19/10/15 21:03:24.81 2i1BeXSc0.net
江戸時代の治水だと、川沿いにまず第一の堤防築いて、こちらは壊れること前提
で、さらに遊水地挟んで外側に第二の堤防築き、こちらは絶対死守
で、管理は遊水地にすむ奴にやらせる。代わりに年貢免除
無論第二の方が決壊したら責任問題にもなるから遊水地すむ奴は全力で管理した
明治以降は税の公平の観点から年貢免除みたいのやれなくなって、この第二の堤防はなくなり、第一の堤防だけで増水に立ち向かうはめに
なお河原は最初から人が住むとこじゃない扱いなので、そんなとこにわざわざすむのは、物好きってレベルじゃねえな