20/10/27 23:46:43.17 4dLghbRv0.net
>>1
明治初期に日本が抱えていた最も深刻な問題は、地域によって言葉がばらばらである事でした。
これは江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜の回想録である
「昔、薩摩人にあった時に困ったことがある。
話をしても言うことがちっとも分らぬ。
向こうでは一生懸命喋るけれども、少しも分からぬ。
何とも答えのしようがない。
ただふんふんと聞いたけれども、善いとも言われず、悪いとも言われず、甚だ困った。」
この回想録で分かるように当時の日本語では方言よりもはるかに大きな違いがありました。
そこで東京の上流階級で使われていた山手言葉を標準語とし全国へ普及することになりました。
それから160年、ネットも普及した今でもやろやんやろやん、方言しか話せない西日本の田舎土人の馬鹿は生きてて恥ずかしくないの?