【文筆家/古谷経衡】<岡村隆史さん降板署名活動にみる「ネット右翼的」感性>何かの話題があるたび、醜悪な圧力運動を展開 [Egg★]at MNEWSPLUS
【文筆家/古谷経衡】<岡村隆史さん降板署名活動にみる「ネット右翼的」感性>何かの話題があるたび、醜悪な圧力運動を展開 [Egg★] - 暇つぶし2ch1:Egg ★
20/05/02 21:20:23.34 +46OORaO9.net
4月23日放送の『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、岡村氏による「女性蔑視」発言が大きく取り上げられる中、
この発言をめぐってネット上では、「女性軽視発言をした岡村隆史氏に対しNHK「チコちゃんに叱られる」の降板及び謝罪を求める署名活動」(Chang.org)なるものまで勃発した。
私はネット右翼研究を10年以上に亘って行っているが、その主張の軸は違えど、こういったネット上での署名活動の跋扈に対し、きわめて強いネット右翼的感性を見出している。
「ネット右翼的感性」とは何か。それは1「批判の根拠が一次ソースに基づいていない」、2「自分とは相いれない価値観を持つ個人や法人に対して、
当該者が出演している他のメディアに対して圧力(電話突撃=電凸、署名)をかけるよう、ネット上でオルグする(組織活動や勧誘を展開する)」という二点である。
・批判するなら最低限度一次ソースに基づいて―「ものを書くという行為」
問題になったのは、放送終了後から数日たった4月26日(日曜日)朝になって、雑誌『FLASH』電子版が文章の形で岡村発言を取り上げたことを、NPO法人ほっとぷらす理事で貧困問題に携わる藤田孝典氏が
この『FLASH』報道を引用する形で岡村氏を批判する記事を書いたことである。この記事がSNS上で拡散されることにより、前掲した署名運動に発展したのである。
藤田氏の記事は、私が指摘した「ネット右翼的感性」に合致する最たるものである。当該記事は、岡村氏の発言を直接ラジオで聴いて文字起こししたものでは無く、雑誌『FLASH』電子版からの引用に終始していた。
つまり藤田氏は当該記事を読む限りにおいては、岡村氏のラジオを聴いて批判を展開したのではなく、後になってから報道された二次ソース(文字情報)のみに依拠していたと思わざるを得ないのである。
私は文筆家として、また評論活動を行う身として、このような批判記事は全く論評としての体(てい)をなしていないと苦々しく思う。批判記事を書くのは自由であるし、そこから提示される社会問題とその解決へのプロセス極めて重要である。
が、それは常に一次ソースを元にしたものでなければ精度を欠き、あまつさえその一次ソース(放送音源)はラジコ(Radiko)によって何時でも簡単に、誰でもが当たることのできる状況であった。
にもかかわらず一次ソースに当たらないで雑誌の電子版記事を引用するという手法は、私の感覚で言えば「ものを書く」という最低限度の水準にも達していないのである。
私は雑誌の編集長をやった経験があるが、こういった「一次ソースを簡単に手に入れることができるのにそれをしない」という構成の批判記事が仮にライターから上がってきた場合、
「一次ソースに依拠して書いてください」といったん突き返さざるを得ないだろう。
この藤田氏の記事は、前掲した1「批判の根拠が一次ソースに基づいていない」という典型的な「ネット右翼的感性」に遺憾ながら合致するものだ。
ネット右翼が2002年の日韓ワールドカップを機に伸張を見せてから20年弱である。その間に行われた彼らのネット上での批判は、ほとんどが「批判の根拠が一次ソースに基づいていない」ものばかりだった。
誰もが簡単にかつ即時に一次ソース(個人や政治家の発言や書籍原典)に当たれる時代であるにもかかわらず、彼らは一次ソースをまとめたに過ぎないネット記事を引用して、一斉に個人や法人へのバッシングを行うことを繰り返してきた。
ある漫画を「反日的・自虐史観的」として、学校図書館から除去せよと運動しておきながら当該の漫画を全く読んでいない事例(はだしのゲン)、ある映画やその映画に登場する俳優をこれまた「反日的・左翼的」と批判しておきながら、
当該の作品を全く鑑賞していない事例(利休にたずねよ、空母いぶき)など、こういった例は枚挙にいとまがない。
5/2(土) 7:03
URLリンク(news.yahoo.co.jp)


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