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フィギュアスケート男子で18年平昌五輪(オリンピック)代表の田中刑事(27=国際学園)が11日、自身のツイッターで現役引退を発表した。今後はプロスケーターと、指導者を志すアシスタントコーチを並行していくという。
羽生結弦、日野龍樹-。同期には、友であり、ライバルである2人がいた。
小学校高学年から参加した全国有望新人発掘合宿(長野・野辺山)では何度も同じ部屋になり「UNO」をして遊んだ。「それまでは『羽生結弦』も『日野龍樹』も知らなかった」。拠点の岡山で自信をつけていた少年は、氷上に立った同期を見て、驚いたという。
「『動きが滑らかですごい…』と思った選手が結弦でした」
秋には全日本ノービス選手権で再び顔を合わす。年に2回、大きな刺激を得る機会だった。
「それまで、東は京都までしか行ったことがなかった」
そう振り返る田中が、一皮むける原動力になった。
「ノービスAの最後の年(中学1年)になると『もう結弦が(3回転)ルッツとフリップを跳んでいる』『龍樹もフリップを跳びかけている』と、なぜか東の情報が入ってきたんです」
当時の田中はトーループ、サルコーの2種類。「焦りは正直ありました。一緒にやっていて、同じジャンプができない悔しさはある」。ジュニアでもトリプルアクセル(3回転半)を跳ぶ羽生を見て「焦りが力になっていた」と懸命に新たなジャンプ習得に励んだ。
シニア転向は2014年。高校1年で上がった羽生に比べて、4年遅かった。
「結弦が(2010年)世界ジュニア選手権で優勝して、僕にはジュニアで成績がなかった。『ジュニアで成績を残すまで頑張ろう』と思いました。それがやっとできたのが大学1年だった最後の2013年。全日本ジュニア選手権で優勝できた。シニアの大会はそれまで見ていた世界よりも華やかで、滑っていて『楽しい』と思える場でした」
決して順風満帆ではなかった。それでもシニアのトップ選手に加わり、17年全日本選手権2位で3枠の平昌五輪代表入り。当時も余裕などなく、必死だった。
「危機感はシニア1年目から変わっていないです。やっぱり『上の選手に勝たないといけない』と思うと『もっと自分がうまくならないといけない』と思う」
この日、現役引退の思いをつづった書面には「競技者の時には『攻める』をテーマに滑ってきましたが、次に進む道でもその熱量を持って取り組んでいこうと思います」とあった。プロスケーターとして、コーチとして-。唯一無二の経験は必ず生きる。
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