【デビュー40年目】中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」の秋元康もうらやんだ傑作性〈dot.〉 [フォーエバー★]at MNEWSPLUS
【デビュー40年目】中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」の秋元康もうらやんだ傑作性〈dot.〉 [フォーエバー★] - 暇つぶし2ch1:フォーエバー ★
21/05/02 11:44:01.99 CAP_USER9.net
デビューした1982年にセカンドシングル「少女A」でブレークした中森明菜(55)は、日本レコード大賞の新人賞を取れていない。11月に発表された5組に入れなかった。
※「前編」の「中森明菜がひょうきんキャラから『不機嫌な歌姫』に変わるまで」より続く
 その5組とは、シブがき隊に松本伊代、早見優、石川秀美、堀ちえみ。このうち、シブがきと伊代を除く3人は、発表時点でも明菜よりはるかに実績が劣っていた。しかも、その発表の前日、彼女のサードシングル「セカンド・ラブ」はオリコンで初登場2位を記録。さらに年末から年始にかけて、通算6週も1位を獲得する大ヒット曲となる。にもかかわらず、大みそかの本選ではシブがきが最優秀新人賞を受賞。トップワン歌手がカヤの外という、歌謡シーンの実情にそぐわない場面が放送される結果となった。
 この原因はもっぱら、レコード会社と事務所がともに主流ではなかったことだ。ワーナー・パイオニアは1971年に小柳ルミ子を最優秀新人賞にしたが、彼女は当時最強のナベプロ(渡辺プロダクション)所属。明菜の所属は新興勢力の研音で、現在ほど強大ではなく、政治力もいまひとつだった。
 そういう意味で、彼女のブレークには自力で時代をねじ伏せていった感がある。ロック調の「少女A」に続いて、せつなく歌い上げたバラードの「セカンド・ラブ」も高い人気を集め、デビュー2年目になってからもヒットを連発した。
 その戦略は、かつて山口百恵が得意とした、ツッパリ路線と叙情路線を使い分けていくもの。ある意味、ワンパターンだったライバルの松田聖子にはない強みだ。ただ、キャラが見えにくいという難点もある。じつは百恵の場合、女優という武器も持っていた。そこで確立したヒロイン像が本人のキャラとも結びつき、ファンの安定した支持にもつながっていたわけだ。初期の明菜が歌う詞に登場する女性像は、売野雅勇(うりの・まさお)が書くにせよ、来生(きすぎ)えつこが書くにせよ、やや極端で、どちらが本人に近いのかよくわからなかったものだ。

そんななか、彼女のキャラとかなり重なっているのではと思われる傑作が誕生する。デビュー3年目の11月にリリースされた「飾りじゃないのよ涙は」だ。
 作詞作曲は、井上陽水。まずはその詞について、秋元康が当時こんな指摘をしていた。ちょっと長くなるが、引用してみる。
「僕が中森明菜を分析すると、泣かない子、強い女、って気がするから、じゃあ、詞を書くとなったら『私は泣いています』って感じかな、でもそれじゃ、ちょっと弱いからってんで『私は泣いたことがない』ってコンセプトを考えたわけ。で、僕ならサビに持ってくるだろうなって。そしたら、陽水さんは♪私は泣いたことがない♪ってあのリズムでいきなり始めた。はあ、やられたなって思ってね、てっきり阿久悠さんだろうと思ってたら違って、ああ、井上陽水さんはさすがにスゴイと、最近の詞のなかでも一番スゴイなって。(略)あれがさあ『十戒』だったらわかるわけ。(略)売野さん、やってますねえ、みたいな感じなんだけどね。♪私は泣いたことがない♪って来られると『圭子の夢は夜ひらく』じゃないけど、あれに通じるドラマを感じちゃうよね」(「よい子の歌謡曲」22号)
5/1(土) 11:30配信
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