10/11/18 01:35:25 RcgwiBq90
度量が大きく強い意志を持ち、おおらかな心をもって礼儀正しく人に接し、
人物を良く見極めてふさわしい待遇を与えた。
それらは前漢の高祖に通じ、英雄の器を備えていたといえよう。
国のその後を諸葛亮に全て託すのに際して何らの疑念を抱かなかったことは、
君臣の公正無私な関係を現すものとして永遠に手本とすべき事例である。
好機を得るための機知や行動の根幹をなす戦略では、魏武に及ばなかったため、
勢力の基盤となる領土もその才能の差に準じて狭かった。
しかし、挫折して人に屈しても諦めることなく、最終的には誰の下にも居らず独立したのは、
彼らの器量を考えた時、自分を何時までも許容し続けてくれるような人間だとは
到底思えないがためにそうしたのである。
単純に自分の利益だけを考えての事ではなく、自分にふりかかった災難を避け、
殺されないようにするためだったと言えよう。
そもそも劉備に天下を統一する意思や意図がなかったのではなかろうか?
行動理念が、漢王朝のためでも民のためでもなく、天下をすべる野心ですらない。
殺されないようにだけにな。