劉備が天下統一できなかった最大の原因at CHINAHERO
劉備が天下統一できなかった最大の原因 - 暇つぶし2ch2:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/16 18:50:22 TESC5dgp0
うんこ

3:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/16 20:57:11 +WDNSJXD0
そんなに熱心でなかったから

4:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/16 23:36:49 Q9OhHOL1O
袁紹程の人脈も名声もなきゃ、曹操程の資金力もなかったため。

5:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/17 03:33:43 WFu38BvYO
カンウの補佐が居なかったから【ホウトウ戦死】 イリョウで負けた為 エンショウと手を組まなかった為 赤壁でカンウがソウソウを見逃した為【これは演技だから除外】

6:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/17 04:56:51 lEEs1sPf0
中原から追い出された時点でじえんど
天下は袁紹と曹操の二択しかなかったよ

7:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/17 05:28:41 Lpyjxbp60
>>6
もし袁紹が天下とってたら100年早い八王の乱が起こってたんかな。

8:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/17 05:57:53 +ky6somF0
逃げ回ったあげく
ムリヤリ蜀おっ立てただけの無能に
天下統一できなかった原因もクソもねーだろww

9:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/17 22:48:38 g75rg73P0
>>8
お前曹操だな?

10:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/17 23:04:47 S9OSSNRB0
関羽が役立たずだから

11:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/18 00:27:17 tnb8Qkrm0
>>7
袁紹の天下だったら、劉備はその下についたのかね。

12:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/18 01:27:35 dMd3ElKQ0
劉備は公孫サンの配下だから、顔良や文醜あたりの下につけられたかもね

13:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/18 18:34:19 sHqU/k890
>>1
曹操が河北を制覇した以降、劉備に天下統一の目なんてものはない。
呂布に徐州を乗っ取られた時点で、天祐も曹操に劣ることを示しているから
天下統一ができるとも思えないな。

>>11
劉協を廃して、帝位に推戴されてたかも?
袁紹も曹操を倒したからと言って、即日禅譲を迫るとまではいかないであろうことと
出自は怪しくとも劉協より皇叔のお墨付きを貰っていて、帝位を継がすのに適当な人材だったから

14:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/18 21:17:17 V1J/nJXb0
>皇叔

15:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/18 23:19:36 tnb8Qkrm0
>>13
もしそうなったら、すごい権力争いが行われそうww
実権を握る袁紹VS劉備家臣団
袁紹死後なんか、息子たちがやらかしてますますww


16:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/19 01:08:08 LYYSj1Uk0
現実問題として、担ぐとしたら劉虞の息子、劉和だろ。
劉璋や劉曄など身元のハッキリしてる皇族が居るのに、劉備なんか担がれる道理がない。

17:63
09/04/19 03:25:02 nagbteOX0
>>16
劉虞にはきっぱり断られているから、劉和も断られる可能性が高い
199年以降記述がないことから、官途の頃にはお亡くなりになってたりしている可能性もある

劉曄は曹操の傘下、劉璋は遠く巴蜀の地

史実の劉備は、演義と異なり野心満載の人物で引き受ける算段も高く、担げばそれだけ恩も売れる
(劉備がどれだけ恩に感じるか当てにならんが…、曹操なんかよりもよっぽど奸雄だからな劉備は)
道理については、元々臣下が主を廃することに道理もへったくれもないこと

懐に飛び込んできた皇叔の冠を持つ窮鳥を操るのは容易く、如何に扱うかは思うが侭
可能性ならないとは言い切れないと考える

けどまぁ、薄いか
なんせ劉備は袁譚と親密な関係だから、後を袁尚に継がせたいなら障害になりかねないものな

しかし、劉備を保護した裏に実はそんな企みがあったとしたら、度重なる劉備の失態を大目に見た理由にもなる
一説として、けっこう面白い考えだと思わない?

18:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/19 08:53:03 zRg4AZyE0
>>16
問題は身元ではなく能力(徳)だよ

19:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/19 15:00:52 PMfv1KYM0
>皇叔
>皇叔
>皇叔

20:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/21 14:06:10 yKN1wfzz0
見回りに来た役人が会ってくれないって理由だけで
キレて縛って鞭で叩いたから

21:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/18 23:16:36 EXEcVTy10
>>20
その時点でw

22:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/19 03:49:59 ohkmVSXZ0
三国鼎立させただけで十分頑張ったって言える
野心なけりゃ曹操か袁紹の配下くらいでおわってた

23:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/25 08:46:01 GKlA1E8e0
国起こすのが遅かったからじゃん?

24:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/04 04:31:40 pbnMThhC0
211年に入蜀したすぐさまに劉障を捕縛し、蜀に兵を2万程残し、一挙に漢中を抜き、
長安の韓遂らに合流する。劉備が何月に入蜀したとか、時間の問題等、いろいろあるが、ともかく劉備はこの機を逃さず迅速に動くべきだった。
ここで大胆に出れば歴史は流転したはず。



25:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/04 06:39:45 pbnMThhC0
>>25
後は荊州返還。蜀を手中に収めすぐさま荊南二郡を呉に譲渡し、長安と漢中、涼州を平定した所で更に荊南二郡を明け渡す。
とにかく1つ言えるのは、劉備は臨機応変でなかった事。出迎えに来た劉障を捕縛すれば、三年の月日も掛からず、何より無駄な血もなく蜀を平定できたのに。
劉備の優柔不断のせいで、張松や鳳雛ら貴重な者が死に、更に関羽の死に繋がったと言える。
全ては劉備に責がある。


26:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/04 07:10:07 pbnMThhC0
>>25
すまん、>>24と書くべきでした!すみませんでした!!

27:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/04 11:03:55 Kx81ig6h0
お抱え武将は多彩だったのにな。
やはり憎まれてもワンマンで冷血でなければトップはつまらぬということか。

28:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/04 12:04:03 rSagd2YOO
そんなに露骨に人を騙して、滅亡がはやまるだけ

29:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/04 18:11:02 6ELkSIpgO
>>25
魯粛が劉備についてれば最強だったって事か

30:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/05 02:18:16 UWNbT0F30
>>24
あれでも劉璋は、蜀の民臣からの人気は高かった
その劉璋を騙まし討ちの捕縛で蜀の民臣が心服するとは限らない
逆に大いに反感を買う恐れが高く、すんなりと平定できるとは限らない

次に漢中。まるで遮る者がないが如く語っているが、五斗米道の張魯は10数年もの長きに渡り漢中を支配し、
民衆からの人気の高い統治者で侮ってよい存在ではない。生半可では討伐は難しい

さらに涼州の軍閥と盟を結べるかどうかも不確定。馬超のいない劉備は涼州とのパイプを持っていないからね。
曹操の漢中侵攻において涼州を侵略される事を恐れて挙兵したのと同様に、劉備の漢中侵攻に対して涼州への侵略を恐れて挙兵しないとも限らない。

そして、荊州・益州・涼州と漢中を制していたとしても、曹魏との戦力の差はまだまだ大きい
劉備が急性に力をつければ、史実同様、孫呉も劉備の力を削るような動きに打って出てくる

反三国志の道は楽ではないよ

31:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/18 04:39:34 8dETg8Ne0
>>30
24~25カキコした者だけど、30さんの言う通りなんだよね。よく考え直せば。
それでも劉障は早くに始末を着けるべきだったと思うよ。血もほとんど流さず、時間も掛からなかっただろうと思うしね。





32:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/18 04:51:12 0lSrwQU40
でも、ムシロ織りで、かつ、何度も国を失いまくったのに、良く蜀とか
立てれたよ。それだけでも凄いわ。曹操にしろ、孫にしろ、先祖代々の
人脈が分厚いわ。

33:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/21 06:26:58 JA3WXl76O
自分の部隊を守る部隊長としては有能だけど
大守として土地や土地の人の財産を守ることが
出来なかった、もしくは意思が希薄だった
だからやばくなったらすぐ逃げちゃう
コーメーがいなかった時代にそういう戦略的な行動をとれず
中原を押さえられちゃったから?

34:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/21 13:54:12 DocI5q8i0
劉備の皇叔って家譜による代数で見る中国ではあり得なくない?
確か献帝より二世代くらい後なんでしょ?

35:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/21 15:16:55 MYJMvMgd0
そもそも劉備が群雄として一人立ちするのが赤壁後に独立してから
それ以前はずっと誰かの配下として立ち回ってる

36:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/02 03:53:16 j2v53PdjO
「金が」とか「人脈が」とか言うけど、劉備も別にただの筵売りだったって
わけじゃないんだよな。
祖父も父も豪族だったし、親戚に援助を受けて有名な儒学者の塾に通い
そこで公孫サンと知り合ったり、身なりを派手に着飾ったり
乗馬が趣味だったり、結構貧乏とは言えないような暮らしをしてる。

むしろ劉姓+(自称)漢室の末裔ということで色んなとこで恩恵を受けてる。
彼の苗字が「劉」じゃなかったらどうなっていたか非常に興味深い。

37:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/02 21:54:28 d0bMcZ1j0
>>36
劉姓や皇室でそんなに恩恵は受けてないよ
明らかなのは皇帝になるときくらいだろう

38:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/03 00:21:14 2VB/M8HiO
>>37
受けてるよ。つうかそれが最大の武器だった。

39:月孔雀
10/08/17 05:04:47 PKPHCleM0
黄布の乱で、漢王朝終わってるよ。

40:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/17 08:10:52 PCgP7U5x0
劉備が下手に騒乱を起さなければ、
名宰相曹操の下で、漢王朝の再統一は実現出来た。

41:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/17 17:01:11 eobpWhagO
>>40
その場合は漢朝がその後も存続したのだろうか。

42:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/18 17:45:49 cbPiDIzeO
史実と同じように曹ヒが纂奪するよ

尤も劉備は立場上曹操がギ王になった時点で諫言してるはずだから旬イク旬ユウのように死を命ぜられ、その頃までは生きていなかっただろうがな

43:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/18 17:50:57 35g3DFdXO
劉備が統一した場合、元勲はどうなったのかな?
関羽生存している間の統一なら劉協が皇帝のままなので関羽は除外する。
一番の問題は張飛かな?
劉備健在のうちはいいとして、劉備が死んだら先帝の義兄弟かつ外戚の立場は強力だろう
劉備存命、死後に関わらず誅殺出来ないだろうし
本来なら麋竺も有力だろうが弟絡みで官位は高いけど落ちる
後は孔明・李平含めた荊州・益州閥はどうなるか
孔明は誅殺?

44:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/18 18:31:22 cbPiDIzeO
>>43
日本語でおk

45:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/18 23:52:04 mxURv/TeO
劉備が曹操に帰順というか造反しなかったとしても、宿主をことごとく破滅させる寄生虫みたいな奴だから
曹操も劉協も無事では済まされなかったんじゃないか?

46:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/18 23:57:20 pCewM5ah0
面白い意見だ。曹操が倒れ天下は麻のごとく乱れ、今こそ劉備の出番て訳だな。

47:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/19 01:22:40 RVQNsOLZ0
>>45 また珍説で荒らしですか

48:月孔雀
10/08/19 06:39:57 6pGKQPXl0
45の説は、説得力あるぞ。

49:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/19 12:18:26 8/zoJSufO
劉備はただ宿主を破滅させるだけでなく、その混沌とした中で何故かいつもトップに立ってるからな

結果的には中央で曹操に仕えた方が上手く行っていただろう

50:月孔雀
10/08/19 13:17:07 6pGKQPXl0
曹操が「天下に英雄は、俺とお前だけだ!」って言われた時点で、
劉備は、逃げ出すしかないんかな?

51:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/19 15:15:03 8/zoJSufO
あれって演義の創作じゃないの?

52:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/19 19:51:37 r55wxv7DO
史実でも言ってるよ

53:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/19 22:40:42 EYc2gLOw0
関羽が韓信見たいな性質じゃなかったから天下を取れなかったと言ってみる


少なくとも韓信のような性質だったら、荊州は取られず麦城の戦いは起きずその後の展開も変わるはず

54:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/20 04:56:12 ER8MMT9DO
神の意思には何人とて逆らえぬ。
劉備とて所詮・・・愚民の一人。

55:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/20 09:04:45 qkvycXzSO
単純に力不足。

56:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/20 16:12:06 wO1W63WW0
天の時に恵まれず
地の利を得られず
人の和だけでは、天下を盗るに適わず

57:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/23 20:26:59 PRdaPG5c0
関羽が韓信に勝るところなんて個人的武勇のみ

58:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/23 20:51:30 6oh76Nbc0
>>57そうですね、関羽と韓信が戦場で戦えば間違いなく韓信が勝つでしょうね、

59:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/27 05:57:55 3J/Y/ryqQ
ほぼ徒手空拳から一国の皇帝にまで成り上がったんだ、劉備は無能では有り得ない
 
蜀滅亡の大きな理由は漢室再興にこだわった事で、故に無駄な外征を繰り返す羽目になった
 
そもそも諸葛亮のような人材は内政に専念させ、ひたすら国力増強に励むべきだった
欲をかかず、せめて漢中王となった時点での勢力保持に努めていれば命脈を長く保てただろう

60:月孔雀
10/08/27 20:21:14 e9kfJ/0u0
ずっと天下三分ていうのいも、中国人の人も可哀想かも

61:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/29 13:59:23 sGkVj2u40
>>59
漢室再興を謳ったからやってきた人材(孔明とか)もいるわけだし
いまさら「うそでーす、すいませんでしたー」で済むことじゃないだろう
それこそ内部崩壊を引き起こしてしまうだろうから残念ながら無理だと思う

62:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/29 14:10:34 EG0XMoxc0
民主党が大風呂敷のマニフェストで自滅したのに似ている

63:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/29 16:24:48 +p8OOQL40
>>59
>ほぼ徒手空拳から一国の皇帝にまで成り上がったんだ、劉備は無能では有り得ない
まず、何に対して無能でないのかによって話しが変わる。
さらに無能でないのと有能とでは、大いに隔たりがある。
皇帝に成り上がることに、必ずしも政戦両略の才が必要とは言えず、
劉備の業績を見れば、政戦両略に才能は乏しいとしか言いようがない。

>蜀滅亡の大きな理由は漢室再興にこだわった事で、故に無駄な外征を繰り返す羽目になった
益州を得てから劉備が起した外征は、漢中と夷陵の2回で繰り返すというほど繰り返していない。
また、漢中王を僭称した時点で漢室とは決別している。
そして、夷陵の戦いは、直接的に漢室再興を目的とした戦いとは言いがたい。

>そもそも諸葛亮のような人材は内政に専念させ、ひたすら国力増強に励むべきだった
そもそもも何も、劉備存命中は、諸葛亮らに国政を任せていた。
ひたすら国力増強に励むというが、当時の劉備の年齢を考えれば、じっくりと国力増強に励んでいる猶予がない。
また、国力では、圧倒的に魏が優位にあり、時を費やせばその差は広がる一方になりえる。

>欲をかかず、せめて漢中王となった時点での勢力保持に努めていれば命脈を長く保てただろう
天下統一できなかった最大の原因を語るスレで、蜀漢の命脈を保つことについて語られても困る。

総じて、劉備存命中と存命後を混同して語っているようにしか見えない。


64:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/29 21:42:31 A0WT9XvH0
演義と勘違いしてるんじゃないのか・・・

65:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/04 22:53:57 duWIRrjy0
さらに言えば陳平や張良のような人材が居ない、ショウカのような人材は孔明がいるから問題ないけど

66:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/05 07:37:47 vA4cBVre0
>>65
謀士ならば、ホウ統、法正、黄権などがいた

戦死のホウ統、病死の法正は兎も角
黄権は活かしていたとは言いがたい
だから天下を取れなかった、との事なら納得

67:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/05 22:14:36 J7hJb0Sd0
>>66黄権と言う人はそのメンバーで見れば色んな意味で格下に思えるのですが

個人的にはとても三国時代の今張良や陳平になれる人材とは思えません、自分はメジャーな人間しか知らないモグリなので

68:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/05 22:41:25 Lmg3Rlqp0
~しか知らないモグリなんだったら黙って見てればいいのに
なぜ反論する

69:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/05 22:45:42 nI7BOe3wO
劉備配下の謀臣としてはまず徐庶。その後釜がホウ統。次が法正。その次が黄権。そして孟達となる予定であった。

しかし全員が死ぬかギに投降してしまったため、畑違いの諸葛亮が軍を率いなければならなかった辺りが劉備陣営の限界と言えようか。

70:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/06 00:51:47 hNi06LvW0
黄権は判るが孟達は如何なものか?費詩も言うように人物が小さい。

71:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/06 01:13:06 v9UZJ1DDO
確かに陳平みたいな、口先三寸で国を何度も救うような奇才はいないが、
そもそもこいつ他の時代にも滅多に居ないタイプじゃないか?

口先一発で、英雄に恵まれて北方統一した時代の遊牧民を退けるわ、
呂氏クラスの官爵フルコンプの佞臣や君主権力を脅かす功臣を口先三寸だけで始末するわなんてのは。

72:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/06 02:40:32 hNi06LvW0
あえて挙げればミスターパーフェクトの藺相如か。完璧の逸話では秦王を相手に全くひるむ事なく、弁舌と
演技力で策略を成し遂げた。黽池(べんち)の会では秦の国内での会合に決死の覚悟で出向き、趙を
格下扱いしようとする秦側の策略をことごとくはねのけて面子を保った上で趙王を無事連れ帰っている。
その後も藺相如と廉頗将軍が健在であるうちは秦は趙を攻略出来なかったという。

73:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/06 20:45:12 Zw4irV08O
>>50
しかし「天下に英傑は君と余のみ」ってのは、考えれば考える程凄い言葉だな

恐らく「俺はライバルを全員蹴落とし、残るはお前だけだ。そのうちお前も倒してやる」という挑戦の意味を含んでいただろう

そしてまた、当時は客分に過ぎなかった劉備がその後三国の一角を建国して実際に自分を脅やかすわけだから、曹操の人を観る眼の確かさは見事としか言いようが無い

74:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/06 20:54:53 OIvHBEHA0
そこまでわかっていて見逃す曹操の詰めの甘さは尋常じゃない

75:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/06 23:36:39 /BWkOPME0
>>74同感、他の時代の英雄(統一した皇帝)なら多分見逃さずに、どこかで仕留めていたのかと

76:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/06 23:49:21 B7W/IFsI0
>>73
その手の発言は、外れたものは史書に書く必要がなく
当たったものだけが書かれるからすごいように見えるが
方々で似たようなこと、言ってたんちゃう?

>>74
窮鳥をを殺せば、降る者も頼ってくる者もいなくなるがな
袁紹との戦いが控えているのに罪なく「危険かも」だけで殺せないって
一応、左将軍の地位で懐柔もしてる

まぁ、恩知らずにかけては呂布に匹敵する劉備には何の意味もなかったけどなw

77:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/06 23:57:33 Zw4irV08O
>>75
曹操の人材収集癖はダテじゃないからな
旬イクや郭嘉、関羽以上に高く評価している劉備を部下にしたいと思うのも自然かもしれん

とは言え、その甘さが曹操が天下を統一出来なかった最大の原因だろうな

78:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/07 00:33:56 edasRwaLO
>>76
君は一体何の根拠があって言っているんだ?
曹操は常に劉備を同じ車に乗せ同格の席に座り同じ食事をしたりとまるで兄弟のように扱っているのだが、これ程の厚待遇を受けた人が他にいるのか

曹操は劉備を高く評価して実際に劉備はそれに値する人物だった、それで良いじゃないか
何故不当に英雄を貶めようとするんだ?

79:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/07 16:16:18 err/8iJ60
実は曹操と劉備は親友
劉備は他の武将を頼って曹操との戦いを煽り、
曹操に戦いの口実を与えて、曹操の天下取り
を手伝っていた

80:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/07 19:15:36 1z85k8Hy0
>>79
それでも天下取れなかったのか・・・

81:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/07 21:38:03 YZckRc160
・・・単純に、曹操がいたからだろ。

82:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/08 01:22:11 6b0wVxShO
単純に最初期に色々短気だったのも問題だと思う。
それに起因することでもあるが、挙兵から頭角表すまでの期間が、先祖の劉邦やら同期の曹操やらに比べて遅い。
曹操でも歴代では遅いくらいなのに。

83:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/08 03:05:14 tfsba3dK0
>>73
> しかし「天下に英傑は君と余のみ」ってのは、考えれば考える程凄い言葉だな
> 恐らく「俺はライバルを全員蹴落とし、残るはお前だけだ。そのうちお前も倒してやる」という挑戦の意味を含んでいただろう
この言葉は、袁紹との決戦前で、まだ、ライバルを全員蹴落としてない。
カクすら降っておらず、四方敵だらけの状態。
そして、この言葉のあとに「袁紹なんてたいしたことない」と続く。

味方してくれる者を持ち上げ、敵対する者を虚仮おろしている発言。

この流れで「お前も倒してやる」という意味が含まれているようには見えないな。
また、未来を予見しての発言とも思えない。

この後の展開を知るものからすると未来を予見した発言ととりたくなる気持ちは
わからんでもないがね。

84:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/12 01:59:59 /m/wZAsE0
>>67
黄権は、魏に降っていながら蜀志に立伝された人物。(蜀志十三 黄李呂馬王張伝)
さらに漢中占領は、元々黄権が立てた計略にそったものであったとされる。

また、曹丕から「君は逆(蜀)を捨てて順(魏)にならった。陳平・韓信に倣おうとしたのか?」と
黄権自身を陳平・韓信に準えて、魏に降った理由を問われている。
そして、直接、魏との戦火を交えての降将でないこともあるだろうが、
魏でこれといった功績をあげていないのにもかかわらず、曹丕、曹叡から厚遇を受けている。

劉備が使い方を間違えず、使いこなせていたなら、龐統・法正と共に立伝されてたかも知れない人物と考えても
荒唐無稽と言われるほどの人物ではないと考える。

85:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/12 23:35:18 uqaz+zv90
>>84そうなんですか、光栄の三国志シリーズではたいした事なかったので、少しは出来る雑魚かと思っていました



86:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/13 00:37:16 9dbQcNjz0
>>50
英雄は君と俺だけだ!共に天下統一の為にがんばろう!
って感じじゃないよな~
曹操と劉備が共闘したらそれはそれで面白そうな妄想ができそうだが

87:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/13 10:27:47 fdjdafnc0
>>86多分裏切らないかのカマをかけていったのかと思う

88:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/13 22:08:20 fdjdafnc0
関羽が荊州の太守になった時、韓信の霊が乗り移ったままであるのなら劉備は天下を取れたかもしれない

89:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/13 22:59:43 A//tFe4w0
>>86
そうか?
言い方しだいだと思うが、「2人が手を組めば天下も平定できる」と
取れないこともない発言じゃないか?

「英雄は君と俺だけだ!」だけが取り座されているが、
その後に「袁家のボンボンなんてたいしたことない」が続くのを忘れずに
ここの間に”2人が組めば”って考えも込められていたとも取れるんじゃないか?

90:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/15 17:48:30 m4K6/K/y0
物語的には格好の挑発だけど、史実の状況考えたら共闘宣言のような感じだよな


91:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/15 23:55:34 PUf2gNoz0
ライバルどうしが組んだら無敵だぜ

92:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/16 00:58:36 6kUAv4S90
シャアとアムロが組んだら無敵だ

93:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/16 11:18:59 iSXNMAJCO
いま曹操と手を組めば、第二、第三の曹操が現れる。
すると何のために曹操と力を合わせたのかわからなくなる。

94:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/17 08:33:17 4+WF5qWB0
>>89
ただ曹操は「○○なのは俺と××だけ!」って言い回しが好きだから、単なる口癖かもしれない

95:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/22 07:49:38 ko4GkKxMO
そもそもそんな評価をくだす事自体がおかしいと思うけど
ただのジョークか皇叔のご機嫌取りじゃね

96:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/22 18:23:23 8vmzNyGE0
そして真に受ける馬鹿劉備
曹操に軽く試されたな~

97:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/23 21:43:22 XqYDz8+x0
才能でも勝ってるとは言えないのに親が大金持ちの曹操と
せいぜい富農出身の劉備じゃスタート地点まで違うんだからどうしようもない
劉備が袁家くらいの名門出身だったら勝つ可能性が出てくる

98:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/24 01:14:03 lvXAiu/K0
劉備みたいな無秩序な生き方は袁家みたいな保守的な出自の価値観じゃ出来そうにないがな
領地や国を持っていたとしても、それを運営できたかという問題もあるし
劉備って人はとにかく戦い続けて一生を送った人で、政治的な功績なんてほとんどねーから

99:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/25 00:45:01 Spkqgmxl0
>>97
劉備が徐州を譲り受けた頃ならば、領土や軍勢面では曹操との差はそれほどない。
現に陶謙は、曹操の進撃を2度ほど追い返している。

人材面でも関張がいて、陳珪・陳登親子や陳羣もいた。
遜色がないとまでは言わないが、言うほど見劣りする陣容でもないはず。

これ以降の差は、結局のところ呂布の襲撃を防いだ曹操軍と防げなかった劉備軍の差でしかない。
即ち、本拠の守りの人選ミス。

この点から出自での差は、言い訳にできないと思う。

100:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/25 05:22:56 rDOV2TwK0
漢中を魏延に任せたのも、この時の経験があったからなのかな

101:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/25 22:28:47 NZVRUuJW0
青州兵や烏桓突騎のような優れた歩兵や騎兵がいなかったから、
としか言えん
広大な大地を制覇するためには、特に騎兵は欠かせないのよね

102:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/25 22:37:17 lQc9+0GX0
本人は騎兵の扱い得意なのにな

103:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/25 22:46:27 G9gmAwtC0
東州兵じゃ駄目だったか

104:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/26 05:05:41 fv5bNttf0
>>101
青洲兵を強兵として取り上げる人は多いが実際に活躍した記述はとくにない。
逆に足をひっぱっていて、略奪してウキンに攻められるとウキンが裏切ったと虚偽の報を訴える始末。
徐州の虐殺も、青洲兵の暴走じゃないか?って勘ぐれる存在。
もともと賊で対呂布戦の頃は、(その後にやった行いを見ると)まだ烏合の衆から脱却できていなかったと思われる。
もちろん対呂布戦の頃に烏桓突騎なんて兵は、曹操ももっていなかった。

兵の質のせいで負けたなんて、言い訳にもなりゃせんて

105:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/26 13:00:29 Il8kQgPE0
汝南でもう少し時間を稼いで
徐庶あたり引っ張って孫権と手を組む
それで荊州へ共同で侵攻・占領して
袁家と三方から挟み撃ち

ここまでやっても曹操倒せたかわかんないのに
汝南さっさと落とされた時点で終わったんじゃね?

106:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/28 02:50:31 sdscMRhp0
汝南で戦ってた頃じゃ、いくらがんばっても遅くないか?

どのくらい時間を稼ぐつもりかわからないが、いくら時間を稼いだ所で袁紹が官渡で挽回できるとは思えない。
事実、曹仁に敗れた後、再度進行したとき、進行している最中に袁紹は敗退している。

徐庶を引っ張るって、官渡の頃の話だろ?
正確な年齢はわからないが諸葛亮と同じぐらいとすれば、その頃はまだ10代後半から20代前半あたりの若造。
司馬徽の元で学んでいる最中と思われる。軍師にするには早すぎる。

さらに孫呉は、孫策が不慮の死に見舞われたばかりで対外的にどうこうできる時期ではない。

しかも、背後に曹操が控える状況では、孫呉と結んでも、軽々しく動けない。
そして、その頃の劉表配下には、黄祖が健在。孫呉と共同したとしても荊州を盗れるとは到底思えない。

劉表は低く見られる傾向にあるが、曹操すら劉表の生前は手出しを控えた相手。
袁紹の相手に忙しかったこともあるだろうが、簡単に倒せる相手であれば、官渡以後袁紹を叩く前に何らかのアクションを起こしているだろう。
軽々しく占領できると思わないほうが良い。

107:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/29 00:53:56 bucsux3NO
そういや、満洲の「洲」を州の字の代わりに使う人をたまに見るけど、あれ厳密には州と違う字だからね?
清が水徳の王朝だから故郷の水徳を強調するために作った比較的新しい字だから。
ちゅうか、代用した単語でIMEとかに登録しないでマジ迷惑。

108:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/29 13:42:37 XNsrmksi0
大阪を大坂って書かないでよね、と戦国時代スレで主張するより滑稽だな

109:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/30 09:36:08 yBuhTBG0O
>>99
そんなに差はないってw
そんなこと言ってる論文あったら見せてみろよw

110:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/30 12:00:31 LQAXJX4T0
>>108
いや、逆でしょ。
戦国時代スレで大坂を大阪と書くなというのが主題だし。
「洲」の字は本来「州」の異体字ではない。
満州以前の話題に洲の字が行政区画の意味で用いられるのは確かにおかしい。
洲の字は漢語林などを参照しても行政区画としては使えない文字。

111:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/10 18:30:58 i8sWZhCN0
文章はよく読めるが、論文は書けない 論はどうでもよいだろう。

ところで、
劉備が天下を取れなかったのは、個人の資質もあるが、なにより、

驢馬のうちの ウマ一族を抱きこんだからだろう。 良将がいっぱい
死んでいる。

112:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/14 14:51:14 YORLUYsS0
転換期は幾つかあると思うが、どれだけチャンスがあったんだろうな。

・徐州牧就任
・赤壁戦~荊州平定
・入蜀
・漢中戦
・関羽北上

113:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/15 08:47:58 8F7F07On0
徐州牧のままだったら滅んでた
赤壁戦~荊州平定 +入蜀での戦力を維持していればな
あの呉も晋相手にかなり国を長持ちさせたんだし

114:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/15 17:54:39 EDMtYI7nO
やっぱ成都に本拠地構えるまで時間かかりすぎた
曹操や孫権はとっくに地盤固めてるのに


115:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/15 22:20:10 8F7F07On0
呉に荊州奪われたのは大きかったな
逆に呉はそれゆえに暴君孫皓の時代も結構命脈を長らえることができた

116:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/15 23:10:31 kwUH3xsB0
三国志のゲームで全CPUにすると前期のシナリオほど劉備が勝つ可能性が高く後期にいくほど勝てなくなるな
赤壁シナリオが一番悲惨だが

117:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/16 07:57:24 0kHWvNza0
孔明が徐庶を引き止めず
ホウ統を戦死させ
呉とうまくやっていけない関羽に荊州をまかせて殺して
張飛を殺して
魏延を殺したから

118:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/16 13:46:03 8TYxwRdqO
張飛は違うと思うがw


孔明が居なけりゃ劉備はグランドデザインを描けず、
そのまま傭兵団として生涯を終えただろうな。

孫権の下につくか劉ショウの下につくかぐらいしか選択肢がないんじゃないか?

119:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/16 19:44:35 2FPHuKf70
曹操の元にて徳川家康、豊臣秀吉みたいにしていれば可能性はあったかも、司馬一族の反乱が前提になりますが

120:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/17 04:33:38 alHmoZpZO
呉と手を結んだときにそのまま巍打倒の新勢力旗揚げをすれば可能性はあった

劉備が優柔不断すぎた
関羽が殺されたときも怒りに任せて呉に進行ではなく孔明に意見を聞いていればまだよかった

121:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/17 04:49:44 lWR/w4s10
>>117
ネタにマジスレするのもなんだが…

> 孔明が徐庶を引き止めず
儒教社会で士大夫が親を見捨てるなんて、普通はできないし、しない。
よって引き止めようがない。

> ホウ統を戦死させ
”劉備が”ならその通り。
当時、荊州にいた孔明に責任をかぶせるのは無理。

> 呉とうまくやっていけない関羽に荊州をまかせて殺して
ほかに適任者がいない。
ぶっちゃけ間羽の独断専行による自滅。

> 張飛を殺して
これは張飛の自業自得。

> 魏延を殺したから
演義に毒されすぎw
魏延を陥れたのは楊儀。その尻馬に乗ったのが董允と蒋琬。

こんなことグダグダ反論する以前に、曹操が河北を制した以降で
劉備が天下を統一できる可能性がそもそもないに等しい。

122:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/17 12:15:44 71vxAtM4O
慎まなかったから

123:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/17 13:05:59 5hAOzuQs0
この人、間違いなく劉邦より能力は上だよね。
けど、将の将の器、人の意見を聞く術は劣る。

124:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/17 15:32:13 oWGXkdonO
>>120

> 呉と手を結んだときにそのまま巍打倒の新勢力旗揚げをすれば可能性はあった

そのまま呉の客将として飼い殺しされそうだなぁ

125:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/17 16:19:29 EzJquAEY0
三国時代は豪傑輩出は著しい時代だったが、戦況を覆すような
大戦略家不在の時代だったからな。

126:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/17 22:38:51 ch4m1MX80
曹操と孔明はその資質はあったと思う。

曹操は出世のツテであったはずの宦官勢力が全滅し、事実上
袁紹の傘下で一族郎党中心のしょぼい勢力から始めて、幾度もの
危機を驚異的な軍事能力で切り抜けて華北を統一した。

孔明はそのままだったら流しの傭兵隊長で終わっていたはずの
劉備をして、三国の一角にのし上げた。


あと、明確な天下統一へのグランドデザインが描けていたといえば
袁紹をおいて他に居ない。劉虞さえ帝位を受けていればあっさりと
漢を復興させて宰相にでも王にでもなっていただろう。

127:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/17 23:16:15 TzTUb4170
ツテでも法に則り鞭を打つって左遷された曹操パネェですね分かります

128:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 07:07:09 UfYhKPeCO
曹豹「俺を甘くみたツケだぜ」

129:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 12:38:37 Pm3cZfM60
                   ___
     _,, -ー ,,          / ⌒  ⌒ 丶  あれれ、日本・中国で曹操の人気は高いんじゃなかったんだっけ?
    /   " `..,:.      <●>  <●> 丶   日中両国で魏にまったく人気がないのが発覚してもいまだに曹操患者やってて楽しい?
 :/ 曹操患者 :::::i:.      |  (__人__)   |    いつも一人寂しく劉備へのネガキャンはってるの?
 :i         :::::!,,   ハッ  \  |∪|    、____ 
   ヽ.....:::::::::   :::::i   ハッ    / ヽノ      ___/  
  r "     .r ノ~.    ハッ   〉 /\    丶    孔明を口汚く罵るしか楽しみ無いの? 
:|::|    ::::| :::i. ゜。         ̄   \/⌒_)     ねぇどうなの?どうなの?
:|::|    ::::| :::|:                } ヘ /
:`.|    ::::| :::|_:               J´ ((  トントン
         ____   
       / /  \\      
.     / (;;..゜);lll(;;..゜)\ このガキャあああああああ
    /   ⌒(__人__)⌒ \    ナメてんのかああああfさdkjh;flsだhf
    |  ノ(  |r┬- | u  | ________    
     \ ⌒  |r l |    / .| |          |
    ノ  u   `ー'    \ | |          |  情弱の蜀ファンごときが調子こいてじゃねええええ!
  /´                .| |   Sotec    |  そのうち蜀に投票したことを後悔する日が来るぞ!
 |    l      プルプル u  | |          |  
 ヽ u  -一ー_~、⌒)^),-、   | |________|
  ヽ ____,ノγ⌒ヽ)ニニ-___| |  |____



130:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 12:49:02 pXvFGISl0
>>129
こんな曹操患者まずいないと思うが…
何必死になってんだ?

131:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 12:50:55 ugKp0peO0
弄るほどのコピペでもないだろ。
むしろこのコピペを貼ったこと自体が醜態になってるんだから。

132:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 23:14:58 BOBHW38K0
>>128
それが正解かも
徐州の兵を掌握しきれずに呂布の台頭を招き、徐州を失う。
そのため、曹操と比べて大幅に出足が遅れ、最後の最後までその遅れは取り戻せなかった。

133:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 08:07:12 K5grJW7oO
徐州の猫糞に失敗した時点でアウトと言う事か。

134:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 14:21:31 rLnbjkinO
そもそも挙兵しなきゃよかったんじゃね?

135:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 23:12:56 2Rhm1a+yO
>>108
スレチだが、それ言う奴ムカつくよな

俺なんて昔「1583年に豊臣秀吉が作った城は?」って問題で大坂城って書いたら社会の先生に×にされたし
良くある漢字間違いをしたと思ったのかもしれんが、明治以前の出来事だから大坂が正しいんだっつーの

136:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 23:19:51 bmnbSyl50
学校の先生なんてほとんどがそういうクズなのに
一方で世間は学歴至上主義なんだから矛盾してるわ
だから日本は世界統一できないんだよ

137:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 23:25:45 Eip0pKE20
統一されても困るわいw

138:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/24 19:56:21 kQ+qbn5h0
>>134
挙兵って、曹操と袂をわかれて徐州で反乱を起こしたときのことか?
それ以前なら、挙兵しなけりゃ天下もなにもないから意味不明
このことだとしたら、一概に挙兵しなかったほうが良いともいえない。

曹操の軍師たちは劉備を危険視し、曹操に諌言している。
曹操自身、軍師たちの言に従って、反逆前に劉備を追跡する兵を派遣している。
董承の成功の見込みが薄い謀に巻き込まれている。

ことを起こさなかったら董承の罪に連座で処刑なんてことになっていた可能性が高いと考えられる。

139:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/27 22:07:53 5wcuZEy00
武田家が滅びることになった戦いは?に天目山の戦いと書いたら
正解は長篠の戦でした残念ということがあったな
学校教育のレベルの低さ、
俺はたまたま日本史に詳しかったが他の教科に詳しい奴も似たような思いしたことあるんだろうなと思った

140:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/27 23:45:55 U/ZJt0WpO
そもそも劉備に統一出来るチャンスなんて一度でもあったか?
呉を併合したところで華北一帯を制圧してる魏には遠く及ばないし、
地理的にも戦力的にも長安にすら遠く届かないのにどうやって統一の足掛かりを掴むんだ?
韓信みたいな規格外の名将がいれば少しは期待も出来るかも知れんが、その人材も居ないし。

141:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/28 01:49:32 1DbsK4+O0
>>140
無理やり考えるなら徐州を譲り受けた頃ならチャンスがなかったとはいえない

徐州~官渡の戦いまでの間なら、立ち回り如何でもしかしたら?
がなかったともいえない

曹操が河北を制した以降では、どんな幸運に恵まれたとしても寿命的に統一は厳しい

142:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/28 01:53:07 Zm5BYjVS0
勢力が誰であっても涼州が曹操陣営におちた時に外部からの芽は無くなったしな。

143:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/28 09:11:42 qwE+jGG/O
唯一にして最大のチャンスは徐州牧になったときだと思う
あの時点で地位だけなら曹操を超えてた(後ろ盾とかは比べものにならないが)
ただその後は立ち回り、運が悪すぎた

144:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/28 10:50:13 d85Pf5470
徐州なんて平野は根拠地にならん
攻守共に苦労するだけだ

145:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/30 00:53:37 lMSwexg70
>>144
そうは言っても、曹操が当時治めていた兗州だって、守りやすいって言えるほどでもないぞ?

また、孫呉のように水軍に長じ、陸軍にやや劣る軍団で、周囲に曹操軍のような陸軍に長じた勢力があるなら守り難いであろうが
北部出身で騎馬の指揮にも通じた劉備が騎馬の活かせる平野がダメだと、どこへ行ってもダメってことにならんか?

守り難いってデメリットばかりあげるが、裏を返せば攻めに転じ易いにも通じる。
元は楚の北部に当たる地。天下を狙うのにそれほどハンデを抱えた土地とも思えん。

さらに守り難いといっても、劉備統治以前に曹操の侵攻を2度も防いだ実績もあったってことも一応あげとく。

146:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/30 03:53:19 U9M7ZQTMO
徐州失った事で陳羣や田豫に逃げられたのも痛いな

147:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/30 04:26:43 lMSwexg70
田豫と別れたのは、徐州を失う前

148:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/30 12:08:48 AcP7tuPB0
田豫は親絡みだっけか。

149:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/30 12:26:14 P6pGCuvX0
よく田豫を逃げたとか愛想尽かせたとか言う人がいるが、
それにしては時期が中途半端なんで本当に親の看病と自分の豪族共同体への義務で抜けたんだろう。
愛想を尽かせたなら本文はともかく『魏書』や『魏略』に書かれないはずは無いと思うし。
裴松之ならその逸話を否定するにせよ、一回わざわざ引用してからキレながら否定するだろう。
対蜀戦線に起用されなかったことを見ても、社会から見ても当人の感覚としても劉備を裏切ったというのは無かったんじゃないか。

150:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/31 01:43:32 kyD/2ACC0
>>145
破格の英雄陳登が鍵だな
曹操とは本人も配下もレベルが違いすぎる

151:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/31 09:26:00 hJrip4g80

     馬鹿かお前! 
\____    _______/
        \/         
        / ̄ ̄\   バカ?    ____
      /       \        /     \_ : ハァハァ...
      |::::::        |   : / /  #   ;,; ヽ
     . |:::::::::::     |   /⌒  ;;#  ,;.;::⌒ : :::\   
       |::::一般市民 |  / -==、   '  ( ●)  .:::::|  「劉備と関羽と諸葛孔明を徹底的に叩いてきたぞ!曹操の名誉を取り戻すんだ!」
     .  |::::::::::::::    }   | ::::::⌒(__人__)⌒  :::::. ::::|      
     .  ヽ::::::::::::::    }    ! #;;:..  l/ニニ|    ::::::/ :
        ヽ::::::::::  ノ     ヽ.;;;//;;.;`ー‐'ォ   .;;#:::/   ハァハァ....
        /:::::::::::: く       >;;;;::..    ..;,.;-\
-―――|:::::::::::::::: \-―   /  曹操患者    \  ―

152:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/31 15:10:03 dCCA0Q/B0
蜀を取った時点で、蜀は漢の一部ではなく別の国であると宣言すればよかった。
そうすれば蜀という国家の天下は統一したことになる。

153:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/31 17:30:16 xpYkozZN0
>>150
曹豹を懐柔し、重く用いて徐州兵を支配下に置き
呂布を向かいいれず、陳羣の諌めを聞き、地盤の強化に努めていれば
官渡の戦いの頃では、第三の勢力としてキーパーソンになりえる存在になれただろう

将軍に万人の敵たる関張
軍師に孫呉の侵攻を防いだ陳登
宰相に法制度の整備に長じた陳羣
と、量は足りないが質は抜群
勢力を保っていれば、政戦両略に通じる田豫も帰って来たかも知れない

孫策亡き後の孫呉と結んで、袁曹の抗争を尻目に河南・江北に勢力圏を広げれば
中原に袁曹劉のプチ三国志が築けていたかも

とは、夢想が過ぎるか…

154:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/31 22:07:03 8SBvl9MFO
孫呉はどこに消えた?

155:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 00:17:19 kBRa0TOD0
孫呉の劉備皇帝擁立策にのって、
内乱でのっとるしか

156:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 00:51:56 eLW2Ydsz0
あの状況で擬似的に三国鼎立状態になった場合、
劉備は王号名乗るんかいな? 越王?

157:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 02:03:10 99B5qSE/0
>>156
あの状況というのが徐州に割拠することをさしているとすると、
都としての適正を鑑みれば彭城に都して楚王を名乗るのが現実的かな。

158:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 02:17:17 eLW2Ydsz0
>>157
㌧ 下ヒ(字化けるなぁ)が本拠地だと越王かなぁと思って。

159:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 02:45:03 99B5qSE/0
越は本来会稽辺りのことを指す。
越が春秋・戦国時代に征服して北まで来てるのは事実だけど、
結局は当時として一番新しい楚の覇王が都したあたりの勢力図がそのまま地名として残ってる感じ。
んで、越は元の鞘に収まった形で、会稽近隣地域に戻ってると見た方が正確かと。

160:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 18:02:45 XD28Fiw50
劉備は小沢
総理・天下統一より政局・戦局動かして
存在感アピールする方が好き

161:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 18:44:16 0JR15OZpO
小沢的な人物は韓遂だろ。
劉備を現代の人物で例えるなら…野球の長嶋監督とかその辺りじゃね?

162:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 19:02:25 XD28Fiw50
あの腹黒劉備がド天然長嶋???
(ヾノ・∀・`)ナイナイ

163:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 19:26:54 RT/2RiHR0
>>157
高祖の風ありと言われる劉備が項羽の王号名乗ると皮肉だな
名乗った時点で、何割かの信奉者も失いそうだが

164:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 19:46:36 iMp1zFsB0
あれだけ主君変えまくってるのに
行く先々で軍事担当としてそこそこ重用される劉備の不思議
世渡りの上手な呂布みたいなもんか

165:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 19:59:37 IjFpeiwW0
>>163
楚王は劉邦の元々の主君の王号じゃないか
ある意味由緒ある号だ
それに漢でも楚王がいたし、別に問題ないよ

166:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/02 00:01:05 1NfIwI/v0
>>162
長嶋は表向きのキャラとは全く違ってデジタルで腹黒だぞ。
こと対人に関しては世間の評判と長嶋と野村がほぼ逆という。

167:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/02 10:06:28 /ie7g/uJ0
長嶋は暴力関連でもなんか色々聞くよね。
暴力団じゃなくて、チームメイトや部下に対する暴力。
それが本当かどうかは知らんけど。

168:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/02 11:15:35 cef2heBAO
劉備のスペックじゃエン紹・曹操を倒すのは無理。
エン術の勢力を併呑できればまだ可能性はあったかな。
曹操を出し抜いてエン術を倒すなんてできるかどうか怪しいが。

169:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/02 22:55:53 D5v50WQ80
>>166-167
例えってのは、相手に伝えるためのものであり
わかり難く、伝わらない例えはいらん

>>168
歴史的にできなかったことだけに、スペック云々言い出したら始まらん。

ほかに劉備が天下を取れそうな状況があるならまだしも
ほとんどないなか、それでも天下をとるチャンスがありそうな話しをしているだけだろ?

170:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/03 01:11:59 h0iCh90xO
はなしし

171:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/03 01:49:44 1kCDV0k40
>>169
あれで伝わらないって国語からやり直した方がいいんじゃね?

172:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/03 07:44:54 uUdrRdxQO
長嶋が劉備だとすると、大沢親分は公孫讃になるのかな?

廬植先生のところは立教か

173:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/03 08:56:53 XLSxgFBc0
>>172
あっぱれの片割れが在日じゃなかったか?
なので公孫はあっぱれの片割れだろ

174:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/07 18:51:56 4WskS6Yd0

曹操が強すぎただけ。

175:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/08 06:46:36 2GGJT1o6O
劉備も「天はなぜ劉備を生んだだけでなく、曹操も生まれさせたのか!」とか何度も心の中で叫んだだろうな

176:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/08 07:13:13 jXDte9ME0
曹操がいてくれないと劉備なんか活躍できないだろ
アンチ曹操ってだけで成り上がったのに

177:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/08 14:17:46 s+yI0Pfq0
>>176
そうそう

178:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/09 10:27:07 mf8cCCUWO
曹操がいなければ華北は炎症の天下だろ?
劉備が炎症の大軍を相手にできるとは思えないから戦ったら殺される。
仕えても炎症は曹操以上にマメに粛正するから劉備みたいに不相応な野心を持つ奴は殺される。

179:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/10 02:51:54 pVUqGoG90
>>178
当時の劉備なら負けると踏んだら戦わずに逃げる
仕えるに至る状況が思い浮かばないが、仮に仕えたとしても
粛清されそうになる前に逃げ出す

この逃げ出すって才能は三国一

180:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/10 10:43:05 dlL4bGROO
逃げてばかりなのに名声と部下が集まってくる劉備は異常

181:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/10 13:39:24 5K4DLAXd0
大義名分からは逃げてないからな

182:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/11 02:25:43 CZvyrHSp0
曹操の伸張で当時の人間が持つ違和感の隙間を埋めたのが
劉備の政治的な立場みたいな感じかね?

183:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/11 07:02:28 BC1TqEc00
>>181
そのツケは後世返すことになったんだけどな
国力すり減らしても北伐し続けないと統率ができない体質に


184:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 21:38:49 r//3Nrur0
>>181
漢王朝と決別して独立しておいて、漢王朝復興を大義名分とするなんて
正当性の欠片もない大義名分だけどな

>>183
諸葛亮政権下ではそうだったかも知れないが
諸葛亮没後は、北伐し続けなくとも統率は取れてたよ

蒋琬の政権下では、北伐の企画は完成していたが実施されずに終り
費禕の政権下では、北伐に消極的で制限をかけていた。

北伐に囚われて国力をすり減らしたのは、大義名分にではなく姜維がだろ

185:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 21:48:47 O8jZk9kB0
理想の漢王朝の復興でを目指しているのであって、
現実の漢王朝は堕落してると否定しているわけだ
劉備の行動にはそういうメタメッセージが含まれている
そしてそれ(正当性というより妥当性)はそれなりの人の支持を集めた

186:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 04:34:23 PS28oJz40
>>185
冷静に考えればブレまくりなんだけどな、その主張
左将軍の位を貰っておきながら貰った相手を否定して後継自称って、やってる事は袁術と大差ないぞ
まあ、民主が政権取る日本の状況を鑑みれば、劉備が上手く演出して支持を得たってことなんだろうけど
曹操は曹操で反発食らってるわけだからな

というより、そんなイデオロギーの問題は二の次だったような気もするが
みんな劉備の事を「軍隊持ってる有力者」として見ていたんであって、王政復古云々は理由付けくさい

187:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 15:40:39 Z1FtRaHz0
劉備と袁術は大差ないよ
前者がタイミングとか巧かっただけで

188:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 16:56:26 sIE6BZLf0
>>185
> 理想の漢王朝の復興でを目指しているのであって、
> 現実の漢王朝は堕落してると否定しているわけだ
ここまでくると改革を越えて革命レベルの主張になるな
しかも、曹操の改革により、漢王朝末期の堕落は一掃されている。
その主張では、曹操政権を否定できる理由にならないな。

> 劉備の行動にはそういうメタメッセージが含まれている
判官贔屓の極み
負けては放浪人生の劉備の行動を普通に考えれば
そんなメタなメッセージを仕込む余裕なんかないだろう

> そしてそれ(正当性というより妥当性)はそれなりの人の支持を集めた
支持を集めていれば良いとの主張は、
曹丕の簒奪も否定できなくなるが良いのか?

>>186の言う通り、ブレまくりの主張だなw

>>187
袁術の場合、タイミングも悪いがそれ以上に皇帝僭称後の行いが悪すぎ

189:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 17:05:45 fBdu+pkn0
>>188
待て、別に一掃しちゃいないぞ曹操は。
むしろ皇帝と対立した士大夫閥に迎合し、皇帝側近と対立しただけだ。
堕落した機構自体は残ってしまっている。
正確には曹丕が禅譲を受けたことによって一掃された。

190:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 19:19:45 AuUU+hY70
>>188
判官贔屓が当時あったかは知らんが、そういう心情で票集めたんだろ
負け方・放浪の仕方が上手かったと言える
劉備はゲリラから始めた革命家、で悪くないと思うけど

>支持を集めていれば良いとの主張は、
>曹丕の簒奪も否定できなくなるが良いのか?
よくわからない反論だ
世の中、曹丕派もいれば劉備派もいるってことじゃないか?

191:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 21:09:03 RHPD5d9r0
逃げるたびに劉備は平気で家族捨ててるな
何でこいつ家族を持とうとしたのかがわからん。どうせ見捨てるくせに

192:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/15 12:12:55 NULTAvKTO
劉備も見捨てたくて見捨てたわけじゃないと思うの

193:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/15 23:11:28 OR7eDLmR0
せめて劉備に韓信みたいな人材がいれば、もしくは関羽が韓信みたいな性質だったら何とかなったかもしれない

194:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 00:16:12 ARWo8gVF0
曹操にだって韓信に準えられるような家臣がいたわけじゃないんだから
劉備に韓信のような人材がいなかったから天下統一できなかったなんて
言い訳にもならんわ

195:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 00:19:02 QDxUYqkq0
>>194曹操に韓信に準えられるような家臣は徐晃かと思う理由は負け戦がないからです。

196:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 00:27:00 em/+oA780
>>194
論点がずれてるというか、スレの趣旨をまるっきり勘違いしてないか君。

197:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 00:44:38 ll877Kfy0
・本拠地を得るのが遅かった
・優秀な部下を集めて働かせる時間が足りなかった

これだけ
準備万端で望んだ漢中戦に関しては完全に曹操に競り勝ってるしな

198:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 17:40:39 rGy+JVDJ0
漢中戦時は、法正や黄権みたいな人材も充実してたからね
魏軍としては、主力の騎馬や大軍の機動力を活かせなかった部分もあった

優秀な人材は、劉備の生涯通して見ると多々いると思う
本拠地が問題となると、徐州と益州の各々を得た時期を比較して、どちらが
天下統一のラストチャンスだったのかを検証する事になるのかなぁ・・・・

199:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 23:49:42 ARWo8gVF0
劉備は、劉邦と異なり、人の意見をあまり聞かない。
自分の考えと賢臣の助言とが不一致のとき、自分の考えを優先する。
それどころか、自分の意に従わない者を処罰すらしている。
そして、多くのターニングポイントで自分の考えを優先させて失敗したり、
窮地に追い込まれたりしている。
助言に従えば成功したとは限らないが、この点は主君として欠点ともいえる。

家臣の質・量では、漢の高祖・劉邦より劣るといわざるおえないが
それ以上に主君としての能力が劉邦より劣っているように思う

劉邦にできて劉備にできなかった天下統一は、そのあたりにも原因がある
ように思えてならない。

200:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 23:57:39 UPuKUkDP0
味方に韓信級がいてもいなくても
敵に司馬懿や陸遜がいる時点でもう㍉

あと、関羽荊州の独立性は韓信斉と比較される時がある

201:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/17 01:48:02 SSeaje7m0
>>198
劉虞の元で(ry

202:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/18 00:18:04 xB595R0GO
>>199
粛清だったら劉備は三国1マシな君主じゃね?

203:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/18 00:43:13 RcgwiBq90
意に沿わぬ諌言を繰り返す家臣を処刑するのと粛清は別物じゃないか?

204:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/18 00:50:20 OekUKfFR0
その線引きは難しいところだ
「劉備はマシ」には同意だが

205:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/18 00:59:15 RcgwiBq90
粛清
権力の場で、反対勢力や将来自分を脅かす存在になりそうな人物・勢力を排除することである。

劉備はマシといっても、在位はたったの2~3年、益州と云う地盤を得てからでも7~8年と
曹操や孫権と比べて圧倒的に短い。
しかも、益州での反対勢力は、蜀取りであらかた追い払っている。
これでは粛清したくとも対象がいないんで比較にならん気もするが?

206:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/18 01:35:25 RcgwiBq90
度量が大きく強い意志を持ち、おおらかな心をもって礼儀正しく人に接し、
人物を良く見極めてふさわしい待遇を与えた。
それらは前漢の高祖に通じ、英雄の器を備えていたといえよう。
国のその後を諸葛亮に全て託すのに際して何らの疑念を抱かなかったことは、
君臣の公正無私な関係を現すものとして永遠に手本とすべき事例である。
好機を得るための機知や行動の根幹をなす戦略では、魏武に及ばなかったため、
勢力の基盤となる領土もその才能の差に準じて狭かった。
しかし、挫折して人に屈しても諦めることなく、最終的には誰の下にも居らず独立したのは、
彼らの器量を考えた時、自分を何時までも許容し続けてくれるような人間だとは
到底思えないがためにそうしたのである。
単純に自分の利益だけを考えての事ではなく、自分にふりかかった災難を避け、
殺されないようにするためだったと言えよう。


そもそも劉備に天下を統一する意思や意図がなかったのではなかろうか?
行動理念が、漢王朝のためでも民のためでもなく、天下をすべる野心ですらない。
殺されないようにだけにな。

207:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/18 01:48:31 w6/CjtaYO
野心がないなら曹操に飼われていれば安泰だった筈だし
皇帝を僭称する必要もないのでは?

208:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/18 01:50:12 FFSCwLhO0
それなら劉曄とかみたいに曹操に仕えたり、
劉楨とか劉徽とか劉洪とかみたいに政争ガン無視で自分の得意分野に没頭して
中央に仕え続ける選択もあったろうと思うがね。

209:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/18 01:50:55 FFSCwLhO0
>>208>>206へのレス。

210:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/18 01:52:14 RcgwiBq90
>>207
>しかし、挫折して人に屈しても諦めることなく、最終的には誰の下にも居らず独立したのは、
>彼らの器量を考えた時、自分を何時までも許容し続けてくれるような人間だとは
>到底思えないがためにそうしたのである。

飼い続けてもらえないと考えていたようですけど?

211:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/18 01:58:47 RcgwiBq90
>>208
>>210

> 単純に自分の利益だけを考えての事ではなく、自分にふりかかった災難を避け、
> 殺されないようにするためだったと言えよう。

自分に降りかかった災難って、曹操暗殺計画に巻き込まれたことかもな
そう考えると劉備が”曹操は自分を飼い続けてくれない”と考えたとしても不思議じゃない
と推測できるかな。

212:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/27 21:45:26 rY6G8SXE0
>>178
曹操がいなかったら、袁紹側の勢力として袁術や陶謙、呂布を打ち破る役割を
誰が担えたか・・・・・・・という疑問が出て来る
袁術派と袁紹派で中原が割れていた可能性もあるんじゃないだろうか

213:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 02:18:27 VlM5eJEU0
>>212
スレ違いにも感じるが、久しくレスがついたので返答してみる

袁紹軍には沮授がいる。
郭図の横槍も入るであろうが、袁術・陶謙・呂布では曹操ほどの脅威にはならない。
袁術、陶謙、呂布らには、負けるべくして負けた理由がある。
容易とはいえないが史実と同様にいずれ駆逐されるであろう。

第一に袁術
皇帝を僭称以降、民を省みず奢侈に溺れ、諌言を退ける昏主に成り下がった。
どう考えても勢力として維持できるはずがなく、自滅が目に見えている。
第二に陶謙
高齢だけに先が長くなく、さして脅威とは呼べる勢力になりようがない。
第三に呂布
一見、強豪に見えるかもしれないが、武力だけでは賊の類と変わりなく、脅威と呼べる勢力にはなれない。
何はともあれ、本拠地で民政に励み安定させ、税制を整えて後方から前線へ支援を送る人材が欠いては、勢力の発展は見込めない。
陳宮が補うべき所で会ったろうが、補うことができていなかった。彼は縦横家であり、宰相としての才に欠けるのだろう。

袁紹が恐れねばならぬは、内部分裂。
尚を立てるなら譚を排除せねば内乱は免れないが、紹は曹操ほど思い切ったこと(粛清など)ができないように思えるので
ある程度中原が収まったら、天下統一を待たず内部抗争に明け暮れかねないな。

214:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/06 13:32:47 mIjKwr3J0
>>213
陶謙の場合、曹操がいなければ割りと袁術側の勢力として機能してた気はする
陶謙が健在なら、公孫サンとも密に協力しただろうし・・・・
それでも、曹操ほどの脅威になるかと言われれば、NOだろうけどね

スレタイの流れに戻すと、曹操じゃなく袁紹なら劉備は中原統一出来たか?に
なると思うんだが、それも無理そうだなw
やはり、頭脳となる人材で圧倒的に欠ける気がする
諸葛亮含む有能な人士を、もっと早くに掻き集めておけば良かった?

215:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/06 14:10:58 JcW1vD8p0
>>214
曹操が居ないことで、袁紹陣営から曹操陣営に鞍替えするはずだった連中の受け皿に劉備がなれればいいんだけどね。

216:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/06 20:52:13 VWzgPVWh0
>>215
それだけの魅力があればいいんだけどね
当時の曹操の速さで劉備が同程度の勢力になっていられるかどうか

217:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/06 21:21:22 1MvUDUUy0
劉備が徐州を支配して群雄になれたのも、
曹操がさんざん陶謙をいたぶったからで、
曹操がいなかったら、劉備は天下取るどころか群雄にもなれずに、
戦上手の一将軍として人生を終えてた気がするな。

218:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 02:05:40 NKA704wA0
もし曹操がいなかったらってIFは、不確定要素が多すぎて語るに語れないな
後漢末から曹操の死まで、良くも悪くも曹操が中心となり、基点となって中原が動いたからな

>>217
劉備なら公孫サンの旗色が悪くなる前にとっとととんずらするんじゃないかな?
その辺の危機に対する嗅覚は、先祖の劉邦に匹敵すると思う

219:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 02:11:52 tO+Ovrjp0
>>218
その場合は袁紹に降伏して、袁紹の将軍になってただろうな。
曹操がいなければ、袁紹の天下統一は間違いないから、
袁王朝の建国の元勲になれたかもしれん。

220:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 02:12:35 GRB0QlmK0
とっとととん
スゲエカワイイ

221:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 02:14:29 mKpLfCqm0
劉邦はあまりそういう遁走はしてないけどね。
正面からがっぷり四つで戦って、敗北してから後方に逃走して突貫で戦線再構築して戦闘開始ってのはあるけど。
劉邦は曹操ほど多芸ではないけど、むしろ曹操の方が劉邦に近い。
劉邦は詩人でもあるしね。

222:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 02:21:15 GRB0QlmK0
小覇王・孫策
小曹操・劉備

何故天は同じ時代にこの男ぐわあああああああぁぁぁぁ哀しいね

223:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 02:50:23 NKA704wA0
>>219
袁紹に降伏って、言い訳のしようがない完膚なきまでの裏切り行為ですよ?

まぁ史実でも裏切ったみたいなもんだから対して変わらないかもしれないけどねw


224:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 03:22:38 tO+Ovrjp0
>>223
大して忠誠心が厚くない公孫サンの将軍が、
旗色悪くなったらさっさと袁紹に降伏するのが一番普通の選択じゃない。
とんずらって、袁術か劉表か劉璋か孫策のとこにでもはるばる逃げるの?

225:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 07:06:24 JwscLCi+0
リョモウが裏切った事かな。カンウがいけないんだけどね。

226:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 16:34:37 j4Wg8jjq0
たとえあそこで荊州維持出来てても、やはり天下統一までの道程は果てしないぞ
陸遜など関羽よりずっと上の臣下擁する呉だって滅んだ
だから、ここの皆はあれよりもっと以前から考えてるんだ

227:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 18:23:29 JwscLCi+0
うまくいけば、短期間で、
黄河以南を支配できたかもしれないよ。

曹操が遷都を考えてたし。

228:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 18:28:43 j4Wg8jjq0
>>227
上段については、具体的にどうやって?
(ここはそういうことについて意見を出し合うスレです)
あと、上段と下段がどう繋がってるわけ?

229:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 18:59:58 JwscLCi+0
ジョウヨウ攻略成功。
呉はジョシュウ進駐。

漢中から長安攻略。

キョショウ攻略。

エンシュウ、攻略
呉、青洲攻略。

230:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 19:16:46 j4Wg8jjq0
だから、どう実行するのか「具体的に」頼むわ

231:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 19:21:44 JwscLCi+0
本当は、たらればが、好きでないのですが・・・
具体的には、勉強不足で巧く表現できません。すみません。
三国志のゲームなら、こういう事ができそうです・・・

あと、シバイが曹操に助言して呉を動かしているのも、
この戦いでのネックですね・・・

232:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 21:37:33 udg1vsRy0
>>231
ゲームじゃないから。あと、呉は揚州と交州だけじゃ、
三国中最弱だから、荊州取って長江中流域押さえないと、
国力的にも防衛上でも魏や蜀と対抗できない。
だから、どんな状況になっても呉は必ず荊州を取りに行ってた。

233:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 22:44:06 dZisySgs0
>>232
実際は孫権は荊州とるか徐州とるか迷ってたけどな
どんな状況になっても必ず、なんてものはない
そんなものは後世からみた結果論の産物
蜀が魏を攻めればその間、呉に対する脅威は特に無い
魏も関羽の動きで遷都を考えてるくらいに、蜀の動きに動揺し、その対応に集中してるので、
その間に手薄な徐州を取るって言う選択もないわけじゃなかった

234:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 22:51:06 iB7mY/Wg0
長江を防衛ラインにするって戦略と、肥沃な要害の地を手っ取り早く手に入れるって点じゃ、
荊州取った方が正解だけどな。揚州本拠の呉が徐州を維持するのは難しいし、
荊州ほど旨みのある土地でも無い。防衛に長江を使えない。

235:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 22:57:34 dZisySgs0
徐州は何気に旨みのある土地だぞ
当時における肥沃な地帯にして、道が開けていて四方の交通に便利、
海にも面しており海産物も手に入る
中国史を通じて商人の往来が盛んで、何気に人と物が集まる土地ではある
まあその分、敵を陸戦主体で相手することになるけどな

236:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 23:07:09 mKpLfCqm0
劉備軍が荊州、益州を保持でき、司隷への魏に致命的打撃を与えるまで同盟を維持する場合においてはその限りではない。
長江北岸の橋頭堡の数が多いことは対魏戦線において有利に働くし、当時の大都市圏の一つであり、
ともすれば司隷を人口や経済力で上回ることも頻繁であった青州を手中に収めることのたやすい状況下にあれば、
呉側としても天下二分後の挽回が難しくない。

天下を狙うのであれば少なくとも天秤にかけるに値する土地。

237:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 23:07:50 mKpLfCqm0
まぁ、解ると思うけど
>>236>>234へのレスね。

238:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 23:34:17 6s6J7IQ80
>>223
劉備が公孫瓚から離れた徐州救援のころは
公孫瓚が劉虞をコロコロして人望失ったときなので
とんずらする理由は十分あると思う
劉姓的に考えて

>>219
ついでに、袁王朝が建国された場合は、元勲になるよりは
献帝庇護に担ぎ上げられて路頭に迷う方が劉備らしい

239:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 03:29:12 urIlHnmD0
>>238
もともと異民族対策で対立していたが、侵攻を画策したのは明らかに劉虞が先。
むごい刑死を執行したことについては非難を言われても仕方ないが
劉虞を討つこと自体は予防戦争で非難を受ける云われは少ない。

そんで、手元に劉備がいたら劉虞討伐の先鋒役に任じられた可能性は高いように思う。
そうなったら劉虞の件で裏切るわけにも行かなくなりそうな気もしかねない。
もともとIFな話しだから曖昧な表現で申し訳ないが…

でも考えてみると、劉備ってば劉虞の件以前にさりとて理由もなく
恩のある公孫サンを見限って、徐州にとんずらかましてるんだよな
公孫サンがやばいことになるのを感知したのかね?
そう考えると恐るべき嗅覚だわ

240:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 03:35:15 42XWNr8HO
>>239
>>238
> もともと異民族対策で対立していたが、侵攻を画策したのは明らかに劉虞が先。
> むごい刑死を執行したことについては非難を言われても仕方ないが
> 劉虞を討つこと自体は予防戦争で非難を受ける云われは少ない。

> そんで、手元に劉備がいたら劉虞討伐の先鋒役に任じられた可能性は高いように思う。
> そうなったら劉虞の件で裏切るわけにも行かなくなりそうな気もしかねない。
> もともとIFな話しだから曖昧な表現で申し訳ないが…

> でも考えてみると、劉備ってば劉虞の件以前にさりとて理由もなく
> 恩のある公孫サンを見限って、徐州にとんずらかましてるんだよな
> 公孫サンがやばいことになるのを感知したのかね?
> そう考えると恐るべき嗅覚だわ

241:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 03:40:21 42XWNr8HO
ごめん、携帯の操作ミス。
アンカーだけ残そうとしたら手が滑って送信してしまった。

>>239
徐州に来た段階ではまだ公孫氏派じゃなかったっけ?
田楷伴ってるんだし。

242:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 11:12:30 22VwPIAs0
>>239
劉備の徐州行きは曹操の徐州侵攻が起きた事が原因で
これは公孫陣営と協調関係にあるトウケンを助け、
敵対関係にある袁紹陣営と協調関係にある曹操陣営の動きを妨害する為に行われてる
だからこの行為自体は別に公孫陣営への裏切りでもなんでもなく、
むしろ公孫陣営の意向を受けた動き
まあ、いつもどおり劉備の摩訶不思議な魅力で徐州行ったらトウケンに気に入られ
多数の兵をもらったばかりか、トウケンの死語に徐州の後継者の地位までもらっちゃったから
公孫陣営に戻る理由がなくなっただけで、とんずらかましたって認識はあまりなかったんじゃないか

243:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 11:52:59 H8eNAdpK0
純粋に袁紹派と袁術派に色分けすると、曹操と劉備の動向が訳わからなくなるな。
というか、具体的に言うと袁術が劉備を攻撃した理由が訳わからん。
そこまでの構図は完全に袁術派と袁紹派で色分けできるのに。

なんか命令に従わなかったとかだろうか。

244:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 12:16:47 4knPvJzl0
>>243
袁術と陶謙はいつからかは不明だけど、敵対状態だよ。
呂範が袁術のスパイと疑われて捕えられた事件がある。
また、袁術の勢力圏の豫州に刺史を任命してる。

また、劉備が袁術に徐州を任せるべきと発言した際に陶謙配下の陳登が反対したり、
劉備が徐州継承後に袁紹に挨拶の使者を送って、袁紹が大喜びして劉備を褒めちぎっているところを見ると、
どうやら陶謙と袁術はいつの間にか敵対してて、劉備が徐州を継承した時に袁紹陣営に付いたと思われる。

245:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 19:58:28 H8eNAdpK0
>>244
となると、公孫氏は帝位僭称時ではなくて陶謙救援時に既に離反してるのかな。

246:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 00:53:13 gNgY/7X70
もともと、公孫サンは独力で袁紹と戦う勢力があったので、袁術派である必要がなく
袁術との強固なつながりも見受けられない。ってか接点なくね?

>>241
陶謙と助けた事は公孫サンからの命だが、そこで勝手に官位をもらって徐州に居座ったのは裏切り行為に等しいんでね?
呂布が曹操の本拠を空き巣して回っていたことから手助けの必要もなくなったことだし、田楷と共に戻るのがスジってモン


247:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 01:02:00 a84nHWaa0
>>246
>陶謙と助けた事は公孫サンからの命だが、そこで勝手に官位をもらって徐州に居座ったのは裏切り行為に等しいんでね?
勝手に官位もらったも何も、裏切りを明白に表明しない限り官位を得たのは「公孫サン麾下の劉備」であってむしろ利益になる行動かと。

248:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 01:04:34 vtxijXGA0
情勢がまだどうなるか分からないのに
どこが裏切り行為に等しいんだ?

249:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 03:00:06 D7CDFeyw0
>>247
あのな、官位ってのは主君か朝廷からもらうもんだぞ?
部下に官位を与える権限ってのは、君主権の源泉。
部下が他の奴から官位貰ったら、それは官位をくれた奴を新たに主君と仰いだ事になる。
朝廷が与えた官位ならともかく、他の群雄が勝手に発行した官位を自分の部下が受け取っても、何の得にもならんぞ?

250:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 03:08:12 D7CDFeyw0
補足すると、劉表配下の韓嵩が朝廷への使者に行く事になった時、
韓嵩は「私が天子から官位を貰ったら、天子の臣下と言う事になるから、あなたのために死ねなくなります」と言って、
断った例がある。要するに「天子から官位を貰ったら、天子の臣下って事になるから、
あなたの配下では無くなるけど、それでいいの?」ってこと。

当時の認識はこんなもん。

251:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 03:15:29 a84nHWaa0
>>249
主君からではないが、相手の死去からの相続だから公孫サン麾下からドロップアウトしたわけではないのが一つ。
また、朝廷の権威をうけたものの、非常時に基づく現地相続なので、権威が失われたわけでもないのが一つ。(劉焉らの例)

252:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 03:23:19 a84nHWaa0
>>250
それは天子という強力な中心性あっての事だと思うが。
天子以外との辟召関係での結びつきが、天子と結びつけばそっちが自動的に優先されて、
関係が完全に再編されてしまうことを危惧しているのだと思うけど。
並列ではないでしょ。

253:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 03:52:31 D7CDFeyw0
>>251
劉備は陶謙から徐州牧の地位を継ぐだいぶ前に、
陶謙から豫州刺史の官位をもらってるんだよ。
そして、そのまま小沛に駐屯してんだ。
要するに公孫サンから与えられた平原国相の地位と職務を放棄して、
陶謙から官位をもらって、陶謙の豫州領を治める職務に就いたんだ。
ここまでやってたら、もう公孫サンの部下辞めて、陶謙の部下に完全に成りきってるよな?

254:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 23:41:59 xacRxvqn0
>>246
>袁術との強固なつながりも見受けられない。ってか接点なくね?
いとこの公孫越を袁術のところに送ってるよ
と言うか劉虞に対する行動が主で袁紹と敵対は成り行きでしょ

255:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/11 00:03:49 nnU2sQgO0
>>254
でも、公孫サンが冀州で袁紹と戦ってる間は、実は劉虞が後方から食料補給してたんだよな。
公孫サンと劉虞の仲が決定的に危なくなったのは、冀州戦の大勢が袁紹の勝利に傾いて、
公孫サンが幽州に戻ってから、劉虞が食料の補給を止めて、公孫サン軍の維持が危うくなった時。

だから、劉虞との対立と、袁紹との対立は関係ない。

256:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/11 14:19:08 OIsyT0Ow0
公孫瓚って怖くて打ったこと無いや

257:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/11 14:19:49 OIsyT0Ow0
お、行けるんだな
今までの数年って一体…

258:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/27 05:16:28 Yj9gW28C0
>>1

蜀の成都から洛陽中原までは800㌔以上の移動距離。日本では奈良から大宰府くらいの
距離を長遠征するわけだからね。漢の高祖のように直ぐに行動すれば違ったかもしれな
いが引きこもってしまえば尻が重たくなる。呉は黄河流域ではなく揚子江流域を中心地
と考えているから無理はしない。
この時代は黄河中流域の北京付近から揚子江北域の南北600キロと青州府から長安までの
東西600キロの狭い地域の上洛戦争だから・・・そこから距離を置いたらダメポ。

259:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/27 05:27:31 Yj9gW28C0

冠羽が荊州を失った事が大きいよね。荊州からなら洛陽中原までは200キロ以内
で東京~静岡くらいの距離だから十分に制圧できる距離と位置ですね。

260:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/27 05:32:50 Yj9gW28C0

劉備の蜀は奥州藤原氏が京都に攻め込む以上に難しくなったんだよ。奥州
藤原氏のような独立政権として最後は鎮圧される運命にあったと言う事。

261:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/27 21:13:41 wENf/vYb0
成都から洛陽まで意外と近いんだな

262:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/28 11:04:56 roSIMCpt0
>>261

殆どが険しい山岳地帯の横断だから普通の3倍くらいの移動労力じゃないかな。船も
使えないし・・・魏も蜀も守るには良くてもお互いに攻めるのは大変だったんじゃないか?
曹操の赤壁の戦いでも許都から赤壁まで東京~名古屋間くらいの距離で船が使える。
全然違う戦いかただよね。

263:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/28 14:07:44 roSIMCpt0

12月28日 BSジャパン PM7:00~PM9:00
 三国志ミステリー「曹操の墓は語る 英雄の秘密」北村一輝
再放送あります。


264:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/29 00:02:23 eLQB6Pd/0
                            | 
       {    !      _,, -ェェュ、   | 
ィ彡三ミヽ  `ヽ     ,ィハミミミミミミミミミヽ、|
彡'⌒ヾミヽ   `ー  /ililハilミilミliliミliliミ|  
     ヾ、        /iiiiイ!ヾヾミ、ミニ=ー-ミ| 
  _    `ー―' i!ハ:.:.\\_::::::::::::::/:.| このスレは
彡三ミミヽ        i! ヽ:.:.:.:冫': : :::/,,∠| 
彡'   ヾ、    _ノ i!::: ̄二ー:: : ::::ソ ・ ,| 曹操患者に
      `ー '    {ヘラ' ・_>シ;テツ"''''"| 
 ,ィ彡三ニミヽ  __ノ ヽヘ`" 彡' 〈     | 監視されて
彡'      ` ̄       `\   ー-=ェっ |
      _  __ ノ  {ミ;ヽ、   ⌒   | います
   ,ィ彡'   ̄        ヾミミミミト-- '  |
ミ三彡'        /⌒ / ̄ ̄ | : ::::::::::|
       ィニニ=- '     / i   `ー-(二つ
     ,ィ彡'         { ミi      (二⊃
   //        /  l ミii       ト、二)
 彡'       __,ノ   | ミソ     :..`ト-'
        /          | ミ{     :.:.:..:|
            ノ / ヾ\i、   :.:.:.:.:|
      ィニ=-- '"  /  ヾヾiiヽ、 :.:.:.:.::::|
    /     /  `/ ̄ ̄7ハヾヾ : .:.:.|
   ノ     _/   /   /  |:. :.:.:.:.:.:.:|

265:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/29 15:46:16 jPEFn/Fv0
>>259
なら宛から上庸までも近そうだな
司馬懿が8日で移動できるわけだ

266:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/31 12:49:01 n648FCdRO
刑道栄に斬れって言ったからだよカスども

267:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/01 00:03:44 vzj1ROoEO
韓信がいなかったからに決まってるだろ

268:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/02 16:38:37 mdo7fcgO0
正月のテレビで南米アンデスだかのインカ時代の山道をチャリンコで走るみたいな動画あったが
蜀の産道も同じようなものかと思ったらあそこを何万の兵が通って攻め込むなんて恐ろしい難関かと思ったわ

269:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/02 17:34:14 fOSuLgYxO
崔州平曰く
分かれ争った後に統一され、統一された後にまた分かれ争う。
人の力ではこの天下の法則は覆せません…


270:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/02 20:39:28 d0Wo9MRf0
>>267そうだね,劉邦も漢中から中央に進出したし

271:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/02 23:14:13 sBB1HWF0O
曹操より先に荀イクを配下にしなかったから

272:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/04 19:09:42 hYWJvnA40
>>261

宛(南陽郡)から上庸(新城)までは200㌔~250㌔くらいの距離。ただ司馬懿が一度
皇帝のいる洛陽~長安(魏皇帝長安へ遠征途上)はへ出て許可を取り付けてから上庸
へ向かうと800㌔1カ月以上かかることになるわけですね?

273:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/04 19:30:47 RTVX18xO0
普通に能力がなかったから

274:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/04 20:28:21 2Cn7yLAN0

  ( ´∀` )<曹操患者さん、もう涙を拭きなよ
  / ,   ヽ     あんたら心の中では曹操閣下の正軍師様きどりなんだろ
 ̄_|,..i'"':, ̄ ̄ ̄ ̄
  |\`、: i'、
  \ \`_',..-i
   \.!_,..-┘



275:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/09 02:46:59 SKaFp23M0
才覚は劣り、天運も恵まれたとは云えず、天下を統べる意思も欠いてては
天下を取れるわけがない

276:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/21 02:29:25 1EopHxGI0
こんな感じ?

【徐州時代・・劉備絶頂期】
荀氏・鍾氏と並ぶ、頴川郡名士の実力者、陳氏の陳羣からも協力を得て
曹操、袁紹と並ぶ次代の覇者候補として見られていた。
劉備が人生で唯一輝いていた時期。

【流浪時代・・使い捨ての傭兵】
覇者レースからは転がり落ちたが、使い捨ての傭兵としては利用価値あり。
呂布・曹操・袁紹など覇者を目指す群雄は
劉備を傭兵にして利用する。
中原のレースが、官渡の戦いで決着したため、中原では用済みになる。
粗大ゴミとして辺境に捨てられる。

【荊州時代・・荊州名士、魯粛の犬】
粗大ゴミとして荊州からも捨てられて、危うく長坂で焼却処分されそうになる。
魯粛に拾われ、天下三分のために利用される。
荊州名士も自分の保身のために劉備を利用。
忠犬ポチ公として、忠実に活躍し、見事蜀をゲット。
ワンワン!

【蜀時代・・身の程を知る】
漢中をゲット。益州・荊州以来の新参者におだてられ
調子にのって漢中王を名乗り、飼い主の呉にも噛みつく。
しつけのために呉が劉備をフルボッコ。
荊州を奪われ関羽、張飛を失い
夷陵でも直接タコ殴り。旗揚げ以来の家臣を皆殺しされ
誰が劉備の飼い主かを理解させる。

そして劉備は、関羽、張飛など旗揚げ以来
自分を信じてきた人々を裏切ってしまったこと
人生で何も成し遂げられなかったことを思い知りながら
失意のうちに亡くなったのであった。
最後はやけっぱちで孔明に
「おめーが矢面に立って皇帝やりゃいいじゃねえかよ(泣」
と神輿に担がれて全てを失った恨みつらみを述べてます。


277:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/21 03:07:09 193Tyq1z0
>>276
「判官贔屓」なる語の意味がよくわかったw

278:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/24 23:31:00 4C7SWa4o0
URLリンク(www17.big.jp)
ゲーム人数が少ないので宜しくです(TT)

279:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/29 10:19:30 gvMc5eeJ0
孔明と出会うまでは国(州)を奪うようなことをしなかったではないか
孔明なくして天下統一はありえず、もっと早く孔明と出会ってたらもしかしたら。。

280:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/29 11:27:29 dukXfn3S0
そもそも三国時代に天下統一なんて出来た人物居なかったじゃないの。
なんで劉備だけなん?

281:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/29 17:21:22 8LsfOapg0
とりあえず劉備について考えたらいいやん

282:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/29 21:27:00 DCnIISh80
曹操の天下統一を阻止したのは、間違いなく劉備(孔明)。

283:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/30 03:56:55 PZiDIrU20
周瑜だろ

284:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/30 19:36:36 uSPS+0vP0
じゃあ魯粛で

285:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/02 00:38:16 7tx3crrV0

曹操の奴がやる気がないんだもの・・・・

286:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/04 15:12:20 Pd/Y2xlKO
鶏肋

287:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/05 02:40:04 wk8nTGdl0
劉備は詰めが甘いと思う
覇者の器じゃなかった

288:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/05 20:29:48 /Z5HB2GK0
項羽・呂布「漢が滅んで良かったわ。」

289:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/10 16:12:37 HTDZVq180
劉備が流氷死後すぐに逃亡するか曹操の軍門に下っていればその後の無益な戦争はなかった

290:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/10 20:45:43 la+X/FRn0
劉備は小沢だからしょうがない
天下統一よりも平和な世界よりも、政局を混沌とさせることが大事

291:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/11 04:07:59 R8QspgVN0

冠羽の事を頑固者みたいに言うが劉備や諸葛亮のほうが頑迷さでは遥かに上だな。

292:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/13 08:36:00 31UMmjeb0
何故統一できなかったかと考えるほどの
チャンスが一度でもあったのか?

293:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/13 11:12:34 5QoaFbai0
バカ、ここで作ってやるんだよ

294:他与& ◆dNw4gxlJvifO
11/02/16 03:17:30 1M81fn380
~~~


295:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/16 07:06:28 3Oy9X2Xx0
>>290
>天下統一よりも平和な世界よりも
こんなもん民衆だって望んでないんだから当然だろ、よほどの底辺なら別だが

296:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/16 09:19:47 etAD9ZPm0
それ現代に対するツッコミ?
三国志の時代に対するツッコミ?

297:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/16 16:15:00 OCSS3UJ+0
平和な世界は望んでるだろ、普通

298:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/17 22:11:01 Q7KbYInj0
なんか孔明より徐庶を軍師のままの方が良かった気がするな

299:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/17 22:18:38 yWpyd2Hx0
あんまり使いたくない言葉だが、
それこそゲーム脳って奴じゃねえか?

300:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/17 22:42:46 IrB08GHt0
孔明を軍師と称している時点で言わずもがなじゃねえか?

301:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/17 23:14:11 WQQIFjtZ0
せめて法政が長生きしていれば、それか韓信(もしくは関羽に韓信の霊が乗り移る)や陳平のような人物がいれば天下を取れたかも

302:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/17 23:44:03 anF8LfbD0
関羽さんって実は張飛よりもやっかいなヤツだったんじゃね?

303:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/18 00:06:38 xXE9PxH80
韓信や陳平など人物がいれば…ってのもゲーム脳レベル


304:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/18 00:27:37 /dmA1Udi0
劉備が天下統一するには蜀漢の人口を爆発的に増やすか魏・呉の人口が激減するかの二択だよなw

305:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/18 01:28:57 xXE9PxH80
人口が増えても蜀にその人口を養うだけの食の確保ができるかな?

まぁ人口よりも、敵国の内部の腐敗と政治の混乱が必須だと考えるけどね
大国が滅ぶのは、外患より内憂

項羽は戦術家で政略に疎い点を突かれて情勢をひっくり返されたが
政戦両略に通じる曹操相手に項羽のときのような逆転劇は見込み薄いだろう
それこそ、戦場で曹操を殺すくらいの出来事が起こらんことには無理

袁曹の戦いが終結した時点で、曹操存命中に曹操以外の勢力が天下を盗ることってのは
関ヶ原の戦い終結後、真田が天下を盗る方法を語るに等しい

306:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/18 10:29:26 jg1qLJJM0
>>305せめて赤壁で曹操を討ち取っていれば、話は変わったかもしれませんね

307:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/18 11:30:08 n2EaUEPZ0
劉備が立ち上がったきっかけが黄巾賊や十常侍のときだったから
その後の曹操や孫権の平定ぶりを考慮した場合に両者を
打ち破る必要性があったのかどうかも疑問

308:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/18 19:58:29 7Tm16c+g0
>>304
呉みたいに不服住民を討伐して中央集権化を進めればある程度は増える

309:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/19 04:17:34 UGQTILVE0
>>306
赤壁で曹操が死んでたら、魏は袁家と同じく兄弟の跡目争いによる内部分裂が起こる
可能性が高そうだね

そうなれば劉備にもチャンスが・・・と考えられなくもないが
曹操の死による混乱を周瑜が見逃すはずもなく、孫呉が天下統一って流れになる算段が有力
赤壁あたりで曹操を討ち取れてたとしても、劉備の天下統一は甚だ難しいように思える

310:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/19 08:41:33 ZP8qR+MCO
なんせ地盤が荊州の一部だけで、軍閥としても今一の劉備では。
赤壁の敗戦による曹操の圧力低下でやっと荊州取り程度の力しかないのが当時。
赤壁激突前に荊州全土を完全掌握出来てたら、司隷進攻の芽はあったかもしれんが。

311:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/19 20:26:28.12 spV+OOE/0
荊州益州領有してさらに呉の揚州を合わせても
国力で魏に負けてるのよね

312:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/19 22:05:14.63 BBOnonzt0
士一族と早めに組んでも…大したことないか

313:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/20 11:54:15.80 7i/+SMKq0
>>311
でも、蜀に本拠を置いた頃の劉備は漢中戦といい
関羽の荊州侵攻といい、寡兵で魏を圧倒してるからな。
魏の兵力が多ければ、兵力差で押し込めるとは言いがたいかもよ。

314:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/20 21:59:06.79 PQFhsmWH0
>>309それでも史実みたいにジリ貧になるよりかマシな展開になると思う

315:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/20 23:38:14.95 sjPZXbDt0
劉備の存在意義が対曹操だからなー
曹操が倒れたら、蜀取りも出来たかどうか

しかし、曹操が赤壁で倒れていたらって魅力的な妄想だな
妄想でいいなら、劉備にとって一番いい形の曹操の死に様は、潼関の戦いで馬超に討ち取られた、だろうけど

荊州問題はあるが、蜀制圧可能

316:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/20 23:45:14.38 sjPZXbDt0
官渡以後で曹操が死にそうな戦い

・烏丸攻め
・赤壁の戦い
・潼関の戦い

劉備と戦った漢中攻めは流石にないな……

317:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/20 23:50:37.55 o0/WJL0/0
曹操も戦上手だったが、
司馬懿と陸遜もまたド変態
彼らが世に出る前にどうにかしないと無理

318:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 00:05:55.43 FZcVI8rs0
>>317
曹操と異なり、司馬懿と陸遜は勢力のトップって訳じゃないから、無力化する方法はないわけでもない
できすぎる家臣は何かと危うい存在

演義でのはなしだが、策を用いて司馬懿を前線から遠ざけるなんて話しもあるくらいだしな

319:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 00:13:40.57 bSqzT12l0
その2人、劉備が欲しがる名士でもあるから、どうおべっか取るか?
ここでも関羽がネックになりうるw
あと、『もう1つの三国志』とか読んでると、
劉備が広い領土を手にしたとして、異民族対策上手くできるのかなぁ…

320:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 04:40:19.75 X4LVfaS10
劉備が天下を取れなかった理由な…

・故郷を基盤に出来なかったから
・場所場所で人間関係をいちいちリセットしてたから
・若い頃にサボってたから
・野心丸出しだったから
・遠縁とはいえさんざやらかして傾いてる組織の縁者だったから

321:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 19:25:38.05 8lxjCJ2R0
>>318
司馬懿と陸遜は卓上の駒みたいなもんだしな。
権力でどうとでも押し込める。
機嫌損ねると何をしでかすか分からない規格外の豪傑関羽のような
危険性がないのはメリットとも言えるが。
劉備には関羽を配下として扱えるほどの器がなかったんじゃ・・・

322:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 19:27:22.12 q8uKeu280
劉備の人生ってあれが完成形だったんだと思うや。
劉備の能力がもう少し上だったら、おそらくもっと諸侯に警戒されていたんじゃないかな。
仮にその時の劉備の能力が劉秀並みでも、最初期の劉備の状況を打開するのは難しいと思う。
劉備の人的魅力がもう少しあっても、これまた諸侯に警戒されていただろうし。
もし劉備が劉表の死後に荊州とってたら、その後にはたして益州入りができたのだろうか…。劉璋もそんな不義の輩を受け入れるほど馬鹿ではないと思う。

長文・駄文ゴメンナサイなんだけど、言いたいことは一行目の通り。
ツッコミどころ満載のレスだけど、まぁ見逃してちょうだい。

323:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 19:37:45.24 KcSSEG6g0
司馬懿と陸遜は用いた方が良いと思う
ただ、出世させすぎると、やっぱり前者はクーデターを起こし、
後者は政争巻き込まれて憤死するのかなw
関羽も御せない劉備は天下取れる器じゃない

324:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 19:45:15.88 8lxjCJ2R0
関羽が後世、伝説の豪傑として名を馳せる事になった功績が
曹操軍に属していた頃ってのもなんだか皮肉な話。

325:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/22 20:29:10.16 oKQ4PPrUO
諸葛亮の荊州乗っとり策などの部下の献言を何度か退け、間違った選択をしたこと。
ホウトウに説得され益州を奪い、曹操を撃退しこれからというとき、その前後に重臣がばたばたと死んだこと。

326:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/22 20:48:03.45 JbvnF14A0
戦争とかに向くタイプじゃないよね劉備って?

327:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/22 21:47:31.24 5BQBy/Om0
数ある中でも最後まで残った名うての傭兵集団・爪牙だったよ>劉備軍

328:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/23 06:53:17.30 VGYO6KG2O
地力のある軍閥ではないが、戦闘能力は並より高い軍団。
それが荊州奪取前の劉備たち。
荊州奪取で漸く地方軍閥の仲間入りして、益州・漢中掌握でやっと地力がつき
漢朝消滅で帝を称する事が出来たが、如何せんその前後に中核の将軍たちが次々に死亡(もっとも大体高齢だったから世代交代は何れにせよ間近だったが)
そしてカリスマ性で軍団を維持してきた劉備本人にタイムリミット、って所か。
徐州で傭兵部隊から確固たる軍閥に脱皮できてたら、多少は様相も違ってたかもしれないが。

329:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/23 16:41:17.84 dMNk028f0
そもそも色々やらかして国民から愛想つかされた=徳を失った王朝の復興を
旗印にしてる時点で反主流派だよね。
光武帝と同じことやろうとしたんだろうけど、もはや豪族でもなかったしな。

ちなみに劉備が天下統一してたら、前漢、中漢、後漢って区分になったんだろうかw

330:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/23 18:58:47.09 aMZcZsf80
ああ、確かに劉備が天下統一レースに加わるなら、徐州時代だろうなー
それ以後~荊州四郡まで、客将・傭兵扱いだった訳で

331:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/23 19:05:59.49 lOY0PkiE0
徐州時代に呂布の裏切りがなかったら違った展開になったのかね。


332:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 00:22:36.67 H9bNF72X0
徐州は守りに向いてないから
曹操が南下してきたらやっぱりどうしようもなかったんじゃない?
袁紹がもっと積極的ならなあ

333:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 01:14:34.45 +f+PqQBK0
徐州が守りに向いてないなんてこたーない
孫呉からすりゃ守りにくいだろうが、劉備が本拠地にする分にはなんら問題ない
元は、大国であった楚の北部だぞ

言っとくが、陶謙の頃に曹操の侵攻を少なくとも2回は防いでいるからな

334:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 01:20:43.11 N4xaiSxy0
あれは防いだといえるのかどうか。
まあ一州対一州の規模なら縦深も山河の険もあるし守り難いわけじゃないだろうね。
曹操は勝利を重ねながら、後退を重ねる陶謙を捕捉仕切れずに諦めるしかなかった。
守るならエン州の方が難しいだろう。

335:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 01:31:10.59 IgGtCym+0
というより、劉備はよくもまあ徐州を引き受けたよな

南から袁術、西から曹操に現在進行形で攻撃されている

半分無理ゲー

336:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 02:56:31.68 N4xaiSxy0
でも曹操のエン州失陥の直後だよ。
袁術だってまだ淮南近辺に毛が生えた程度の勢力しかなくて、
揚州各地へ兵を送っていて徐州へは本格的には手を出せていない。
徐州は二年間大きな戦もなく、その間袁術に攻撃を掛けるところまで纏め上げている。
そのあとが劉備人生の最大の失敗の一つだが。

337:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 09:21:03.26 YwHJdx8xO
皆、本当の劉備の人生のターニングポイントは徐州な訳だな。
徐州に派遣されて、上手く陶謙の譲渡を受けて早期に徐州の地盤固めを成し遂げてたら
少なくとも当面は対袁術に傾注出来てたわな。
無論後ろ盾として袁紹あたりにバックアップを頼むのが必須だけど、聊か徐州掌握にもたついた感はある。
やっぱ戦略的見地を持ったブレーンが居なかったからだろか。

338:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 10:02:12.76 Q0stL1Ul0
いやいや。そもそもね。どこの馬の骨か知らん奴が突然やってきて国主ですって
言って在地の豪族が素直に従うわけがw
一応正式な任命受けて任地入りした劉表や劉鴛でさえ掌握には相当苦労してるし
蔡氏や東州兵の武力の後押しなしでは不可能だったと思う。
流れ者の分際で、官位や職歴もなく兵力もない状態で徐州に来たんだから難しいでしょ。
仁者で徐州の人皆慕った・・・なんてことさら書いてることがあやしい。
実際曹操が攻めて来たら、ころっとそっちについちゃってるんだからw

札付きの呂布を受け入れたのだって、その武力を徐州掌握のために利用したかったからって
ほうがすんなり納得できる。
結論としては徐州時代に天下に名乗りを上げるには実績、名声ともに不足。
その後曹操陣営に入り官位と実績(?)と箔をつけたから「客将」として通用したわけでね。

俺はやはり箔を付けた後の新野時代、曹操が袁氏を滅亡させるまでの期間がターニングポイント
だったと思うな。劉表陣営において政略を駆使してキャスティングボードを握る地位を占め
その時点での曹操との敵対、孫氏との和睦、同盟を成し遂げて、劉表一族を内部からあぼんで
国主へ、という道以外に可能性が高い道が思いつかん。

339:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 12:21:18.58 YwHJdx8xO
たしか徐州に入った時に平原相称してたんだっけ?しかも正式でない公孫サンの勝手に授けた官職。
公的権威はねーわ、只の派遣された傭兵部隊だわ、これで一国取るのは難しいか…。

340:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 15:25:40.38 Q0stL1Ul0
うむ。後漢の統治はいわゆる「郡県制」であり、それより大きな範囲である「州」にはもともと独立性はないんだよね。
郡太守には行政権も警察権もあるけど、州刺史は各郡の巡察使のようなもので
禄も実は郡太守と同じ二千石程度だから両者に明確な上下はない。
例外的にもっと力の強い「州牧」が任命されることはあるけど、州の「太守」という立場からはほど遠い。

だから実は陶謙自身がきちんと徐州を掌握していたかどうかは疑わしい。
反董卓連合軍を結成したときに刺史として徐州軍の旗頭にはなったけど戦争終了後、盟主として
立てられたかはわかんないよね。徐州が一本にまとまってないからこそ曹操来襲で簡単に万歳しちゃったと。
荊州侵攻時の曹操軍と比べるとはるかに兵力、武威ともに劣るのに。

341:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 20:11:09.19 N4xaiSxy0
>>338
徐州の大豪族であり、陶謙の側近中の側近だった糜竺・陳父子の支援で
劉備は徐州牧になってるわけだが。
それから袁紹と手を結び、曹操へ使者を送って献帝から鎮東将軍の名号を正式に拝命し、
後顧の憂いなく袁術攻撃に入った。ここまで、順風満帆。
それが呂布を迎え入れていたために全部おじゃん。

袁術攻撃までに二年かかった理由としてはいくつか想定できるが、
・元々陶謙が徐州全域を支配していなかった可能性(東部には臧覇がいた)
・曹操の屠城で下ヒ周辺が壊滅し、再建に手間取る。
・袁紹・曹操と結ぶまでに時間が掛かった。
などがあるだろう。

342:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/25 02:04:36.80 zB/Ax5bp0
>>340
監察権が支配権に演化していくのは後漢初期から晋代までの時代の趨勢だから掌握はある程度はしていたと思うよ。


343:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/25 03:04:17.29 GIQ2YO/X0
陶謙が徐州全域を支配していたかどうかというのは、
刺史の制度としての強制力の強さ云々の問題よりも
陶謙自前の武力が州全体を支配するにたる規模だったかという
問題の方が大きいだろう。


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