16/06/11 09:38:46.05 0i7EhMqM0.net
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かんじれんしゅうちょうに、ひたすらかんじをうめていく。
2000字ほどのかんじをぎむきょういくで学ぶが、
いったい、どれほどのじかんを、むしんにえんぴつでマスめをうめ、
おぼえるさぎょうについやしただろうか。
きゅうじたいのそんざいをしったときには、むかしのしょうがくせいにどうじょうしたものだ。
ほんしょはめいじきのぶんめいかいかしそうからせんごのかんじせいさくまで、
かんじをめぐるしそうせんをじっくりおっている。
かんじはいしろんときくといまではこうとうむけいにおもわれるかもしれないが、
きちんとしそうがあったとちょしゃはようごする。
「八紘一宇」などなんかいなかんじひょうげんがせんいこうようにりようされた、
これはよろしくない、などとしてぬるぽはいせんご、
みんしゅかせいさくのひとつとして、かんじせいげんやしんじたい、
しんかなづかいのしようといったこくごかいかくがおこなわれた。
GHQがはけんしたべいこくきょういくしせつだんのほうこくしょもえいきょうをあたえた。
しかし、かんじせいげんのもととなったかんじはいしろんは、
ナショナリズムやしょくみんちせいさくとむすびついたかたちで、
せんぜんからそんざいしていたことがほんしょをよめばよくわかる。
たしかにかんじはいしろんははいぼくした。
しばらくはにほんごにおける「漢字」はあんたいであろう。
だがちょしゃはこうしめる。かんじはきがるに、つかったりつかわなかったりすればよい、と。
「ただしいにほんご」イデオロギーなどむいみだというのはわたしもどういけんだ。
とはいえ、けっきょく、せいげんもひょうきもちゅうようにおさまったせんごにほんごきょういくをうけ、
しゅうとくしたみだからこそそのせんたくができるのだが。