16/02/20 16:04:44.35 UDca0w6U0.net BE:723460949-PLT(13000) ポイント特典
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韓流の街・新大久保 その誕生と発展、現在の失われた活気
東京都新宿区、新宿職安通りからJR新大久保駅にかけての界隈は、「韓流の聖地」として、
あるいはヘイトスピーチに荒らされた街として、全国的に知られている。しかしなぜ、
韓流の街が誕生したのか。その歴史を写真とともに綴る。(中略)
そしてこのタイミングで、救世主「ヨン様」ブームが巻き起こり、まずは中高年女性の
新大久保詣でが始まる。続いて東方神起やKARAが登場し、コリアンタウンの顧客層は若者にも
広がった。
これと同じ時期、ウォン高を追い風に日本への留学生も増えた。従来の韓国料理店の厨房を
預かっていたのは密航でやってきたアジュンマ(オバサン)たちで、「手作りの味」が売りだった。
それが2000年代中盤からは、東京の有名料理学校に留学した若者たちに交代。料理は若い女性向けに
アレンジされた。
東日本大震災の前、ブームの絶頂時には路面店のテナント料が銀座並みに高騰していた。
権氏によれば、「カバンに札束を詰め、『店の権利を譲ってくれ』と交渉して歩く中国人もいた」
という。
2012年8月、当時の李明博大統領が「独島(竹島)上陸」を強行。ブームに水を差されるが、
このときはまだ、新大久保の商売人たちは「今はガマンの時」と気丈だった。しかし、ヘイト
スピーチの猛威は、街の活力を確実に奪った。いまも週末には満席になる店が少なくないが、
客足以外の部分にも影響は出ている。
「デモに暴れられたのは痛かったが、メディアの影響も大きい。殺伐とした空気を嫌って留学生が
減り、人材の供給が細った。担い手がいなければ、賑わいを取り戻すのは難しい」(飲食店経営者)
果たして、この街を復活させる「次なるきっかけ」は訪れるのだろうか。
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