21/05/10 00:04:10.98 p/rHQRMF0.net
第一群の畿内古墳人は、高顔と鼻根部の平坦性が古墳人のなかでもっともいちじるしく、身長ももっとも高いなど、渡来系古墳人のなかでも渡来形質がとくにきわだっている集団である。
また、短頭性がもっとも強いが、この頭形は現在までうけ継がれている畿内人の地域的特性である。
古墳時代・奈良時代の人口密度がもっとも高く、大和王権の拠点であった畿内は、古墳時代になっても朝鮮半島からの移住者を大量にうけ入れた地域だった。
畿内古墳人が、韓国・朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人からもっとも離れているのもそのためである。
資料の約半数が筑前・筑後・豊前から出ている北東九州・西中国古墳人の中心は福岡の平野部にあり、そこから南へむかっては南九州古墳人の、西へむかっては西九州古墳人の縄文人的特徴への傾斜を示すが、
豊後の山間部だけは特別で、そこには古い体質を保持しつづけた古墳人が居住していたのである。
資料の約八割が関東地方から出ている関東・東北南部古墳人は、顔面平坦度や頭蓋小変異の出現頻度で縄文人と大きく異なる。
身長は畿内古墳人とともに古墳人のなかでも高身長の部類に入り、頭蓋・四肢骨のすべての特徴に大陸的・農耕民的要素が認められる。
頭蓋計測値で第二群に入る北陸古墳人は、鼻根部の平坦度がやや弱く、低身長で、四肢骨の特徴にも縄文人的要素がみられる。
しかし、縄文人との距離は畿内現代人と同じくらい遠く、むしろ第三群の関東・東北南部古墳人に近いので、同じ在来系古墳人でも南九州・西九州の古墳人と同列に扱うことはできない。
頭蓋計測値(11項目)の形態距離に基づく古墳人集団の関係(男性)〔池田次郎〕
渡来…畿内
縄文…南九州・西九州・北陸
中間…北東九州・西中国、東中国・西近畿、四国、南近畿、関東・東北南部