14/09/18 07:06:29.61 HjSXQHxp0
熊谷高の進学実績が落ちたのは、早大本庄の開校の影響。
しかし早大本庄は、ホームステイの高校という触れ込みで開校したので、
全寮制の高校と同様に見なされており、地元の学校という認識は無かった。
本庄市などの第5学区は知らないが、高崎線沿線の普通の中学生は
公立向けの勉強をしていたため、当時の早稲田が超難関イメージだったのもあり、
早大本庄は地元とは無縁の超難関高という状態だった。
熊高は、かつても学区内は入り易かった。県公立の入試問題も易しかった。
早大本庄は、通学は原則ダメと聞いていたが、後に通学者の存在を知った。
また早大学院と早大本庄は試験日が同一で併願不可だった。
早稲田高校は早実と同じ日(開成も同一日)に試験をしていた。