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【私が見た従軍慰安婦の正体】 小野田寛郎 その3
これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。
私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に
直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について
次のような統計があると教えてくれた。
当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、
ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。 三分の
一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」
への支出だった。
貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなか
ったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得な
かったのが実情だった。
私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたい
のを我慢して貯金した。ちなみに当時の給料は兵で一カ月
平均十三円程で、その三分の一を約四円として計算すると
三十三万人で総額約百三十二万円になる。
「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円と言われたが、
実に四十四機分にも相当する。 サラリーマンの初任給が
四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも
無理のない話である
以上が、私が商社員として約三年半の間、外部から眺め、
また聞き得た「慰安所」と「慰安婦」の実態である。