16/11/24 21:03:55.52 CAP_USER9.net
侍ジャパンに漂う“違和感”の正体。プロ選手がアマ精神で戦うねじれ。
侍ジャパンが、ワールド・ベースボール・クラシックに向け、動き出した。
日本でもっとも野球のうまい選手たちによるナショナルチームが結成され、世界一をめざして戦う世界大会ある。
ただ、常に何か違和感がつきまとう。
まず、大会そのものが、よくわからない。
本当に野球の世界一を決める大会とは、言えない。サッカーのワールドカップとはかなり違う。そもそも“野球のナショナルチーム”を作りたいと、どれだけの国がおもっているのか、とても疑問である。
国を背負って野球をやりたい選手など、世界にそんなにいないだろう。ゴルフやテニスと同じである。
ただ、大会はすでに何回か開かれており、2017年にも開催されるのだから、そのへんを問題にしたいわけではない。
個人的に強く興味があるのは「野球ナショナルチームが醸しだす違和感」である。
ワールドカップを目指している「サッカーナショナルチーム」と比べてみると、その違いが明確になる。ワールドカップに出場したい、勝ちたい、という意思は、おそらく世界のサッカー選手共通の意思である。
野球界の世界大会は、そんなポジションにはない。WBCで勝つことを目標に日々野球をやっている選手は、世界にほとんどいないとおもう。
それはおそらく、野球に“世界性”がないからだ。
■数十秒ごとに審判の判定を待つ時間が発生する。
ワールド・ベースボール・クラシックが始まる以前にも、おもにオリンピックで、プロ野球選手によるナショナルチームが結成され、その試合を何度も見た。見たときの正直な感想は、やたらと疲れる、である。
これは、スポーツとしての野球の特殊性にあるとおもう。
ひとつ例を挙げると、野球では、審判の介入が異常に多い。
投球の一球ごとに審判が判定する。一球ごと、つまり数十秒ごとに審判の判定を待つ時間が発生するというゲームは、オリンピック競技ではほかにない。
試合を決める一球や、点数に関わる瞬間ならともかく、まったく試合の行方と関係がなく、いまの状況を変化させることもない一球であっても、審判の判定を待つ。
私たちは慣れてしまっているが、初見の人間にとって、これはおそろしく怠(だる)い光景である。
多くのスポーツは、もっと選手たちの紳士的な判断で進められていく。ここまで他者に依存するスポーツも珍しい。おそらくアメリカが欠落している何かを補っているのだとおもう。だからベースボールはアメリカと何らかの関係のある国でしか普及していない。
■選手を知っていないと、野球は面白くない。
野球はテンポの悪い競技である。この間合いと中断が興行向きなのだが、WBCではそこも問題がある。
これは、プロ野球は同じメンバーで繰り返し対戦する、からである。藤浪と坂本は何度も対決するし、大谷は幾度も投げ、何度も打席に立つ。過去の物語を観客が持っているから、楽しめる。野球のスポーツとしての退屈さは、記憶によって乗り越えられている。
ただ、世界大会では、対戦相手の選手を、ほぼ、知らない。日本選手の記憶だけでは時間は埋まらない。ひたすら日本を応援するしかない。自チームだけを応援するスポーツとしては、タイムロスが多すぎる。とても疲れる。
まして両チームとも知らなければなお面白くない。2013年のWBCの決勝のテレビ放送は、日本が敗退したので中止になった。
高校野球も人気があるが、こちらは、記憶による人気ではない。
テンポがよくスピーディだから、広く見られている。無駄を削ぎ落とした試合は、見知らぬ選手の対決を退屈せずに見せてくれる。世界大会もこれくらい早く進めば見ていられるのだが、世界のプロは、そんな展開を見せてくれないだろう。
(>>2-10あたりに続く)
Number Web 2016/11/23 07:00 text by 堀井憲一郎
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画像:プロ野球選手の独特の風貌は、今でも時々話題にあがる。高校野球の独特さとは真逆の意味で、こちらもやはり独特なものだ。
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