19/09/07 12:12:33.09 EL82Q1aX9.net
表現の自由をめぐる議論が熱を帯びるのは、情報の流れとリテラシーの変化による部分も大きい。作家・ジャーナリストの門田隆将氏が指摘する。
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9月5日夜10時、NHK「クローズアップ現代+」で「『表現の不自由展・その後』中止の波紋」が放映された。
私は、展示中止から1か月以上経ってからの番組なので、ある1点に注目していた。それは、展示作品を番組が「正確に取り上げるかどうか」だった。
というのも、この問題では、展示作品を正確に伝えた「インターネット」と、都合の悪いものは報じず、一部だけを報じた「新聞とテレビ」とに明確に分かれていたからだ。
インターネットだけがこの1か月、展示された作品群の中身をきちんと伝えたが、私自身、展示中止になる当日の8月3日、ぎりぎりで観にいくことができた。そしてその作品群の明確なメッセージ性には驚かされたものである。
それは、ひと言でいうなら「反日ヘイト」と「皇室憎悪」だ。国民の税金を使ってこのような展示を愛知県が行うことについて、正直、私は首を傾げざるを得なかった。その作品をNHKは1か月を経てどう報じるのか。そのことに注目したのである。
作品がきちんと報じられなければ、いうまでもなく視聴者は正しい判断ができない。「正確に伝えない」ことは報道機関として許されることではない。
だが、結果は、私が危惧したとおりの番組になっていた。番組の主張に都合の悪い作品は、一切、報じられなかったのだ。つまり番組は、本来、問題のない「表現の不自由展」が、理不尽な反対や脅迫によって