それなりの前提知識を必要とする本だからね
お前のような頭悪そうな奴は読んでも価値がわからんだろうw

897:名無しさん@お腹いっぱい。
13/10/02 15:10:23.54 +J2nJFQS0
好き嫌いはどっちでもいいが、敵を知らなければ倒し切れないわけで…
単なる拒絶反応だな、それほど彼にとってデカい存在って事だ
人づてで否定まで行っちゃうのは頭悪い

898:名無しさん@お腹いっぱい。
13/10/03 05:57:28.17 ZOI3znX/0
きらめく群像は懐かしいなぁ
でも、ネタ元ではなくね?
蒼天航路より時期的に大分遅かったような…

呉蜀はバッサリと地方勢力扱いだったな

899:名無しさん@お腹いっぱい。
13/10/03 13:18:55.04 bC+A1pHG0
単純に読み物として面白い
作者が相当面白い(~おかしい)人だとわかる

900:名無しさん@お腹いっぱい。
13/10/04 20:05:24.16 xwuD8FX20
結果振り回されている>>889>>895であった

901:名無しさん@お腹いっぱい。
14/07/11 12:11:47.84 Loxu4Q7X0
中国おっきいから


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