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マリナーズ・菊池雄星、エンゼルス・大谷翔平に続き、大船渡・佐々木朗希まで―。読者の「なぜ?」に答える企画「謎解き球&A」では、剛腕投手を輩出し続ける「岩手の謎」に迫る。
盛岡大付の監督として7度の甲子園出場に導き、現在は同校教頭を務める澤田真一氏(53)にその理由を尋ねるとともに、プロ野球界の岩手出身者にも総力取材。「岩手の謎」を解き明かす。
岩手を語る際に無視できないのは、広大な面積であると澤田氏は言う。
「47都道府県で北海道に次ぐ2位の大きさです。本州でトップで、四国4県分の面積がありますから。おのずと背の高い人とか、多種多様な人間がいるわけです。
沿岸部と内陸部では文化も異なり、方言もいろいろですからね」
偉人が続々と出る土地柄でもある。総理大臣は1位の山口県、2位の東京都に続き、3位の4人を輩出している点も興味深い。
「斎藤実、原敬、米内光政、鈴木善幸の4人ですね。いずれも帝大卒などではなく、必死に実績を積み上げて上り詰めたという共通項があります。
岩手は明治維新の際に、新政府軍に反発した賊軍と呼ばれ、苦難の道を歩みました。だからこそ勤勉に真面目に頑張るしかないという風土が確かにあります。
それは今の若者の中にも生きているのかなと思いますね」
佐々木が住む大船渡は沿岸部に位置するだけに、食生活の面でも大きいという。
「サンマ、イワシの漁場ですし、大船渡はワカメが自慢です。魚介類が低廉な値段で手に入りますし、海のミネラルをたくさん吸収できる。丈夫な子供たちが多いというのはありますね」
高校野球の現場に流れる空気も、大器がのびのびと育つ要因かもしれない。
「大谷君というスターがいたときも、花巻東は彼だけを光らせるのではなく、佐々木洋監督は『みんなで勝つんだ』というチームづくりをしていた。
雄星君の時もそうです。チームで勝つんだという育て方をする指導者が多いと思います」
盛岡大付は「打倒・雄星」を目指して打撃力に磨きをかけ続けた結果、12年夏の岩手県大会決勝で大谷を攻略。甲子園出場を阻止した。
昨秋の岩手県大会準決勝では佐々木に10安打を浴びせ7得点を挙げて勝利。打撃マシンを最速172キロに設定して鍛錬する打線は今春のセンバツでも輝きを見せた。
「すごい投手の存在で各校の打者も頑張り、切磋琢磨(せっさたくま)して岩手のレベルアップにつながっています。
ウチの選手も佐々木君を打たなければ甲子園はないと思って今、練習に励んでいますので、夏の大会に期待したいですね」
◆澤田 真一(さわだ・しんいち)1965年5月1日、岩手県釜石市生まれ。53歳。釜石北、東北福祉大では外野手。
卒業後に三沢(青森)でコーチ、89年から2年間、青森山田(青森)で野球部長を務め、91年4月、盛岡大付に赴任して野球部監督。
95年夏にチームを初の甲子園に導いた。2008年夏の出場を最後に勇退し、総監督に。17年のセンバツを最後に総監督も辞し、現在は教頭を務める。著書に「甲子園の負け方、教えます。」(報知新聞社)。
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2019年4月19日 6時2分 スポーツ報知