戦後、「在日本朝鮮人連盟」と一体化していた日本共産党。 活動資金、人的ネットワークをカバー [306759112]at NEWS
戦後、「在日本朝鮮人連盟」と一体化していた日本共産党。 活動資金、人的ネットワークをカバー [306759112] - 暇つぶし2ch2:
22/05/07 10:42:08.43 hLXWESts0.net
「左翼的運動は、その半分を朝鮮人によって担われていた」
 日本共産党史に記述はないが、「日本共産党1世」と呼ばれる幹部たち―志賀義雄、寺尾五郎、山辺健太郎、亀山幸三、岩田英一などは、いずれも朝鮮人との連帯を書き残している。
例えば寺尾五郎はこう書く。
「戦前の日本では、それが党であれ、労働組合であれ、また反帝・反戦の運動や文化運動であれ、すべて左翼的運動は、その半分を朝鮮人によって担われていたようである。
戦前の日本の左翼団体なるものは、幹部だけを別にして、本当の中堅活動家や下積みの働き手などは実は半分ちかく朝鮮人だったのではないかと思われる。
とげのある言い方をすれば、左翼運動までが朝鮮人を踏み台にして成り立っていたような一面もあるのである」(寺尾五郎「一九四五年十月に出獄して」「季刊三千里」15号)

占領下の日本で「特別の待遇」
 亀山幸三は、1945年10月に日本共産党に入党、1946年の第5回党大会以降、中央委員である黒木重徳財政部長の下で財政部副部長を務め、後に党の財政部長として活躍した人物である。その彼は、
「その頃の共産党の舞台裏に関していえば、朝鮮人の同志らの存在が大きかった。
彼らは戦後ながらく、朝鮮共産党の日本における党員ということではなく、日本共産党の党員であったわけで、
『第三国人』―戦勝国民でもないが敗戦国民でもない―という立場にあってさまざまな自由があったことも手伝って、
党のために財政面などで非常に力になってくれた」(『戦後日本共産党の二重帳簿』現代評論社)
 と振り返っている。
 GHQは1945年11月1日、「日本占領及び管理のための連合国最高司令官に対する降伏後における初期の基本的指令」を発令し、
その中で「朝鮮人を『解放人民』として処遇すべきである」とした。
そしてその後、占領下の日本に居留する旧外地の台湾・朝鮮人などを「THIRD NATIONALS(第三国人)」と呼んだ。
現在、「三国人」は蔑称のように捉えられることがあるが、占領下の日本で、解放人民である朝鮮人が、連合国民ではないが敗戦国民の日本人とは異なる「特別の待遇」を受けていたことを表していた。


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