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2019年3月4日(月)19時34分
<希代のボーカリストがどれほど社会から、そして人から疎外され罰せられていたか、観客はそれを知らされるべきだった>
今年のアカデミー賞で注目を集めたのが、伝説のバンド「クイーン」のリードボーカルだったフレディ・マーキュリーの半生を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が作品賞を取れるかどうかだった(受賞したのは『グリーンブック』だったが)。
『ボヘミアン・ラプソディ』は賛否両論分かれる映画だ。同性愛への嫌悪や偏見が見られるという批判がつきまとい、監督のブライアン・シンガーは、過去の強姦と性的虐待で告発された。
だが同性愛の歴史研究者として、私が取り上げたいのは別の視点だ。この映画から明らかに抜け落ちている悲劇の歴史だ。
マーキュリーは、1980年代にHIV陽性と診断された多くの男女と同様に、病だけでなく政府の失策、そして世間からの軽蔑の犠牲となった。HIV流行に対する政府と世間のばかげた反応が、マーキュリーの人生の扉を閉ざすことにつながったのだ。
それらは一切、映画には描かれていない。
1980年代初めにアメリカやイギリスなどの一部の都市でHIVの流行が初めて確認された時、各国政府は感染拡大を防ぐ対応をほとんど取らなかった。
医師たちは当初、感染が特定の人々の集団で見られると指摘していた。それは病気とは別の理由ですでに偏見の対象となっていた集団だった。つまり男性同性愛者�