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自分が勝つことだけを考えちゃいけない…大胆な行動力で道を開いた“猪木議員” 政界でも特異な活躍
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
◇アントニオ猪木さん死去
猪木さんは1989年に参院選に立候補し、初当選した。計2期を務めた。政治家に転身したのは、プロレスラーとしての全盛期を過ぎ、プロレス以外での活躍の場を求めたからだった。
その最高の舞台になったのは90年の湾岸戦争の際のイラク訪問。プロレスの選手を同行させ、「平和の祭典」としてバグダッドで試合を行ったが、その行動が結果的に邦人人質の解放に結びついた。
猪木さんは生前、本紙の取材に「俺は一度も“人質を帰国させてほしい”とは言っていない。それを要求してもイラク側はかたくなになるだけだ。必要なのは相手の要望を察知すること。俺はただ“バグダッドから平和を訴えましょう”と言い続けた。自分が勝つことだけを考えちゃいけない。それはプロレスの流儀でもある」と明かした。猪木さんがプロレスで培った考え方とイラク側の思惑がうまく合致して、外交成果につながった。
もう一つ、政治家とし注目されたのが北朝鮮との交流だった。
発端は、北朝鮮を故郷とする師匠・力道山の存在。政治家として北朝鮮との外交ルートを築こうとした猪木さんは朝鮮総連を訪ね、入国申請の際に「何の資格で行くのか?国会議員か、プロレスラーか?」と問われると「師匠(力道山)に恩返しをしたい。その思いを北朝鮮の人に伝えたい」と答えた。
その交渉が実り、渡航が実現。1995年、プロレスラーを同行させ、平壌のスタジアムで「平和のための平壌国際体育・文化祝典」を開催。2日間で計38万人もの北朝鮮の観客を集めた。
イラク訪問時のような具体的な成果はなかったが、その後何度も北朝鮮を訪問することで、日本との外交関係が希薄な同国の貴重な情報を得続けることができた。
イラクも北朝鮮も一歩間違えば自らの政治生命を失いかねない相手。猪木さんは生前、「政治家とは本来、命懸けの仕事だと思う。困っている人のため、苦しんでいる人のため、自分の命を懸けてまで何かをするのが政治家ではないか」と話していた。
127:
22/10/06 09:15:05.78 IW0dKzMk0.net
北朝鮮人の書き込み
174 本当にあった怖い名無し sage 2022/10/06(木) 04:30:03.29 ID:kkq21chx0
個人の妨害や転職妨害して
様を見て態度がコロコロ変わる韓国系日本人韓国系在日。
統一協会批判したら批判を利用し、
自分たちが批判されたら逆恨みは筋違い。 だから統一協会批判に利用されるだけで意味がない。
128:
22/10/07 10:05:40.95 P1NMlOdV0.net
拉致被害者返せよ 黒電話
129:過去ログ ★
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