16/07/17 18:39:56.60 CAP_USER9.net
西アフリカのセネガル。その首都ダカールで、Babacar Ndiaye(12)は野球を覚え始めた。ベーブ・ルース(訳注=1895年~1948年)とブライス・ハーパー(訳注=ワシントン・ナショナルズ所属の現役プロ野球選手。23歳。2015年の大リーグ最優秀選手)の違いも知らない。でも、好きな選手はいる。小川龍馬、24歳。ボールを捕り、投げ、守り、打つことを教えてくれている日本人だ。
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野球は、米国の代名詞でもある。しかし、サッカー大陸アフリカでは、日本が長年にわたってこの球技を普及させようとしてきた。小川はその歴史を引き継ぎ、最先端に立つボランティアの一人だ。
日本は、ブルキナファソとタンザニアで、国内リーグを始める手助けをした。ガーナとウガンダには、初めての本格的な野球場が日本の援助でできた。アフリカ人のコーチとトッププレーヤーは、日本で腕を磨く。日本の独立リーグでプレーする選手も出始めた。
ログイン前の続き米国の平和部隊(Peace Corps)と同じようなボランティア事業を展開する日本の国際協力機構(JICA)は、世界中に野球を教える人材を派遣している。野球は日本でも最も人気のあるスポーツの一つで、グラウンドを離れても大きな成果をあげることができるからだと言う。
「子供たちは、チームスピリットや競技規則を学ぶことで、社会のルールにも接することになる」とJICAセネガル事務所でボランティア事業を担当する千葉めぐみは指摘する。「体を鍛え、健康にもよい。とくに、ダカールの学校には、運動場がない。子供がスポーツをしたくても、できない状況がある」
小川が平日の夜間に使う練習場は、ダカールのオウアカム地区にある。芝もない空き地で、軍の基地に隣接している。この国の公的な援助はあまりなく、ボランティアや地元の野球団体は、ほとんどのことを自力でこなさなければならない。
マウンドなどというものはない。服装も、ジーンズやトレパン、短パンとまちまちだ。左中間には、大きな木がある。センターの後ろには、基地のコンクリートの壁。その向こう側からは、航空機のエンジン音が聞こえてくる。ホームベースの後ろでは、サッカーの試合があり、ボールがよく転がり込む。
「まず、基本から少しずつ教えなければならない」と高校時代は外野手だった小川は語る。「子供たちは元気いっぱいだけど、すべてが初めてのことばかりなんだ」
練習試合では、こんなことがあった―背の高い子が三塁を回って、前にいた足の遅い子を押しのけて本塁を先に踏んだ。押し合いへし合いの道路を走る地元のタクシーなら、割り込みは当たり前のことだろう。でも、野球の規則では認められていない。
笑い声の中にも、規律を貫くことにしている。暴投すれば、自分で球を取りにいく。練習を始める前には、石を拾い、ゴミやガラクタを集める。
「そうしないと、プレーできないからね」と言うMamadou Basshirou(13)には、嫌がる様子もなかった。
練習していて、めちゃくちゃなやりとりになることもある。言葉の問題だけではない。文化の違いも大きい。
小川は、フランス語が少しできる(訳注=セネガルはフランスの植民地だった)。しかし、子供たちが話すのは、現地のウォロフ語だ。小川がなまりのある英語で「ストライク・ワン」「ストライク・ツー」と判定すると、まねをしてからかう子が出てくる。「日本は中国と同じなの」「日本人はみんな、空手を知っているの」といった質問も飛び出す。
冒頭のBabacarは、大リーグで活躍するイチローのことも知らない。球を投げ、捕ることを覚えたばかりだ。それでも、将来のことになると、プロになれるかもしれないと目を輝かす。
「外国に行ってみたい」と通訳を介して語ってくれた。「有名になって、セネガルの名をあげたいんだ」
小川は、別の都市にいるもう一人とともに、50人の子供に教えている。JICAによると、こうしたボランティアのコーチは、1970年から野球で235人、ソフトボールで54人が世界中に派遣された。アフリカでは現在、4カ国に6人を送り込んでいる。ウガンダ、ジンバブエ、ガーナとセネガルだ。ソフトボールのアフリカ派遣は、今は行われていない。
ウガンダとガーナには、日本政府の援助資金12万ドル(1ドル=105円で1260万円)で2014年に野球場ができた。「ガーナの野球の今があるのは、日本の支援のたまものだ」とガーナ野球ソフトボール協会の会長アルバート・フリンポンは感謝する。