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【芸能】三浦瑠麗「戦争を論じるときは政府性悪説に立つ人が、コロナのときには政府性善説・万能説に立ってしまうという危うさ」左派に言及 - 暇つぶし2ch1:アブナイおっさん ★
20/04/11 21:07:32 QFWDEOdt9.net
「いまは戦時だ」という、最近よく耳にする言い方にもあやういものを感じます。

「アフター・コロナ」=新型コロナウイルス禍以後について語るのは、まだまだ早すぎると思う人は少なくありません。
実際、多くの対処策や人々の行動は、このウイルス禍がどれだけの影響を社会に残し、どれだけ続くのかが分からないまま、取られています。
そして、そうした現実に自覚的であったり疑問を呈したりする人はまれです。

戦時の比喩に対して、初めに提起されるべきは、人権や財産権がないがしろにされることへの懸念です。
しかし、こうした懸念に対しては、「人権よりも命の方が上だ」と考えがちな科学者による反論が試みられるでしょう。

伝染病に打ち勝って命を救うためには法律を軽視しても良い、あるいは経済に破壊的なダメージを及ぼしても致し方ない、
という論法は一見、正しそうにも聞こえます。しかし、この論法は、実は戦争にも通用します。

民主国家の軍人は、命を救うために、いざというときには戦争をするのだと教えられています。
日頃、自由が侵害されるくらいなら死んだほうがましだ、という主張を繰り返しているはずの人が、

いざというときには、案外容易に自由を返上してしまうのは、先ほど申し上げた集団心理のなせる技です。

なぜ政府は果断な処置ができないのか。法律が阻害要因になっているのではないか。
官僚機構の頭の固さに注目が集まり、政治家のリーダーシップを求める声が上がる―。

戦争を論じるときは「政府性悪説」に立つ人が、なぜかウイルス禍のときには「政府性善説・万能説」に立ってしまうという危うさがそこにはあります。



ウイルスに関する致死率はだいぶ分かってきています。しかし、人為的に生み出される経済恐慌による真のコストは、まだ誰も分かっていないのです。

続きはは3ページ以降
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