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しかし、天正6年(1578)3月、そうした措置を講じる前に謙信は脳卒中によって急逝した。49歳の最期だった。この瞬間から、景虎・景勝を支持する家臣団などによって上杉家の内訌が開始された。景勝には、上田長尾氏の系列や重臣・本庄繁長などが味方し、古志長尾家の上杉景信や
北条高広などの有力武将や前関東管領の上杉憲政なども景虎を支持した。これが「御館の乱」であった。「御館」とは景虎の館を指す。この内訌には北条氏と同盟を再び結んでいた甲斐・武田勝頼や景虎の兄・氏政なども加わった。特に勝頼は、関東地方を纏めるために動きの取れない
氏政の代理的な意味もあって、キーマンになっていた。この勝頼にいち早く和睦を申し入れ、様々な条件で勝頼を誘引した景勝は、勝頼の斡旋で景虎と和議を成立させたが、結果として景虎を裏切った。景勝は、勝頼の妹・菊姫を娶ることで武田家と同盟を結んだ。
天正7年2月24日、衆寡敵せず、という状況で景虎は妻子諸共に自刃して果てた。享年26。そして、越後はこれから1年余りに渡って内乱状態が続き、武田・北条は再び同盟が破棄された。
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