17/07/13 21:22:20.28 qUc0YNUL0.net BE:844481327-PLT(12345) BE:844481327-PLT(12345)

【記者と案内人】朝日新聞記者と小学校教員、異なる戦争体験
1935年、糸満の漁港で写したとみられる記念撮影風の1枚には、沖縄を取材して本土に戻った大阪朝日新聞の記者と、糸満での取材を案内した人たちが写っている。
その後の歩みは異なるが、それぞれが激動の時代をくぐり抜けていた。
右端は、同紙連載「海洋ニッポン」を担当した守山義雄記者。
朝日新聞在職中の64年、53歳で亡くなった。同僚らがまとめた「守山義雄文集」(65年)で、この間の足跡が分かる。
日中戦争が始まった37年には旧日本軍が占領した南京におり、39年にはナチス・ドイツの首都ベルリン特派員になった。
攻略直後のパリやソ連との戦いなどを取材して45年5月1日夜、攻防下にあったベルリンで、ヒトラー死亡のラジオ放送を聞いたようだ。
同盟国だった日本の記者として、こう振り返っている。
「筆者らはいわゆる盟邦の記者…両国の戦時プロパガンダ政策の垣根からは一歩も外に出られない、いわば…一個の兵隊にすぎなかった」
URLリンク(www.okinawatimes.co.jp)
URLリンク(www.okinawatimes.co.jp)