24/12/20 04:49:41.24 AmI5fXxD0●.net BE:974680522-2BP(2000)
URLリンク(img.5ch.net)
【“沖縄のための法律683本”】
沖縄県の3つの市と町にまたがるアメリカ軍嘉手納基地。そのすぐ近くに山中貞則の名前が残されています。地域の幹線道路となっている県道通称「やまなか通り」です。山中は、戦後27年間アメリカの統治下に置かれ、経済が立ち遅れていた沖縄の振興に多大な貢献をしたのです。
1970年に初入閣し、沖縄の復帰に関わった山中。復帰後は初代の沖縄開発庁長官となり、数々の振興策や特別措置を進めます。
50近くある沖縄県内のすべての有人離島を訪問。島と島を結ぶ橋をかけるなど、インフラ整備に取り組みました。
1992年の復帰20年に合わせて行われた単独インタビューで、山中は「法律を改定して沖縄のためにつくりかえた法律が683本。全部つくりかえた特例法ですからね」と話していました。
【後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ】
沖縄は急速な発展をとげました。観光客は年間1000万人を超え、ハワイと肩を並べるまでになりました。親交が深かった元沖縄県知事の稲嶺惠一さんは、山中は沖縄に対して“償いの意識”を持っていたのではないかと振り返ります。
77年前の沖縄戦では沖縄県民の4人に1人が犠牲になりました。軍への協力を求められ、戦闘に巻き込まれていった県民の惨状を海軍根拠地隊司令官の大田実中将が電報で日本本土へ伝えていました。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ」
当時、陸軍に従軍していた山中は、このことばを胸に刻み続けていたのです。
URLリンク(www3.nhk.or.jp)
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:donguri=0/3: EXT was configured