劉備が天下統一できなかった最大の原因at CHINAHERO
劉備が天下統一できなかった最大の原因 - 暇つぶし2ch250:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 03:08:12 D7CDFeyw0
補足すると、劉表配下の韓嵩が朝廷への使者に行く事になった時、
韓嵩は「私が天子から官位を貰ったら、天子の臣下と言う事になるから、あなたのために死ねなくなります」と言って、
断った例がある。要するに「天子から官位を貰ったら、天子の臣下って事になるから、
あなたの配下では無くなるけど、それでいいの?」ってこと。

当時の認識はこんなもん。

251:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 03:15:29 a84nHWaa0
>>249
主君からではないが、相手の死去からの相続だから公孫サン麾下からドロップアウトしたわけではないのが一つ。
また、朝廷の権威をうけたものの、非常時に基づく現地相続なので、権威が失われたわけでもないのが一つ。(劉焉らの例)

252:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 03:23:19 a84nHWaa0
>>250
それは天子という強力な中心性あっての事だと思うが。
天子以外との辟召関係での結びつきが、天子と結びつけばそっちが自動的に優先されて、
関係が完全に再編されてしまうことを危惧しているのだと思うけど。
並列ではないでしょ。

253:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 03:52:31 D7CDFeyw0
>>251
劉備は陶謙から徐州牧の地位を継ぐだいぶ前に、
陶謙から豫州刺史の官位をもらってるんだよ。
そして、そのまま小沛に駐屯してんだ。
要するに公孫サンから与えられた平原国相の地位と職務を放棄して、
陶謙から官位をもらって、陶謙の豫州領を治める職務に就いたんだ。
ここまでやってたら、もう公孫サンの部下辞めて、陶謙の部下に完全に成りきってるよな?

254:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 23:41:59 xacRxvqn0
>>246
>袁術との強固なつながりも見受けられない。ってか接点なくね?
いとこの公孫越を袁術のところに送ってるよ
と言うか劉虞に対する行動が主で袁紹と敵対は成り行きでしょ

255:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/11 00:03:49 nnU2sQgO0
>>254
でも、公孫サンが冀州で袁紹と戦ってる間は、実は劉虞が後方から食料補給してたんだよな。
公孫サンと劉虞の仲が決定的に危なくなったのは、冀州戦の大勢が袁紹の勝利に傾いて、
公孫サンが幽州に戻ってから、劉虞が食料の補給を止めて、公孫サン軍の維持が危うくなった時。

だから、劉虞との対立と、袁紹との対立は関係ない。

256:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/11 14:19:08 OIsyT0Ow0
公孫瓚って怖くて打ったこと無いや

257:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/11 14:19:49 OIsyT0Ow0
お、行けるんだな
今までの数年って一体…

258:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/27 05:16:28 Yj9gW28C0
>>1

蜀の成都から洛陽中原までは800㌔以上の移動距離。日本では奈良から大宰府くらいの
距離を長遠征するわけだからね。漢の高祖のように直ぐに行動すれば違ったかもしれな
いが引きこもってしまえば尻が重たくなる。呉は黄河流域ではなく揚子江流域を中心地
と考えているから無理はしない。
この時代は黄河中流域の北京付近から揚子江北域の南北600キロと青州府から長安までの
東西600キロの狭い地域の上洛戦争だから・・・そこから距離を置いたらダメポ。

259:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/27 05:27:31 Yj9gW28C0

冠羽が荊州を失った事が大きいよね。荊州からなら洛陽中原までは200キロ以内
で東京~静岡くらいの距離だから十分に制圧できる距離と位置ですね。

260:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/27 05:32:50 Yj9gW28C0

劉備の蜀は奥州藤原氏が京都に攻め込む以上に難しくなったんだよ。奥州
藤原氏のような独立政権として最後は鎮圧される運命にあったと言う事。

261:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/27 21:13:41 wENf/vYb0
成都から洛陽まで意外と近いんだな

262:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/28 11:04:56 roSIMCpt0
>>261

殆どが険しい山岳地帯の横断だから普通の3倍くらいの移動労力じゃないかな。船も
使えないし・・・魏も蜀も守るには良くてもお互いに攻めるのは大変だったんじゃないか?
曹操の赤壁の戦いでも許都から赤壁まで東京~名古屋間くらいの距離で船が使える。
全然違う戦いかただよね。

263:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/28 14:07:44 roSIMCpt0

12月28日 BSジャパン PM7:00~PM9:00
 三国志ミステリー「曹操の墓は語る 英雄の秘密」北村一輝
再放送あります。


264:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/29 00:02:23 eLQB6Pd/0
                            | 
       {    !      _,, -ェェュ、   | 
ィ彡三ミヽ  `ヽ     ,ィハミミミミミミミミミヽ、|
彡'⌒ヾミヽ   `ー  /ililハilミilミliliミliliミ|  
     ヾ、        /iiiiイ!ヾヾミ、ミニ=ー-ミ| 
  _    `ー―' i!ハ:.:.\\_::::::::::::::/:.| このスレは
彡三ミミヽ        i! ヽ:.:.:.:冫': : :::/,,∠| 
彡'   ヾ、    _ノ i!::: ̄二ー:: : ::::ソ ・ ,| 曹操患者に
      `ー '    {ヘラ' ・_>シ;テツ"''''"| 
 ,ィ彡三ニミヽ  __ノ ヽヘ`" 彡' 〈     | 監視されて
彡'      ` ̄       `\   ー-=ェっ |
      _  __ ノ  {ミ;ヽ、   ⌒   | います
   ,ィ彡'   ̄        ヾミミミミト-- '  |
ミ三彡'        /⌒ / ̄ ̄ | : ::::::::::|
       ィニニ=- '     / i   `ー-(二つ
     ,ィ彡'         { ミi      (二⊃
   //        /  l ミii       ト、二)
 彡'       __,ノ   | ミソ     :..`ト-'
        /          | ミ{     :.:.:..:|
            ノ / ヾ\i、   :.:.:.:.:|
      ィニ=-- '"  /  ヾヾiiヽ、 :.:.:.:.::::|
    /     /  `/ ̄ ̄7ハヾヾ : .:.:.|
   ノ     _/   /   /  |:. :.:.:.:.:.:.:|

265:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/29 15:46:16 jPEFn/Fv0
>>259
なら宛から上庸までも近そうだな
司馬懿が8日で移動できるわけだ

266:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/31 12:49:01 n648FCdRO
刑道栄に斬れって言ったからだよカスども

267:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/01 00:03:44 vzj1ROoEO
韓信がいなかったからに決まってるだろ

268:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/02 16:38:37 mdo7fcgO0
正月のテレビで南米アンデスだかのインカ時代の山道をチャリンコで走るみたいな動画あったが
蜀の産道も同じようなものかと思ったらあそこを何万の兵が通って攻め込むなんて恐ろしい難関かと思ったわ

269:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/02 17:34:14 fOSuLgYxO
崔州平曰く
分かれ争った後に統一され、統一された後にまた分かれ争う。
人の力ではこの天下の法則は覆せません…


270:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/02 20:39:28 d0Wo9MRf0
>>267そうだね,劉邦も漢中から中央に進出したし

271:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/02 23:14:13 sBB1HWF0O
曹操より先に荀イクを配下にしなかったから

272:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/04 19:09:42 hYWJvnA40
>>261

宛(南陽郡)から上庸(新城)までは200㌔~250㌔くらいの距離。ただ司馬懿が一度
皇帝のいる洛陽~長安(魏皇帝長安へ遠征途上)はへ出て許可を取り付けてから上庸
へ向かうと800㌔1カ月以上かかることになるわけですね?

273:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/04 19:30:47 RTVX18xO0
普通に能力がなかったから

274:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/04 20:28:21 2Cn7yLAN0

  ( ´∀` )<曹操患者さん、もう涙を拭きなよ
  / ,   ヽ     あんたら心の中では曹操閣下の正軍師様きどりなんだろ
 ̄_|,..i'"':, ̄ ̄ ̄ ̄
  |\`、: i'、
  \ \`_',..-i
   \.!_,..-┘



275:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/09 02:46:59 SKaFp23M0
才覚は劣り、天運も恵まれたとは云えず、天下を統べる意思も欠いてては
天下を取れるわけがない

276:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/21 02:29:25 1EopHxGI0
こんな感じ?

【徐州時代・・劉備絶頂期】
荀氏・鍾氏と並ぶ、頴川郡名士の実力者、陳氏の陳羣からも協力を得て
曹操、袁紹と並ぶ次代の覇者候補として見られていた。
劉備が人生で唯一輝いていた時期。

【流浪時代・・使い捨ての傭兵】
覇者レースからは転がり落ちたが、使い捨ての傭兵としては利用価値あり。
呂布・曹操・袁紹など覇者を目指す群雄は
劉備を傭兵にして利用する。
中原のレースが、官渡の戦いで決着したため、中原では用済みになる。
粗大ゴミとして辺境に捨てられる。

【荊州時代・・荊州名士、魯粛の犬】
粗大ゴミとして荊州からも捨てられて、危うく長坂で焼却処分されそうになる。
魯粛に拾われ、天下三分のために利用される。
荊州名士も自分の保身のために劉備を利用。
忠犬ポチ公として、忠実に活躍し、見事蜀をゲット。
ワンワン!

【蜀時代・・身の程を知る】
漢中をゲット。益州・荊州以来の新参者におだてられ
調子にのって漢中王を名乗り、飼い主の呉にも噛みつく。
しつけのために呉が劉備をフルボッコ。
荊州を奪われ関羽、張飛を失い
夷陵でも直接タコ殴り。旗揚げ以来の家臣を皆殺しされ
誰が劉備の飼い主かを理解させる。

そして劉備は、関羽、張飛など旗揚げ以来
自分を信じてきた人々を裏切ってしまったこと
人生で何も成し遂げられなかったことを思い知りながら
失意のうちに亡くなったのであった。
最後はやけっぱちで孔明に
「おめーが矢面に立って皇帝やりゃいいじゃねえかよ(泣」
と神輿に担がれて全てを失った恨みつらみを述べてます。


277:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/21 03:07:09 193Tyq1z0
>>276
「判官贔屓」なる語の意味がよくわかったw

278:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/24 23:31:00 4C7SWa4o0
URLリンク(www17.big.jp)
ゲーム人数が少ないので宜しくです(TT)

279:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/29 10:19:30 gvMc5eeJ0
孔明と出会うまでは国(州)を奪うようなことをしなかったではないか
孔明なくして天下統一はありえず、もっと早く孔明と出会ってたらもしかしたら。。

280:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/29 11:27:29 dukXfn3S0
そもそも三国時代に天下統一なんて出来た人物居なかったじゃないの。
なんで劉備だけなん?

281:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/29 17:21:22 8LsfOapg0
とりあえず劉備について考えたらいいやん

282:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/29 21:27:00 DCnIISh80
曹操の天下統一を阻止したのは、間違いなく劉備(孔明)。

283:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/30 03:56:55 PZiDIrU20
周瑜だろ

284:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/30 19:36:36 uSPS+0vP0
じゃあ魯粛で

285:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/02 00:38:16 7tx3crrV0

曹操の奴がやる気がないんだもの・・・・

286:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/04 15:12:20 Pd/Y2xlKO
鶏肋

287:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/05 02:40:04 wk8nTGdl0
劉備は詰めが甘いと思う
覇者の器じゃなかった

288:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/05 20:29:48 /Z5HB2GK0
項羽・呂布「漢が滅んで良かったわ。」

289:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/10 16:12:37 HTDZVq180
劉備が流氷死後すぐに逃亡するか曹操の軍門に下っていればその後の無益な戦争はなかった

290:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/10 20:45:43 la+X/FRn0
劉備は小沢だからしょうがない
天下統一よりも平和な世界よりも、政局を混沌とさせることが大事

291:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/11 04:07:59 R8QspgVN0

冠羽の事を頑固者みたいに言うが劉備や諸葛亮のほうが頑迷さでは遥かに上だな。

292:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/13 08:36:00 31UMmjeb0
何故統一できなかったかと考えるほどの
チャンスが一度でもあったのか?

293:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/13 11:12:34 5QoaFbai0
バカ、ここで作ってやるんだよ

294:他与& ◆dNw4gxlJvifO
11/02/16 03:17:30 1M81fn380
~~~


295:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/16 07:06:28 3Oy9X2Xx0
>>290
>天下統一よりも平和な世界よりも
こんなもん民衆だって望んでないんだから当然だろ、よほどの底辺なら別だが

296:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/16 09:19:47 etAD9ZPm0
それ現代に対するツッコミ?
三国志の時代に対するツッコミ?

297:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/16 16:15:00 OCSS3UJ+0
平和な世界は望んでるだろ、普通

298:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/17 22:11:01 Q7KbYInj0
なんか孔明より徐庶を軍師のままの方が良かった気がするな

299:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/17 22:18:38 yWpyd2Hx0
あんまり使いたくない言葉だが、
それこそゲーム脳って奴じゃねえか?

300:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/17 22:42:46 IrB08GHt0
孔明を軍師と称している時点で言わずもがなじゃねえか?

301:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/17 23:14:11 WQQIFjtZ0
せめて法政が長生きしていれば、それか韓信(もしくは関羽に韓信の霊が乗り移る)や陳平のような人物がいれば天下を取れたかも

302:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/17 23:44:03 anF8LfbD0
関羽さんって実は張飛よりもやっかいなヤツだったんじゃね?

303:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/18 00:06:38 xXE9PxH80
韓信や陳平など人物がいれば…ってのもゲーム脳レベル


304:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/18 00:27:37 /dmA1Udi0
劉備が天下統一するには蜀漢の人口を爆発的に増やすか魏・呉の人口が激減するかの二択だよなw

305:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/18 01:28:57 xXE9PxH80
人口が増えても蜀にその人口を養うだけの食の確保ができるかな?

まぁ人口よりも、敵国の内部の腐敗と政治の混乱が必須だと考えるけどね
大国が滅ぶのは、外患より内憂

項羽は戦術家で政略に疎い点を突かれて情勢をひっくり返されたが
政戦両略に通じる曹操相手に項羽のときのような逆転劇は見込み薄いだろう
それこそ、戦場で曹操を殺すくらいの出来事が起こらんことには無理

袁曹の戦いが終結した時点で、曹操存命中に曹操以外の勢力が天下を盗ることってのは
関ヶ原の戦い終結後、真田が天下を盗る方法を語るに等しい

306:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/18 10:29:26 jg1qLJJM0
>>305せめて赤壁で曹操を討ち取っていれば、話は変わったかもしれませんね

307:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/18 11:30:08 n2EaUEPZ0
劉備が立ち上がったきっかけが黄巾賊や十常侍のときだったから
その後の曹操や孫権の平定ぶりを考慮した場合に両者を
打ち破る必要性があったのかどうかも疑問

308:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/18 19:58:29 7Tm16c+g0
>>304
呉みたいに不服住民を討伐して中央集権化を進めればある程度は増える

309:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/19 04:17:34 UGQTILVE0
>>306
赤壁で曹操が死んでたら、魏は袁家と同じく兄弟の跡目争いによる内部分裂が起こる
可能性が高そうだね

そうなれば劉備にもチャンスが・・・と考えられなくもないが
曹操の死による混乱を周瑜が見逃すはずもなく、孫呉が天下統一って流れになる算段が有力
赤壁あたりで曹操を討ち取れてたとしても、劉備の天下統一は甚だ難しいように思える

310:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/19 08:41:33 ZP8qR+MCO
なんせ地盤が荊州の一部だけで、軍閥としても今一の劉備では。
赤壁の敗戦による曹操の圧力低下でやっと荊州取り程度の力しかないのが当時。
赤壁激突前に荊州全土を完全掌握出来てたら、司隷進攻の芽はあったかもしれんが。

311:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/19 20:26:28.12 spV+OOE/0
荊州益州領有してさらに呉の揚州を合わせても
国力で魏に負けてるのよね

312:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/19 22:05:14.63 BBOnonzt0
士一族と早めに組んでも…大したことないか

313:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/20 11:54:15.80 7i/+SMKq0
>>311
でも、蜀に本拠を置いた頃の劉備は漢中戦といい
関羽の荊州侵攻といい、寡兵で魏を圧倒してるからな。
魏の兵力が多ければ、兵力差で押し込めるとは言いがたいかもよ。

314:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/20 21:59:06.79 PQFhsmWH0
>>309それでも史実みたいにジリ貧になるよりかマシな展開になると思う

315:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/20 23:38:14.95 sjPZXbDt0
劉備の存在意義が対曹操だからなー
曹操が倒れたら、蜀取りも出来たかどうか

しかし、曹操が赤壁で倒れていたらって魅力的な妄想だな
妄想でいいなら、劉備にとって一番いい形の曹操の死に様は、潼関の戦いで馬超に討ち取られた、だろうけど

荊州問題はあるが、蜀制圧可能

316:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/20 23:45:14.38 sjPZXbDt0
官渡以後で曹操が死にそうな戦い

・烏丸攻め
・赤壁の戦い
・潼関の戦い

劉備と戦った漢中攻めは流石にないな……

317:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/20 23:50:37.55 o0/WJL0/0
曹操も戦上手だったが、
司馬懿と陸遜もまたド変態
彼らが世に出る前にどうにかしないと無理

318:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 00:05:55.43 FZcVI8rs0
>>317
曹操と異なり、司馬懿と陸遜は勢力のトップって訳じゃないから、無力化する方法はないわけでもない
できすぎる家臣は何かと危うい存在

演義でのはなしだが、策を用いて司馬懿を前線から遠ざけるなんて話しもあるくらいだしな

319:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 00:13:40.57 bSqzT12l0
その2人、劉備が欲しがる名士でもあるから、どうおべっか取るか?
ここでも関羽がネックになりうるw
あと、『もう1つの三国志』とか読んでると、
劉備が広い領土を手にしたとして、異民族対策上手くできるのかなぁ…

320:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 04:40:19.75 X4LVfaS10
劉備が天下を取れなかった理由な…

・故郷を基盤に出来なかったから
・場所場所で人間関係をいちいちリセットしてたから
・若い頃にサボってたから
・野心丸出しだったから
・遠縁とはいえさんざやらかして傾いてる組織の縁者だったから

321:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 19:25:38.05 8lxjCJ2R0
>>318
司馬懿と陸遜は卓上の駒みたいなもんだしな。
権力でどうとでも押し込める。
機嫌損ねると何をしでかすか分からない規格外の豪傑関羽のような
危険性がないのはメリットとも言えるが。
劉備には関羽を配下として扱えるほどの器がなかったんじゃ・・・

322:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 19:27:22.12 q8uKeu280
劉備の人生ってあれが完成形だったんだと思うや。
劉備の能力がもう少し上だったら、おそらくもっと諸侯に警戒されていたんじゃないかな。
仮にその時の劉備の能力が劉秀並みでも、最初期の劉備の状況を打開するのは難しいと思う。
劉備の人的魅力がもう少しあっても、これまた諸侯に警戒されていただろうし。
もし劉備が劉表の死後に荊州とってたら、その後にはたして益州入りができたのだろうか…。劉璋もそんな不義の輩を受け入れるほど馬鹿ではないと思う。

長文・駄文ゴメンナサイなんだけど、言いたいことは一行目の通り。
ツッコミどころ満載のレスだけど、まぁ見逃してちょうだい。

323:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 19:37:45.24 KcSSEG6g0
司馬懿と陸遜は用いた方が良いと思う
ただ、出世させすぎると、やっぱり前者はクーデターを起こし、
後者は政争巻き込まれて憤死するのかなw
関羽も御せない劉備は天下取れる器じゃない

324:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 19:45:15.88 8lxjCJ2R0
関羽が後世、伝説の豪傑として名を馳せる事になった功績が
曹操軍に属していた頃ってのもなんだか皮肉な話。

325:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/22 20:29:10.16 oKQ4PPrUO
諸葛亮の荊州乗っとり策などの部下の献言を何度か退け、間違った選択をしたこと。
ホウトウに説得され益州を奪い、曹操を撃退しこれからというとき、その前後に重臣がばたばたと死んだこと。

326:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/22 20:48:03.45 JbvnF14A0
戦争とかに向くタイプじゃないよね劉備って?

327:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/22 21:47:31.24 5BQBy/Om0
数ある中でも最後まで残った名うての傭兵集団・爪牙だったよ>劉備軍

328:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/23 06:53:17.30 VGYO6KG2O
地力のある軍閥ではないが、戦闘能力は並より高い軍団。
それが荊州奪取前の劉備たち。
荊州奪取で漸く地方軍閥の仲間入りして、益州・漢中掌握でやっと地力がつき
漢朝消滅で帝を称する事が出来たが、如何せんその前後に中核の将軍たちが次々に死亡(もっとも大体高齢だったから世代交代は何れにせよ間近だったが)
そしてカリスマ性で軍団を維持してきた劉備本人にタイムリミット、って所か。
徐州で傭兵部隊から確固たる軍閥に脱皮できてたら、多少は様相も違ってたかもしれないが。

329:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/23 16:41:17.84 dMNk028f0
そもそも色々やらかして国民から愛想つかされた=徳を失った王朝の復興を
旗印にしてる時点で反主流派だよね。
光武帝と同じことやろうとしたんだろうけど、もはや豪族でもなかったしな。

ちなみに劉備が天下統一してたら、前漢、中漢、後漢って区分になったんだろうかw

330:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/23 18:58:47.09 aMZcZsf80
ああ、確かに劉備が天下統一レースに加わるなら、徐州時代だろうなー
それ以後~荊州四郡まで、客将・傭兵扱いだった訳で

331:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/23 19:05:59.49 lOY0PkiE0
徐州時代に呂布の裏切りがなかったら違った展開になったのかね。


332:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 00:22:36.67 H9bNF72X0
徐州は守りに向いてないから
曹操が南下してきたらやっぱりどうしようもなかったんじゃない?
袁紹がもっと積極的ならなあ

333:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 01:14:34.45 +f+PqQBK0
徐州が守りに向いてないなんてこたーない
孫呉からすりゃ守りにくいだろうが、劉備が本拠地にする分にはなんら問題ない
元は、大国であった楚の北部だぞ

言っとくが、陶謙の頃に曹操の侵攻を少なくとも2回は防いでいるからな

334:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 01:20:43.11 N4xaiSxy0
あれは防いだといえるのかどうか。
まあ一州対一州の規模なら縦深も山河の険もあるし守り難いわけじゃないだろうね。
曹操は勝利を重ねながら、後退を重ねる陶謙を捕捉仕切れずに諦めるしかなかった。
守るならエン州の方が難しいだろう。

335:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 01:31:10.59 IgGtCym+0
というより、劉備はよくもまあ徐州を引き受けたよな

南から袁術、西から曹操に現在進行形で攻撃されている

半分無理ゲー

336:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 02:56:31.68 N4xaiSxy0
でも曹操のエン州失陥の直後だよ。
袁術だってまだ淮南近辺に毛が生えた程度の勢力しかなくて、
揚州各地へ兵を送っていて徐州へは本格的には手を出せていない。
徐州は二年間大きな戦もなく、その間袁術に攻撃を掛けるところまで纏め上げている。
そのあとが劉備人生の最大の失敗の一つだが。

337:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 09:21:03.26 YwHJdx8xO
皆、本当の劉備の人生のターニングポイントは徐州な訳だな。
徐州に派遣されて、上手く陶謙の譲渡を受けて早期に徐州の地盤固めを成し遂げてたら
少なくとも当面は対袁術に傾注出来てたわな。
無論後ろ盾として袁紹あたりにバックアップを頼むのが必須だけど、聊か徐州掌握にもたついた感はある。
やっぱ戦略的見地を持ったブレーンが居なかったからだろか。

338:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 10:02:12.76 Q0stL1Ul0
いやいや。そもそもね。どこの馬の骨か知らん奴が突然やってきて国主ですって
言って在地の豪族が素直に従うわけがw
一応正式な任命受けて任地入りした劉表や劉鴛でさえ掌握には相当苦労してるし
蔡氏や東州兵の武力の後押しなしでは不可能だったと思う。
流れ者の分際で、官位や職歴もなく兵力もない状態で徐州に来たんだから難しいでしょ。
仁者で徐州の人皆慕った・・・なんてことさら書いてることがあやしい。
実際曹操が攻めて来たら、ころっとそっちについちゃってるんだからw

札付きの呂布を受け入れたのだって、その武力を徐州掌握のために利用したかったからって
ほうがすんなり納得できる。
結論としては徐州時代に天下に名乗りを上げるには実績、名声ともに不足。
その後曹操陣営に入り官位と実績(?)と箔をつけたから「客将」として通用したわけでね。

俺はやはり箔を付けた後の新野時代、曹操が袁氏を滅亡させるまでの期間がターニングポイント
だったと思うな。劉表陣営において政略を駆使してキャスティングボードを握る地位を占め
その時点での曹操との敵対、孫氏との和睦、同盟を成し遂げて、劉表一族を内部からあぼんで
国主へ、という道以外に可能性が高い道が思いつかん。

339:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 12:21:18.58 YwHJdx8xO
たしか徐州に入った時に平原相称してたんだっけ?しかも正式でない公孫サンの勝手に授けた官職。
公的権威はねーわ、只の派遣された傭兵部隊だわ、これで一国取るのは難しいか…。

340:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 15:25:40.38 Q0stL1Ul0
うむ。後漢の統治はいわゆる「郡県制」であり、それより大きな範囲である「州」にはもともと独立性はないんだよね。
郡太守には行政権も警察権もあるけど、州刺史は各郡の巡察使のようなもので
禄も実は郡太守と同じ二千石程度だから両者に明確な上下はない。
例外的にもっと力の強い「州牧」が任命されることはあるけど、州の「太守」という立場からはほど遠い。

だから実は陶謙自身がきちんと徐州を掌握していたかどうかは疑わしい。
反董卓連合軍を結成したときに刺史として徐州軍の旗頭にはなったけど戦争終了後、盟主として
立てられたかはわかんないよね。徐州が一本にまとまってないからこそ曹操来襲で簡単に万歳しちゃったと。
荊州侵攻時の曹操軍と比べるとはるかに兵力、武威ともに劣るのに。

341:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 20:11:09.19 N4xaiSxy0
>>338
徐州の大豪族であり、陶謙の側近中の側近だった糜竺・陳父子の支援で
劉備は徐州牧になってるわけだが。
それから袁紹と手を結び、曹操へ使者を送って献帝から鎮東将軍の名号を正式に拝命し、
後顧の憂いなく袁術攻撃に入った。ここまで、順風満帆。
それが呂布を迎え入れていたために全部おじゃん。

袁術攻撃までに二年かかった理由としてはいくつか想定できるが、
・元々陶謙が徐州全域を支配していなかった可能性(東部には臧覇がいた)
・曹操の屠城で下ヒ周辺が壊滅し、再建に手間取る。
・袁紹・曹操と結ぶまでに時間が掛かった。
などがあるだろう。

342:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/25 02:04:36.80 zB/Ax5bp0
>>340
監察権が支配権に演化していくのは後漢初期から晋代までの時代の趨勢だから掌握はある程度はしていたと思うよ。


343:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/25 03:04:17.29 GIQ2YO/X0
陶謙が徐州全域を支配していたかどうかというのは、
刺史の制度としての強制力の強さ云々の問題よりも
陶謙自前の武力が州全体を支配するにたる規模だったかという
問題の方が大きいだろう。

344:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/05 17:58:00.06 LHz6pgoq0
盧植門下の頃に名を上げてたら全然違った結果になったと思うよ
その代わり関張は傍らに居ないだろうけど


345:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/05 18:12:50.46 J1tYeX2b0
天下の侠者と交流があった群雄は多いから同じだろ

346:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/05 19:34:37.07 T9KZ7iBa0
>>344
それでも群雄割拠に入ったときに三十歳そこそこだぜ。
勉学教養で身を立てて、乱世になっていきなり軍閥を持てるような歳ではない。
誰かの下に付くのが精一杯だろう。

劉備が若くして小軍閥の長となり、短期間で武功を挙げて頭角を現したのは、
血の気の多い若者や侠客の間に交友を広げて「私属」を形成していたからだ。

347:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/05 19:55:23.88 KoL3CNXG0
私属というのは奴隷を指す歴史用語なわけだが。

348:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/05 20:49:19.92 T9KZ7iBa0
ごめん、勘違いだった。
劉備は「其の屬」を率いた、だ。

349:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/05 22:21:39.89 l3AQo9aL0
劉備に五湖十六国時代の人物、謝玄が部下にいれば何とかなったのかも

350:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 00:08:31.50 hGlcl3bI0
>>344
田豫とかと勢力築いて北方に割拠するんかね?

351:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 05:28:15.65 wVgAvOr40
>>349
謝安ならまだしも、謝玄ではなんともならんて
劉備の天下に必要だった人材は、後方を任せられる人材でしょ

曹操にとっての荀彧、孫策・孫権にとっての二張、袁紹にとっての田豊
混乱期に単なる軍閥から群雄となり勢力を伸ばせたのはこれら後方を支える人材がいたから

徐州時代の劉備には陳羣や陳珪・陳登親子がいたが、劉備自身が彼らを活用できなかったため
後に諸葛亮の加入まで単なる傭兵集団的な軍閥から脱却できず、勢力を築けなかった
それが最後まで響いている

352:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 11:49:04.75 dgRgUGVj0
>>351
後方というかむしろロングプランが立てられる人間で、中原で生き残ることを考えると加えて謀略にも長けてると望ましい感じだと思う。
劉備は大局視が微妙な感じだから。
つか孫策・孫権で言うなら二張より周瑜・魯粛が必要。

>徐州時代の劉備には陳羣や陳珪・陳登親子がいたが
この3人じゃ無理でしょ。
制度設計タイプと謀略家と司令官タイプだし。
劉備や中原劉備政権(仮)が出来たら要を担える人材だけれど、
初期劉備最大の短所はすぐ物事を放り出したり、大局視が出来ないところにあるんだから。

353:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 11:50:23.61 dgRgUGVj0
下から二行目の「劉備や」は校正中の消し忘れだから無視してw

354:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 12:06:57.43 M7UguFgCO
結局は支配地等でチャンスは幾度か(徐州や荊州)あっても
劉備自身が人を得ないか、いても使いこなせず後手後手に回って間に合わなかったのが原因でFA?

355:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 20:02:46.22 KTDf8IRr0
>>354
むしろそこら辺で勢力を築けないで逃げられたから,最後まで生き残った気がするけど。

変に徐州なんかに居座っていたら,袁紹か曹操に滅ぼされるか吸収されるかしてたのでは。

356:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/07 02:06:31.08 QTjEW/2IO
劉備は一応、曹操の評でも準曹操格だし、
軍事面では大局的な視点の完全な欠如を除けば欠点が少ないから、
それを補う荀イク・魯粛タイプが早期に得られれば雄飛の可能性はあると思うよ。

まぁ、でも当時の徐州は確かに場所が悪い気もするけどね。
煬帝が京杭大運河を築いた後なら悪くない場所なんだけど。
後方確保のために南方進出したくなるけど、九江には袁術がいて、
丹陽には既に孫策が入ってるんだよな。

劉備が呂布を斬って曹操につき出していれば、曹操が南陽攻めて、袁紹が地盤固めしている最中に、
曹操の与党のふりをして曹操の手駒使って袁術倒して九江郡取り込む手が使えるんだけどね。
この時期だと劉備は袁紹と曹操の間で風見鶏やってもなんの問題もないし。
それでも荀イク格の人間が補佐に居ないと曹操が東向いたらアウトだろうけど。
まぁ、荀イク格が居れば三つ巴位には持ってけるんじゃないか?

357:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/07 15:08:16.99 jt/pgLiA0
徐州では戦略をたてる軍師がいなかったし、
曹操、孫策に挟まれて窮屈、袁紹、袁術、呂布らもいて場所が悪かったと思う。

軍師を得て荊州、益州で勢力を伸ばすというのは真っ当な戦略だと思うけど、時既に遅し。
曹操「劉備はわしと同等だが、計略を考え付くのが少し遅い」
司馬徽「臥龍、主を得るとも、惜しむらくは時を得ず」
敗因はこの評通りじゃないかと。

それでも蜀の皇帝にまでなったのは偉業。
滅亡へのターニングポイントは呉と和を保てなかったこと。
徐庶、ホウ統、法正、馬良、黄権らが長く仕えていたら違う展開になってかもしれないけど、
どの道魏と呉が健在でいる限り天下統一は無理ゲーだったんじゃないか。

358:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/07 19:58:11.43 oj6GF0ouO
地の利でチャンスだった時は人がおらず、次に地の利を得て人も来たのに既に時期を逸していた。
ならば劉備にとって天の時とは何時だったんだろか。

359:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/07 21:12:18.15 UJlppX6l0
計略を考え付く時

360:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/07 23:46:42.54 niNFEXfw0
曹操は天の時を得る
孫権は地の利を得る
劉備は人の和を得たり

361:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/09 15:18:56.28 fmRfEur20
陳群の劉備への指摘は正しいけど
じゃあ陳群に従っていれば劉備は飛躍できたのかといわれると大いに怪しいな
回りまわって袁家に天下が転がり込んでいただけという気もする


362:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/10 01:21:56.75 5qwBF9B10
正しいかね。
一年どころか数ヶ月で状況が変転した190年代に、
二年間外からの大規模な攻撃がなく地盤固めに専念できた徐州は
かなり恵まれた戦略条件にあったはずだが。
194年徐州というのは周囲が不慮の損害や別の敵に手一杯という幸運の時機だった。

ただ、196年に「不慮の損害」が劉備に巡ってきただけで。

363:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/10 02:29:05.87 f+w5I14Q0
そこだよなー
何で受け入れちゃったんだろ

某小説のように、王朝の守護者という評判に
劉備か徐州士大夫層が骨抜きにされてしまったのか?

364:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/10 06:38:08.90 Ga721o26O
呂布で失敗したのがトラウマになって、劉表の元で自分が呂布と同じような立場になったときに「絶対裏切ったりしない」と言い張ってまた失敗したのかな

365:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/10 22:44:32.08 6y2GEj1V0
劉備が五湖十六国時代の劉裕のような性質だったら、何とかなったのかもしれません

366:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/13 07:08:40.46 cRjOfao50
諸葛亮は政治家だからな
本物の軍師は法正で
法正の死と同時に蜀の快進撃も終る
つまり戦略家がいないっての諸葛亮の不運


367:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/13 17:42:40.24 zcYV8Z9B0
戦略家というか軍略家な
政治と戦略はほとんど同じだから

368:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 12:53:00.32 HMIFEGOTO
40過ぎて無職

369:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 23:46:47.22 i/iKkiVy0
劉備は正規採用されてないだけで無職じゃねーってw
肩書きだけなら30代で左将軍のエリートだぞw

370:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/21 04:26:38.34 Mh7pbv1qO
出世スピードすごいよね
優秀な人だったんだね

371:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/21 07:27:52.61 KIeAsvz9O
そう。無能じゃないし、お人よしでもない。
ただ、地盤も無ければ武力以外の人材も無くて登場は黄巾直後でも
漢末群雄の中では事実上のスタート遅れになってしまった人。

372:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/21 10:33:44.20 jVapWuKf0
いや黄巾後に起家っていうのが相当の後発組なんだよ。
他の群雄の殆どは、
・黄巾以前からの朝廷高官または世に知られた名士
・動乱後に地盤を築いた群雄の跡を継いだ子弟
・董卓一派の部曲などで朝廷の実権を者
だから。
無位無官から始めて、黄巾の乱から5年ほどで県令まで昇って、
動乱の中を渡り歩きながらさらに5年で国相、刺史、牧。
さらに2年で正式に鎮東将軍を拝命っていうんだから。
これを支えた「武勇と信望」という評価は並大抵のものじゃない。

373:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/21 16:39:38.16 CPdjCTj00
鎮東将軍に上奏したのは曹操だけどな

374:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/21 16:54:09.72 jVapWuKf0
司空の推挙による献帝よりの拝命。

375:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/08 15:37:48.81 zcCjAE/n0
考えてみると劉備に公的権威与えちゃったのって曹操なんだよな。
県尉(県令じゃなかったと主)はとりあえず朝廷からの任命だけど、微官だし、
平原国の相は公孫瓚の勝手な任命だし、徐州の牧も現任が勅許も受けずに官を私物化して
譲り渡したもの。でも豫洲牧と左将軍は正真正銘の任命だからね。

懐柔しようとしてわざわざ将来の敵に箔つけちゃったわけだ。
関羽の寿亭候もそうだけど、曹操って結構迂闊な人?

376:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/08 16:53:30.50 pdZff8YD0
曹操は張繍の件をみても分かるようにかなり迂闊な所があるが、その件は大して迂闊じゃない。
当時の情勢がそう簡単に漢朝廷に従う状況なら別だったが、
実際はどこも軍事力の方を見て日和見してるからな。

377:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/08 18:00:21.61 tu6YkYDO0
曹操だって人の子ですから万能であっても全能ではないのよね

378:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/08 21:07:06.86 omG2uGrF0
>>376
献帝を擁した直後、袁紹へも含めて官位をばら撒きまくってるからね。
献帝=曹操を同一勢力とアピールする誇示でもあり、切実な懐柔策でもあり。
そのうちの一人を取り込み損ねて大敵になってしまった、ってだけで、
196年当時の劉備への待遇自体は、そんなに特筆すべきものでもない。
その後、対呂布・袁術戦線で劉備の価値がさらに上がっていって、
地位と箔を与え続けるはめになってしまったことが仇になったが、
他に有力者がいなければどうしようもないわけだし。

379:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/11 18:40:36.39 +Du5ZCvy0
NHK総合→dボタン→NHKデータオンライン→双方向クイズ天下統一

380:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/08 20:01:21.23 7ALwRQHC0
劉秀<なんだ、天下統一できなかったの?情けない奴だなぁ。
    そんなやつが俺を意識した諡号とかやめてくれない?

381:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 01:16:33.24 G6ca9upk0
光武はそんなこといわない!

382:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 02:53:27.55 fAeonDCV0
>>381
案外、三国志ばかりもてはやされてるのを知れば、光武帝とて皮肉の一つも言いそうだがwww


383:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 08:32:36.87 PXmkSwXP0
部下いじりが好きだった光武帝のこと、
あの世で昭烈をいじり倒しておられよう。

384:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 11:49:54.14 fAeonDCV0
>>383
優しいし、冗談や皮肉好きだしね。光武帝。

いくら過疎スレとはいえスレタイとはずれてるのでちと個人的見解を
劉備が天下統一できなかった原因・・・やっぱり年齢と領土かなぁ

①かなり難があるが徐州をなんとか守り抜いて曹操の台頭を防いでいれば
②劉表死亡後に荊州を奪っていれば
③孫権ばりに長生きして魏延の北伐案をやってみる

でも天下統一を劉備がしても、なんか劉邦の晩年をなぞりそうだと思うのは俺だけ?

385:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 14:12:40.06 AuuMgBNE0
④周瑜の劉備奉戴策に劉備・孫権共に乗る
ってのはどうかな?実現性が低いのはわかってるけど
戦力的には他のifより可能性があるのでは・・・

386:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 14:37:36.87 PXmkSwXP0
いや周瑜の策は呉の奥深くで飼い殺しってもので、奉戴しようってものじゃない。
良くて、呉帝孫権の下で一兵も持たない驃騎か車騎将軍ってところだろう。

387:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 16:47:09.07 AuuMgBNE0
周瑜の策は献帝と曹操の関係のように
劉備を祭り上げて実権は孫権が執るって
ものじゃないか?
確か「宮殿を築き、美女を与え・・・」みたいな事が
書いてあったと思ったが。

388:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 17:33:37.54 fAeonDCV0
曹操の下でじっと反乱の機をずーっと伺うてのはどうだろ
司馬懿のようにそれはもう辛抱強く・・・


(´・ω・`)無理っぽいか

389:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 19:04:18.02 7nlB0KTq0
>>384
その中じゃ、徐州堅守以外は手遅れでどうにもならない

袁曹戦争は、いわば天下分け目の関ヶ原
曹操が袁家を滅ぼし、河北を制覇した時点で、
他の勢力では曹操の天下統一を阻めても、曹操の天下を奪うことは不可能
それほどに勢力差がひらく

390:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 20:45:07.12 PXmkSwXP0
>>387
あーごめん、そうかも。
原文「宮室」か。
少なくとも諸王を名乗らせるくらいの計画になるね。

391:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 21:15:38.93 PXmkSwXP0
④荊益を完全に保全した上で、魏を防ぎつつ交州を固め揚州を制圧し、然るのち北伐する

ってのがあるが、劉備にとっては完全に時間切れだな。
劉備生前ならやはり>>384の①

同時期は曹操の人生最大の苦境の時代で、袁紹・袁術も全盛期を迎えていない。
徐州を押さえつつ当面の主敵の袁術を撃退してから、
袁紹と組んで曹操に成り代わり河・江間を独占するもよし、
公孫サンを支援して東西対決に持ち込むこともできる。
楽な道とは言えないにしても選択肢が豊富にある。

392:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 22:30:15.60 AuuMgBNE0
私も現実的なセンでは>>384の①しかないと思う。
徐州失った直接的な原因って袁術でも曹操でもなく呂布だから
呂布を迎え入れず、自力で袁術を撃退できれば官途に徐州太守として
介入できたかもしれないね。

393:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 17:31:56.49 qMmaUzvV0
その徐州維持が難しいんだけどな・・・・
曹袁のどちらと結んでも、どちらかと敵対するので相応の戦力は必須。
又、どちらも徐州を狙っているので、実際の援護自体も望み薄だろう。
呂布を迎えたのは、そんな状況で少しでも戦力が欲しかったからか。

とりあえず、呂布の裏切りを乗り越えるのが第一段階だろうな。
そして、田予や陳登みたいな優秀な人材を、どれだけ使いこなせるか。

394:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 18:37:33.17 xqf2cFR20
曹袁が決定的に対立するのは199年。
史実の劉備は徐州牧になった直後に袁紹と誼を結び、
曹操=献帝からは正式に官位を貰うわけだから、三者は小康状態でいける。

199年までに袁術を破って淮北から青州の河水南岸までを制圧すれば
曹操と同格以上の兵力を有することになる。
まあ、そこから天下を狙うには、どちらかに従属しているのでは駄目で、
袁紹と組みつつも手薄な許都を単独襲撃して献帝を掻っ攫うとか、
曹操と組んで袁紹を撃退した直後に疲弊した曹操を襲撃して
献帝を掻っ攫うとかしないと駄目だけど。

呂布は事故みたいなもんなんで、これは「上手くしのいだ」とするしかない。
それから田豫はもういないし、当時は若いので有力者ってほどでもない。

395:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/11 23:32:25.61 lznfMtJm0
>>394
いろいろキビシイけど人材的なものが一番きついな・・・

396:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/12 00:05:16.71 vaONGZPH0
曹魏で中核を占める有力者の多くが曹操に仕えたのは
実は196年の皇帝奉戴以降だから、
対応が早ければ人材は挽回できるんだろうけどね。

それは同時に、袁氏のような人脈名望がない劉備が中原で
天下を狙うには皇帝を担ぐことが必須条件ってことでもある。

397:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/12 00:58:06.45 S34et2SG0
>>393
難しくとも、どんなにうまく立ち回れたとしても時間切れが目に見える
ほかの不可能な選択肢に比べればマシ

>>395
将に関張、軍師に内は陳羣、外に陳登がいる
駒不足ではあるが、当時の曹操も駒は不足がちだから隔絶たる差ではないよ


398:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/14 11:18:14.26 id1ZgJsx0
徐州が維持できなかった理由は君主論を読めば分かる

399:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 00:14:59.62 PQBdqXJ90
たとえもし劉備が徐州を維持できたとして曹操の拡大を抑えられても天下は無理だろ

まず曹操が拡大できなかったのなら袁紹や袁術がはびこってるだろうし大小含め曹操に掃除されるはずの雑魚勢力が中原にうようよしてる

そんな状態で劉備が天下とれるわけない

曹操みたいに斬新な作戦も能力もないから袁紹の天下に順調に進むなか一人「漢室復興()」を唱えて史実のように消え去る

400:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 00:57:35.93 3JZQ4d2O0
曹操って何か斬新な作戦とってたっけか。
民屯も背景に「豪族の私兵と墾田の構造」があるから斬新と言う程ではないし、部下の発案だしな。
劉備の徐州時代まで行っちゃうと雑魚はほとんど残ってないような。

401:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 01:03:43.13 OcfUSvyP0
>>399
あのな、徐州時代でダメなら、そもそもが天下統一なんて不可能なの
他の時期じゃもはや状況を覆す時間がないの
消去法なのよ、消去法
微かな可能性だが仮に天下統一できるとしたら徐州時代でしか残ってないの

そもそも、そんなこと言い出したら、劉備は天下統一なんてできないで終了よ?

402:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 08:44:01.18 oR/NL52H0
徐州を得た時に,豫州をそのまま維持できなかったのだろうか?
その上で,陳羣のような潁川、汝南の人材をかき集めれば,
曹操や袁紹にも人材面では負けないだろう。

当時の兵力じゃ難しいか。

403:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 14:33:06.67 OcfUSvyP0
>>402
「できた」「できなかった」のはなしなら「できなかった」
当時、徐州の将兵の掌握をままならぬまま、領土欲から袁術に挑み
留守の隙を突かれて呂布の台頭を許す結果となった。

劉備は、陳羣の諌めに従って、まずは徐州の将兵の掌握と人民の慰撫に勤めるべきだったと思う

何かとネタにされる曹豹だが、徐州時代の劉備にとって重要人物
彼から忠誠をえられなかった事が最大の失策であり、ターニングポイントといえる

404:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 16:10:42.38 q6xeklnzO

そもそもただの小説だから



405:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 16:15:52.76 pzs5hFMo0
>>403
それと同等以上の失敗をしたのが、エン州を失ったときの曹操だけどね。
なにせ何進に招聘されたこともある地元有力名士の辺譲をないがしろに扱って
同じく地元有力名士の張バクの乱を呼び込んだわけだから。

劉備と曹操の差は、(結果から見れば)曹操には驚異的な軍事的粘り強さがあり、
当時の劉備には無かったことだろう。
それ以上の中原情勢として、
曹操がエン州を回復する二年という長期間、外にはエン州に本格侵攻する大勢力が無く、
不利な横槍がほとんど入らなかったことがある。
しかし、劉備が徐州を失った196年は袁術の最盛期近くに辺り、
曹操も献帝を抑えてエン州・豫州西部・司隷東部に支配を伸ばす大勢力になりつつあった。
この二者の影響を劉備(と、それから勿論呂布も)受けざるを得なく、
徐州が独立的に安定する機会は結局二度と訪れなかった。

406:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 16:37:12.47 OcfUSvyP0
>>405
同等の失敗には違いないが、本拠地を失陥して徐州を失った劉備軍と異なり
たった3城まで追い込まれても、本拠地を死守した曹操軍との差は大きい

また、困難な状況において、死力を尽くして抗った曹操と
あきらめて軍門に降った劉備の差も大きい

劉備を粘り強い人と考えている人も多いようだが
その事績から見ると自分の命以外のものは、割とあきらめのよい人と見受けられる

この点が天下争奪戦において、
曹操に対して十歩も百歩も後塵を拝する結果になったと考える

407:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 16:43:46.37 pzs5hFMo0
>>406
劉備は三城どころか一郡確保したよ。広陵という。
呂布の反乱だけならある程度踏ん張れた。
しかし、反乱が起きたのは袁術との対陣中。
劉備はまず、袁術に破れて主戦力を失い、
広陵に逃れたものの至近に袁術の揚州がある状況ではこれを維持できず、
呂布に降伏するはめになった。

人となりの面では、曹操は諦めが悪くて粘り強く、劉備が諦めが良い、というのは同意するけど、
徐州を失った原因はそれだけではない。

408:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 17:11:56.82 PQBdqXJ90
>>402
豫州牧っていっても実権は劉備になかった

409:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 19:04:03.51 vY9YzM6M0
曹操と袁術の間で上手く立ち回れれば良かったんだろうけど、外交面での劉備のスタンスは
どんな感じだったんですかね
豫州は完全に領土争いの渦中、徐州は曹操と袁術が狙っており、呂布は拠り所を求めて徘徊
曹呂袁の少なくとも2勢力と、何らかの盟約を結んでおきたかった所じゃないかな
そういう意味では、袁術と交戦した時点で厳しい状況になった感はある

410:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 19:12:20.72 pzs5hFMo0
劉備は徐州牧になった直後に袁紹と誼を結び、
曹操=献帝からは正式に官位を貰う。

袁術と和解するのはまず無理。袁術は揚州に陣取った時点で、
徐州を狙って陶謙と小競り合いをしていた。
淮南から中原を狙う限りは必争の土地となる。

411:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 19:39:38.39 xo5btsyv0
>>403
「できなかった」とする結論は分かるけど,
陳羣は豫州潁川郡の人で,豫州刺史としての劉備に召されたわけだから,
彼は劉備の徐州行きそのものを止めたのじゃないか。

412:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 19:47:31.67 Zw2hnUG00
俺は409じゃないが、410聞く限りでは劉備は
対袁術に集中できる環境にあったっぽいね。

袁術撃退後、曹操と組んで官途に勝つor
袁紹に与して跡目争いで上手く立ち回る
事ができれば天下の目はあるんじゃないか?


413:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 21:20:24.83 pzs5hFMo0
積極的な天下狙いとは言えないが、
徐州一州を以って袁紹に附いて曹操を潰し、
そのあと袁紹が死んで、縁故のある袁譚に与して上手く立ち回れば、
結構機会があるかもね。
なにしろ袁譚に附くだろう人間としては、将軍・州牧クラスというのは
抜きん出た格を持つ。

414:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 22:45:48.20 vY9YzM6M0
呂布を利用して対袁術の共同戦線でも張れればな・・・・
袁術に手一杯の所を呂布にやられたので、呂布をどうするかが大きな課題だと思う
袁紹は遠いし、曹操も劉備に援軍送るだけの余裕は無し

415:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/17 19:08:54.61 PfMd+4ME0
でも呂布の謀臣の陳宮が、もう曹操に下るくらいなら死ぬって覚悟でいるからなあ。
そもそも袁紹・曹操に反して、交戦中に袁術と結ぼうとしていた勢力の残党だから、
袁術に傾斜するのは避けられないんじゃないか。
庇護したこと自体が失敗。

で、なんでわざわざ劉備が呂布を迎えたかというと、
朝廷(献帝)を守護した者という触れ込みがあったからだと思うんだよね。
だから袁紹・袁術・張バクと転々としつつも歓待されたし、
朝廷も東帰の際に呂布に助けを求めている。

めんどくさい状況だわな。

416:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/17 21:46:35.92 NwlYRXXjO
いっそ呂布に袁術攻めを任せてみたらどうだろう?
元々袁術から追い出された身だし、案外気張って上手くやってくれるんじゃね?

417:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/18 00:28:27.23 24WP2SmW0
>>416
呂布の勢力だけで対等に戦える相手かと言えば、そうでも無い気がする
戦場は徐州になるわけで、劉備だけ高みの見物とは行かない
呂布に劉備の盾となるメリットも少ないし、戦争のドサクサで呂布に徐州を
乗っ取られる気がするぜ・・・・

418:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/18 00:36:40.31 +3GcMstu0
本拠地に危険人物を置くわけにはいかないから前線に出すというのは割と常套手段。
しかし、呂布の手勢だけで袁術と戦えるはずがないので、
少数で放り出せば、そのまま袁術に駆け込まれる危険があり、
十分な戦力を与えれば、やっぱりそれを手土産に袁術に駆け込まれる危険があるという。
陳宮辺りは徐州を獲れないのならそれを薦めそうだしね。

419:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/18 04:27:11.77 9pEOqHlB0
刘备と武田信玄とは宅男型君様
曹操と信长とは远征型君様


420:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/23 22:18:20.29 0xKKMn3g0
> 劉備が天下統一できなかった最大の原因
劉備に天下を統一できる才能(器)と意思と天祐がなかったことだな

421:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/23 22:50:04.11 J4SBTuLJ0
そうだな。
そして武皇帝司馬炎は五百年に一人の器と天佑の持ち主よ。

422:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/23 23:00:49.91 Czs81myY0
劉備は独り立ちするのが遅いからなあ
徐州時代にどれだけできるかIFが難しい
何せ、徐州以後は完全に反曹操という名で売っていた訳だし

>>421
司馬一族は本当に乱世の統一者という感じがしないなあ
イメージで言えば王奔に近い
武将じゃなくて政治家がそのまま皇帝に成り上がった感じ
武将として実績がある司馬懿ですらそのイメージが強い

423:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/24 03:10:46.92 suxDHRhS0
>>422
単に演義のイメージに囚われているだけじゃね?

それに重臣から禅譲(簒奪)は三国に近い後世に似た例があるぞ
王奔なんぞに準えるより、隋の文帝の方が遥かに近い実績

北周の高官(上柱国・大司馬)から帝位の禅譲を受けて隋を建国
南朝を併呑して天下統一を果たした創始者
司馬氏の三代の行いを1~2代(父親から国公を受け継いでるから)で成し遂げた感じか
文の諡号を贈られてはいるがまごうことなき征服者

西魏(北周)の宇文一族、東魏(北斉)の高一族でもいいけど
こっちは天下統一しとらんけどね

武将じゃなければ乱世の統一者ではないって考えも可笑しいけどな
最初に乱世の天下統一を果たした秦の始皇帝は、戦場に立たずに統一を果たしたのだから

424:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/24 22:23:36.53 DLCa1t8G0
>>423
多分、戦争の勝利者というより政治的勝利者というイメージが強いんだろう
始皇帝に例えるとすれば、その正当性という点で違和感がある感じ
魏建国最大の功労者は曹氏であり、それと比較した司馬氏が小さく見えるのは事実

更に言えば、天下を競う呉蜀との勢力差が司馬懿の時代で末期的状態だった
これが、魏のワンサイドゲーム=司馬氏のいいトコ獲りという印象を強くしたはず
実際の呉蜀滅亡時期は曹氏全盛なので、全ては結果論から来る偏見だろうけどね

425:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/24 23:14:56.34 LOz+dmqG0
>>424
>実際の呉蜀滅亡時期は曹氏全盛
意味が分からん

426:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/25 00:14:40.26 //TYkfoj0
>魏建国最大の功労者は曹氏であり、それと比較した司馬氏が小さく見えるのは事実
これもわからん。
皇帝家自身を建国の功労者とか言うかあ?
司馬氏はそもそも魏の建国当時には直接の功労は無い(司馬氏は諸卿の高官だが)
立場だったし。


427:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/25 01:26:41.36 hrRPbXmH0
>実際の呉蜀滅亡時期は曹氏全盛
ってどういう意味?

428:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/25 01:36:07.56 YQ5BqGIy0
版図が最大規模だからといって、ワンサイドゲームなるとは限らない
寧ろ、国家として安定した勢力を倒すのは難しい
版図が大きいだけで天下統一が成るのなら曹操時代に天下は治まっていただろう

当時最弱と謳われる南宋は、当時最強と謳われた金の侵攻を防ぎきる
そして、当時最強と謳われた元ですら滅ぼすのに長い年月を要した
南宋側に内憂がなければ滅ぼすこと適わなかった可能性すらある

三国統一も、魏(晋)が強国だからではなく、呉や蜀の方に問題を抱えてたからと云う点が大きい
そして、魏に発生した問題を最小限に抑えたのは司馬氏の力なのは間違いない

まぁ、なんにせよ、覇王でなければ統一者に非ず的な考え方が可笑しい

429:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/25 01:54:06.58 XUibT8/w0
>>428
○国家として安定した勢力を倒すのは難しい

つまり「スレタイ的に」言うなら魏呉が安定してたから天下はムリってことだな

ま、言い得て妙だな。安定していない国は滅び行く運命だ罠。崩れていけば壊される。
(ヽ'ω`)いまの日本も。。。

430:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/25 02:29:18.86 YQ5BqGIy0
>>429
内憂外患により国は滅ぶけど、今の時代、外部からの征服は滅多にないだろう
そして、内憂も、そもそも民衆蜂起が起こりにくい日本はしぶとく存続する気がするぞ
政治家の腐敗程度では国が滅ぶほどの内憂とはいえないしな、独裁専横に発展するなら話は別だが
それでも食べるに困る自体にならんかぎり安泰だよ


431:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/25 11:16:18.73 UsZlpXib0
という事はもし蜀が安定していて魏と語が不安定だった場合、蜀が天下を取れる可能性も在るの?

>>421簒奪者の孫その上暴君(天下を統一しても60年で乱世に戻した)しかもその天下は祖父や父親が下地を引いていて殆ど雑魚しか居ない状態
司馬炎の状況立場ならば、野望を持った劉禅や他の無能な武将でも同じ事は出来る

司馬一族は曹操一族が纏めかけていた天下を政治的に簒奪し天下を取った謀反人というイメージしかない

432:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/25 11:38:05.80 m4VEAuwY0
>>78
そこまでしてもらって裏切る劉備ってかなり人間的に腐ってるよなw


433:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/25 19:53:09.03 //TYkfoj0
>>431
イメージするのは君の自由だ。

434:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/25 22:43:49.42 mQ5akuYYO
>>431
もし孔明の北伐時に高貴郷公殺害のような事件があれば
北伐成功の可能性はグンと広がったと思う。

ただ外患があると中が固まってしまうので、そんな事件はまず起きない。
というジレンマ


435:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/25 22:58:30.95 YQ5BqGIy0
>>431
> 簒奪者の孫
この一言で、知識がたかがしれてる事がわかる
偏った情報で勝手にイメージするよりもまずは広く見識を深める方が先ですよ

436:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 00:04:19.05 H65QYN730
>司馬一族は曹操一族が纏めかけていた天下を政治的に簒奪し天下を取った謀反人というイメージしかない
非常に微妙なところだね。
司馬懿があっさり隠棲して、曹爽が専横を続けた場合、「曹氏の天下統一」は成立したのだろうか。
曹爽があしざまに言われるほどの馬鹿殿様とも思わないが、
司馬三氏の対呉蜀防御や国力増強と同等以上の貢献が出来た「イメージ」は俺には無いなあ。

437:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 01:07:17.22 vpSvDUUq0
>>436恐らくその場合だと時間がかかっても普通に、「曹氏の天下統一」となったと思う

>>435偏った情報も何も司馬一族は簒奪者であることは事実だし、見解を広めたとしても功績を見て個人的には糞一族としかイメージしかない

438:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 02:59:20.67 H65QYN730
司馬炎の祖父の司馬懿は簒奪してないから>>431二行目は嘘

司馬氏が存在しない場合、魏呉蜀のどれが先に自壊を始めるかなんて予測不可能だぞ
曹叡時代までは、魏はとても蜀や呉に攻め込んで勝てるかもしれないと言えるような国力は無かった。
蜀呉の同時侵攻に数的に対抗できず、あの満寵がびびって後退を進言する程度の力でしかない。

439:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 05:48:53.35 mOefcvsF0
っていうか司馬氏の簒奪ってのは「曹氏の寒門や皇族、元勲重視の政治がいやだ!」っていう風潮の中で起こったものだから
司馬氏が居なければ曹氏の天下が安定ってことはないんだよ。単に司馬氏以外の名門が担ぎ出されるだけ
曹氏は初期の初期の時点で、陳群の七品官法を受け入れなきゃならないほどに名門士大夫に対して妥協の姿勢をみせてるから
司馬氏がいなければ法治主義と曹氏閥の人間で朝廷を運営できるような体力は元々ないの
けっきょく司馬氏も曹氏を打倒してその座についても、曹氏と同じように名門士大夫との政治バランスをとり続けなければならなかったし
その意味で司馬炎までのは曹氏の徹を踏まずに政治的なバランサーとしては優秀な人間だった。

440:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 10:02:23.52 +0ati/QCO
劉備が天下を取れなかったのは明らかに自立が遅過ぎたからだと思うんだけど、それ以前に劉備が最初から天下を望んでたように見えない。
少なくとも孔明と出会い荊州から追い出されるまでは、一武将として生涯を終えるつもりだったように見える。


441:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 12:57:23.65 H65QYN730
九品な。
それに、陳羣の時点では漢の地方行政と中央官僚推薦が癒着する察挙制よりずっとマシな
中央集権よりの制度だった。
それがやがて時間をかけて骨抜きにされるわけだが。

そもそも分裂時代から統一した王朝が、皇帝中心の専制体制として完成するには建国からも長い時間が掛かるもので、
形は違うが、漢も統一とは名ばかりの郡国制から武帝の即位まで60年かけている。
魏は抵抗勢力を排除して帝権を安定させる前に曹丕・曹叡が早死にして、「名士」勢に乗っ取られただけ。

442:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 13:07:05.68 H65QYN730
あっと。
とはいえ、>>439に基本的には反対しているわけではないが。

機関としての「皇帝」の権力が安定しない古代中国国家では、
有能でなくてもいいからある程度まともな成人皇帝が即位し続けるってことが
王朝安定の重要な要素になる。
幼帝が即位したり、先帝に嫡男がいないと、それだけで国家の危機が到来する。
古代には皇帝権力(皇太后なども含む)以外に重石になる安定的な制度というものが無いから、
皇帝が不安定だと、王朝の帰趨は制度ではなく臣下同士の政争如何に左右されてしまう。
漢はその賽を振るような闘争を幾つか乗り越えた。魏は一発目で駄目だった。それだけといえばそれだけ。

443:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 19:14:14.07 BEm63dtw0
>>442
魏は皇太后に権力を持たせなかったから、幼帝が即位するとほぼ即座に「臣下同士の政争」が勃発する危機が発生するシステムだからな
皇太后や外戚に権力が権力を持ちえた漢の制度は、皇帝の系統を生き延びさせるためには有益だった

444:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 22:09:19.22 hpqLg88h0
>>443
悪名高い宦官も皇帝家存続という観点から見れば非常に優秀なんだよなあ
悪辣なのも居るから手放しで褒められるものじゃないけど

>>438
>>431が偏ってるのは俺も同意するが
曹真の蜀遠征を無視するのはどうかと思うの

445:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/27 03:48:06.96 MCAxr/3n0
>>441
いやでも九品官制度の採用試験管である中正って、その土地の出身者が派遣されるシステムだからなぁ…
それまでの孝廉は群太守によって任命されてて、群太守はその土地の出身者を当てないというのが基本システムだった
九品が中央集権よりの制度かは疑問符がつくな
採用時点で郷品が定められるシステムだし、九品官は十頃(以下階級事に五頃ずつ増える)耕作地が与えられるコトを考えるとな

陳寔の孫という名士中の名士であり、同時に唐の律令制の雛形である魏律令を作った陳羣らしい法律といえばそうなんだが>九品官法
まあ、州大中正を設置して完全に名士利権を確保した司馬懿よりは魏皇帝よりの人間だったとはいえるんだけど
肉刑論の下りみても明帝は陳羣・鍾ヨウを援護できてないし、どれだけ曹氏が長生きすれば名士を潰して帝権を安定させられるのかちょっと見えてこないな

446:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/28 01:17:16.30 ktLfC5p10
>>440
徐州の自立は遅いと云うほどでもない
天下を望んでいた訳ではないとは、陳寿の記述からも読み取れるが
一武将として生涯を終えようとしていたとするには、若い頃から野心が強過ぎるように思う

447:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/28 02:39:55.39 L2zTmang0
結果的に漢が滅びているからと言って、野心家の誰しもが漢氏に取って代わることを狙っていたわけでもないだろうからね。
漢を再生させてその中で最大の栄達を図るのだって十分大それた野心だ。
朝廷を牛耳る宰相とまで行かずとも、第二位、三位の驃騎・車騎将軍とか。
官渡前に袁紹に与した頃の劉備は、勝てばそのくらいは狙える距離にいた。

448:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/28 23:13:26.28 HushaORbO
能力や野心や仁徳がホントはどんだけあるのか、ホントは何がしたかったのか、調べれば調べるほど解らなくなる。
劉備って三国志でもダントツに面白い人物だと思うわ。

449:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/28 23:26:51.87 HdhetQPI0
歴史人が三国志特集だったけど
中途半端に演技批判してたな
劉備が劉表の食客レベルから蜀の皇帝まで這い上がったのはたしかに凄いと思う
でも世の大勢は曹操についてる訳で劉備の行為は中国王朝の弱体化を招いただけでは?
結果として戦乱が長引いて人口減少から異民族引き入れて五胡十六国時代招いた遠因になってるわけだし


450:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/28 23:57:50.79 4aVTlYR10
>>449確かにそういう見解もある、でも自分が思うには曹操が天下を取っても司馬一族が簒奪すると思う

その場合恐らく曹叡時代に司馬一族は裏切り曹一族の天下を簒奪すると思う

>>438曹丕・曹叡までは忠臣だったがそれ以降は自分司馬慰とその一族はクーデターを起こして簒奪している

異民族引き入れて五胡十六国時代招いた原因は司馬一族が原因だと思う

451:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/29 00:04:45.80 7+nunvjP0
三国時代がどうなったところで中国史の大きな流れは変えられんと思うが。

452:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/29 00:11:06.97 T3lrD+l60
>>450
異民族引き入れたのは後漢時代の匈奴とか、曹操の時代の烏丸・テイとか、司馬氏の時代以前の方がずっと多いくらいでしょ
抑えきれなかったという意味では司馬氏の責任も大きいが、引き入れたという点は司馬氏ばかりを責められない

453:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/29 00:46:46.82 Lnou1zUP0
後漢末は戦乱で中国の人口が減りすぎ
異民族の受け入れを推奨する←曹操
受け入れたものの、差別は当然あった
(蛮族などというように人ではなく中国中央から見れば虫などに近い存在で人ではない。すなわち蛮)

中国を統一に成功した司馬氏。
周公旦と太公望の話にもあるように
曹氏は「外部の人間を重用し、権力を与えたため簒奪された」
ならば「内部の(要は親族の)人間を重用し、権力を親族で握ればいい」

親族に権力を与えすぎて争いが激化(親族みんな王)→兵士が必要だけど人口足りない→卑賤の異民族が傭兵として使われるようになる
→親族間の争いが単なる神輿になり、それを担いだそれぞれの異民族の争いに
→神輿が変化→五胡十六国時代へ

移民を受け入れなければどうなっていたか
人口が減りすぎて外敵に対抗できない。生産性も悪化したまま。結局はそのうち混乱と戦乱に突入したと思われる。

。・゚・(ノ∀`)・゚・。 自国の国力の低下と移民受け入れ問題・・・まるでどこぞの国のようじゃないか。どっちに転がっても死ねる。

454:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/29 00:59:56.47 zeb9IVec0
>>450
陳寿の編纂を信じるならば、クーデターを計画していたのは曹爽
司馬仲達は先んじて鎮圧しただけ

曹芳・曹髦は、司馬師・昭を除こうと画策して失敗
事の経緯を知れば、司馬兄弟にのみ非を唱えられない
司馬兄弟の行いは、主君が主君として義務を果たしていなかったからこその反撃
主君が主君足れば、司馬兄弟が天下を望んでいなかった可能性すらある

455:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/29 01:17:44.06 21KPZn7Z0
>>449
歴史を俯瞰的に見てよいのなら、
三国鼎立こそが華南に中華文明が300年近く疎開する自力を育てたことになる。
魏が早期に統一を成し遂げていたら、疲弊した中原の回復のために
華南の力が長期間吸い取られることになるわけで(後漢後期はそうして経済不安が全国に拡散した)、
統一王朝が磐石なら良いが、もしそれでも異民族に負けた場合、
中華文明はそこで途絶えてしまった可能性が高い。
当然、周辺諸国への影響、日本の古墳時代以降の文化も存在しないことになる。

ま、だから「歴史にifはタブー」なんだけどね。

456:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/29 01:25:23.77 21KPZn7Z0
>>454
そりゃないだろう。
陳寿は晋臣として「公式発表された事実」を書き留めただけ。
曹爽との抗争は、よく言っても互角の勢力争い。

二帝への対処は魏臣としては大逆不道の行いだ。
幼帝として即位して、まだ二十歳前後だった皇帝二人に、どんな悪行や義務不履行があったというのか。
不品行程度で天子かつ皇帝を除く権限など臣下にはなく、
曹髦の決起に至っては公式のやりとりなど当時誰も信じていなかったことが
裴松之注から見て取れる。

457:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/29 02:17:49.34 PX/OC75a0
>>452なるほど、異民族を引き入れたのは曹操時代からですか、
それでも統一しても異民族の台頭を抑えきれず戦乱に引き戻した司馬一族の責任が一番重い



458:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/29 06:20:12.21 Aykz9D/G0
「王、アンタ天下取っちゃいなよ!」って司馬氏の王族そそのかして中原大混乱を作った連中の中には陸遜の子孫とかいるんだが

459:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 01:57:36.63 oyK0ORme0
つか前漢末に6000万いた人口が三国時代だと1000万いくかどうかってレベルだし、
色々末期だったんだろう。


460:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 02:07:24.75 vn+i4k6J0
>>459
その辺の数字、晋代に入ると跳ね上がるから
単に各勢力、把握できていない人口層が多かった可能性があるよ

461:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 03:26:48.33 oyK0ORme0
>>460
戸籍調査のできない民がウヨウヨしてる方がむしろ問題だと思うが。
本当の人口が3000万として、豪族の私有民が皇帝達の私有民の倍以上いるわけだし。
まぁその後、春秋戦国のクローンかってくらい似た変遷を歩むからそうなんだろうけど。

462:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 03:37:44.41 vn+i4k6J0
乱世の混乱期だぜ?
問題がないはずがないし、流民だって沢山いただろう
人口把握をしっかりやってろって言う方がムチャブリだと思う


463:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 07:01:05.63 5HXXDCXx0
曹操って基本内政に関してこれといって業績が書かれてないもんだからな
目先の軍事優先で、長期的な人口回復策とか考えてないと思うわ。異民族を内地に入れたのもその一貫だろう
だからこそ後漢末の戦いで勝者になれたんだと思うが

464:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 07:24:53.89 cMCrH6hz0
>>463
むしろ数少ない内政の業績が書かれている人物に入る

465:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 09:50:20.76 5HXXDCXx0
例えば何よ?屯田とかいわないよな?

466:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 14:10:04.01 cMCrH6hz0
>>465
調べもせずになにを熱くなってるんだ。おちつけよ。
wikiあたりで曹操の項目から 政治家として の部分でも読んでくれ
君主として何を採用してこういうことを改革したって残ってるのは少ないだろ
敵を討って強かっただの人望があったとか存命のうちは民はよく尽くしたとか
漠然としたものしかあまり聞かないからな。三国時代は。

屯田制の採用は当時の状態を考えると画期的というより必然ではあるが
まあ三国時代で政治的に見るところは九品官人法(曹丕・陳羣)ぐらいだと個人的には思う。

467:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 15:16:36.87 5HXXDCXx0
ああ言い方が悪かったね。というか二行目の軍事優先で、って部分から察して欲しかった部分はあるけど
俺が言ってる内政って、民政に関してだから
曹操がやった政治は基本兵制改革と法整備であって、戦乱で荒れた農村を回復させる為の何かをした記述がない
軍屯や強制移住、州の再編成なんかは前者だろう?若いときの実績も淫祠邪教を取り締まる等、刑法に寄ってるし
曹操は抜本的な国力回復の為に免税や開墾、灌漑などを指示した形跡がない


冀州が袁紹の統治を懐かしんだ~みたいなのはとりわけ袁紹の統治が優れていたというよりは
曹操の税収が厳しかったんじゃないかと俺は思ってる。淮南だっていつ荒れたものやら

468:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 20:51:46.48 vn+i4k6J0
民屯

469:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 23:19:38.13 nLA+HuD70
曹操が酷吏・法家寄りの為政者だったことは確かだな。
曹操の寛治というと、冀州支配直後の租税免除くらいしか思いつかない。
これも政略的度合いが強いものだろう。

まあ袁術の南陽や淮南の統治ぶりまで曹操に肩代わりさせて
なかったことにするのはやりすぎだろうが。
二者の搾取は別個に存在するとするべきだろう。



470:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 23:24:52.69 nLA+HuD70
ただ、寛治というものは統一がなってから、それでなくとも新王朝が立って安定してからの課題であって、
曹操の時代に曹操が民衆を労わる政治をすべきだった、というのも違うだろう。

中原が統一されている、自衛のために郷里単位で武装しなくとも良い、
という現実に救われた民衆は限りないだろうし、
屯田政策などは豪族の中間搾取を排除しての流民の帰化に大きく貢献しているわけだ。
まあ、屯田民への負荷はかなり厳しいものだったようだが。

471:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 01:49:38.40 82VAWglg0
劉備が天下を取れなかった原因スレなのに
いつの間にか曹操叩きスレに変わってるな

まぁ、劉備が天下を取れる可能性を語る自体、語れることが少ないから
別の話題に摩り替えないと書き込むこともないんだろうけど

472:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 03:24:05.61 uNEUcFmA0
この流れが曹操叩きに見えるなら自分の日本語能力か精神を疑ったほうがいい。

473:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 16:19:18.39 33drsfc30
個人的な極論なのだが
劉備も曹操も孫権も覇者としての器はあったが広大な中国を統一できる器ではなかったのだと思う。

474:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 16:34:18.31 PLEd7d+t0
そりゃ極論というより結果論だねえ。

475:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 17:03:23.94 33drsfc30
>>474
まあ結果でしか歴史は判断できないからな・・・
ちょっとした一文から想像力逞しく夢の世界に行くのもいるみたいだが

476:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 17:10:44.30 y+qt/LNq0
個人的には、どうしてその極論に到達したのかをもっと突っ込んで語って欲しい
まあ、突っかかってくる人が居るから難しいのかもしれんけど
>>473だけでは、>>474のコメント以上は何も言えない

477:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 18:12:07.38 33drsfc30
>>476
スマン。書こうとは思ったんだけどスレチな方向にどんどん流れてるからね。
それに確かに突っかかる人もいるだろう。
説明するといろいろ長くなるからあんまり言えないけど少しだけ
不満はいつの時代もつきものだけど、それら不満を何らかの方法で抑え(軍力や慈悲、思想でも何でもいいから不満を上回ればいい)、
同じ国民としての「ある程度の」中華全体の意識統一が果たせなければ
広大な中国で天下統一はムリだと考えてるんだ

孫子の言ったとされる「国家は民あってこそであり、民の減少は国家の存亡に関わる事。そして死んだ命は生き返らない。」なんてのがあるけどね

さて、
○黄巾の乱という国家が傾くほどの騒動をおこした民の大多数が後漢に良い君主を今更求めたろうか。 劉備
○才能あるものに報いるのは良いが、才能のない民にはなにがあったのか 曹操
○昔ながらの豪族制を続けて民にはなにがあったのか 孫権
黄巾という乱があった以上、民の心が分裂した状態で、これらを強烈な武力なりで押さえるだけの器量が必要ではなかったのか
ある程度押えられただけの器量ゆえに覇者。そして完全に押さえつけるような者が現れなかったゆえに五胡十六国時代に続くのではないのだろうか



478:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 18:50:11.65 uNEUcFmA0
ちょっと微妙だな。
当時の「世論」「民意」を握っていたのは、中間層である豪族および知識人だよ。
本当の無力な一般庶民は、戦乱の時代であればこそ、良く世話してくれる豪族らに靡く。
だから覇者はまず豪族や知識人達の支持を得ることに腐心する。
それと平行して、自らが直轄統治する戸籍民を増やそうとするし、
天下平定後には豪族や軍閥の力をそぎ落として強力に中央集権を進めようとする。
光武帝の治世がその典型だ。

さて、信望高い劉氏としては、当時劉虞・劉表があり、
曹操の唯才は一般庶民階級まで敷衍できるほど大げさな話ではなく、
孫権が豪族を厚遇したとするなら、最も天下に近い信望を得たのは彼だったことになる。

これでは少々、史実と異なるよね。

479:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 18:55:04.94 uNEUcFmA0
劉曄が自分の立場を危惧したように、
当時、豪族大姓にとっても劉氏は利用価値があり、
ゆえに曹魏政権下で彼は処世に苦慮した。

一方劉備は、別に劉氏だからという理由で信望を得たのではなく、
「武勇と信望」で曹魏に対する一方の旗頭となるまで伸し上がった人物が、
劉姓の正統性を利用して皇帝を名乗ったもの。

陳王寵の例を加えてみても、「劉氏である」ということ、それ自体は
マイナスに働くようなものではなかった。

480:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 19:20:41.86 y+qt/LNq0
>>478-479
孫呉政権(というより江南)の後進性はよく指摘されることだから、
そのツッコミは少し意地が悪くはないかい?

ただ、劉備が劉氏というより反曹操の側面が強いことと
当時の世論が知識人・豪族層だったことには同意する

481:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 19:37:22.83 wEEtcwZQO
昔ながらの豪族政権はむしろ魏だが。
曹操が、いや曹操に限らず民屯的なことを行った全勢力が豪族と同じレベルの搾取をするようになったから、
後漢末みたいに豪族から税金すらとれない状況からは脱しただけ。
といっても公田内では漢でも従来から行われてきたレベルの税だから曹操が殊の外圧政を敷いた訳ではない。
曹操が勝ち残った理由はそれを大々的にやった事。
流民の植民と農具家畜の貸し付けは前漢代からあり、兵戸制は前漢の五営や後漢の黎陽営を祖型とする世襲兵士なので、
実はここ二十年くらい色んなフィクションで宣伝されているような程オリジナリティのあるものではないし、
発案が部下二人から出ていることからも分かるように、当時の状況に置かれれば、まともな指導者なら採用するレベルの話ではある。
まぁ、先例を組み合わせてのフル稼働といったところで、これをもっとも有効に機能させたことは褒められてよい。

人材は後漢中期の袁・楊二氏時代から続く豫州・三河地域による支配がそのまんま人脈として続いて祖型を為してる。
陳平のことを挙げて才能優先をうたうのは、梁冀や宦官と癒着していた節のある後漢後期の三公胡廣が既にやっている。
正直無邪気に曹操の求賢令を額面通り受けとるのは難しい。
実際には九品官人法までは公正性などは後回しだったとみる方が恐らくは正しいだろう。

呉は豪族制から六朝貴族制に片足突っ込んでて諸将の独立性がヤバい。
史実の劉備が漢室のことまで考えて行動していたとは思えん。

482:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 19:59:30.23 33drsfc30
実際どうだったかなんて判らんが、そうなのかもね。
でも知識人や有力者の戦争の流れよりも農民の反乱→民族の戦争という長い長い流れと混乱のほうが重要だと思うのよ
あくまで中国史の流れ的になるけどね。
てかスレチにどんどん流れるから書きこむべきではなかった・・・

483:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 20:17:40.97 uNEUcFmA0
いいんでないの。当時の社会情勢や反乱動向を知ることは、
劉備に限らず後漢末の群雄が「統一できなかった」大きな手がかりになる。

んでも、黄巾のような「農民の反乱」が、
小作人を持たない「中農」や半ば以上小作人である「小農」といった
一般農民に率いられたものだとは考えがたいんだよな。
豪族らの主な収入はまさに農業であるわけで。
黄巾は官吏や王国を攻撃したが、
反乱の景気付けに悪徳無法な大地主が血祭りに上げられた、
なんて話は確か殆ど無かったはずだから。

484:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 20:29:29.46 y+qt/LNq0
>>482
ああ、そういう視点で言っていたのね
それに気がつかなかったのは俺の不明だ。ごめん
その視点なら>>477の劉備・孫権の評は多少納得できる

>>483
黄巾の乱って後期はともかく当初はかなり政治的な反乱なんだよなあ

485:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 01:18:11.62 mfQCVUeX0
>>483
権謀や才覚で曹操に敵わなかったから治めた国は小さかったって
陳寿も編纂してることだし、社会情勢のせいにする必要はないと思うよ

486:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 01:26:21.09 K4Vt0KBZ0
「劉備に限らず」って言ってるのに。

487:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 01:28:03.32 K4Vt0KBZ0
切れた。

曹操が天下を統一したのなら、社会情勢のせいには一切できないけどね。
誰にも出来ないのだから「原因」の一端、あるいは「最大」のものになりえるわけだ。


488:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 16:24:22.30 GUC4lXp90
裏切りばっか繰り返してたから罰が当たったんだろ

489:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 16:41:06.26 qWh6XN6x0
最後の方は旗揚げ時からの家臣である関羽がもう言うこと聞かなくなってるしね
実際のところ劉備に人望があって人が集まったんじゃなくて駆け込み寺だっただけじゃね?


490:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 18:52:17.54 DjiHsP/j0
>>489
kwsk
言うこと聞かなくなってるなんて事を伺わせる記述あったっけか?

491:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 21:26:29.01 A068HUjkO
関羽に対して魏に深く攻め込むな、くらいは言ってたような。

492:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 23:38:45.67 PjZWTdtn0
>>491
そんな話し正史にあったっけ?

まぁ、関羽にとって荊州内なら魏の深くじゃなかったんじゃね?w

493:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 01:13:55.31 C/KpF3oB0
原因は性格だな
大人の風ありとはいうが、肝心なところで我を通すのが失敗の要因
あと追い込まれるとこらえ性がない

あくまで曹操との比較でそう思うだけで、まぁ陳寿の評のとおりじゃなかろうか

494:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 02:16:39.97 CbbVPgpj0
天はなぜ、劉備のほかに猛徳を世にだしたのかッ!

495:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 01:50:10.89 BwtohlV00
劉備がいなければ多くの人々が無駄に死なずに済んだというのが正しいと思うw

496:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 20:30:37.01 oK2/6nci0
いや,孫権が諦めてくれればそれでよかったのではないかと。

497:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 22:11:37.15 cOA+5Lai0
官渡の戦いで大勢は決してたんだよね
帝も確保してるんだから諸侯が曹操に敵対する=朝敵なわけで
劉備のいう正義って何?

498:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 23:27:23.66 Tyj/mCzwO
>>497
ということは董卓に敵対した曹操は朝敵だな。

499:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 23:40:58.50 pZXdJbKw0
劉備の正義っていうか、曹操に組したくない奴らに大義名分与えたのが劉備じゃないのか
諸葛孔明が仕掛け人とされることも多いが

500:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 02:28:42.18 ZfPgaaPX0
>>498
董卓軍の元から献帝が逃げ出していなければ、
闘争中の献帝を曹操が救出して奉じていなければ、そうだったかもな

>>497
朝廷から戴いた官位を送り返して、無断で漢中王を僭称できるくらい正義の人

501:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 07:25:49.43 V8F2GbAr0
ただの結果論じゃないか。
反董卓連合軍時点の曹操が朝敵だったことに変わりないし、
劉備は魏を正統とする史観からみた場合の朝敵ということでしかない。
現実の魏晋以降の史家が持ってきた史観はそこまで単純でも一方的でもないけど。
だから「三国」志が正史の一つに数えられる。

502:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 08:06:26.97 a8xSiKuuO
そもそも正義なんて自分の主張を個人的に正当化したものであって絶対的なものじゃない。
朝敵という見方でさえ放伐や君側のカン(漢字出ねー)という正義が主張出来るんだから。
後はその主張にどれだけの賛同者がいてくれるかだ。そういう意味では後年劉備は正義として多くの人に認められているな。

503:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 13:11:06.55 JrIYVd9D0
劉備末期の呉侵攻に反対した武将や文官は少なくとも劉備の大義名分をよく理解していた
劉備をそそのかしたり積極的に付き従った武将や文官は利を求めて劉備についただけの奸臣

ここまで言うと言い過ぎかもしれないが概ねの色分けはできそう

504:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 22:09:00.53 V8F2GbAr0
劉備の大義名分=漢による天下奪回 のためには荊州奪還こそが必須だったという方が、よく言われる話だけど。

505:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 01:23:07.40 CQ4Z8QxA0
>>504
劉備の大義名分=漢朝の再興、かもしれないが
劉備≠漢、だ
献帝健在の内に漢から独立しておいて、漢を名乗るはおこがましい

506:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 01:40:17.75 DhhfwUHl0
>>505
残念ながらそれは当たらんな。
後漢は成立の過程の問題から、有力な皇族が独立して漢を名乗ることを正統性論争だけでは抑止できない。
実力と前漢皇族であること以外に前漢を継いだことの正統性がない系統だから。

507:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 09:41:59.95 9QE+VPtPO
>>506
あー成る程、劉備は(自称?)劉勝の子孫なんだもんな。引き継ぐなら当然前漢か。


508:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 10:27:19.78 DhhfwUHl0
>>507
違う違う。
後漢が前漢を継いだ論理と、蜀が前漢を継いだ論理は全く同じだから、
後漢は蜀を責めることは出来ないし、後漢を継いだ魏も蜀を越える正統性がある訳ではない。

何しろ光武帝は前漢最後の皇帝である孺子嬰も、旧主である更始帝も健在のうちに即位し、
王族クラスで自分より遥かに大きな勢力を持つ劉永も敗死させて、自勢力のパトロンの劉楊を暗殺している。

後漢や後漢を継いだ魏は、血統の正統性によって劉備を責めることは出来ないし、
勢力の趨勢によっても劉備の不当を訴える事は出来ない(劉永の件が即位後なので抵触する)。
訴えたら後漢やそれを継いだ魏の正統性が揺らいでしまう。
光武帝がやったように、実力で敵をねじ伏せる以外にない。
もちろん逆に、蜀も「簒奪」疑惑以外で魏を責めることは出来ない。

むしろこういった理由で、三国が正統性論争から自由だからこそ、三国で文通が行われたりしたんだろう。
正統性論争があれば、名士や人材評論の盛んだった後漢末の空気を知ってる各国知識人は、
交流を絶たざるを得なかっただろうね。

509:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 10:33:04.00 DhhfwUHl0
肝腎な所を誤記してしまった。
× 蜀が前漢を継いだ論理
○ 蜀が後漢を継いだ論理

後漢の正統性がごらんの通り皇族内での血統の皇帝への近さによるものではない為、
劉備は大手を振って後漢を継ぐと主張出来る訳よ。

510:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 15:12:15.70 EZZXr9lQO
皇帝位云々はおいといて劉一族として見ればいい

本流の家が力を失ったから力を持ってる庶流の家が
本流に変わって劉氏の棟梁となっただけ

袁昭は嫡出ではないが袁家の棟梁となり
陸遜も庶流だが陸氏の棟梁となった
当時は一族の誰かが栄達すれば一門皆栄える時代だから
優れていれば血縁の近さなんてのはあまり関係ない
劉備がむしろ織りするほど貧しいのに学問することが出来たのは
本家の棟梁が目を掛けて学費を出したからだしね


話がずれたけど、そういう事は当時は普通に行われていることで
劉氏に限っては400年も皇帝として君臨していたので庶流の数が馬鹿みたいに多いだけ

511:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 19:37:09.98 ud33TKn20
一般の豪族に、一族全体の棟梁だの宗家だのを世襲する概念は無いよ。
せいぜい、ある家が持つ爵位や大きな土地を嫡子が継ぐかどうかってだけだが、
それとは本質的には関わり無く、その時々の高官や名望家が一族全体の有力者として振舞うだけ。

前漢-後漢-蜀漢の「王朝交替」はこれとは違い、乱世でなければ名分が立たないもの。

512:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 20:17:32.21 DhhfwUHl0
>>510
悪いけど皇帝位についてはそんな宗族内の出来事と同列視できない事情がある。
秦漢の皇帝位の扱いの違いとして、秦では皇帝を「天そのもの」としていたものを
前漢では「天から与えられた爵位の一つ」として祭祀上取り扱っている。
皇帝位の継承は当然爵位継承の手順に準ずることになり、本来であれば嫡男など
正統性の順番で継承され、自分より正統な後継者が全て死没している場合のみ継承が許される。
皇帝や皇后の意見が「太子」選定に影響することはあり得るが、臣下たる皇族が自発でそれを正すのは無理。
子がなければ本来は断絶することになる。
もちろんそうなると臣下が宙ぶらりんになるので、皇后など内朝の意見を参考に継承者を捜すことになるが。

あとあなたが挙げている例も誤謬が多い。
陸遜が陸氏の宗族を率いたのは本筋の陸績があまりにも年少だったため。
若年時は陸績の方が名声を博している。
袁昭が袁紹の事なら、一族の根拠地で割拠した袁術の方を宗族の長と見る場合が多い。
劉備の例はそもそも宗族の長の「就任の」話とは全く関係がない。
タク郡劉氏は魏内で劉備とは別個に存続している。

513:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 20:49:05.00 ud33TKn20
皇帝が崩御した時に嫡子がなく、遠縁から招く場合は、養子の体裁となるね。
だから新帝は血筋上はゆかりも無い皇太后
(つまり先帝の正妻。本来の嫡子を産んだかどうかも問題ではない)を
母として仰ぐ。

514:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 15:51:08.55 hnKsDKYW0
age

515:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/23 00:25:13.56 4jvl4GcHO
曹操、孫権、劉璋に囲まれてる荊州じゃ最初から詰みだろ

516:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/23 23:56:55.47 6wbMS0PmO
ゲームだと兵站の概念がほぼないから厳しいけど
歴史上だと旧劉表の幕僚や兵卒物資を半分でも組み込めたら
南下してきた曹操と充分対抗出来たはずなんだよ
持久戦に持ち込めば守る側が有利だし魏は結構小中規模の反乱が曹操の代は起きてるから

517:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/24 17:29:34.92 1c88QpGg0
>>516
ゲームじゃないと言うのなら,当事者の意識も考慮しないといけないのでは。

劉表の死後,政権幹部は一致して劉琮を擁立し,即座に降伏を決定させた。
そして劉備は,この流れに全く関与させてもらえなかった。
少なくとも彼等に,劉備に荊州を譲ってまで曹操と戦う気があったとは思えない。
しかも曹操が来る最中なのに,どうやって劉備が半分も取り込めるの?

518:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/25 05:22:21.73 uZG5bCsR0
>>515
曹操が南下する以前に劉表を謀殺して荊州を上手いこと奪い取れたのならやりようはあるさ
荊州を奪えず仕舞いでも何とかなったのだから

519:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/27 06:48:52.50 bxPi1s9X0
>>518
まあ荊州を奪うことだけ考えればそれでもいいけど,
本当に乗っ取ってしまったら,その後劉璋には警戒されるから,
益州奪取は逆に難しくなるのでは。

それに,乗っ取りの最中に孫権に攻め込まれそうな気がするけど。

520:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/28 11:50:33.89 tWHUx4xE0
>>30
劉璋を病死に見える毒物で毒殺すればよかったね。
出迎えたときに食事会があったのかは分からないが。
まあ、そんなこといったら歴史上のこういう場面はみんな毒殺で片付くことになるけどw

521:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/28 15:01:08.40 xjcLqGwCO
うまく毒殺しても劉ジュンが後を継ぐだけ
陶謙の徐州とは違って益州は完全に王国化していて、「はい劉備様どうぞ」とはならない

うまく譲ってもらった徐州ですら曹豹のような輩がいるのだから、
やはり戦って完全に屈服させない事には戦後の安定した統治は無理だろ

522:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/29 01:14:56.79 Fas3Oh0M0
「劉備が天下統一できなかった最大の原因」は同時代に曹操がいたことだな。

523:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/29 18:19:11.62 r7ZC7K/JO
曹操いなかったら袁紹で決まりじゃないか

524:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/29 23:44:33.98 Fas3Oh0M0
まあそうか。
じゃ、張飛がいなくて義弟は関羽だけだった場合、色々と有利だったかも。
いや、そんな事言ったら呂布さえいなければって話にもなるし。

まあ真面目に考えると、学問が嫌いだからあまり故事とか兵法とかを知っていなかったのが原因とも言えるかな。
まあ劉邦も似たようなもんだけど。

525:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 02:28:09.26 pEq/x7jD0
劉邦と劉備の違う点
劉邦は自分の考えずに配下の進言を受け入れる
劉備は自分の考えと配下の進言が食い違うと自分の考えを押し通す
この点の違いが結果を変えた

526:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 08:25:04.34 6denScdH0
>>524,>>525
そこは本当に無学なためにちゃんと自覚していた劉邦と,
一応は学問を修めたために中途半端に自信があった劉備の違いではないか。

527:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 08:39:35.52 JfHJVzM80
劉備が流転した原因は劉備の能力不足としか
馬良とか法政とか得てからは一気に駆け上ったわけで

528:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 11:18:28.52 sDdqiEJCO
重臣でもない単なる一食客に過ぎない劉備が
劉表が死んだ直後に荊州乗っ取りなんて話にならんだろう。

529:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 11:39:33.84 aV52mhI90
>>522-524
袁紹は、あの病死が普通に寿命なら死後に息子が争うから十分勝ち目があるだろう
袁紹が生きていたとしても、派閥争いがひどく、足の引っ張り合いで隙はかなり多そう

曹操に対する漢中での勝利、荊州での関羽侵攻で首都移転を考えていたことを思うと、
当時は、国力は大きなファクターになりえないだろう

530:漢室宗親
11/12/30 22:43:01.49 LAIQJpqv0
天哉!漢室豈運數已盡乎?
昭烈帝早崩,諸葛武侯早薨,否則勝負亦未可知也!

531:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/31 17:11:30.63 cKWwet+v0
竹中半兵衛
スレリンク(sengoku板)


532:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/31 20:56:20.73 5Hhs8ToeO
耳がデカすぎたからだな

533:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/01 21:48:00.81 Lp3PpytE0
>>522
曹操が天下統一できなかった最大の原因もまた、同時代に劉備がいたためなんだよな。

534:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/01 21:52:18.67 Lp3PpytE0
>>529
袁紹が202年ごろに死んで跡目争いで分裂するなら袁氏は無理だが、
そうでないならほぼ決まりだろう。

200年代前半に大軍で南下されたら、劉表も孫権も勝ち目はない。
特に孫権は、赤壁時代に輪を掛けて求心力が足りない。
揚州を纏めて大戦をするのは無理。

535:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/02 02:29:37.14 qOeR3QUl0
>>533
劉備は遠因であって、本命は孫呉が降伏勧告に応じなかったから
孫呉が降伏勧告に応じないなら、劉備がいてもいなくても天下統一は厳しい
劉備がいなけりゃ100年早く南北朝時代に突入してただけじゃね?

536:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/02 07:41:35.35 cix86F630
劉備がいなければ孫権は荊州勢力と繋がることができないから、
赤壁まで到達すらできない。揚州に封じ込められて手詰まり。

益州を曹操から防いだのも劉備。

537:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/02 15:05:07.84 ljAvDW8o0
>>536
魯粛が劉琦を取り込めば江夏郡を抑えられるから,迎撃することはできる。
劉琦を利用すれば,劉備と同様に荊州中南部を得ることも不可能じゃない。
ただ劉璋側が迎えに来てくれないから,そこから益州を奪うのは困難だろうけど。

538:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/02 17:02:08.04 fwwqvbIQ0
たられば、なんてするものじゃないよなーとか思いながら保守

539:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/02 21:50:13.48 cix86F630
>>537
取り込めれば、ね。
劉表と孫権は長年の仇敵同士。
だから魯粛は因縁の薄い客将の劉備と交渉した。

なにより劉琦に劉備と同等の武勇と信望は無い。
史実で荊州人士を取り込みながら並行して行われた
一年以上の荊州・汝南戦役を、劉琦をパートナーとして完遂できるか?
という課題はまずクリアできない。

勿論、荊州人が曹操の下から南へ逃れてきた現象には、
劉琦の存在は大きな影響があっただろうが、
あくまで副であって主にはなれない。

540:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 02:12:10.58 rNVSFYqT0
今更間違いに気づいたw

×荊州・汝南戦役
○荊州・淮南戦役

541:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 09:11:45.81 7eyMbqh00
>>539
劉表側にとっての孫権は東方の敵勢力であって仇ではないから,
孫権側から劉琦、劉琮と連絡を取ることに支障はない。
実際に魯粛は劉表の弔問目的で荊州に向かっている。

劉備がいないとして,劉琮が降伏して劉琦が浮いた状態なら,
魯粛は劉琦と交渉するだろうし,劉琦にも他に頼る相手はいない。

もちろん,劉備抜きではその後が厳しいのは貴説のとおりだけど。

542:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 14:50:30.99 rNVSFYqT0
劉琦にとっては降伏するのが最有力選択肢。
劉備無し、江夏戦力のみでは、孫権支配下に完全に組み込まれることになる。
戦歴や野心の有無、孫堅の死の事情から見て、
屈従の危険を踏んでまで曹操に抵抗する理由は無い。

543:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 18:47:48.89 D1trlroY0
>>542
当時の劉琦にとって最大の敵は劉琮とその一派であって,孫権ではない。
事実上劉備の傀儡に甘んじた劉琦が,孫権には従えないとも考えにくい。
(年長の劉備はともかく若造の孫権には…という可能性はあるけど。)
孫権側だって,黄祖ならともかく劉琦を仇扱いすることはないだろう。

というより,劉琦が貴説のとおりに判断するのなら,
劉備が長坂で蹴散らされた時点で曹操に降伏するのではないか。
揚州6郡を支配していた孫権側でさえ降伏論が主流だったのだから。

544:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 21:17:37.76 rNVSFYqT0
地盤の無い劉備は劉琦を必要とする。彼と組めば、荊州での一定の権力・権威の分与が期待できる。
地盤と人材のある孫権が劉琦を必要とするのは江夏の通過時だけ。あとは邪魔な存在でしかない。
将としての価値も無い劉琦は、荊州での地位を貰えず、揚州に引っ込まされる可能性が高い。
しかも、曹操と対立する孫権政権が長続きする保証は無い。

劉琮一派が曹操陣営で大きな地位を占めるなら、そちらへの降伏は劉琦にとって危険だが、
現実にはそうではない。
劉琮に及ばないにしてもそれなりに厚遇されて、離れたところで後漢の臣として安楽な人生を送れる。
仮になんらかの事故で曹操が滅んでも、権力争いに首を突っ込まなければ安定度は高い。

>劉備が長坂で蹴散らされた時点で
しかし、その時には関羽が夏口に到着しており、劉備もすぐに続いて到着したわけだ。
孫権との同盟の見込み大という土産を持って。
降伏に傾く時間は無かった。

545:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/04 00:14:43.85 zXErRuVm0
荊州支配に荊州勢とのつながりが必ず必要なモノか?
孫呉は、赤壁の戦いのあと、荊州の東部を支配下に治めているぞ?
赤壁で曹魏軍を追い返せば、反抗するだけの勢力を持たない荊州なんて
支配できないわけがないと思うが?

546:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/04 03:31:21.16 AtsXxmoT0
曹操の脅威が無ければ、必要というほどではないね。
しかし、荊州が北と東の両面から圧迫を受ける状況では、
荊州の人心をいかに速やかに掴むかが重要な鍵になる。
でないと曹操がまた侵攻して来たときに総崩れになりかねない。
当時の荊州には、揚州の盾となって強大な敵と戦う理由が無いから。

孫呉は209年、215年、219年と段階的に支配を広げ、222-223年の危機を
武力で排除することでようやく荊州支配を定着させた。

547:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/04 07:28:27.73 WsLTZFVn0
>>544
孫堅が元長沙太守だったとはいえ,ずっと劉表と争っていた孫権側にとって,
劉琦は荊州の人心を集めるための神輿として必要だろう。
その意味では,劉備と孫権にとっての劉琦の価値に違いはない。

劉琮一派は曹操から刺史、九卿以下の大官を与えられている。
丞相府の官属でないから実権はなかったとしても,扱いは決して悪くない。


548:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/04 21:06:25.68 AtsXxmoT0
「悪くない」地位を捨てる危険を冒してまで、劉琦に害を及ぼす意味があるのかという話。
劉表の嗣子という地位は曹操に降伏した時点で消滅しているのに。
遺臣達はなおさら、劉兄弟と離れたところで独立して自分の安楽なり出世のために行動していく。

>人心を集めるための神輿として必要だろう。
自分の旧臣と新たな蜀閥で体制を固めた劉備蜀漢政権下で、
劉璋・劉循親子はどうなったか。御輿といってもよくて飼い殺しでしかない。
蜀を取った劉備にも、揚州の孫権にも、自前の権威と兵力と人材が十分にあるからね。
戦力として役に立たないのに「御輿」に担がれて独立されかねない若者に対し、
孫権は、たとえば荊州刺史のような権威を与えるだろうか。否だろう。

貧弱な地盤で孫権と曹操に抗して荊州を維持しなければならない劉備にとって、
劉琦の価値はずっと大きい。だから当初の政軍分割統治的なものが成立する。

549:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/04 23:40:47.32 zXErRuVm0
>>547
>劉琦は荊州の人心を集めるための神輿として必要だろう。
この前提がおかしいって
そんなものなくても孫呉は赤壁直後に荊州東部を支配下に置いている
劉備がいなければ、南部も支配下に治めていただろう事は疑う余地もない
なにしろ荊州に孫呉の侵攻を食い止めるだけのまとまった勢力がないのだから

また、関羽を討ち取った後も、特に荊州の大物と連携した様子もなく荊州をキッチリ支配している


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