【野球】槍持った盗賊が試合襲撃、家畜放牧のジャングルでプレー…壮絶体験した元投手の今 [征夷大将軍★]at MNEWSPLUS
【野球】槍持った盗賊が試合襲撃、家畜放牧のジャングルでプレー…壮絶体験した元投手の今 [征夷大将軍★] - 暇つぶし2ch1:征夷大将軍 ★
22/04/20 08:09:16.87 CAP_USER9.net
フルカウント
2022.04.20
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■浜田典宏さんは社会人3チームのテクニカルアドバイザーを務める
昨年ア・リーグのMVPに輝いたエンゼルス大谷翔平投手は現在、メジャー5年目のシーズンを戦っている。その大谷が生まれた1994年、エンゼルスと契約した日本選手がいた。現在は社会人野球の「明治安田生命」「三菱重工West」「三菱重工East」の3チームでテクニカルアドバイザーを務める浜田典宏さんだ。浜田さんはなぜ異国でのプレーを選んだのか。自らの経験を語った。
浜田さんは関東学院大で投手としてプレーしたが、満足のいく成績を残せなかった。当時はまだ日本人メジャーリーガーはいなかったが、卒業後は海外でプレーすることを選び、エンゼルスのアカデミーがあるドミニカ共和国に渡った。
「大学では不完全燃焼でした。『野球はまだ続けられる』という自信だけはあったので、プロ野球スカウトの紹介で海外に行くことにしました。当時はアメリカの中にドミニカがあると思っていたくらい無知でした」
年齢が若い方がチャンスがあると考え、22歳だったが20歳と偽った。通訳もいないためポケットに日本語、スペイン語、英語の単語集を入れた。牛や馬が放牧されているジャングルのような場所でもプレーした。
「同じ地区に広島カープのアカデミーがあったので、カープのユニホームを着たドミニカ人に投げていました。ある日、槍を持った盗賊たちがグラウンドに食べ物を奪いに来て、公式戦がストップしたこともありました。両軍全員で血相を変えて追い払いました」
“カルチャーショック”を受けながら日々を過ごすうちに野球観が180度変わった。日本でプレーしていた時は結果に追われ、野球を楽しいと感じたことはなかったという。
■ドミニカ共和国や米国、ベネズエラ、カナダでプレー後、横浜で治療院を開業
「日本では試合前日に早く寝るなど、やたらとコンディショニングに気を遣っていたし、よく緊張もしました。でも(ドミニカ共和国で)チームメートを見ていたらリラックスしていてプレーも軽い。今までの自分が馬鹿らしくなりました」
その後、アメリカ、ベネズエラ、カナダでプレー。28歳で帰国した後は解剖学や運動学などを学び、横浜市に「からだコーチング メジャーケア」を開業した。現在は社会人3チームでテクニカルアドバイザーも務める。
長年選手と接してきたが、グラウンドで声を荒げたことは一度もない。選手との会話には常に笑いが溢れている。昨年、指で絵を描く指画家として知られ、藍綬褒章も受章した母の珠鳳さんが死去。海外でのプレーを後押ししてくれた母の死が、アスリートでいられる時間が限られている選手たちと重なった。
「選手は結果が悪いと下を向いてしまいます。引退への不安もよぎる。野球には勝ち負けがつきものだからこそ、見守る立場としては、選手が気持ちよくプレーできる雰囲気で試合に送り出したいと思っています」
 
異国で野球の本当の楽しさを知った浜田さん。選手たちにも、野球を楽しみ、より良いパフォーマンスに繋げてほしいと願っている。
篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki


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