16/09/21 23:39:59.81 IEm99Mhj0?BRZ(11000)
sssp://img.2ch.sc/ico/u_pata.gif
戦後70年たってもいまだ反米感情が強い沖縄と違い、広島には不思議な親米感情がある。
平和記念公園を訪れたオバマ大統領を涙と感謝の気持ちで迎え入れる広島市民。アメリカ発祥のスポーツである野球で、
25年ぶりの広島東洋カープのリーグ優勝にわく広島市民。基地問題が大きいとはいえ、今も怒号が飛び交う沖縄との対比で
その市民感情を眺めると、何か疑問が湧かないだろうか?
なぜ“ヒロシマ”のアメリカへの怒りは収まってしまったのか? そこにはある日本人スパイの政治工作が存在している。
ポダムというコードネームのCIAのスパイが戦後日本で活動をしていた事実が2006年に明らかになった。米国国立公文書館
でそれまで秘密だった外交機密文書が公開され、474ページにわたる膨大な秘密活動の様子が明らかになったのだ。
ポダムは戦後、A級戦犯として巣鴨拘置所に拘留され、その翌月には公職追放される。しかし裁判が行われることなく1947年に
釈放される。利用価値が高かったからだ。
アメリカは、占領下の日本で反米感情が高まることを恐れていた。同時に、伸ばしつつある共産勢力への極東の防波堤と
しての日本の重要性が増す中、メディアとスポーツによる洗脳を通じて、日本国民を親米に変えることが急務だった。
ポダムは戦後日本では「プロ野球の父」「テレビ放送の父」と呼ばれている。焼け野原となった日本に新たなプロ野球リーグを
設立したり、ロカビリーなどの音楽を電波にのせて、日本中にアメリカ文化を浸透させるのに、CIAに従順な権力者としてポダムは重用された。
中でもCIAの指令として重要だったのが広島にプロ野球球団を設立することだった。野球という娯楽を通じて、
「アメリカ支配になって日本が良くなった」ことを広島市民に実感させることができるとふんだのだ。
潜在的に日本最大の反米感情を持つはずの都市を親米化する―。それが朝鮮戦争や、その後の安保成立にとって
重要な伏線になるとCIAは踏んでいたのだろう。
続きはソースで
URLリンク(tocana.jp)