【野球】甲子園、高野連は悪者なのか? 米・高校野球事情を調べてみると……。at MNEWSPLUS
【野球】甲子園、高野連は悪者なのか? 米・高校野球事情を調べてみると……。 - 暇つぶし2ch1:鉄チーズ烏 ★
19/09/16 19:38:37.76 HFf+GICk9.net
 大船渡・佐々木朗希投手の岩手県大会決勝での登板回避問題は、球界の大御所・張本勲と現役投手のオピニオンリーダー・ダルビッシュ有の応酬に代表されるように、軍隊調野球を生き抜いてきた高齢世代と、選手ファーストという世界の趨勢を知る若い世代の世代間論争の様相を呈している。
 オールド世代の主張は、「故障を恐れていては、真の成長ができない。限界を超えたところで見えてくるものがある」、「チームの仲間や、これまで支えてくれた人たちのために投げるという姿勢が、共感と感動を呼ぶのだ」といったものだが、これはたとえ疲労困憊ではあっても、なんとか投げられる状態にあることが前提で、故障をおしてまで投げろとは、今の時代誰も言わなくなってきている。
 かつて、別所毅彦が骨折した左腕を三角巾で吊って投げ続けたのを、「泣くな別所、甲子園の華」と日本中が讃えた感性は、もはや高齢世代にもない。

 それでは、なぜ過酷過ぎるエースの連投がいまだに後を絶たないのか。 
 そこで台頭してきたのが、「甲子園悪者論」であり「高野連悪者論」だ。
■批判にさらされている高野連。
 過熱する甲子園人気。そこで勝つことを至上目標として、エース1人に過酷な連投を命じる指導者。ほとんどのレギュラーが県外からの野球留学生で占められる強豪校。話題性のあるチームや選手に群がるメディア。商業主義に染まった甲子園が、高校野球を歪め、選手たちを疲弊させているという批判だ。
 高野連も批判にさらされている。球数制限を導入せよ。地方大会や甲子園大会の日程にゆとりを持たせて、エースの連投を避けるべきだ。高校生の打撃を歪めている当てれば飛ぶ金属バットを規制しろ、等々。 
 期待されながら、5位に終わったU18ワールドカップでも高野連は評判が悪い。遊撃手6人、外野手2人、一塁手と二塁手ゼロ、優勝した履正社からの代表ゼロ。高野連のこうした偏った選手選考が、肝心な場面での致命的な守備の破綻を招いたのだと。
■本当に「甲子園は悪」なのか。
 甲子園、高野連悪者論者からは、当然のように甲子園を改革すべきとの意見が出てくる。
(1)春と夏、2回もあるから過密日程になる。夏の甲子園が終わってすぐに、春の選抜に繋がる秋季大会が始まるではないか。春の選抜をやめて夏だけにし、ゆとりをもって地方予選を行うべきだ。
(2)全代表を甲子園に集めるから日程がきつくなる。1、2回戦は、関東、東海、近畿といったブロックごとに各地方で行い、絞り込まれたブロック代表が甲子園に進出するようにすれば、エースの連投を避ける運営が可能になり、出場校の経済的負担も軽減される、等々。
 球数制限の導入や、エースの決勝戦登板回避に否定的な高齢世代も、「球数制限より、休養日の導入を急ぐべき」という形で甲子園改革論に賛成票を投じている。
 中には、橋下徹元大阪市長のように、甲子園を廃止すべきという意見まで出てきて、まるで「甲子園が諸悪の根源」のような言われようだが、本当に「甲子園は悪」なのだろうか。
■日本野球界にとって甲子園は宝物。
 いまの甲子園が様々な問題を抱えているのは事実だが、甲子園の本来の価値について、少し長いスパンで見てみよう。
 第1回の甲子園大会が開催されたのは1915年(大正4年)。これは、1925年(大正14年)に始まった東京六大学野球や、1927年(昭和2年)に第1回大会が開催された都市対抗野球よりも早く、もちろん1936年(昭和11年)にスタートしたプロ野球より21年も早い。
 甲子園は、野球界で最も古い歴史を誇るばかりでなく、現在まで続く他のスポーツの伝統戦よりも古い。第1回箱根駅伝は1920年(大正9年)、ラグビーの最初の早明戦が戸塚グラウンドで行われたのが1923年(大正12年)である。
>>2以降に続きます
2019/09/16 11:00
太田俊明
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