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2023年10月25日
猪口貴裕
「スーパー・エキセントリック・シアター」(以下、SET)の主宰として、44年に渡って劇団を背負ってきた三宅裕司さん(72歳)。
喜劇役者として笑いを追求する一方で、タレント、演出家としても活躍。
数多くのテレビ・ラジオ番組で司会とメインパーソナリティーを務め、多大な影響を与えて来た三宅さんに、1980年代に一世を風靡した3つの番組
『三宅裕司のヤングパラダイス』『テレビ探偵団』『三宅裕司のいかすバンド天国』の思い出を語ってもらった。
ラジオは“気の良い兄貴”みたいな立ち位置で
―三宅さんが1980年代にパーソナリティーや司会を務めたラジオ・テレビ番組は、幾つも社会的なブームを巻き起こしました。
その中から3つの番組をピックアップしましたので、当時のエピソードをお伺いします。まずは1984年にスタートして、
三宅さんの名を一躍轟かせたニッポン放送のラジオ番組『三宅裕司のヤングパラダイス』ですが、どのような経緯でパーソナリティーに就任したのでしょうか。
三宅裕司(以下、三宅):僕がSETを結成する前にお付き合いのあった事務所「東京新社」のマネージャーが独立して会社を作ったんです。
彼には「お笑いと音楽が融合したブルース・ブラザーズみたいなコメディーを作りたい」という夢があって、僕がSETでミュージカル・アクション・コメディーをやっていたから、「三宅くんしか頭に浮かばない」と会いに来たんです。
当時、SETの動員を増やすためにも、劇団ごと売り込もうと考えていたので、その人と協力してニッポン放送のディレクターを全員呼んで、局内で一番大きな銀河スタジオで芝居をやりました。
―ラジオ局で、そんなプレゼンをしたんですか!
三宅:それを見たディレクターの一人が、『高原兄のヤングパラダイス』の番組内に「S.E.T.劇場」という5分のコーナーを作ってくれて、
音を使ったコントをやっていました。それを聴いていた高橋幸宏さんと作家の景山民夫さんが「面白いね」と言うことで、
『高橋ユキヒロのオールナイトニッポン』にSETをレギュラーで起用してくれたんです。そこから、「ヤングパラダイス」に繋がっていきました。
―それまでラジオを聴くことはあったんですか?
三宅:小学生のときは聴いていましたけど、ちょうどテレビの時代が到来したので、ほとんど聴かなくなりました。
ただ『ビートたけしのオールナイトニッポン』はめちゃくちゃ面白くて、僕も聴いていましたし、誰もが憧れていました。実際、「ヤングパラダイス」を始めるときに、もっとリスナーを突き放すようなしゃべりはできないかというお話もあったんですが、
「僕にはできません」と。自分なりのやり方でやらせてくださいということで、気の良い兄貴みたいな立ち位置でパーソナリティーを始めたんです。
打倒・吉田照美を旗印に
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