22/02/05 17:24:32.69 OGq3Vvqy0.net
「国民民主党」はかって日本に存在した 「民主社会党(民社党)」 に酷似している。
また、「連合」 は 「全日本労働総同盟 (同盟)」 のそっくりさんである。同盟は恵まれた企業の従業員で組織され、労使協調を基本路線とし、資本家と対決姿勢の 「日本労働組合総評議会(総評)」に対抗した。
1960年1月、日本社会党の西尾末広、片山哲、水谷長三郎ら右派の国会議員が活動方針を巡る党内抗争の結果、離党して民社党を結成した。同盟はその支持母体となった。
民社党は当時の政権党である自民党と対峙することよりも、出身母体の日本社会党との違いを強調することに腐心し、限りなく自民党にすり寄っていった。
その結果、国民からは 「第二自民党」 と認識され、存在価値を示さないまま、蟻地獄に落ち込んだ蟻みたいにずるずると深みにはまって議席を減らし、政治の舞台から消えていった。