19/11/19 15:29:43.39 7BoYxV999.net
「デストロイヤーが生きている時に、直接お礼を言えなかったんです。
今回の追悼イベントには、奥さん(ウィルマさん)や息子さん(カート・ベイヤーさん)も来ると聞いた。
彼らにシッカリ感謝の気持ちを伝えようと、来日を決めました」
こう話すのは現役時代ウエスタン・ラリアットを得意技とし、“ブレーキの壊れたダンプカー”の異名を持つスタン・ハンセン氏(70)だ。
ハンセン氏は11月15日に大田区総合体育館(東京都)で行われた、ザ・デストロイヤー氏(今年3月に逝去、享年88)の追悼イベントに参加するために来日。
日本で活躍した外国人レスラーの大先輩、デストロイヤー氏との思い出を語った。
―追悼イベントでは、リング上で右腕を大きく振り上げ「ウィー!」と叫ぶおなじみのポーズも出ましたね。
「実は『ウィー!』とは言っていないんですよ。私が新日本プロレスに入った時は、アントニオ猪木さんも坂口征二さんも年上でした。
外国人レスラーのタイガー・ジェット・シンもね。だから若い『ニュー・ジェネレーション・パワーを見せてやる』という気持ちで、
『ユース(YOUTH)!』と叫んでいたんです。それが日本のファンには『ウィー!』に聞こえたのでしょう」
―デストロイヤーさんとの最初の思い出はなんですか?
「蔵前国技館で行われた日本でのデビュー戦(’75年9月)は、相手がデストロイヤーだったんです。
まだ無名の私に対し、『日本は外国人レスラーが活躍するには素晴らしい国だぞ』と声をかけてくれたのを覚えています」
―新日本プロレスから全日本プロレスに移籍する際にも、背中を後押しする言葉をかけられたとか。
「デストロイヤーの言葉は今でも忘れません。移籍したのが良かったのか悩んでいた私に、こう声をかけてくれたんです。
『スタン、君の判断は大正解だ。私は全日本立ち上げから(ジャイアント)馬場と一緒に戦ってきたが、一度もイヤな思いをしたことがない。
存分に暴れまわってくれ』と。この言葉にどれほど励まされたことか。日本文化に馴染み活躍できたのは、デストロイヤーのおかげです。
デストロイヤーに習い、テリー・ゴディなど後から来日した外国人レスラーには、日本での生活についてアドバイスするようにしました。居酒屋での食事の仕方や箸の使い方などね」
―どんな相手にも、アグレッシブに向かっていく姿は日本のファンを魅了しました。
馬場さんも「ムチャクチャなリズム」と独特な表現で絶賛しています。
「私は極度の近視なんです。手当たりしだいに暴れたのは、そのため。相手が痛がっているとか苦しんでいるとか表情がわからないので、お構いなく攻め続けました。
まぁ大きな身体であれほど動けたレスラーは、私とブルーザー・ブロディぐらいじゃないかな」
―現在はどんな暮らしをしているんですか。
「コロラド州の田舎町でのんびり暮らしています。(妻で日本人の)ユミをサポートするために、食事や庭の芝刈りをしていますよ」
デストロイヤーの言葉で、すっかり親日家となったハンセン氏。引退後も、朝食には納豆を欠かさず食べているという。
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
11/19(火) 11:02配信
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Sunrise
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スタン・ハンセン 熱狂的入場シーン
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小橋健太 vs スタン・ハンセン