【東急電鉄のマンション】二子玉川ライズ2at ESTATE
【東急電鉄のマンション】二子玉川ライズ2 - 暇つぶし2ch545:名無し不動さん
14/07/30 11:19:50.75
二子玉近くの瀬田では、水戸徳川藩の四千坪の広大な江戸屋敷があったというトンデモ説が吹聴された。
現在はマンション計画地で、以前には「山河の湯」という温泉施設が経営されていた場所がそれだ。

瀬田は、江戸時代には彦根藩領世田谷20ヶ村の瀬田村で、彦根藩代官(武士と農民の中間層である郷士)が世襲支配。
当然ながら江戸府内にも入らない農村地であり、水戸徳川藩が江戸屋敷はもちろん抱屋敷を構えた記録もない。

四千坪は現在の基準からは広そうだが、江戸時代徳川御三家水戸藩の藩邸としては、狭小に過ぎる。
八百八町がひしめく江戸小石川水戸徳川藩上屋敷は10万坪以上の広大さであった、
また本郷・目白台の中屋敷や、向島の下屋敷も各々数万坪の広さを有した。
世田谷20ヶ村の地価は近年まで極めて安かった。
文人徳富蘆花が晴耕雨読のため夫婦で居を構えた敷地ですら二万五千坪あったほどだ。(跡地が蘆花公園)

瀬田の水戸徳川家屋敷とは、終戦時まで貴族院議長をつとめた13代当主徳川 圀順(とくがわ くにゆき)が、
あらゆる公職を辞し、息子に家督を譲って、東京の本邸を出て、草深い瀬田に隠棲したことに始まり、占領終結でその役割を終えた。
すべてはGHQの戦犯追及から逃れるため、恭順の姿勢を見せようと図ったもの。

歴史も文化もない農村地であった世田谷住人は、低民度にも拘らず、何かに付け由緒を求めて誇大妄想に走る。


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