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【支持率90%】小泉内閣ってどうして支持率高かったの? [509689741] - 暇つぶし2ch1:
22/10/01 13:37:05.75 zEjBmuaC0●.net BE:509689741-2BP(6000)
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小泉首相訪朝から20年 “軍師”飯島勲氏 対話の重要性を強調
北朝鮮が拉致問題を認めて謝罪した日朝首脳会談から、17日で20年です。当時、小泉総理大臣の北朝鮮訪問に秘書官として同行し、「軍師」とも呼ばれた飯島勲内閣官房参与が、NHKのインタビューに応じ、問題解決に向けて北朝鮮との対話の重要性を強調しました。
この中で、飯島氏は、拉致問題が未解決のまま、20年の節目を迎えることについて「残念だとしか言いようがない。今の状況は、広大な東京都に待ち針が1本落ちていて、それを探すような感じだ」と述べました。
2002年9月17日。歴史を大きく動かした首脳会談はなぜ実現したのか。
飯島氏は、外務省による交渉ルートとは別のチャンネルを通じ、みずからも北朝鮮側との交渉に携わっていたことを示唆し「表に出せない部分も含めて、本当にいろいろなことがあった」と述べました。
そして、首脳会談が行われる直前、日本側から北朝鮮に対し、ある心理戦を仕掛けたことを明らかにしました。
飯島氏は「私が訪朝時の対応で指示したのは警護の人数だった。当時、政府要人らの海外訪問の際、警護は100人程度になることが多かったが、あえて30人以下に絞らせた」と述べました。
飯島氏は「お互いに信じ合って、議論し合って答えに持っていくのが拉致問題だ」と述べ、交渉決裂の可能性を残さないため、日本側から、いわば「丸腰」に近い姿勢を演出し、「信頼している」というメッセージを伝える形をとったというのです。
飯島氏は、2004年の2度目の日朝首脳会談にも同行しています。
飯島氏は「3回目の訪朝の調整を裏で始めていながら、2回目の訪朝をした」と述べ、水面下で3度目の首脳会談の調整を進めていたことを明らかにしました。
一方、飯島氏は、2度目の首脳会談に前後して、北朝鮮が核開発を進めたことにより、日朝交渉が暗礁に乗り上げていったと振り返り「北朝鮮が核を保有しているという段階で『枕を高くして寝られる状態』になってしまった。いろいろな約束があったとしても、もう(交渉のイスに)座らないなと思った。小泉総理ともそう話した」と述べました。
厳しい状況が続く拉致問題。それでも飯島氏は「本当に対話が大事で日朝交渉を進める時だ。制裁は少しも緩めずに、日朝交渉をスタートさせるべきだ」と述べ、問題解決に向けて北朝鮮との対話の重要性を強調しました。
URLリンク(www3.nhk.or.jp)


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