12/12/23 04:11:57.45 05dC19y9
>>633
ゼルダの伝説はゼルダらしさからどんどんと乖離していっている。これは作り手と受け手の両者がゼルダに対して誤った認識をしてしまったからであると思う。
ゼルダの何が楽しいのか?という部分は人によって違うと思うのだが、ゼルダの価値を高めていたものは何だったか?という点については答えが出せる。初代ゼルダはゲーム史に残る素晴らしい作品であったのだが、何故素晴らしい作品とされるのかという分析は可能である。
現在のゼルダはゲーム史の隅っこ、もしくは語られるべき対象ではなくなっている。売り上げ的にも内容的にも縮小再生産に陥っている。なぜそうなってしまったのかを説明したい。
そのキーワードはゼルダらしさである。
一言で言うと、ゼルダらしさが受け継がれていないから、ゼルダは死んだ。
一般にゼルダらしさというと大抵の人は
・アイテムを使った謎解き
・キャラクターや音楽
・アイテムを使ったボス戦
このようなものをイメージするのではないだろうか。
一言で表現すると「謎解きアクション」。
しかし、私の考えるゼルダらしさは全く違う。非常に要約すると、RPGのアクションゲーム的解釈こそがゼルダなのである。
つまり「経験値を排除したアクションRPG」、これがゼルダなのである。
・フラグは殆どなく、キャラの強さによって行動範囲が決められる
・ダンジョンをクリアすればLvUPする
・スキル以外にもプレイヤー側の蓄積要素が多数あり、努力すればクリアできるように巧みに作ってある
RPGというのは、冒険している感覚、強くなっている感覚を感じさせるのが大事なんですね。
つまり、自己の拡大=冒険なんです。子供の頃、自転車を乗れるようになると隣町まで出かけられるようになったときの喜び、胸の高鳴り、様々な発見、これを疑似体験するのがRPGと言っていい。
今のゼルダはこの感覚を大事にすることをすっかり忘れている。
ダンジョンで謎解きという名のミニパズルをこしらえるのに必死で、ネタも尽きていてダンジョンの数も少なく、Lvコントロールするのにも鈍感で、アイテムをフラグ代わりに使用し、映画的な演出を見せることに重点を置いている。
スキル以外にプレイヤーに蓄積要素を用意するために、「謎解きによるショートカット」「箱庭的マップ」「アイテムの色んな使い道」があったのだが、歪な形でそれが残ってしまった。
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こういう感じの文章を英語化したものですね