22/05/07 10:41:55.26 hLXWESts0.net BE:306759112-BRZ(11000)
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戦後、日本共産党を再建することになる日本人幹部たちは、長らく収監されていたため、活動資金も人的ネットワークもなかった。
それをカバーしたのは、在日本朝鮮人連盟である。当時、多くの朝鮮人が掛け持ちして共産党員となり、組織作りや活動を主導していった。
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敗戦後の日本に「在日本朝鮮人連盟」(朝連)という、共産主義者が支配する巨大な朝鮮人組織が誕生した。
この組織は、日本共産党の再建に大きな役割を果す。
『在日一世の記憶』(小熊英二・姜尚中編、集英社新書)にも証言が収録されている李達完は、
父親が在日本朝鮮人連盟の長野県本部を作り、自身は日本共産党長野県辰野支部を任されていた人物である。
李は辰野支部を設立した当時のことを筆者(東郷一馬)に、
「日本共産党といってもね、当時は実体がなく、名前はあっても形はなく、在日本朝鮮人連盟の上に乗っていただけなんだ」
と語っていた。
朝鮮総連の活動家だった李玄鎮も、滋賀県竜王町で中学時代に共産党に入党したが、
「日本共産党に入る時、共産党員というのは5、6人しかいないんです。ほとんど在日の人で、日本人はたった1人でした」
と回想する。
地域にバラつきはあるが、終戦時、日本共産党員の多くは朝鮮人であり、地方支部では、朝連と党支部のメンバーの多くが重複していた。
いや、むしろ朝連の中に日本共産党があり、一体化して活動をしていたと言った方がいいかもしれない。
「在日本朝鮮人連盟」と一体化していた日本共産党 活動資金、人的ネットワークをカバー
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