20/04/16 01:50:13 T+krXL6J9.net
覚悟を示した「飛龍革命」。
この危機的状況に立ち上がったのが、長年、猪木とともに新日本を支えてきた藤波だ。
'88年4.22沖縄・奥武山体育館での試合後、控室に戻った藤波は猪木に対して事実上のメインイベンター交代を直訴。
「やれんのか、おまえ!」と顔をビンタで張った師匠・猪木に対して、ひるむことなく強烈な張り手を返し、救急箱内にあったハサミで前髪を切り覚悟のほどを示した。これが俗に言う「飛龍革命」だ。この時の思いを、藤波はこう語る。
「沖縄でのあの感情はリアルですよ。ただ、べつに猪木さん個人に対する怒りがあったわけじゃない。本来、僕や長州といった下の世代がもっと早く、トップに立って興行を仕切れるようになってなきゃいけなかった。
だから、あの時は自分自身への不甲斐なさもあったし、長年、重荷を背負い続けてきた猪木さんをなんとか楽にしてあげたかった。
でも、僕らの世界では、会議室で猪木さんに相談して『僕らが代わりにやりますから、任せてください』なんていうのは通用しない。
現場で既成事実を作るしかないんですよ。それでああいう行動に出たわけだけど、親分を殴っちゃったわけだから、どんな処分を受けても構わないぐらいの気持ちだった。
今振り返ると、なんであそこでハサミを出して髪を切るなんて、子供じみたことをやったのかなと思うんだけど。あれは自分の精一杯の決意表明なんですよ。
また、映像を見返してみると、自分でも何をしゃべってるのかわからないけど、感情が溢れすぎて言葉にならなかったんだよね。それぐらい自分は本気だったから」
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