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プレミア12 が終わった。侍ジャパンが無事優勝を果たし、テレビの視聴率も許容できる数値をマークしたようで、関係者は胸を撫で下ろしていることだろう。その反面、「世界野球」としての問題点も顕在化した。このことは、その寸前に開催されたラグビー・ワールドカップでの盛り上がりと対比すると一層浮き彫りになる。
プレミア12は「W杯」ではなく「侍ジャパン祭り」
日本では認知度が低いラグビーでのワールドカップは、日本戦以外でもほぼチケットが完売したようだ。これには正直驚いた。もちろん、自国の応援のために多くの外国人サポーターが訪れたこともあるが、やはり日本のファンはこれを真の世界一決定戦と認知したからだと思う。実際、その看板に偽りはなかった。世界の一流選手たちが、自分自身と代表国の威信を賭けて全力でプレーした。その結果、多くの日本の「にわか」ファンもメディアも、日本を応援しつつも普段は縁のない海外の強豪同士の戦いにも熱い視線を送った。
それに対しプレミア12では、ファンもメディアも「侍ジャパン祭り」だった。世界の強豪国の戦いの中での日本ではなかった。日本戦以外は悲しいくらい観客がいない(これはWBCも同様だが)。日本での日本による日本のための大会だったと言っても過言ではないだろう。したがって、開幕前には「世界一奪還」ということで悲壮感すら漂った侍ジャパンの本気度に比べると、必ずしもトッププレイヤー達で構成されたわけではない他国との取り組み姿勢(あくまでフィールド以外の部分での)の差も否定できなかった。その意味では、まだ2回の開催歴しかないが、この大会の運営は少々いびつな状況にあるとも言わざるを得ない。
崇高な理念はあるか?
野球のワールドカップとしてではなく、侍ジャパンの対外公式戦としか捉えていない日本の広告代理店やテレビ局が興行権や放映権を負担することにより、この大会は維持できているのだと思う。したがって、日本以外でのファイナルラウンド開催はほぼ有り得ない状況にある。これではワールドカップ的認知は得られないと思う。
もちろん、それは日本のファンやメディアの責任ではなく、MLBがメジャーリーガーの参加を認めていないことが主たる原因だが、そもそもこのイベントの成り立ちに崇高な理想が感じられないことも気にかかる。きょうび、ビジネス抜きでスポーツの国際大会を論じることはできない。しかし、その根底には「このイベント開催を通じて世界中にもっと野球を普及させたい。このスポーツの素晴らしさをもっと多くの人たちに理解してもらい、競技人口も観戦ファン数も増やしたい」という崇高な思いがなければならないと思うのだが、そういう声は聞こえてこない。
豊浦彰太郎 | Baseball Writer
11/21(木) 13:51
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1 Egg ★ 2019/11/21(木) 21:46:42.14
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